福島の焼き物と窯、戊辰戦争の激戦地を行く

青天を衝くー渋沢栄一の生涯 新型コロナウイルスを歴史に学ぶ

※掲載画像文章の無断複製・転載を禁ず

「青天を衝け・渋沢栄一」(6話) 一橋家に仕え、幕臣となる

2020年07月18日 | 新型コロナウイルスの歴史
「青天を衝け・渋沢栄一」(6話) 一橋家に仕え、幕臣となる
令和2年2月26日(月)
マメタイムス新聞掲載 松宮輝明著
伊能忠敬研究会東北支部長
安積の学園大学講師
安積歴史塾・二本松グレートアカデミー講師
旧長岡藩主牧野公奉賛会
松宮 輝明




新型コロナウイルスを歴史に学ぶ(13話) 教育改革、統合高校改革の課題は 

2020年06月23日 | 新型コロナウイルスの歴史
新型コロナウイルスを歴史に学ぶ (13話)  
教育改革、統合高校改革の課題は 
マメタイムス新聞掲載 
令和2年6月22日 (月)  
伊能忠敬研究会東北支部長
元日本大学工学部講師・化学 
松宮輝明



写真 須賀川高校校旗

新型コロナウイルスを歴史に学ぶ(13話) 統合須賀川高校の課題は          

2020年06月23日 | 新型コロナウイルスの歴史
新型コロナウイルスを歴史に学ぶ (13話)  
教育改革、統合高校改革の課題は 
マメタイムス新聞掲載    
伊能忠敬研究会東北支部長
元日本大学工学部講師・化学 
松宮輝明

福島県教育委員会は、戦後、昭和23年以後の大きな教育改革として、高校を再編成し、普通高校を4つのランクに区分し、特化した教育を行います。
ランク1の進学指導拠点校(福島高校、安積高校、磐城高校、会津高校)は、難関大学の東大、京大、名古屋大、一ツ橋大、東工大や医学部の志望者の進学実現を図るためにSGH(スーパーグローバルハイスクール)と位置付けました。また、安積高校は附属中学校(定員60名)を設置し中高一貫教育を行います。
福島県の教育力は長く低迷し、ランク1進学校の学力は、全国高校の上位500校中の450番以下です。上位100校のうち80%が私立高校です。名古屋市の私立「東海高校」は毎年150余名の生徒が医学部に合格します。太田西ノ内病院の研修生指導医の教え子先生は「研修を終えるとほほとんどの研修医は地元の関西、関東の病院に帰ってしまいます。安積高校から医学部に進む生徒を多く育てないと、福島県、東北の医療体制は崩壊します」とのことです。  
普通高校ランク2の進学指導重点校、須賀川桐陽高校は特化した進学指導を行ない須賀川岩瀬地区の生徒が集まります。
ランク3の キャリア指導推進校須賀川高校は、地域社会で体験的なキャリア教育を展開し、社会的、職業的に自立出来るための生徒の育成、地域を支える核として貢献できる人材に対応した教育活動が展開されます。 
今後は、須賀川市も急速な人口減少が進み、10年後(2030年)には須賀川市内の普通高校は整理され、須賀川高校と須賀川桐陽高校は統合となり、普通高校は1校となることが予想されます。
統合「須賀川、長沼高校」(仮称)は、再来年2022年4月に開校式を迎えます。
新生高校を存続させるためには、特化した6クラスのカリキュラムが必要だと思います。
特色のある専攻コースの例(大学進学先)として
  • 映像、アニメ、デザイン、芸術コース (定員40名)
(須賀川市、円谷プロダクションの協力、日本大学芸術学部等に進学)
映像、アニメ等は、政府が推進し、現在、1兆2千億円の世界市場です。
1、専攻コースの生徒を関東全国一円から広く募集する。2、長沼町に寄宿舎を用意する。藤沼温泉なども活用する。3、長沼高校は、統合須賀川、長沼高校の第2校舎として使用する。4、地域住民の協力を得て、長沼地区に高校生が120名闊歩する若者の町として活性化を図る。5、須賀川市の全面的支援を受ける。
  • スポーツ科学コース(日体大、仙台大学等体育系の大学へ進学)

  • 服装デザインコース(文化服装学院大学等へ)
  • 幼児教育コース
  • 福祉健康コース
  • 留学生コース(留学先、帰国子女の教育)
  • 起業家コースなどの特色あるコースが考えられる。
進学、就職先を学校説明会で説明し、中学生を募集する。
「出来ない生徒を伸ばすのが教育である」との教育論があるが、いかに伸ばすか具体的な改革案がなければ、須賀川高校の未来がないとの意見が多数寄せられました。
バスケットボールの能代工業高校の校名は統合により、「能代科学技術高校」となり、能代工業高校の校名を残したかったと、全国的に話題になりました。
校名は、設置者の県が決めますが、広く公募し教育委員会に提案することがのぞまれます。
令和2年、校名、教育目標、教育課程、教科書選定、校旗、校章、校歌、制服の選定など決まります。この度の母校須賀川高校の学校改革は、教育100年の計であります。母校須賀川高校の卒業生の応援を期待しております。


写真 須賀川高校の校旗(昭和41年1月8日制作)


新型コロナウイルスを歴史に学ぶ (12話)   教育改革、高校改革のランク付け

2020年06月16日 | 新型コロナウイルスの歴史
 新型コロナウイルスを歴史に学ぶ (12話)  
教育改革、高校改革のランク付け 
マメタイムス新聞掲載 
令和2年6月15日(月)        
伊能忠敬研究会東北支部長
元日本大学工学部講師・化学 
松宮輝明



