ああ寒いあらあら寒いひがん哉
小林一茶
まずは、小林一茶(1763~1828)である。そこで、この内容だが、彼岸会になっても、とにかく寒い、寒さばかりが伝わってくる内容である。ここまでの寒さ、例えば、「暑さ寒さも彼岸まで」ということわざを思うと、ちょっと大袈裟に過ぎるのではないか?と思っていたが、どうやらこれは春の彼岸会であるらしい。
なるほど、それであれば、例えば東北地方などでは一部で、春の彼岸会の時期にも雪が降ったりするから、そういうことを指しているのかもしれない。一茶自身は、江戸や各地への遊学をしているけれども、出身地などは北信濃とされているので、場合によってはこの俳句の通りだったのだろう。
我国は何にも咲かぬ彼岸哉
小林一茶
こちらについては、何とも寂しい感じの俳句である。これも、春の俳句らしい。そして、一茶がいた地域では、春の彼岸会になっても、何も咲かなかったらしい。長野県北部の様子を調べると、だいたい3月~4月にかけては、野の花はザゼンソウなど咲くこともあるようだが、樹に咲く花というと、梅の早いものが該当するらしい。
しかし、たまたまなのか?毎年なのか?は知らないが、旧暦2月においては一茶の周囲では、梅の花なども咲いていなかったのだろう。よって、「何にも咲かぬ」という俳句が詠まれてしまった。しかも、この内容だと、もう少しで咲くかも?といった期待感なども、余り感じられない。
何だろう?一茶自身は、おそらくは郷里での春の彼岸会だと思うのだが、寒さが先行して、余り気に入っていなかったのだろうか?それとも、もう少し味わい深い読み方でも出来るのだろうか?当方の能力では、とても困難ではあるが・・・
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