天真寺日記

天真寺の日々を綴ります

葬儀について考える

2007-01-18 20:29:05 | 宗教
シンポジウム「葬儀を考える」が武蔵野大学にて開催されました。



パネリストに

大竹 幸浩(駿台トラベル&ホテル専門学校 ライフステージ・プロジュース学科長)
大村 英昭(関西学院大学大学院教授)
碑文谷 創(雑誌『SOGI』編集長、葬祭ジャーナリスト)
宮本 義宣(浄土真宗本願寺派 中央基幹運動推進相談員)

諸先生をお迎えして、3時間30分にわたり熱弁が繰り広げられた。

最近は、テレビ・雑誌等でさまざまな形の葬儀がとりあげられている。
今は、
家族葬・お別れ会・直葬・無宗教葬(自由葬)とさまざま葬儀の形が存在するという。

その中で聞き慣れない言葉に直葬がありました。
直葬とは、病院などで亡くなられた人が、そのまま火葬場に向かうという形であります。

今までは、亡くなられたならば、一度住み慣れし家に枕飾りをしてお迎えして、そしてお葬儀という形が一般的でありました。

が、直葬の場合は、家に帰らないでそのまま火葬場に運ばれるという。

そこには「高齢者に家での居場所がなくなってきているのでは」という社会背景が指摘されていた。

現在の都市部では、高齢者が生活しにくい環境になっていることを実感します。
しかも、若者中心(知識中心)の社会になり「おばあちゃんの知恵袋」が見過ごされつつあるような。

ご門徒のおばあちゃんが町を歩いていると「どけ、ばばあ」と小学生の子供に言われたと、ショックを受けていました。そんなことが現実にあるのです。

若さ・速さ・合理性を求め、人生について未熟な若者の価値観中心の結果、
日本古来から培われてきた文化が見失われてきているのではないだろうか。

様々な事件が起こる現代。
地震・雷・火事・おやじ
知識では計ることの出来ない、人とのつながり・縁を見つめ直す時代に来ているような気がする。

そんなことを直葬が多くなっている時代だからこそ思います。

最後に、浄土真宗のお葬儀の意味を確認しました。
その中注目されていたのが、「グリーフケア」です。

新しい形の葬儀・儀式としてだけではなく僧侶と門信徒が一体となって作り出していく葬儀が中心になってくるだろう。

でも、なによりお葬儀がただの儀式に終わるのではなく、故人とのお別れを偲び、お浄土へ向かっての新たな第一歩を踏み出していけるようなお葬式だったらなぁと、自分のお葬式の形を考えています。

(龍)



「霊性」につながり求め

2007-01-13 12:10:05 | 宗教
「恋愛パワースポット」の神社、縁結びで有名な神社というところに若い女性方が押しかけているという。
ネットで知ったり、雑誌で紹介されたりということから、人気が出るらしい。

ある神社では、若い女性が目立つようになったのはこの4~5年。
20~30代の女性が7割近くを占め、土日は300~400人に上るという。
神社でも、クリスマスイブは一層にぎわったようだ。

そこを訪れた28歳の女性会社員の話。
いい出会いを願って手を合わせ、恋みくじを3回引いた。
どれも違う内容で、逆にほっとしたという。
「だって、どれもアリってことでしょ」
占い好きで、有名な占い師を訪ねたこともある。
「スピリチュアル・ブーム」の象徴である江原啓之さんが大好き。
「霊」や「前世」にも興味があるが、宗教は嫌い。
「いろいろ束縛されそうなのがイヤ。都合のいいときだけ、自分のことを知るのがいい」からだという。

弓山達也・大正大学教授(宗教社会学)は、
目に見えない何かとの「つながり」を求めたい。こうした感情がバブル崩壊の90年代前半から強まり、オウム真理教事件で沈静化した、とみている。
それが00年ごろから「宗教アレルギー」を伴いながら再び頭をもたげ、「スピリチュアリティー(霊性、精神性)」に衣替えして今のブームに至った、と話す。


                                         



1月8日付朝日新聞に占いやヒーリングにはまる女性達が特集されていた。
占いやヒーリングが大流行で、「自分に向き合える」のが魅力らしい。
この記事を読んで、そっか宗教は嫌いか・・・と考えさせられた。

占いはちょっとゲームみたいで楽しいし、いいことを言われるとうれしい気がする。
けれど、自分の人生を振り回されたり、それに依存したりするものではない。
気持ちはよく分かるけれど、
とにかく自分を肯定してもらいたい、という切実な思いがうかがえる。
「今の私がこーなのは、前世があーだったからだ」
をういってしまうと、前世をひっくり返すことはできないから、今私があーなのも、こーなのも当たり前で仕方がないこと、となる。
こうやって自分を認めようするのは、自分を必死に守っていかなければ生きにくいほど安心するところを持たない時代なのかもしれない。

必死で守ろうとしている自分に本当に目を向けたとき、そこに見えてくるすがたを考えてみる。
誉められば喜び
けなされれば怒る
人をねたみうらやみ・・・
親鸞聖人は、
「凡夫といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず」
と私たちの本当のすがた教えて下さる。
仏法に遇って本当のすがたを知っていかれたのである。
それは、つながりのなかにあって私が生かされているという感謝を知ってこそ見えてくるすがた。
宗教は嫌い・・・と言われると携わる身としてショックだが、型にはまらずとも、
「みんなつながってみんな支え合って生かされているんだよ、一人じゃないよ。」
という仏さまのメッセージだけでも知ってほしいと願う。
私はそれだけで、安心して生きていける。
いつでもどこでも共にいて下さる存在があることが、私のこころの拠りどころとなっている。

かなしきかなや道俗の
良時・吉日えらばしめ
天神・地祇をあがめつつ
卜占祭祀つとめとす

自分の本当のすがたが見えず、占いや日の良し悪しなどに右往左往して苦しみを重ねている私たちを悲しまれて親鸞聖人がよまれた和讃。
その意味の深さに、私たちの心の闇の深さが思われる。

(静)




おさい銭 投げると失礼?

