じじばばの暮らし

我が家は今日もまったりと

新しい服

2020-07-30 15:11:55 | 日常
小学5年生の頃
母が洋服を作ってくれるようになりました

いつもお古のガタガタの服ばかり着ていたので、自分だけの服
母の夏服を作った残り布でしたので・・・母とおそろいです
薄い紫色の地に白い1センチくらいの水玉模様でシンプルなワンピースで
嬉しくてうれしくて・・・
それからは近くの本屋さんへ行って、少女雑誌のふろくのスタイルブックだけを買っていました
(この頃の挿絵は中原淳一さんの物が好きでした、毎月毎月買いました)
すると、次はどれがいいの?と聞く母に
ピンクの半ズボンのサロペット、ズボンのすそは同じ生地で三角のつながったしゃれた飾り付き
どれほどうれしかったか
トイレに行くときは・・・大変でした えへへ
母は洋裁も和裁もプロです

中学になるときも、セーラー服を作ってくれました
生地も一級品、白いラインは〇ちゃんは顔が丸いから、まっすぐより、少しカーブした方がかわいいね
といって、それはそれは素敵なセーラー服で・・・うれしかった
生地の良さはすぐにわかりました
ほかの子のようにテラテラしたり、もさもさしたり、しないのです
紳士服の良い生地のように手触りが違います

母は一流呉服店の縫い物もしていたようで、我が家へ来ていた時もその外商さんが来て
この3枚だけお願いです、あなたの縫ったものでないと着づらいからもう着物は要らないと言われる
どうか白大島と大島となんだか高そうな着物地をもって
頭を畳にこすりつけるように頼まれるのを見た事があります

私の服を作ってもらってわかりました
ちょっとした事が身体にぴったりするという事
それは、いせこみ、ダーツの位置分量などです。母はそれがぴたりと決まる技を持っていたと思います

このころ、姉たちは結婚したり、就職したりでますます家にいることは少なくなりました

おばあちゃんが寝たきりに

2020-07-29 08:53:21 | 日常
小学2年の頃か???
おばあちゃんが寝たきりになりました
トイレはオカワと言ってブリキのお尻の下に敷いておしっこを取るものでします
が・・・おばあちゃんはこれでは出ないと言ってトイレに連れて行くよう言います
いつも、母がひとりでしていました

祖母は骨太のがっちりした身体でとても重い人でした

なんだか母がかわいそうになり(まだまだ弟ばかりかわいがる母でしたが)
ふと・・そうだ大きい座布団にのせてトイレまでズルズルひっぱってみよう
と思いつき、やってみました
何とか運びました
次は男トイレに後ろ向きにしなければ
ああやったりこうやったり、身体をつかっているうちに・・できたぁ~~~
座布団に又乗せてキコキコ布団に戻しました
こうして時々トイレは連れて行きました
おばあちゃんの意地悪は変わりません、母の態度も変わりませんが
そんな事より、困っている人をほっておけなかっただけ・・・
姉たちは一度もオカワでさえしたことはありません
あれは母の仕事・・そんな家族でした

お風呂もお兄ちゃんと母と私3人で毎日入れていました
とにかく重かった・・・
姉たちは一度も手伝ったことはありません
あんなにおばあちゃんにかわいがってもらったのに・・

お兄ちゃんが来て、おばあちゃんの事があったせいか
小学4年か5年の頃から母の態度が少しづつ変わってきました

ばばはそれでも母に甘えるという事は出来ませんでした

5年生の頃お兄ちゃんは遠くの高校へ入学なかなか会うことはできなくなりました

6年の頃おばあちゃんが亡くなりました
なぜか涙が出て涙が出て・・・悲しいわけでも寂しいわけでもないのになんでこんなに泣くのか
今でもわかりません




夏は楽しい!