新型コロナウイルスを歴史に学ぶ (11話)   教育改革、高校再編成 ① 

2020年06月08日 | 新型コロナウイルスの歴史
 新型コロナウイルスを歴史に学ぶ (11話)  
教育改革、高校再編成 ①          
伊能忠敬研究会東北支部長
元日本大学工学部講師・化学 
松宮輝明
 新型コロナウイルスは、全国の学校で休学が続き、9月入学、始業の議論は、「拙速な導入はかえって問題を深刻化する」と検討課題となりました。
 全国で少子化が進み、小中学校、高等学校は、2019年には500余校が廃校となりました。
平成5年に福島県教育委員会は、学校教育審議会の答申を受け、生徒減少期における高等学校教育の在り方、高等学校教育改革の検討委員会を立ち上げました。
平成11年に「県立高等学校改革計画第1次案」、平成19年に「県立高等学校改革計画第2次案(2019年度~2023年)」を策定しました。
2019年3月、第2次案は、県議会の議決を経て新聞等で広報されました。
趣旨は、「生徒減少期の教育の質的向上を図ること。個性を尊重し柔軟で多様な高校教育の充実、地域に根ざした学校づくり、学校の適正規模の確保、学校、学科の適正配置の在り方、改革の実現を図るため、各学校は、自校の教育の実態や課題を適切に把握し、学校教育の改善に向け、全教職員が一丸となった取り組みが必要である」との県議会への説明でした。
                                                                                                              
令和元年7月8日(月)県教育委員会は「県立学校改革前期実施計画」の第1回懇談会を須賀川高校同窓会館で、令和2年2月6日(木)第2回懇談会を長沼高校で開催しました。
第1回懇談会で、県教育長より、県立学校改革前期実施計画(2019年度~2023年度)の説明があり、15名に委嘱状(令和2年3月31日まで)を須賀川市長、須賀川市教育長、須賀川高校長、同窓会長、PTA会長、生徒活動後援会長、体育文化後援会代表、長沼高校長、同窓会長、PTA会長、須賀川第1中学校長、長沼中学校長、地元有識者3名に任命されました。そして、2023年4月、須賀川高校と長沼高校を統合する旨の説明がありました。
また、分校は廃止し、教育効果を上げるために、県内の県立普通高校を4ランクに区分すること。
1ランク、進学指導拠点校に4高校(福島、安積、会津、磐城高校)
2ランク、進学指導重点校に16校(安積黎明、須賀川桐陽高校など)
3ランク、キヤリア指導推進校21校(須賀川高校6クラス、石川高校など)
4ランク、地域協働推進校6校(湖南、只見高校など)
第2回の懇談会で県教育委員会より「教育目標、校訓、教育課程の検討と作成、2021年度中に、校章、校歌、校名を決定し、体験入学、生徒交流会、中学校、保護者説明会を開催する」との説明がありました。
2021年度開設する統合後の校名が決定した高校は、「福島県立喜多方高等学校」、「福島県立小名浜海星高等学校」で、2020年2月7日県教育委員会より発表されました。
2023年1月~3月入学選抜試験を実施し、4月新生須賀川長沼高校統合高校が発足します。

須賀川岩瀬地区の小中学校の在学生徒数(令和元年3月現在)は、小学校6年生は616名、中学校3年生は、725名です。
須賀川岩瀬地区の小学校6年生が3年後、須賀川市内の4高校(須賀川、須賀川桐陽、岩瀬農業、清陵情報)に全員が均等に入学すると各高等学校1学年の入学生徒数は154名(3.9学級)となります。
今後の生徒の移動動向は、須賀川地区から郡山市内(県立高校4校、実業高校2校、私立高校3校)の普通高校に入学する生徒数は増え、須賀川市内の普通科の志望数は154名を大きく下回ることが推測されます。
今後、人口減少により、須賀川岩瀬地区の小中学校の統廃校も急速に進みます。
  玉川村は、令和2年4月、旧泉中学校・旧須釜中学校を統合し新たな中学校を開校、校名を「玉川村立玉川中学校」としました。
玉川村学校等統合準備委員会(学識経験者、保護者、地域、議会、学校の代表者)が校名候補を検討しました。
10年後、須賀川市内の普通高校の1学年の学級数は2.5学級となり、再統合され、普通高校は1校となることが予想されます。新たな時代に入り、地域の教育力を高めるためのビジョンと工夫が必要です。
(つづく)


写真 創立113周年の歴史を誇る須賀川高校

新型コロナウイルスを歴史に学ぶ(9話)  コロナと共存した生き方①

2020年05月23日 | 新型コロナウイルスの歴史
タイトル 新型コロナウイルスを歴史に学ぶ(9話) 
サブタイトル コロナと共存した生き方①
伊能忠敬研究会東北支部長
元日本大学工学部講師(化学)
松宮輝明

新型コロナウイルスの発生のメカニズムは未だ解りません。今後、抗体検査を実施し「国内パスポート」を発行し、経済を復興させることになります。
東京大学先端科学技術研究センター長、児玉 龍彦教授(東大アイソトープ総合センターセンター長、分子生物学)の研究報告に「新型コロナウイルスは進化し70余種類に変化した」との論文があります。
犬、猫などに感染していることなども解ってきました。新薬の開発を急ぎ新たなウイルスの攻撃に備え、日本は、医学、科学教育に特化した教育に転換する必要があります。
新型コロナウイルスは、世界の歴史の転換点、私達の「地球船、ノアの箱舟」には、約73億人(世界人口)が乗り込んでおります。
2050年には、97億人に増えると予測され、さらに2100年には、112億人が地球船に乗り込むことになります。
現在、1位中国、14億3千万人、2位インド13億6千万人、3位米国3億3千万人、4位インドネシア2億7千万人です。
大量のエネルギーを使い産業を発展させました。大気の自然界の二酸化炭素の含有量の350PPMでしたが、400PPMとなりました結果、「気候変動」が起き、自然環境や人の暮らしに、大きな被害をもたらし、「気候危機」と云われています。
  • さらに表示する
地球は、太陽からの熱が海や陸を暖め、そして地球からも熱が宇宙に放出されてバランスを取っています。温室効果ガスは、大気中にある二酸化炭素(約80%)やメタン、フロンです。温室効果ガスがまったく無いと、太陽の熱が全部宇宙に逃げてしまい地球の平均気温は氷点下19度まで下がってしまいます。
温室効果ガスは、たくさんの生きものが住みやすい環境を作り、地球にとってなくてはならないガスなのです。
しかし、温室効果ガスが増え過ぎると、気温が上昇し地球全体の気候が変化します。二酸化炭素の排出量の急激な増加は、18世紀の産業革命以降。石炭や石油などの化石燃料を燃やし、エネルギーを得ました。その結果、大気中に排出される二酸化炭素が急速に増加、これが現在、地球温暖化を引き起こしました。20世紀の100年間には、温暖化が急激に進み、世界の平均気温は約1℃上昇しました。日本は地域により1,5℃上昇したとの報告がります。
地球温暖化では、極地方の標高の高い地域ほど、気温の上昇率は高くなります。今後、異常気象の発生する頻度が高まり、大型台風が発生します。昨年の阿武隈川が氾濫した台風19号は地球温暖化によるものと云われております。
 また伝染病を媒介する蚊やウイルスなどが、生息域を広げる恐れがあります。温暖化の深刻な被害は、貧しい途上国に住む人たちには、貧困や格差の問題が起きました。
二酸化炭素排出量は、50年前に比べると、3倍以上、100年前に比べると約12倍にまで増えています。森林破壊や農業の排出量も少なくありません。森林の伐採や火災、農地を造成するための土地改変等による二酸化炭素の排出量は、農業での施肥が元で排出される温室効果ガスは、全排出量の1/4になります。
森林や海洋など地球上の自然が、1年間に吸収する二酸化炭素の量は、約半分の180億トンほどです。一方で、世界中の国々が排出する排出量は約340億トン。自然が吸収できる許容量をはるかに超えています。
 この排出と吸収のバランスをとることは、地球の未来がかかっています。二酸化炭素の排出を削減しなければ、地球温暖化は止めることが出来ません。新型コロナウイルスと共存するためには地球温暖化を抑えることなのです。



