横浜山手の丘にある娘の学校には、
正門から校舎に入るまで、たくさんの桜の木が植えられています。
この寒い季節でも、この時期に咲いている桜の木があって、正面玄関に向かうにつれて、遅咲きの桜から、早咲きの桜の木が植えられています。
桜の種類によって、花を咲かせる時期が違うことを初めて知りました。
以前、学園長先生が、
「子供達にとって、花の咲く時期はそれぞれ違うのですよ。早く咲く子もいれば、遅く咲く子もいる。人と咲く時期を比べないでほしい。いつ咲くかではなく、それよりも咲くよりも何より、あなたがいるだけで、価値があるのです。存在するだけで、価値があるのです。
毎朝子供達がここを通る度に、そんな神様からのメッセージに気づいてほしくて、ここに桜の木を植えました。」
存在するだけで価値がある。
昨日、保護者会で学校を訪れた際に
学園長先生が以前に語って下さった
お話を思い出しました。
昨日の保護者会では、先生方とプチランチを挟みながら、教皇ミサの様子や、
巡礼の旅であった、広島、長崎への修学旅行の様子をスライドや動画で見ることができました。
カトリックの考えとして、広島や長崎の原爆に対しての考えはとても重要なものであると。
その為に、修学旅行として、広島、長崎を毎年訪れてきたこと、教皇様も
広島、長崎を訪れたことの意味を説明して下さいました。
広島の原爆は、人間の罪であると捉えていたことが、
長崎の原爆はカトリック教会、大浦天主堂の間近で原爆が投下され、カトリック信者がその命を捧げられ、その条件と引き換えに、平和への道が開かれていった、、
だから神の罪なのではないか。
イエス様が、全人類の罪を背負われて
命をお捧げされたように。
原爆は、人間のなのか、神の罪なのか。
長年、カトリック教会の間でも、議論されてきたそうです。
今回の教皇様の来日をきっかけに、
平和の大切さや、私達一人一人が、存在しているだけでいい、そんな神様からの
メッセージが伝わるだけで、どれだけの人々が救われるのか。
昨日は、カトリックの大切な精神にふれ、心が洗われたそんな一日でした。