2006-12-16 10:01:03 | 宗教
12.15の朝日新聞に「疑問解決モンジロー」のコーナーで、お賽銭についての記事が掲載されていました。ちなみに、テーマはおさい銭投げるのは失礼ではないか?であります。

そこで、お賽銭とは何のため?それぞれの宗教の見解がご紹介されていました。

神社

おさい銭は、もとは「恵みに感謝する」という意味があり、海産物や洗った米を白い紙に包んでささげていた。この「洗米」が「散米」お呼ばれ、貨幣経済が浸透した室町時代にはお金に変わって「散銭」となった。

時代は変わり、戦国時代。
鶴岡八幡宮の別当職の日記に、散銭が散らばらないよう一箇所に集める「散銭櫃」を置いたという記述があり、これが賽銭箱の始まりではないかと。

散銭から賽銭に変化したが、「賽」には、実は神仏へのお礼という意味がある。
でも現在は、お礼よりもお願い事が中心になっている。
そのことについて、
米からお金になると、お参りも感謝に加えて願い事をするようになったようです
と解説されています。

仏教

仏教は、欲や執着を捨てることが大切と考えます。
お参りは欲望を願うのではなく、今、生かされていることに感謝し手を合わせます

というように、投げるというスタイルよりも気持ちが大切。


次は、おさい銭のお金に注目した考え方。

キリスト教

願い事ではなく、すべては神に与えられたと感謝し、少し神にお返しする

イスラム教

すべての本当の持ち主は神と考えられ、持てる者が貧しい者に援助することは、神に対する義務と考えられている

最後に、
「お金を投げる」といえば、ローマのトレビの泉であるが。
国立歴史民族博物館の新谷尚紀教授の意見が紹介されていた。

人が泉にコインを投げるのは『衝動』から・・

貨幣は、死や罪などの汚れの吸引装置。人の潜在意識にはケガレをはらい清めたい衝動があるので投げたくなる。おさい銭も泉のコインも意識は同じ。

と分析をしている。

生きていればいいこともあるし悪いこともある、
知らず知らずにケガレを積み重ねているのが人間なのだろう。
そんな思いを心の底で自覚しているからこそ、おさい銭に私のケガレを託すのだろうか?
だからこそ、初詣には、「今年こそは」とたくさんの方々が出掛けられるのだろう。

仏教では、

お参りは欲望を願うのではなく、今、生かされていることに感謝し手を合わせます 。

と。

我が身の病や罪をケガレとは考え切り捨てずに、1つ1つ有難きご縁と向かい合い共に歩んでいく世界であります。
そこにこそ、より充足した生活が開かれてくるのではないでしょうか。

(龍)

メリシャカ! リニューアルしました

2006-11-28 22:18:16 | 宗教
「メリシャカ!」のホームページがリニューアルしました。

浄土真宗の若手僧侶が4月にスタートしたのが、ブッダチャンネル「メリシャカ!」です。

今の世の中さまざまな情報に溢れている時代であります。
殺人事件、お笑い番組、紛争、ローカル番組などチャンネルを変えれば、めまぐるしく変化し続けています。

時には、自分がどこいるのか不安になることがあります。

そんな時、ふと2500年の悠久の歴史をもつブッダ・ワールドに耳を傾けていただければ、そんな思いでメリシャカ!は、出航いたしました。

出航したが、前途多難。

そこで、心機一転。

まずは、頻繁に更新していくことに。
それで、順繰りにコラムを書くことになりました。

とはいっても、おもしろいコンテンツで充実しております。

その中でも、SHAKA MUSICは必見。
坊さんであり、ミュージシャンであるという稀有な歌も聞くことができますので、遊びに行ってみてください。



献血

2006-05-26 15:25:50 | 宗教
日本赤十字の献血が、
私が所属する浄土真宗の若い坊さんの集まり東青僧が協賛する形で築地本願寺で行われた。
そのお手伝いをさせてもらった。
 
初めに、ユニセフスタッフから注意事項をうけた。
1、年齢は献血未経験者は65歳以内
         経験者は69歳以内
2、日本滞在一ヶ月以上
3、イギリスに行ったことがある人は駄目(BSE問題)

いろいろと条件がある。

午前は「ティッシュ配り」
キティーちゃんのかわいい顔をモチーフにしたティッシュをみなさんに「献血にご協力下さい」のかけ声と共にお渡しする。

ティッシュを配っていると、いろんな人と出会う。
忙しそうに歩いている会社員
築地市場で買い物をしてきた観光客
築地本願寺にお参りに来られた方
などなどさまざまである。

みなさん献血のティッシュだけあって好意的に受け取って下さった。
ありがとうございました

午後から「献血」
問診票に記入し、いざ乗車
検査の結果、OKがでたので、検査開始。
四つのシートがあり、横になりながら400ccの献血。
人によって献血する時間が違うので聞いてみると、
血液がゆっくりたまる人と早くたまる人がいるという。
僕は、あっという間に終わったので、
血量が多いのだろうか?


今日一日の目標は70人分の血液だそうだ。

おみやげ袋の中には、バター・タオル・ジュースが入っていた。
その中に献血俳句コンテストの冊子があった。

献血の 手帳を胸に 帰省の子 (献血俳句大賞)

心の温まる句である。
今は、気持ちを俳句で表現することが流行している。

献血をした日は、お酒・タバコは控えて下さい。
とあったので、
ここで俳句を一句

献血で ハッと気がつく 人の縁

(龍)