写真 730億の人類が乗船している地球号の全景








新型コロナウイルスを歴史に学ぶ(その8)

2020年05月16日 | 新型コロナウイルスの歴史
新型コロナウイルスを歴史に学ぶ(その8)
伊能忠敬研究会東北支部長
元日本大学工学部講師
松宮輝明

政府は、5月14日、緊急事態を8ッの都道府県を除き解除しました。各県知事に新しい生活の指針の判断を任せました。
新型コロナウイルスに感染した芸能人の志村けん、岡江久美子,元外交官岡村幸夫氏など著名人が亡くなり、コロナウイルスの脅威を感じました。
100年前のスペイン風邪では、日本内地、朝鮮、台湾を含め74万人が亡くなりました。日本内地の人口が5600万人で、東京府で一日の死亡者は200余名です。
死亡者、死亡率は、日本内地で45万人(0.8%)、朝鮮23万人(1.4%)、台湾5万人(1.3%)でした。

原敬総理、内田内大臣、高橋大蔵大臣も感染し、明治天皇の侍従長、徳大寺実則などの政治家や、皇族では竹田宮恒久王(明治天皇の玄孫、竹田恒泰氏の曾祖父)も薨去されています。演出家の島村皐月、新劇女優、松井須磨子、山川健次郎の妹、鹿鳴館の華、大山捨松も亡くなりました。歌人の与謝野晶子の12人の子ども達も感染し,晶子が政府に抗議の声明文を出し話題になりました。

 福島民報は、大正7年11月1日付で「流行性の悪感冒各駅を襲う、福島運輸事務所轄内のみにて約200余名。欠勤は従業員の一割に当たった」。2日付には「出勤中の軍隊に 流行性感冒猛威を振ふ」、3日付には喜多方で「罹[り]病、将卒60余名、寺院に収容される」。 学校も休校となる。4日付には「安積中学校、福島高女学校、休校す」「伝染の猛烈なる事空前也」とあり、250人中感染者は127人を数えた。
 9日付で「感冒悪性となり、死亡者続出す、若松市民3分2、2万人罹病」と感染が拡大。12日付「引き続く死人 火葬場は大混雑」「野口博士母堂逝く」と、野口シカの死亡を伝えています。 翌年2月12日付は「県下の流行感冒 死者800人に達す」。
茨城県では、茨城県の死者数は約7620人との記録があります。
 岩手県盛岡市を襲ったスペイン風邪は、市内の各商店、工業を休業に追いやり、多数の児童が欠席し、学校は休校とした。6日の岩手日報紙面は「罹患者2万人を超ゆ 各方面の打撃激甚なり 全市困惑の極みに達す」と報道しています。フォームの始まりフォームの終わり
 秋田県、秋田魁新報、1918年11月26日「県は翌大正8年2月の通知で、わずか数カ月の間に県内で25万人が感染し、3200人が亡くなり赤痢、コレラよりさらに恐るべし、未曽有のありさまを呈したり」と県民に伝えています。

スペイン風邪の病原体であるH1N1型ウイルスは、当時の光学顕微鏡で見ることが出来ず、人類がウイルスを観測できる電子顕微鏡を開発したのは1930年代です。 
 ヒト、モノが航空機という、船舶よりも何十倍も速い速度で移動できるようになった現在、新型ウイルスの伝播の速度はスペイン風邪当時とは比較にならないものです。だが100年前のパンデミックと違うところは、私たちの医学は驚くほど進化し、そして当時、その原因すらわからなかったウイルスを、直接観察することが出来がることで。人工的にウイルスすら制作できる技術力を持っています。
新型コロナウイルスの第2波が秋に来ます。新型コロナウイルスは東大の研究によると、動物の猫にも感染が見つかりました。
動物に感染するとコロナは進化し、強い毒性を持ちます。人から動物、そして人に感染する様になります。
新たに進化した「新興感染症」に備えなければなりません。



写真  会津藩士山川健次郎(東京帝国大学総長)の妹、津田梅子とアメリカ留学、大山弥助(巌)と結婚し、鹿鳴館の華と称された。津田梅子「津田塾」の開設に貢献し、スペイン風邪に感染し亡くなる。


◎与謝野晶子、12人の子どもがスペイン風邪に感染しました。








NHK,文部科学省への提言 マメタイムス新聞掲載、 新型コロナウイルスを歴史に学ぶ(その7)

2020年05月15日 | 新型コロナウイルスの歴史
NHK,文部科学省への提言
新型コロナウイルスを歴史に学ぶ(その7)
令和2年5月14日(木)
マメタイムス新聞掲載
伊能忠敬研究会東北支部長
元日本大学工学部講師
松宮輝明




