今日で、令和3年も終わり、明日から新年、令和3年となります。今日は「大晦日」とも呼ばれます。「晦日」とは、旧暦の考え方で「月が隠れている(=晦)日」という意味で、元々太陰暦では、新月(朔日)が1日で、満月(望月)が15日でした。しかし、1日の前日に当たる30日(或いは29日)も月がほとんど見えないので、この日を「晦日」と呼んだわけです。また、旧暦での1ヶ月は、29日か30日でしたが、この「30日」を「みそか」と呼んでおり、「晦日」に「みそか」という読み方を当てたことになります。
そして、1年最後の「晦日」を「大晦日」と呼びました。さて、1年最後を締めくくる記事として、このような教えをお伝えしておきたいと思います。
除夜の小參。
僧問う、旧歳送れども去らず。新年迎えども来たらず。新旧本より無情なり。去来誰か擬すべきや。
師云く、門前の石敢当。
僧云く、只だ旧歳已に去り、新歳已に来たるが如し。衲僧家、還た寒暑を遷る底を被らざる有りや。
師云く、有り。
僧云く、那箇か是れ遷らざる底や。
師云く、階下の雪師子。
僧云く、旧に依りて跳べども出でず。
師云く、蒼天蒼天。
『虚堂和尚語録』巻2
これは、中国臨済宗の虚堂智愚禅師(1185~1269)の除夜小参です。小参ということで、禅林に於ける家訓の宣揚の場となります。そこで、会下の僧侶が虚堂禅師に尋ねました。(これから去りゆく)旧歳は送っても去ることは無く、(これから来る)新年は迎えようとしても来ることはありません。新旧とは元々命無き存在ですが、去来とは誰が行うものなのでしょうか?
虚堂禅師は、門前の石敢当(向かうところ敵無し、の意味)としました。門前の石もまた、無情物ですが、要するに有情・無情の分別自体を批判していることになります。
そこで、僧侶は改めて、分別を超えて、旧歳とは既に去るという働きを見せ、新歳とは既に来るという働きを見せていますが、一方で、禅僧達はまた、寒暑が移ることを被らないことがあるでしょうか?とし、要するに、分別を破した禅僧の境涯を尋ねています。
虚堂禅師は、「有る」と答えました。そのため、質問者は、「どのようなことが、寒暑を移らないことなのでしょうか?」と問うと、虚堂禅師は屋根の下にある雪で出来た獅子(雪を被った石像か?)だ、と答えました。
すると、その獅子が、本来の姿を思い出して、飛ぼうとして出ることは出来ないと述べました。これは、結局、ただ働きが無いというだけではないでしょうか?と問い返していることを意味しているのでしょう。
虚堂禅師は、「蒼天蒼天(悲しいことだ)」とまとめています。これは、質問者の問いの中の獅子を憐れんだものでしょう。実態としては、雪獅子もまた、生き生きとした働きの中にあるのです。
だいたいの意味は以上です。
◎除夜の鐘
「除夜の鐘」ですが、【新型コロナ禍の除夜の鐘】というような問題もありますが、拙寺も出来れば行いたいと思います。元々、密にならないような地域なので、注意しながら開催すれば大丈夫だと思います。
さて、この日に鐘を108回撞く意味については諸説あるようですし、意外と新しいともされる行事ではあります。意味について一番良く知られているのが、108という数が人の煩悩の数であり、これを消除するためであるとも、1年の12ヶ月+24節気+72候を合わせて108とする説もあるようです。
また、本来108回の鐘は除夜ではなく、毎日朝夕撞かれるべきものでありました。普段は略して18回に留められます。このように鐘を鳴らすことは中国宋代の禅林では行われていたようで、『禅苑清規』巻6「警衆」には「慢十八声、緊十八声、三緊三慢共一百八声(訳:弱く撞くこと18回、強く撞くこと18回。それぞれ3回(18×3=54の2倍)繰り返して合計108回)」と記されています。ここに108回とありますね。
それが、「108」という数字と、「煩悩の数」とが習合して、縁起物としてのイベントに昇華されたのですが、江戸時代の臨済宗の学僧である無著道忠禅師は、それを批判しています(詳細は、【除夜―つらつら日暮らしWiki】を参照して下さい)。なお、拙僧の寺ではほとんど誰も来ませんので、とりあえず寺の者が撞きます。
撞き方ですが、まず鐘に向かって合掌してください。「鳴鐘の偈」として「三塗八難 息苦停酸 法界衆生 聞声悟道(さんずはーなん、そっくじょうさん、ほっかいしゅじょう、もんしょうごどう)」がありますので、それを黙念してから打ちます。連続して打つと鐘に悪いので、1回打ったら間を開けましょう。そして、108回のうち107回は旧年のうちに撞き、残りの1回を新年に撞くと良いともされています。
皆さまも、ご縁があれば除夜の鐘に足をお運び下さい。今年は、新型コロナウィルス対策の関係で、密を避けねばなりませんが、元々この辺は過疎地域であるのと、数日前からかなりの降雪がありましたので、除夜の鐘に参加されたい方は遭難に気をつけてお越し下さい。
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