『三樂録』

「善樂」「健樂」「長樂」の探究軌跡。時は満てり、これでいいのだ。

母の日

2018年05月11日 | 茶飯事

今年はイチゴが美味しく実をつけ、夕げの膳を占めています。毎日、アリや虫との戦いの結果のようです。とても、甘くジューシーで、「美味しい」 よりも、「もっと」という言葉が出ます。



 母の日は

 検診終えて

 鰻かな


毎年お馴染みのグリンピースのごはん。今年も早速。いつものように、フードミキサーで少しクラッシュさせた豆ごはんが、我が家の定番。食感というより、香りや歯ごたえを楽しんでいます。家内いわく、クラッシュ加減が難しいそうです。子供たちは食べないので、私のためだけに手間をかけています。






「母の日」も間もなくなので、子供たちから感謝の品が届いているようです。カーネーションの鉢は自分で購入。家内の定期診断も終了し、「問題なし」の結果が出たし、日々手間のかかる連れ合いなので、母ではないが感謝のために「○○○」かな。でも、持病も心配なので、気持ちだけで終わるかも・・・。

 
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最強寒波

2018年01月25日 | 茶飯事

  

4年ぶりの大雪。22日(月)本州の南岸沿いを低気圧が東進。関東地方は22日の朝から弱い雪やみぞれが降り始め。昼過ぎに、気象庁は「大雪警報」を発表。午後は次第に雪が強まり、みるみる積雪が増えた。最深積雪、水戸は19㎝。


積雪は
 最強寒波
 夜半の雪

2018年、平成30年、初めての更新。今年の抱負は、家族や、昨年末に産まれた女の子と、まもなく二歳(男)になる二人の孫たちの健康と家内安全。私個人としては、「笑顔」。孫たちに嫌われないようにしなければ。瀬戸内寂聴(95歳)の長生きの秘訣は、「笑うこと」とのこと。美味しい料理(特にお肉)を食べているからではないかと思うのですが。
 
次に、『年々歳々花相似(ねんねんさいさいはなあいにたり) 年々歳々人不同(ねんねんさいさいひとおなじからず)』・・・自然は変化することなく毎年毎年花は同じように咲くのに対し、人の世は年々変化している。『咲くもよし、散るもよし』、『花は嘆かず』。
 
最後に、『人をのみ 渡し渡して おのが身は 岸に上がらぬ 渡し守かな』の1年間になりそう。

【蛇足】
小林秀雄は、「人は性格に合ったような事件にしか出くわさない」と言う。振り返ってみると、今後も前途に光は見えなさそう。

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三十七星霜

2017年11月24日 | 茶飯事

 


11月24日は、私たち夫婦の結婚記念日です。今年で37回目となります。長いのか、短いのか、時間的な感想はありませんが、気持ちとしては「感謝」で一杯です。この先のことは分かりませんが、「平均寿命」で考えるならば、もう少し面倒を看(み)てもらわないといけないので、共に元気に「健康」には気遣っていきたいと思います。

 秋の夜
 二人で星見
 三十七年

昨日は、祝日ということで、孫や子どもたちがお祝いをしてくれました。家内も私も既に両親は看取っておりますので、親の結婚記念日をお祝いすることはなくなりましたが、子どもたちが祝ってくれる年齢になっていることを認識しました。


自然を見渡せば、一瞬の生命しか付与されていない生物もいれば、悪条件の中で生き続けなければならない宿命の生物もいます。何の因果かは分かりませんが、共通していることは、それぞれがそのことで「嘆くこと」はないということです。今日を全力で生き、咲き誇るものもあれば、散りゆく生命も、今日を「精一杯」に生きています。

不平、不満、不遇と思い通りにいかないことは数多かれども、比較して嘆くことなく、「今」という時間を精一杯に、「楽しい」と思えるように考え、行動したいものです。

一歳九か月の孫を見ていますと、人間らしい行動が見え始めました。短い時間ですが、一人で遊ぶこともできるようになってきています。「遊」ということが、自分が楽しいと思うことが、すべての瞬間のような気がします。暇だからとか、何もすることがないからとか、おもしろくはないが仕方なくしているとか、そのような雑念は微塵もありません。老後の遊びも、孫のような気持ちでできればと教えられました。