◎須賀川は牡丹の街今年は、新型コロナウイルスで閉園、自宅の牡丹は満開(令和2年5月14日撮影)


◎庭のヤシオつつじ(令和2年5月14日撮影)






NHK,文部科学省への提言 新型コロナウイルスを歴史に学ぶ(その7)

2020年05月05日 | 新型コロナウイルスの歴史
NHK,文部科学省への提言
新型コロナウイルスを歴史に学ぶ(その7)
伊能忠敬研究会東北支部長
元日本大学工学部講師
松宮輝明

安倍総理は昨日5月4日(日)午後6時、「新たな非常事態を宣言」し、5月31日まで緊急事態を引きの伸ばすと述べました。そして「新たな生活様式を」提示しました。
教育問題の新たな提言がなされるかと期待しましたがありませんでした。しかし、学校での学習についての方向についての提言がなされませんでした。文部科学省からも方向性の提言は現在の時点ではありません。

100年前のスペイン風邪の終息には3年かかりました。新薬が開発され感染者、隠れ感染者に投与されない限り、進化による造られた新型コロナウイルスが3種類(武漢型、広州型、欧州型)が存在すると云われております。

中国の研究者チームは3月4日に、新型コロナウイルスについて論文「国家科学評論」に発表しました。
「新型コロナウイルスは二つの型に分類でき、感染力に差があることが分かった。 ウイルスのサンプル103例の遺伝子配列を調べ、うち101例を「L亜型」か「S亜型」に分類した。約70%がL型。L型の方が感染力が強いとみられ、湖北省武漢で爆発的流行が起きた時期に多く確認され、1月初旬以降は減少した。 S型はコウモリから検出されたコロナウイルスに遺伝子的に近く、古い型とみられる。一つの型にだけ感染する症例が大半だったが、武漢への旅行歴のある米国の患者1人は、両方の型に感染した可能性があった」との論文です。

(感染者の増加が夏まで減少しても、新型コロナウイルスの第2波は秋、今年の10月に来ることが考えられます。南半球は6月、7月、8月が冬季です。新インフルエンザ、新型コロナルスが日本に上陸します。
「人の移動を止めない限り、北半球に再上陸して感染者が蔓延します」。「感染者をふやさないためには、人の移動を止め、隔離することなのです」。
日本放送協会NHKは、番組の編成を早急に検討し、教育課程の各教科の番組を主とし、自宅で学習する児童、生徒にNHKの教育テレビ、NHK学園の放送など、NHKの全てのメディアを使いオンライン授業を始めるべきだと思います。
21世紀は情報の時代です。経団連など未来の人材をそだてる学校教育に前面的に参画、協力すべき時期かと思います。

セーヌ河からウイルスが見つかり、人→物→人に感染すること。物に10日間ウイルスが生存すること、犬、猫ペットに感染していることなど、を攻撃することなどな臓器そして新型コロナウイルスの疑似抗体の新薬はウイルスだけではなく、健全な臓器、肝臓、腎臓などを攻撃することなどの情報があります。DNA,RNEのメカニズム,ラセン構造が解らない学生、生徒では未来の日本は未来は生まれません。日本の大学は、理系専攻の学生が3割、アメリカでは6割の専攻です。先進国な位置付けと自負する日本は、医学、科学教育に転換する必要がります。中国にマスク、タブレット、工業製品を依頼するので心ももとない国家です。
筆者の従妹(東京農工大学教授・免疫学博士、農工大馬術顧問)、甥(名古屋大学工学部准教授・分子生物学博士)でウイルスを研究しております。
東大の児玉龍彦教授の研究報告の様に、このたびのコロナウイルスの発生のメカニズムが未だ解らず、解明には時間がかかるとの見解でした。
このたびのコロナウイルスな発生は、世界の歴史の転換点になると思われます。

今後の対応について、提言をいただいております。
一部紹介をします。
「一年延期したオリンピックですが中止のほうがよいと思っていますが。仮に沈静化したとしても、世界中から関係者が日本に集まれば日本を介して再び広がる可能性が十分あります。来年になって中止となった場合、経済的ダメージは計り知れません。早い決断で損切りし、コロナ対策に専念することが大切と思っています。
やめる決断はやる決断よりはるかに大変ですが。マスク、アルコール消毒液まで未だに不足している現状は経済大国と言われた国とは思えません」。

「知らないうちに日本も相当劣化していたのだと思い知らされました。情報化社会では人、物、情報がとてつもなく早い速度で移動しています。
コロナもそれにのって拡散しております。情報化社会を作り挙げた人間は今や制御不能に陥ってようです。
しかし、コロナをおさめるには情報力(新薬開発、クラスタの発見などなど)に頼ることです。そして、人の移動を止、隔離すとことだと思います」。

「自然に生きる。人は神の摂理により生きることではないでしょうか」。
コロナウイルスの感染の終息をはかるには、真理の探究、学問、科学、若者が真剣に学ぶ社会をつくることなのです。

筆者の先祖、弥彦村観音寺の松宮雄次郎は、松宮屋敷が東軍の本陣となり、北越戦争で河井継之助と同盟を結び1000名の聚義隊(観音寺隊)を率い西軍と戦いました。弥彦村の松宮屋敷は西軍に焼き払われ、会津落城後も戦い、米沢藩に落ち延びました。高田藩預かりとなり明治2年許されて、弥彦村に戻りました。焼け落ちた松宮屋敷の仮住まいの中で、新しい村造り、国造りを考えました。

北越戦争で敗れた長岡藩は分家の三根山藩(弥彦村の隣、3万石)から米100俵の寄進を受けました。長岡藩では、藩士に米を分け飢えをしのごうとの提案が多く、藩の意見は紛糾しました。
小林虎之助は、「米100俵は食べれば、またちまち無くなるが、教育にあてれば明日の千俵、万俵になる」と諭しました。「長岡藩の子弟のためとに米100俵を、未来を担う子供たちの教育資金に充て、三根山藩の温かい気持ちにこたえたい」と主帳しました。
そして米は全て売り払い270両余りの代金で,国漢学校の書籍代や用具代などの資金に使われ、学校設立の基金となりました。教育の成果により、明治以降、越後長岡から多くの優れた人材が輩出しております。

