「カネボウ」という化粧品の会社がございますね。あれ元は、鐘ヶ淵にあった紡績会社が、時代の変化にあわせて紡績から化粧品に営業品目を変え、でも社名を残して「カネボウ」なんでしょう。ま、そういう企業は他にも一杯あると思いますが、所詮、私も、営業品目が変わってきたのだと思うのです。
前掲同誌、1頁
小沢氏はこの一文の前に、御自身「一介の役者」と謙遜されつつ、岩波書店から、俳句の本や遊び方の本、或いは自分史に関する本などを刊行した旨仰っており、役者はどこかに行ってしまって、「一端の著述業」であるとも述べています。まぁ、何か一つに才能がある人は、多くのことに才能がある場合もあり、小沢氏の場合もそういうことなんだろうと思うのですが、役者は見た通り、「肉体労働」であるそうで、80歳を過ぎてしまうと、さすがにそちらの仕事は厳しいようです。そこで、自分自身、同じ小沢昭一という看板を背負いつつも、その営業品目を変えたという話をしているようです。
例示された「カネボウ」ですが、確かに、社名だけ残ったという感じですよね。破綻して、2004年以降は、あちこちの会社に切り売りされながら、その社名の維持をしてきました。あくまでもネット上で検索しただけのことですけど、いわゆる「カネボウ化粧品」というブランドは、既に花王の子会社になっています。そして、いわゆる「鐘淵紡績」を母体とする会社は、「クラシエ」として、実質的に名称を失ってもいます。だから、元々の会社については名前が変わり、しかし、或る時期に形成されたその名称へのイメージというかブランドが事業の一部も引き継いで、現状至っているということですね。
さて、企業であれば、「なるほどな」という話で終わってしまうのでしょうが、一筋縄でいかないのが仏教を始めとする「宗教」です。企業であれば、ここまで社会情勢が変わってしまえば、今更に「紡績会社でなければけしからん」とかいう人は、正直、何も分かっていない人として排斥されて終わってしまいそうです。ただ、仏教ですと、おそらく「紡績会社に還れ」というニュアンスのセリフ以上ではない「釈尊に還れ」とか「原始仏教に還れ」とかいう人が少なくないんですよね。
でも、実際に、日本の仏教は「カネボウ現象」のように、名前だけは残して他の全てが変わってしまっていることだってあるでしょうし、それこそむしろ「時代の変化に合わせて」という話になりそうな気がするのですが、何故、問題点ばかりが喧伝されてしまうのでしょう?拙僧は、そこが非常に疑問です。大体、インドの釈尊に還らねばならない、というのは、真理でもなんでもなくて、ただそういいたい人の「態度」でしかないはずなんですが・・・
まぁでも、「カネボウ」というブランドイメージの強さに、結局そこは別会社の子会社にするという選択肢が採られたように、「イメージ」というのは大切です。それがあって、初めて社会性を獲得するためですね。ただ一方で、イメージは我々の思考を必要以上に縛るものでもあります。よって、とりあえず企業のように、世間に受け入れられること自体を目的にしているとすれば、イメージを優先させても良いでしょうが、仏教というか宗教というのは、そんな単純でもなし、よって我々自身に影響するイメージについて、もっと慎重に考えてみても良いだろう、とか思うんですね。
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