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老木

2017年11月20日 | 茶飯事

 


11月、12月のカレンダーを新しくするときに、毎年、一年があとわずかで終わることを感じます。そうすると「人間の寿命」と、「自分の年齢」を意識します。若い木のようには花を咲かせることは絶対に不可能ですから、せめて「花を咲かせる物まね」だけでもと思うのですが、生活に追われる日々では、そのような「趣ある生き方」は無理のようです。

老木(おいき)なれば
花は瞬(またた)くに
落葉し

11月12日(日)、家内のリクエストで「東京ドイツ村」に行きました。次の日が「県民の日」で休日でしたので、前から言われてはいたのですが、今年やっと実現しました。


毎朝、家内の作ったスムージーが朝食の膳にでます。豆乳・バナナ・リンゴ以外は、ほとんどが自家製です。いつも決まっているのは、手作りの「カスピ海ヨーグルト」。『三楽菜園』で栽培している季節の野菜が、3~4種類入っています。SNS用ではありませんが、このニンジンもスムージー材料。最初は「エビ」かと思いましたが。


来春用の豆の苗をハウスの中で育苗。今年も三種「そら豆」、「グリンピース」、「スナップインゲン」。


秋空に映える「山もみじ」と「ゆず」。今年は「ゆず」は、思い切って伐採しましたので、10個ほどしか収穫できませんでした。大きなすばらしいゆずの収穫となりました。娘夫婦もお福分けに預かったようです。


園主も還暦を過ぎ、経験に裏打ちされた収穫の成果となっているようですが、なかなか思った通りにはいかないと独り言。バックの澄み渡る秋空、「紅」、「黄」が見事。リクエストにより使用。まだまだ「花の咲かんが如し」のようで、「老木の花」に悦となり、趣ある人生の探究に日々勤(いそ)しんでいます。感心あるばかりです。

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秋日差し

2017年09月04日 | 茶飯事
 
 

 陽(ひ)をさがす
 水面(みなも)のメダカに
 秋日差す
 
睡蓮鉢も増えて、今は6鉢になりました。メダカも、「ヒメダカ」、「だるまメダカ」、「白メダカ」、「黒メダカ」、「楊貴妃」、「幹之(みゆき)メダカ」、「百式幹之メダカ」などと、種類も多種になりました。卵から「針子」ほどの大きさになった「楊貴妃」と、今年生まれて1~1.5センチほどの「幹之メダカ」、「百式幹之メダカ」は、冬越しが心配です。

 

『三楽菜園』は、リコリスが順番に花を咲かせています。「彼岸花」も同じ種類ですが、多く種類が有りますので、違ったイメージを抱くことと思います。詳細は2015年10月2日参照


ミニトマト、ピーマン、シシトウ、オクラなどの夏野菜は、現在も順調に収穫、秋なすは8月末に手入れして、現在は収穫が始まり、美味しさを堪能。家内に感謝。





我が家の農婦は、秋植えのジャガイモ植えに思案、準備中です。

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塩梅肝心

2017年08月07日 | 茶飯事

 

8月4日(金)の花火で始まった『黄門まつり』も無事終わり、例年通り盛大に出来たようです。今年も家内は私に合わせて見物には行きませんでした。4日から6日まで夏休みの長女が、祖母のお祭り大好きのDNAを引き継いで、報告してくれたようです。


曇りの日が続き、なかなか三日間の晴れ間が予報できる日がなく、梅干し干しを敢行。美味しさを求めてこだわりは強いようです。スイカは六個収穫。「サラダ」として食膳に並び完食。来年はハウスの中ではなく、露地で栽培する予定とのこと。