新型コロナウイルス、ご自愛下さい。


◎自宅の椿は満開です。(令和2年5月4日撮影)

(つづく)



NHK,文部科学省への提言、新型コロナウイルスを歴史に学ぶ(その6)

2020年04月30日 | 新型コロナウイルスの歴史
NHK,文部科学省への提言
新型コロナウイルスを歴史に学ぶ(その6)

伊能忠敬研究会東北支部長
元日本大学工学部講師
松宮輝明

平成前後から、欧米の小説や映画やドラマには、「パンデミック」を予想した作品があります。「ブレイクアウト」や「インフェルノ」等が、予兆を感じさせる作品です。
コロナウイルスの感染により、価値観が変わり、歴史の流れが大きく変わるのではないかと思われます。経済も芸術も、特に美術の世界は大きく変化するのではないかと思われます。
 style="font-size: 19px;">人が余り気にしない、雑草の繁殖は、もっとも気象を反映している生態系の変化です。二酸化炭素の増加により「地球温暖化」が進んでいます。大阪大学の研究者が、新コロナウイルスの抗体を大腸菌より造りました。「疑似新型コロナウイルス」の抗体が作られたのです。9月には新薬の抗体として臨床実験が行われるようです。
「3密」にはマスクが必要です。小学校は家庭科の学習で裁縫があります。親に頼るのではなく、自らマスクを作り、コロナウイルスの飛散を防がなければなりません。
消毒液のアルコールは日本中には酒蔵会社がり、簡単にアルコールを造ることが出来ます。手洗い、ウガイを徹底しコロナウイルスから身を守ることです。
これからは各自が消毒液のアルコールを携帯する必要があります。

新型コロナウイルスは人から物へ物から人へ感染することがわかりました。セーヌ河の水からもコロナウイルスが見つかりました。トイレの汚物に含まれるウイルスです。日本の河川からもウイルスが検出されると思います。
100年前のスペイン風邪の終息には3年かかりました。新薬が開発され感染者、隠れ感染者に投与されない限り、新コロナウイルスの第2波は秋、今年の10月からと思われます。南半球は6月、7月、8月が冬季です。新インフルエンザ、新型コロナルスが再発し、人の移動を止めない限り、北半球に再上陸して感染者が蔓延します。「人の移動を止め、隔離することなのです」。
成田空港や羽田空港等でチェックするのでは無く、日本に乗り入れる外国の空港で検査し感染者を日本に入れないことなのです。
世界の約束事として空港のチエックする対策を作る必要があります。

4月30日、現在の報道で小中学校は5月末まで休校になるようです。自宅学習が続きます。
日本放送協会NHKは、番組の編成を早急に検討し、教育課程の各教科の番組を主とし、自宅で学習する児童、生徒にNHKの教育テレビ、NHK学園の放送など、NHkの全てのメディアを使い授業を始めるべきだと思います。

NHKの放送の件、ブログをご覧の皆様にご賛同いただき、広く発信いただきたくお願いいたします。

当、須賀川市への提言としてオンラインの授業を実施するときではないでしょうか。文部科学省もラインの授業を提唱しおります。福島県内でも積極的に実施している学校が増えてきました。
予算のこともありますが、「ふるさと納税の基金」、「予備費」などをあてるのも一考かとおもいます。
また、tetteのウルトラFM放送などで、先生方から生徒達への一日の生活の仕方、勉強についてのアドバイスの放送も考えられます。
21世紀は情報の時代です。須賀川市牡丹園の花も見ごろを迎えます。開花の様子をユーチュウブで広く全国に放映し、須賀川牡丹園の素晴らしさを伝えるのも大切だと思います。
今は「油断大敵」です。「常在戦場」を意識しながら3密の決まりを守り、ウイルスに感染しないように、感染させないように、日常生活を送りましょう。
◎須賀川市は牡丹の街、牡丹園は休園、自宅の牡丹(令和2年5月1日)



◎自宅の牡丹(令和2年5月3日)
















(つづく)




新型コロナウイルスを歴史に学ぶ(その1)

2020年04月15日 | 新型コロナウイルスの歴史
(新型コロナウイルスを歴史に学ぶ(その1)            
伊能忠敬研究会東北支部長
元日本大学工学部講師・化学 松宮輝明

新型コロナウイルスの猛威は、収まらず国民の一人ひとりが、拡散予防のための自覚を新たにし、そのための努力を重ねていく必要があります。
逆に考えると、新型コロナウイルスは、人類が結束することの重要性を教えております。皆様、油断大敵です。十分注意してお過ごし下さい。
福島県須賀川市の桜も満開ですが、花もかすんで見えます。

令和2年4月14日(火)午後8時現在、筆者の福島県内の感染者は、39人、当須賀川市から7名の感染者が出てしまいました。4月6日は各学校が入学式でしたが、6日の午後、小中学校が臨時休校になってしまいました。

高等学校は電車の混雑を避けるため時差登校となりました。福島県内の各大学は9月までは自宅でのPC授業となり、理系の実習、実験、音楽、美術、体育などの実技の授業は実施が秋以降なりました。
教え子のお孫さんが早稲田大学に合格しました。入学手続きも終え、マンションも決まり、荷物も搬入し親も慶び上京しましたが、早稲田大学は休校となりました。

6月16日(火)の東京都美術館の展覧会(日工会展)は、本年度は中止となりました。
福島県総合美術展、仙台市の河北新報美術展(藤崎デパート、東北学院大学2会場)、そして青森のねぶた祭、秋田の竿灯祭り、山形花笠祭り、仙台七夕祭りなど。東日本大震災の慰霊祭「東北6魂祭」の東北の祭りも中止となりました。

生命誕生よりウイルスは存在しますが進化(環境)により強力なウイルスに変化しおります。科学とウイルス生命体の戦いは今後も永遠に続きます。

父が東京府豊島師範学校の学童の時、スペイン風邪で日本全土で、約23万人の人が亡くなった話を聞いて育ちました。

急激な人口移動により風土病のスペイン風邪のウイルスが一部地域に収まらず全世界に拡散したものです。今後、新型コロナウイルスを放射線などで刺激し変異させないようにしなければならないと思います。

