菩薩戒に八種の殊勝有り
何等をか八と為す。
一には極道勝なり。菩薩戒を受くれば、大鵬鳥の如し。一たび翅を挙げて高く飛べば、能く十万九千余里に至る。此れ菩薩戒の道に趣くこと疾きが故なり。発心して六趣、二乗の径を越え、無上菩提に趣くが故に。
二には発心勝なり。一念して大悲智の心を発せば、二乗の境界を超過す。昔、二沙弥有りて、菩提心を発せば、阿羅漢、返生して恭敬し、衣幞を担ちて、路を行くに譲る等の如し。
三には福田勝なり。仮使、閻浮提内に満ちる阿羅漢を供養するも、一大鵬鳥に如かず。此の鳥、先づ来たりて菩薩戒を受くるが故に。
四には功徳勝なり。菩薩戒を受くるが、喩えば日光の如し。所として照さざること無し。声聞戒を受くれば、猶お螢火の如し。其の光甚だ微なり。相比すべからざるが故に。
五には受罪軽微勝なり。菩薩戒を受くるの後、設使、破戒すれども、猶お外道の受戒せざる者に勝る。外道邪見、永く悪道に沈み、出づるの期有ること無し。破戒の人、戒の威力なるが故に、設い悪道に堕しても、受くるの罪、軽微なり。若し地獄に堕しても、獄中の王と作る。若し畜生に堕しても、畜生の王と作る。若し鬼中に堕しても、鬼中の王と作る。若し人間に在れば、人王国の王と作す。若し天中に在れば、天中の王に作る。生生の処、王位を失せず。故に経に云く、犯有りても菩薩ならば、有戒にして破すると名づくるべし。犯無くても外道ならば、無戒にして破すると名づくるべきが故に。
六には処胎勝なり。菩薩処胎の時、常に天龍八部・諸善神王の守護する所と為るが故に。
七には神通勝なり。能く大地を変じて黄金七宝と為し、長河を撹して酥酪醍醐と為す。能く一念に百千世界を超え、能く一日に百千の衆生を化するが故に。
八には果報勝なり。蓮華蔵海に生じて、法性身を証し、一たび真常を得れば、永く退転すること無きが故に。
南岳慧思『受菩薩戒儀』
菩薩戒を受ける功徳について、以上のように8種類の良さをもって論じた例である。内容としては上記をご覧いただければ良いのだが、幾つかのポイントも存在している。例えば、受菩薩戒を「大鵬鳥」で喩えることである。これは、巨大な羽を持つ伝説上の鳥であるが、飛行距離などが無限に準えて理解されており、そのため、菩薩戒を受け、発心されれば、この六道の世界や二乗の境界を越えて、一度に無上菩提に趣くとされる。
この「二乗」を超えるというのも、また上記の主張には顕著なところで、明らかな菩薩の優位性を説くというのも、特徴である。しかし、何故、菩薩が優位なのか?まずは発心されるべき心の本質が「大悲智」であることを見ておくべきだろう。つまり、一切衆生の苦を解消せんとする願いと共に生きる存在なのである。
よって、第四の「功徳勝」を見てみれば、菩薩戒を受けることを日光がこの乾坤を照らす様子としており、声聞戒との功徳の差異を主張しつつも、比べられないほどの違いだとしている。
一方、第五の「受罪軽微勝」は興味深い。要するに、菩薩戒に於ける破戒の問題を扱っているのだが、仏道以外の者で受戒していない者よりも、菩薩戒の破戒は勝っており、菩薩戒を受けていれば、六道世界の何れに輪廻したとしても、それらの世界で優れた功徳を発するという。
それから、第七の「神通勝」については、菩薩戒を受けた功徳によって、大地が黄金となり、大河が醍醐になるという。これは、一日に多くの衆生を教化することを示しており、その範囲が無限に等しい様を示す。
そして、第八の「果報勝」とは、菩薩戒を受けたからこそ、『華厳経』で説く盧舎那仏のおられる蓮華蔵海に生じ、盧舎那仏の法性身を明らかにし、永く退転することがないという。
以上、菩薩戒を受ける意義や価値について、それを良い方向に振り切った見解を見てみたが、これが説かれた意義を考えてみると、やはり菩薩戒が後発で、その価値を強く説く必要があったことになるだろう。一方で、声聞戒の価値をどう捉えるかで、議論があった時代でもあったのだろうか。
中国仏教が大乗仏教化していく経緯の1つだと見るのが自然か。
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