2020-07-28 19:10:17 | 日常
夏休みになると、毎年、母の実家へ行くのが楽しみでした
おばあちゃんが一人で住んでいるのです
小学3年生の頃からと思います

ひとりでバスに乗って、電車に乗って行きます
何日か泊まります

裏に小川が流れていて、食後のお茶碗はここで洗います
洗っていると、小さな魚が寄ってきます、ご飯粒を食べるのです
ご飯はおくどさんで炊きます
ここにいる間だけは子供でいられます

毎年少し遠い岩石だらけの山に登ろうとチャレンジしますが・・・行きついいたことはありません
おばあちゃんがお弁当代わりに大好きなかきもちを油で揚げたのを作ってくれます

そのうち、お兄ちゃんも来るようになって(お兄ちゃんの方が本当の孫です)
川にいる魚がハヤと言う名前だとか
川でお兄ちゃんは泳ぐけど、〇ちゃんは流れも速いし小さな川だけど反対側は深いので危ない
から泳いではいけないよ・・・そのうちお兄ちゃんのすぐそばをヘビが泳いでいるのを見て
決して川に入りませんでした

ある年は友達を連れて行きました
にわとりに餌をあげていいと言われ、鳥小屋に入った途端
にわとりにつつかれ・・・きゃぁ~~~怖かった
この年も楽しい夏休み

ばばは家にいる時より、よそに行っている時の方がうんと幸せでした

スイカやうり、きゅうりを井戸で冷やしたり・・・
井戸水をポンプでキュコキュコくみ上げるのも楽しい事でした
水道もありましたが井戸水はおいしかったです

ばばはつらい日々も送りますが
とっても優しい人たちにも巡り合っています
夏が大好きなのはきっとこの楽しい思い出があるからかも



お餅つき

2020-07-25 10:06:34 | 日常
足でぺったんぺっんつく大きな餅つき機
何という名前か知らないが、お祭りでも使っていない大きなものです
調べました『だいがら』と言うものです

母とお兄ちゃんと私 3人でお餅を作りました
主にお兄ちゃんが足でつき母は丸めて・・・ばばは???記憶がありません
何度か踏みましたが・・上がりませんでした

ただただびっくりしていたと思います
姉たちは遊びが大事、もちろん居りません

でも、ばばは楽しかった
どれだけの量を作ったのか?小3の事だと思います

今この歳になって思うのは、母は、遠く離れていくお兄ちゃんに一つでも思い出を作ってあげたかったのではないでしょうか?
ばばは家ではいつもお兄ちゃんと一緒、くっつき虫でした

となりの物置小屋
そこは兄の秘密基地、机を置き、あらゆるものがありました
網、駒、ボールなどなど男の子の物です

ばばは兄がそこにいると入って行ってジッと何をするのか見ていました
色々なものを作るのが好きだってようで、おもちゃを良く作ってもらいました

兄の友達もよく訪ねてきました
山の方へ遊びに行くとき、勿論ばばもついて行こうとします
が・・・遠い所なので、とちゅでいつも置いてきぼり
これだけは、大きい男の子の遊びで、残念・足が速かったらついて行ったでしょうに

一人頭のいい友達がいました
お金があったらいい大学へ行けたでしょうが、工専へ通いました
彼はよく我が家へきて兄とあれこれ作っていたのを思い出します

このころの記憶はぼんやりしています
きっと兄のおかげで、苦しさや悲しさ寂しさが以前のようになかったのではないでしょうか
おばあちゃんのいじめはあいかわらずでしたし
姉たちも、ばばをおばあちゃんがしているのと同じに扱うのが当然と思っていました
弟はおぼっちゃま、お殿様・・ばばは・・・ シンデレラ(美しくないのでこういっていいものか

今でも不思議ですが、母はどこからどうやって、あのだいがらを借りてきたのでしょうか
魔法使いのような母でした}

おばあちゃんは・・・・

2020-07-23 09:47:49 | 日常
小1の時・・・長年の気になることを解決しよう
と一大決心と勇気をもって、臨みました

あの怖い祖母に恐る恐る、尋ねました
『おばあちゃんは男かね?女かね?』

目をいっぱいに開いてにらみつけながら、祖母は答えます
『わしゃ、女じゃ
ヒェ~~~飛んで逃げました

祖母はおなかの事は腹と言う
自分の事は私ではなくわしと言う
どう考えてもばばの頭の中では、男なのです
でも・・・ばあちゃんと言うからには女?
でも・・・ばあちゃんと言う名前の男ではないか?
頭の中で?マークが飛び交っていました

好奇心の塊のような私にはいつも疑問でした
居ても立っても居られない気持ちの方が怖さを上回って我慢が出来ませんでした

私の母はいつも着物を着て、口紅付けて・・女でした
女じゃと言われ、やっぱりと言う気持ちより、複雑な気持ちで女なんだ・・・

なんでも気になると、解決をしたくなるばばでした
トムソーヤの冒険とか、サザエさんに出てきそうな子供だったと思います
姉たちとは、全く違う性格だったのは自分でも感じていました