私達の周りには、地球温暖化現象、原発の放射能問題、新経済政策問題、医療体制、観光行政など早期に再検討しなければならない問題が沢山あります。
為政者は最近「想定外の出来事」であるとの言葉を使いで説明します。

想定外の出来事が起きた時どうするか予見した政策は常に準備されていなければないと思います。
想定外の事象は歴史の中にあります。そこで歴史に学ぶことなのです。政府は賢明な学者、科学者のアドバイスを受け入れ新コロナウイルスの早期の終息を計るようにあらゆる政策をうちださなければなりません。

新型コロナウイルスの感染経緯は、大正7年に全世界に感染した「スペイン風邪」のパンデミックスに酷似しております。


◎東京府立豊島師範学校全景


◎豊島師範学校跡地に建つ顕彰碑(豊島師範学校は昭和20年4月第2次世界大戦東京大空襲で全焼しました)

筆者の祖父は明治15年の生まれ、陸軍省の官吏(法務部・奏任官)を勤めていました。父は、明治41年生まれ4です。東京府豊島師範学校附属小学校(現東京学芸大学付属小学校)の4年生の大正7年の学童の時に、スペイン風邪が大流行し日本全土に拡散し3年間で約2300万人が感染し,23万人の命が失われました。
当時の日本の人口は、5500万人です。 




大正7年の感染症のスペイン風邪は、世界全体の推定感染者数は約5億人で死亡者は4500万名~5000万名とも云われております。

当時の世界人口は18億人から20億人であると推定され、全人類の3割近くがスペイン風邪に感染したことになります。
スペイン風邪の始まりは、大正7年、3月にアメリカのデトロイトやサウスカロライナ州付近などで最初の流行があり、アメリカ軍のヨーロッパ進軍と共に大西洋を渡り、5月から6月にヨーロッパで流行しました。



スペイン風邪の大流行は、最初に医師・看護師の感染者が多く感染し医療体制が完全に崩壊してしまったため、感染者の被害が全世界に拡大したのです。現在の新型コロナの感染に似た現象が100年前に起きていたのです。


◎筆者の父、松宮俊明の学習証書,大正9年のスペイン風邪の3年目、14万人が亡くなりました。

豊島師範付属小学校は、伝染病の対策は厳格でスペイン風邪に感染すれば直ちに休校にし、登校禁止でマスクの着用が義務づけられウイルスの感染を防ぎました。
また、トラホームの感染では学童の制服に黄色の腕章を付けさせ、トイレも区別して使用させたそうです。


◎豊島師範学校の学習証書の裏面には伝染病の天然痘(疱瘡)の予防接種の経過の記録が記載されている。

時の豊島師範学校の3代目御園生金太郎校長、大正3年~大正11年5月までの8年1ヶ月間在職しました。
◎東京府豊島師範学校で手腕を発揮された3代目校長の御園生金太郎校長






明治22年、東京駒込の生まれの御園生金太郎校長は、東京高等師範学校中学師範科を卒業し、長崎県師範学校教諭、富山県師範学校教諭・主事、・福島県師範学校教諭、主事を歴任し、京都府市視学官さらに、福井県師学官を務めました。
明治33年、職を辞して高等師範学校研究科で学び、その後東京府視学官・学務課長となり東京府立園芸学校、東京府立農林学校、豊島師範学校、東京府第四高等授学校などの新設学校の運営に尽力しました。

東京府豊島師範学校が設立されると、教頭となり、大正3年に校長に昇格しました。東京府豊島師範学校の初代校長の 大束重善、(明治42年 - 大正2年5月31日までの4年1ヶ月間)、 (前)学習院教授でした。
初代校長の大束重善校長は,明治天皇のための教育機関、学習院の第10代学長野木希典陸軍大将のもとで教授の任にありました。









陸軍省勤めの祖父の話では「スペイン風邪では、東京では、火葬場が順番待ちで使用不能となり、池袋の原っぱで荼毘(だび)にした」と聞きました。

大正7年の秋にほぼ世界中で同時に起こり、病原性のウイルスがさらに強まり重篤な合併症を起こし死者が急増しました。第3波は大正9年春から秋にかけて、大正7年とより爆発的に大流行しました。

感染症は、微生物の病原体の細菌がヒトや動物の身体や体液に侵入し、定着、増殖して感染をおこすと組織が破壊され、病原体が毒素を出し身体に害を与えると、一定の潜伏期間を経たのちに病気となります。人の身体に入り込んだウイルスは増殖し臓器を破壊し死にいたります。
新型コロナウイルスの大きさは80ナノメーター~100ナノメーター(ナノとは1億分の1の意)の大きさで強力な毒素を持った細菌です。



また、医学の歴史は感染症の歴史に始まったといっても過言ではありません。感染症は、民族や文化の接触と交流、ヨーロッパ世界の拡大、世界の一体化などによって流行しました。 
 スペインかぜの道府県別・月別死亡者数は、(原文のまま)
 第1回目は「大正7年8月下旬から9月上旬に漸ク其ノ勢ヲ增シ、10月上旬病勢頓ニ熾烈トナリ、數旬ヲ出テスシテ殆ント全國ニ蔓延シ、11月最モ猖獗ヲ極メタリ、12月下旬ニ於テ稍々下火トナリシモ翌8年初春酷寒ノ候ニ入リ再ヒ流行ヲ逞ウセリ最モ早ク發生ヲ見タルハ「神奈川、靜岡、福井、富山、茨城、福島の諸県で感染しております。
神奈川県とは最初に横浜港に船でスペイン風邪が上陸したものと思われます。
図らずもこのたびの新型コロナウイルスが豪華客船の横浜港の入港に酷似しております。