 梅干しも
 子らの教えも
 塩梅肝心


料理でも、野菜作りでも、「塩梅」が肝心。わが子の教えが一番難しく、「塩梅」をつかむのが容易ではありません。「親離れ」、「子離れ」、いずれも思うようには行きません。「雑草」ならば、大変でも除草すればすむのですが。「木」を四方囲んでしまうと、困ってしまいます。かといって、自然に任せて伸び放題というわけにもいかず、水をすくうが如しです。


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今年も南高梅

2017年06月23日 | 茶飯事
 

今年も恒例の南高梅の梅干し作り。先日は、青梅で「梅ジュース」。暑い日は、冷水や炭酸割りで飲んでいます。

 南高梅
 手作り梅干し
 塩梅よし



今年も、生協経由で南高梅。秋になると家内のハナがタカクなりそうです。でも、美味しく売り物にもなりそうな完成度の高い「梅干し」。家族は喜んでいます。


夏野菜の「ナス」や「キュウリ」が順調に収穫が始まりました。塩漬け、塩昆布漬け、ぬか漬けなど、多くの料理法で食膳を賑わします。本当に感謝ばかりです。
 
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そら豆の思い出

2017年05月25日 | 茶飯事

夕げの膳に初物の空豆ご飯。「父の命日が近いなあ・・・」

 湯気向こう

 そら豆ご飯

 浮かぶ亡き人

 

 グリンピースも初物。そら豆ご飯の次は、「グリンピースご飯」。

「シャクヤク」。梅雨も近いかな。

二十個近くの花が咲いています。切り花にして、「お鈴」の脇に。

 

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忙中

2016年06月07日 | 茶飯事

 


6月4日(土)に、業者を入れて庭の模様替えが始まりました。狭いスペースに、ごたごたと木や花などが所狭しと植えてあり、除草も大変でした。この度、少し手入れして、終の棲家づくりに着手した次第です。

 

金宝樹も、獅子柚子も、地植えのブドウも、キンモクセイも無くなってしまいました。我が家の大切なものが無くなってしまいました。園主は、一生懸命に愛情を注ぎ、面倒を見てきたので、ちょっと寂しそうです。

 

 

【子どもたちへの愛語】

「忙しくて、つい○○」と、何かしなければならないことができなかった時に、我が家の子どもたちは、口にしませんか。お父さんは、「忙しいは心を亡くす」ことですよと、先輩から言われてからは、意識して職場でも、家庭でも口にしないようにしています。

「忙中閑あり」という言葉があります。最初は、忙しい中にもわずかな暇はあるでしょうと、「忙しかったですから」という理由を述べる人への、いさめの言葉だったのではないでしょうか。しかし、時代とともに、忙しいからこそ、心に余裕を持ちなさいと、助言の意味を含むようになってきたと思います。

 

 

忙しい時は、本当に何も他にできないほど、そのことにかかりっきりになります。そうすると少しずつ集中力も切れ始め、疲労を感じるようになります。そうなると良い仕事はできませんし、家族の中での人間関係も気まずくなります。

 

 

だからこそ、忙中とか、苦中のどん底にいる時ほど、ちょっとした心の余裕を見つけ、次に進むきっかけにしなさいということでしょう。「忙しい」とか、「大変だ」とか、口に出すようになった時は、自分に負けて、敗北感を誤魔化そうとしている、そういう弱い自分を意識しているはずです。心中には、誰も弱い自分は感じています。しかし、口に出すか,出さないかが分かれ道のポイントです。出さない自分を貫くことができれば、満足できる結果が、その先に見えるものです。

だから、昔から、「親が死んでも食休み」とか、「目が回るような忙しさ」、「こまねずみのようにあくせくと」等の、忙しいを口に出さない表現を日本人は考えてきたのではないでしょうか。「忙しい」の言葉がお互いの口から出なくなるような人間関係は、必ず「除災招福」につながるものです。

 

 

最近、五行詩を掲載していません。自分の感情を無意識に表したく創作していました。しかし、現在は、自分を誤魔化すような気がしています。間もなく、書いてみたいというような意識になれることでしょう。

            

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遊び

2016年02月22日 | 茶飯事

 

