よって、今日はその一節を掘り下げてみようと思う。『般泥洹経』も涅槃経系の経典だから、この時期に学ぶべき経典として入るわけである。ところで、『歴代三宝記』は、良い意味で意訳したものだろうか、実際の文章とはかなり相違している。
般泥泥洹の下巻、仏、阿難に語り、我、成道し来たる年、亦た自ら四十有九に至る。仏、覩るべきこと難し。一億四千万歳、乃ち弥勒有るのみ。
『歴代三宝記』
以上からすれば、上記のような文章があるように感じてしまうけれども、現在、一般的に見ることができる同経典では、以下のような文章が見られるのみであった。
仏言わく、「吾れ使者に告げて云わく、仏、経を説くことを得て、四十九歳なり、王国諸賢、皆な自づから執行す。王、且く宮に還れ、吾れ今夜半に当に般泥洹すべし」。
王及び臣民、挙哀せざること莫し。
『仏般泥洹経』巻下
先の文献では、成道してから49年という表記だが、こちらでは、経を説いて49年となっている。まぁ、同じことではあるが、この違いを見ると、引用関係にはないように思う。そうなると、『歴代三宝記』がどこから引いたかが気になるのである。その点、もう少し近い文章もあることにはある。
対えて曰わく、仏、三界の天中の天と為り、神聖なること無量にして、尊に至りては双ぶこと難し。開化導引して四十九年、仙聖梵釈とて、稽首せざる靡し。
同上
こちらの文章では、衆生を導引して49年とあるので、前の文章よりは近くなったが、それでも『歴代三宝記』からは遠い。何故ならば、上記の一節は、釈尊へ問いを発した須跋(スバッタ)による、讃歎の言葉だからである。なお、別訳の方も見ておきたい。
仏、王に報ずるに、我れ仏を得てより、四十九歳なり。説く所の経戒、一切具悉す。王国賢才、皆な已に採取す。王と群臣と、慘然として皆な悲しむ。
『般泥洹経』巻下
こちらは別訳だが、『歴代三宝記』の表現に近いのが分かるが、もちろん遠いは遠い。阿難尊者への話ではないし、後半の「一億四千万歳」とか「弥勒仏」の話も出てこない。だいたい、「一億四千万」という数字自体が、かなり珍しい表現のようで、類似表現も見えない。
結局、良く分からない、という話で終わるのであるのだが、そうやっている内に涅槃会来てしまうな。
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