これと前後して「埼玉、山梨、奈良、島根、昤島、等ノ諸県を襲い、九州に於て9月下旬より10月上旬に渉り「熊本、大分、長崎、宮崎、福岡、佐賀」の各地を襲い、10月中旬には「山口、廣島、岡山、京都、和歌山、愛知を侵し、同時に東京、千葉、栃木、群馬等の關東方面に蔓延し、爾餘の諸縣も殆んど一旬の差を見すして悉く本病の侵襲を蒙れり、10月下旬北海道に入リ11月上旬には遠く沖縄地方にニ及びたり」との報告書が残されております。

「死亡の状況もこの報告と軌を一にして,1918年10月に大分県で756人という死者を記録した後,急速に各県で死亡者が増加し11月にはほとんどの道府県で死亡者が500名を超えた.12月に入り,死亡者数が減少する道府県も多くなったが,1月から3月にかけて東京・大阪近郊では死亡者数の増加が見られた」とあります。

 第2回目は「大正7、8年に亘る前回の流行は概略右の如く春夏の交に至り全く終熄を告げたるも再び8年10月下旬、向寒の候に及びて「神奈川、三重、岐阜、佐賀、熊本、愛媛」等に流行再燃の報あり、次に11月に至り「東京、京都、大阪を始めとし茨城、福島、群馬、長野、新潟、富山、石川、鳥取、静岡、愛知、奈良、和歌山、廣島、山口、香川、福岡、大分、鹿兒島、青森、北海道等」に相前後して散發性流行を見、爾餘の諸縣も漸次流行を來する至れり」との報告が残されています。
また,「感染者ノ多數ハ前流行ニ罹患ヲ免レタルモノニシテ病性比較的重症ナリキ、前回ニ罹患シ尚ホ今回再感シタル者ナキニアラサルモ此等ハ大體ニ輕症ナリシカ如シ」という事実や「各地流行ノ状ヲ見ルニ都鄙、交通等ノ關係ニヨリ相違アルモ、概シテ前回激シキ流行ヲ見サリシ地方ハ本回ハ激シキ流行ヲ來シ、前回ニ甚シキ慘状ヲ呈シタル地方ハ本流行ニ於テハ其ノ勢比較的微弱ナリシカ如シ」の知見も報告されています。さらに,「斯クテ各地ニ散發セル病毒ハ再ヒ漸次四圍ニ傳播シ、遂ニ一二縣ヲ除キテハ何レモ患者ノ發生ヲ見サル處ナキニ至リ、翌春1月ニ及ヒ猖獗を極メ多數ノ患死者ヲ出シタリ、3月ヨリ漸次衰退シテ6、7月ニ至リ全ク終熄シタリ」と報告されている.すなわち,スペインかぜの地域流行には,明確なパターンが見られなかったこと,1回目の流行が激しかった地域では,2回目の流行が比較的軽微だったことが明らかとなっている。

 近年においても,インフルエンザの地域流行のパターンは明確には解明されておらず,患者数がピークを示す時期は年により地域により例年異なる。スペインかぜでも同様に明確な流行パターンは観測されてはいない。今後,地域流行のパターンについて検討していくことが必要であろう。また,1回目の流行が激しかった地域で2回目の流行が比較的軽微だったことは,当該地域住民が1回目にインフルエンザに罹患したことにより,ウイルスに対する抵抗力が高まり,その結果として2回目の流行が軽微に終わったと考えることができる」との分析がなされております。

明治になり、 国外からはコレラなどの伝染病がたびたび持ち込まれ 国内に大流行を引き起こしました。
ドイツ留学の北里柴三郎はこの事態を憂い, 「大日本私立衛生会附属傳染病研究所」を設立しました。
この研究所では, 北里柴三郎によるペスト菌の発見, 破傷風菌の純粋培養, ジフテリアの血清開発や, 志賀潔による赤痢菌の発見, 黄熱病の野口英世の輩出など, 伝染病撲滅に多大の貢献をし, 多くの学術的功績を残しております。

大正3年には 伝染病研究所が文部省に移管され, これに反対する北里ら職員の多くが辞職して「私立北里研究所」を設立しました。その後 幾度かの変遷を経て「東京大学医科学研究所」となり、 現在も日本における先駆的な生命科学の研究所として活動しています。


地球上、生物が誕生、人類がひとり勝ちして人口を増やし領域を越えた科学の進歩、自然、環境破壊などが、神の摂理に触れての疫病、自然災害などで警告されているのではないかと思います。

◎細菌学の祖北里柴三郎博士

このたびの新型コロナウイルスの感染を終息させるためには、歴史の事象を学び先人の感染症対策を取り得れ政策を打ち出すことが大切です。
人の交流を遮断し新型コロナウイルスを移動させないことなのです。

(つづく)


感染症と新型コロナウイルスについて

2020年04月08日 | 新型コロナウイルスの歴史
 感染症と新型コロナウイルスについて             
 令和2年4月8日(水)
伊能忠敬研究会東北支部長(元日本大学工学部講師・化学者) 
松宮輝明

筆者の祖父は明治15年越後新潟の弥彦村の生まれ、上京し陸軍省の官吏(法務部・奏任官)になりました。父は明治41年、東京市板橋区板橋町6丁目822番(東京都板橋町)の生まれで豊島師範学校附属小学校(現東京学芸大学付属小学校)の学童でした。父が、付属小学校5年生の時に、スペイン風邪が日本全土に拡散し多くの人命が失われました。


◎右より祖父、父(豊島師範小学校の制服)、叔母達





大正7年の感染症スペイン風邪は、世界全体の推定感染者数は約5億人で死亡者は4500万名~5000万名とも云われております。。
当時の世界人口は18億人から20億人であると推定され、全人類の3割近くがスペイン風邪に感染したことになります。
日本では、当時の人口5500万人に対し約2300万人が感染したとされる。 
世界全体の推定死者数は1700万人から1億人と幅があります。



