天真寺日記

天真寺の日々を綴ります

おくりびと

2009-02-28 18:51:58 | 日々
「おくりびと」、話題です。

原作者の青木新門さんは、浄土真宗のみ教えの篤い富山出身の方。
今回は原作者でありながら、富山にこだわったことと方向性が違ったことなどで、映画作りから下りられたと聞きました。

私は映画はまだ観ていませんが、数年前にアメリカで開かれた浄土真宗の学会の席でご一緒した時本をいただき、読んで感銘をうけたことを覚えています。

今朝の新聞で、「納棺師に任せ何かを失った」と書かれた75歳の僧侶の方からの投稿を読みました。
納棺師というお仕事も私たち世代には当たり前、もう当然あるもののように感じていましたが、そうではなかったことを教えられました。

最近では身近に接することの少なくなった「死」を、見送る側として、そして往く側としてどうとらえるか。
納棺師のお仕事を通して、私も振り返ってみたいと感じました。


「納棺師に任せ何かを失った」

 映画「おくりびと」が日本作品では初めて米アカデミー賞外国語映画賞を受賞しました。納棺師という仕事を通して人間の死を見詰める視点で映画は作られているようであり、受賞は受賞としておめでたいと喜ぶ一方、私は何か見落とされている気がしてなりません。
 私の幼いときの記憶によれば、死者は家族によって身をふき清められ死に衣装を着せられ、棺に納められていました。男性の顔にひげが生えかかっていればそり、死に顔の化粧も家族か親族の女性がしたものでした。
 悲しみをこらえながらそれらの仕事をして家族の死の重みを心に刻むものでもありました。私たちはお金を払って納棺師に任せることで、遺族にとってはつらい仕事をしなくても済むのですが、同時に大事なものを失っているのではないか。何か見落とされている、と私が感じるのはその点なのです。
 受賞に沸き立つのも結構ですが、納棺師に任せるとはどういうことか、今一度振り返ってみるのは無駄なことではないと思うのです。
(僧侶 埼玉県 75歳)

『朝日新聞』 H21.2,28日掲載

(静)