我が家の初孫も、この世に生を受けて間もなく3週間になります。多くの方にお祝いを頂きました。また同封で若い夫婦と子どものために、何かと心配りを頂きありがとうございました。子どもたちに代わりお礼申し上げます。猫と猿は義姉が手作りで、自宅の窯で制作してくれたものです。ブラッドオレンジを収穫しました。

世間でいうように、我が子を観るのと違い、「孫」は客観的に観られます。一番ビックリすることは、私と違って、父親が育児に積極的にかかわっている点です。子どもが好きとかの理由もあるのでしょうが、夫婦できちんと育児に当たるということなのだと思います。ミルクを飲ませたり、おしめを交換したり、あやしたりと、本当に良く面倒をみています。

 

 

街中で子どもを抱いたりしているお父さんを見かけますが、現代のお父さんたちは立派だと思います。そのためかどうかは分かりませんが、家内には比較をされて、育児には非協力的だったことを指摘されます。時代のせいなのか、私だけなのかは分かりませんが、指摘は正しいと思います。孫が出来て、改めて子どもの教育では、家内に感謝しています。

若いお母さんとお父さんには、今後も子どものために、協力し合い、元気に、健やかに逞しく育ててほしいと願います。今は赤ちゃんは、「泣く」ことが仕事ですから、「おむつかな」、「ミルクかな」と、あれこれ応えることが「親」の仕事。家内と伴に、子どもたちが、我が子の育児に対応している姿が懐かしくもあり、ハラハラでもあり。泣いている孫に、直ぐ手を差し伸べたいのを我慢して、先ずは見守らなければ。

 

 

 初孫の
 泣き声聞こえ
 安堵する
 夫婦で見合う
 子らの成長
 
【子どもたちへの愛語】

エレン・ケイの唱える「子どもの権利」(『児童の世紀』)の「よく産んで貰う権利」、「よく養育される権利」、「よく教育される権利」を尊重して、育ててほしいと思います。ここでいう「教育」とは、学校教育を受けさせるということだけでなく、「家庭教育」や「社会教育」も含まれます。

 

 

そう考えますと、「教育」はもう始まっています。そこで考えてほしいことがあります。お父さんは、おむつ交換はしませんでしたが、次のことは大切にしてきました。それは、「子どもと遊ぶことができる人だけが、子どもを教育することができる」という考えで、我が子には接してきました。これはお母さんも同様です。

オートキャンプに行ったり、釣りに行ったり、ハイキングに行って道に迷ったりと、思い出されることは多いと思います。そういう「遊ぶ」という体験から学んでほしいと考えていました。キャンプに行くことが決まりますと、皆さんはお母さんと何を作って食べるか、などの相談をしたりして、準備に当たってきたことと思います。そして、火を焚いて、飯ごう炊飯でごはんを炊いたり、おかずを作ったりしてきました。

 

 

自分の考えを主張するということは、自分がその中心でことに当たらなければいけないことを学んでほしかったのです。それが、「遊び」を通して、我が子の「教育」をしていくということです。

我が子を子どものためと勘違いをして、型どおりの子どもにするため、矯正や助言、援助、などをして仕上げようとするのは、親としての素直な親切と用心深さ、ひたむきな愛から導き出される行為であることは否定はしません。しかし、子どもには子どもの不動の世界があり、それを正しいと考え、その中で好奇心を抱いたり、夢を描きながら生活し、実体験をして、自分の人格を形成していくのです。

 

 

だからといって、干渉したり、支配欲が強くなることをダメとはいいません。本当にダメなことは、身を挺しても「ダメ」を教育することは親の務めですから。逆に「やさししすぎる」こともイイとは思いません。やさしすぎると、人との関わり合いが出来なくなったり、集団の中でともに認め合うことが出来なくなってしまう子どもを育ててしまう場合があります。

早く、「家族」とか「家」という存在を意識したり、所属感を抱かせることにより、「家」というものは単に身体を置く場ではなく、子どもにとっては、心のよりどころであり、「家庭」が成長を育んでくれる場所であることを認知させることが、先ずはしなければならない教育ですね。大いに我が子と遊んでほしいと念じています。

 

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