四十二章経とは、蓋し能仁の訓戒の辞なり。騰蘭の伝訳してより、即ち華夏に通行するを以て、朕、嘗て余閑を以て潜に閲覧を加う。
宋真宗皇帝製『註四十二章経』「序」
上記の通り、『四十二章経』とは、「能仁の訓戒の辞」とある通り、戒律に関する説示が多く見られ、おそらくは出家者の作法としての役割を果たしたものと思われる。そこで、当方で勝手に注目した「章」を見ておきたい。
仏言わく、「親を辞して出家を道と為すを、名づけて沙門と曰う。常に二百五十戒を行じ、四真道行を為し、志を清浄に進んで、阿羅漢と成る。
阿羅漢とは、能く飛行変化し、寿命に住し、天地を動かし、阿那含の次と為る。
阿那含とは、寿終わりて魂霊、十九天に上り、彼れ阿羅漢を得るに於いて、斯陀含の次と為る。
斯陀含とは、一上一還して、即ち阿羅漢を得る。須陀洹の次と為る。
須陀洹とは、七死七生して、便ち阿羅漢を得る。
愛欲を断つとは、譬えば四支断の如し、復た之を用いざれ」。
『四十二章経』第1章
さて、ここで見ておきたいのは、最初の一段のみであるが、出家の概念について、親許を辞して、出家の道を進むことをいうとしている。この辺から、おそらくは儒教文化があった中国の人にとって、かなりの印象を与えた可能性がある。ただし、本経は1世紀には伝訳されていたと思われるが、実際に中国人が出家を許されたのは4世紀に入ってからであった。そこには、戒律の作法などが正式に伝わっていなかったなど、僧伽を作るだけの下地が無かったという見方も必要なのかもしれない。
そこで、ここでは「常に二百五十戒を行じ」という言葉の通り、『四分律』に従った比丘戒が、まずは名称のみは伝わっていたことが分かる。
それから、もう一点気になるのが、「四真道行」である。この言葉は、本経典に見えるものであるが、正直、どの辺に当てはまるのかが分からない。ただし、中国で作られた本経典の註釈は、以下のように指摘している。
四真道行とは、即ち苦を知り、集を断ち、滅を証し、道を修す、四諦を真実道行と為すなり。
『註四十二章経』
最初に引いた、宋の真宗皇帝の御製の註記では、いわゆる「四聖諦」をもって、「四真道行」としている。これは、正確なのかどうかは分からないが、阿羅漢を声聞であるとすると、声聞は四聖諦を修行するとされるので、これを当てはめたのかもしれない。それから、順番は前後してしまったが、「二百五十戒」についても、以下のような註記がされている。
二百五十戒、其の條目なり。具さには大蔵中に載す、小乗律の四分戒なり。此に繁くは云わじ。
同上
やはり、「二百五十戒」という条目について、「四分戒」であると明示している。でも、『四十二章経』の伝訳時にはまだ、『四分律』自体は伝来していない。そうなると、『四十二章経』は、法蔵部関係の比丘などによって編集されたのだろうか。この辺はおそらく、しっかりとした研究もあるとは思うが、本文を見てみて思ったことを記事にしてみた。
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