◎アメリカ陸軍の野戦病院


◎シアトルの警察

当時の日本の人口は、5500万人、全国でスペイン風邪に感染した人は約2300万人との報告があります。 
スペイン風邪の各年の死亡者数は,
大正7年、男子34,488名,女子35,336名,計69、824名
大正8年、男子21,415名,女子20,571名,計41、986名
大正9年、男子53,555名,女子54,873名、計108、428名で合計220、238名が死亡しました。
日本においてはインフルエンザの死亡は冬季に多く発生しています。そこで,大正7年1月から大正9年12月までの死亡者数を月別に集計によると,スペイン風邪による死亡者のピークは,大正7年の11月と、大正9年の1月の2回であったことがわかります。
豊島師範付属小学校では、伝染病の対策は厳格でスペイン風邪にかかれば登校禁止でマスクの着用が義務づけられウイルスの感染を防ぎました。
また、トラホームの感染では学童の制服に黄色の腕章を付けさせ、トイレも区別して使用させたそうです。


◎マスクをつける女性


◎マスクをつける女性

陸軍省勤めの祖父の話によると「スペイン風邪では、東京では、火葬場が順番待ちの満杯で使用不能となり、池袋の原っぱで荼毘(だび)にした」と云われました。
スペイン風邪は、諸説がありますが、記録にある限り人類が遭遇した最初のインフルエンザの大流行(パンデミック)なのです。 
スペイン風邪の始まりは、大正7年、3月にアメリカのデトロイトやサウスカロライナ州付近などで最初の流行があり、アメリカ軍のヨーロッパ進軍と共に大西洋を渡り、5月から6月にヨーロッパで流行しました。 
次に、大正7年の秋にほぼ世界中で同時に起こり、病原性がさらに強まり重篤な合併症を起こし死者が急増しました。第3波は大正9年春から秋にかけて、大正7年と同じく世界で大流行しました。
スペイン風邪の大流行は、最初に医師・看護師の感染者が多く感染し医療体制が完全に崩壊してしまったため、感染者の被害が全世界に拡大したのです。現在の新型コロナの感染に似た現象が100年前に起きておりました。

感染症(伝染病)は、微生物の病原体(マイコプラズマなどの細菌、スピロヘータ、リケッチア、ウイルス、真菌)がヒトや動物の身体や体液に侵入し、定着、増殖して感染をおこすと組織が破壊され、病原体が毒素を出し身体に害をあたえると、一定の潜伏期間を経たのちに病気となります。また、伝染病(感染症)の流行を疫病(はやり病)と呼びました。 
感染症の歴史は生物の出現とその進化の歴史とともにあり、有史以前から近代までヒトの疾患の大きな部分を占めてきました。感染症や疫病に関する記録は、映画「十戒」でエジプトのファラオの息子が厄病にかかり亡くなりました。
古代メソポタミア文明にあってはバビロニアの『ギルガメシュ叙事詩』にすでに「四災厄」のなかのひとつに数えられ、同時期のエジプトでもファラオの威光は悪疫の年における厄病神に比較されています。中国にあっても、紀元前13世紀における甲骨文字の刻された考古資料からも疫病を占卜する文言が確認されています。
また、医学の歴史は感染症の歴史に始まったといっても過言ではありません。感染症は、民族や文化の接触と交流、ヨーロッパ世界の拡大、世界の一体化などによって流行しました。
歴史上知られている伝染病は、
明治8年(1875)、ハンセン氏病は、発見者が、アルマウェル・ハンセン(ノルウェー)です。 
明治13年(1880)、マラリアは、 シャルル・ルイ・アルフォンス・ラヴラン(フランス) 
明治13年(1880)、腸チフスは、 カール・エーベルト(ドイツ) 
明治15年(1882)、結核は、ロベルト・コッホ(ドイツ) 
明治16年(1883)、コレラは、ロベルト・コッホ(ドイツ) 
明治27年(1894)、ペストは、北里柴三郎(日本)、アレクサンドル・イェルサン(フランス)です。
大正7年~大正9年 スペイン風邪


◎北里柴三郎博士

アテナイのペストは、アテナイ全盛時代の政治家ペリクレスがペロポネソス戦争のさなかの紀元前429年、篭城戦術を用いてスパルタ軍と対峙していたギリシャ最大のポリス、アテナイ(アテネ)を感染症の流行が襲い、多数の犠牲者を出しました。この疫病は、かつて「アテナイのペスト」と呼ばれ、記録に残る症状の分析と検討により、今日では痘瘡(天然痘)または発疹チフス、あるいはそれらの同時流行と考えられており、ペスト説は否定されています。
なお、古代ギリシャ最大の民主政治家として知られ、アテナイにおいてペロポネソス戦争を主導したペリクレスもこの疫病で死亡しており、この戦争でのアテナイの敗北およびデロス同盟の解体を招きました。 
14世紀の「黒死病」は、14世紀のヨーロッパで猛威をふるったペストは、感染すると、2日ないし7日で発熱し、皮膚に黒紫色の斑点や腫瘍ができるところから「黒死病」(Black Death)と呼ばれました。
カナダ出身の歴史家ウィリアム・ハーディー・マクニールによれば、「黒死病」は、中国の雲南省地方に侵攻したモンゴル軍がペスト菌を媒介するノミと感染したネズミを中世ヨーロッパにもたらしたことによって大流行したものでと記しております。 西洋の貴族の女姓が舞踏会でドレスの胸元と背中を広く開け「黒死病・ペスト」ではないとワルツを踊ったと云われております。

黄熱病のウイルスは昭和2年(1927)に分離されており、野口英世は昭和3年(1928)、黄熱の研究中に英領ゴールド・コースト(現在のガーナ)の首府アクラで死亡しています。


◎野口英雄博士

感染症のウイルスは、地球が誕生し、生命が誕生した時代より存在しました。生命体の進化(環境)により強力な毒性の強いウイルスに変化してしまいました。
環境の変化とは、急激な人口移動により風土病が一部地域に止まらず全世界に移動し拡散を続けております。
科学とウイルス生命体の戦いは今後も永遠に続きます。今後、ウイルスを放射線などで刺激し変化させないようにしなければならないと思います。
感染症の薬としてノーベル賞の大村智北里名誉教授が開発した抗寄生虫薬「イベルメクチン」が新型コロナウイルスに有効なようです。
新型コロナウイルスの抑制に効果があったとオーストラリアのモナシュ大学の研究チームから報告されております。
地球温暖化、二酸化炭素の削減、原発問題、新経済政策、医療体制の早期の再検討が望まれます。