私がなぜ鵠沼海岸にアトリエを建てたのか?
それは明治生まれの祖母が鵠沼海岸に家を買ったのが始まりです
祖母の出身は川崎、姓は増島
そして親戚である祖父と結婚し鳥養に
そして横浜の間門で「大鶴堂」を開業
写真を見ると大きな問屋だったようです
そして、祖父は仲代達矢にそっくりな洒落者
ところが
祖父は母が3歳の時に腸チフスで他界
(今なら助かってますね)
祖父がやっていた商売を引き継ぎ、たくさんの店子を持ち、30から未亡人でやり手だった祖母
その後戦争
戦後も大きな土地をいくつか持っていたので、それを切り売りしながら問屋も細々と
横浜から藤沢へ来たのは母の喘息のため
横浜に住んでいる頃に別荘として藤沢の弥勒寺と東海岸に家を建て、本鵠沼の「蓮村医院」をかかりつけに
その頃の東海岸はただの松林だったようで
鵠沼海岸から東海岸まで2つの川を渡って、真っ暗な中を帰るのは怖いので
東海岸の家を売って、現在の場所へ
ここなら駅から3分ですからね
(引地川の前に、今のニューマンションとスカイマンションの間に小さい川がありました)
祖母は30から未亡人
でも商売を引き継ぎ、子供3人を大学へ行かせて、不動産売買も目の付け所が良いからかうまくいき
孫の私にアトリエを建てるだけのものを残してくれました
いったい
私は祖母の血を一滴でも受け継いでいるのだろうか?
私は私の孫に、有形無形で何か遺してあげられるのだろうか?
毎夕、まだ祖母の気配が残る母屋に心の中で語りかけます
母には強過ぎる祖母だったけど、私の事は可愛がってくれました
たぶん、今でも母屋から私を応援してくれてるとは思いますが
亡くなって、もう15年かな
もっともっと色んな事を聞きたかった
(これはある意味、自分のための備忘録、時々付け加えるかもしれません)