載せたくはないけど見てしまったので、何かのメッセージなのかな?
「自分には価値がない」…大学生らの自殺、初の1000人突破 就職失敗で
ニュースのランキングで一位になっていました。
僕が、小学校6年生のとき・・・
5月4日 ・・ そう、明日は子供の日という前日。
当時の僕は、兄との二人家族です。その日の朝、
兄から
「お母さんの容態が悪いだけど、病院に一緒に行くかい?」
僕は
「ううん、学校に行く。」
そう言って、学校に行きました。3時限目の授業中に職員の方が来られ、僕が呼ばれたので・・・察しました。
僕の母が入院していた病院は大阪のたいへん大きな総合病院です。
入院していたのは、精神科でした。
大きな病院の入り口を入り、右に曲がります。ずっと、ずっとずっとずっと、歩いて、一度、鉄の扉を出て、左に曲がります。そこから約50mくらい歩くと正面に入り口があります。
その細長い約1mくらいの道のりの中で、今も心に残る小学生の感覚があります。左側に出て来るのが病室の窓ですが、全ての窓には鉄格子になっています。右手には、3mくらいの幅でちいさな樹々が植えられて、その奥にはコンクリートでできた病院の壁があります。その壁は、子供の私から見るとそびえ立つ感覚、その壁の上には鉄条網がグルグルと巻いてあり、コンクリートの壁のてっぺんには、割れたガラスが埋められています。
精神科の入り口に到着して、インターホンを押すと返事があり、中から看護士さんが鉄の扉を開けて、一度締め、入り口の扉を開けて僕を入れてくれます。入り口の扉を閉め病院に入る扉を開けます。扉と扉の間は約2畳位のスペースが有り、鉄の扉は二重になっています。
病院に到着した時、兄は看護詰め所にて、何かの説明を受けていました。
看護士さんに「お会いになりますか?」っと言われて、母の元に連れて行ってもらいました。
学校から、病院までは自転車で30分位をかけて来たのですが、その途中、頭の中で・・・何故かわからないのですが?(絶対に泣かない!)と、思いながら自転車をこいでました。
看護士さんが、母の顔に掛かっている、白いハンカチを両手でそっと取ってくれた時、母の顔を見た瞬間に、自分の涙で、目の前の景色が消えてしまいました。そして、目にしたのが、自分の太腿に落ちていく大量の涙でした。
人って、こんなに涙が出るんだ・・・と 思ったと同時に、小さな声が心の中でしました。「お母さんは、もっと生きたかったに違いない・・。」
「お母さんの分まで、自分は生きよう。」
「自分で自分の命は絶対に断たない。自殺は卑怯だ。」
その後の記憶は・・・お葬式が終わり、火葬が終わり・・・家に戻って来るタクシーの中の記憶です。薄暗くなって雨が降っていました。
今も、雨が振り、雲が立ちこめ薄暗くなると、少し、思い出してしまいます。
どれくらいの時が経ってからだろう、お母さんの最後の言葉というのを、兄から教えてもらった。
「光◯をよろしくね。」(僕の名前です) でした。
時が過ぎ、水商売時代に、とある女の子から電話をもらった事があります。
Deepな色恋の真っ最中だった時です。
♀「何で逢ってくれないの?
いつまで待ってればいいの?
もう、あたし、死ぬから・・探さないでね!
もう、決めたから!」
僕「ああ~わかった。わかった。死ぬのは構へん。
けどな今は忙しいから、今日はあかん。明日にしてくれ!」
結局、彼女はバカらしくなって、やめました。
人だけが、自分の命の期限を勝手に決める事ができます。
それは、どうなんでしょうか?
あきらめる事もできます。
それも、どうなんでしょうか?
人は、幸せになるために生まれてきた。
それが、本当のことだと信じています。
そう母には教えてもらいました。
「自分には価値がない」…大学生らの自殺、初の1000人突破 就職失敗で
ニュースのランキングで一位になっていました。
僕が、小学校6年生のとき・・・
5月4日 ・・ そう、明日は子供の日という前日。
当時の僕は、兄との二人家族です。その日の朝、
兄から
「お母さんの容態が悪いだけど、病院に一緒に行くかい?」
僕は
「ううん、学校に行く。」
そう言って、学校に行きました。3時限目の授業中に職員の方が来られ、僕が呼ばれたので・・・察しました。
僕の母が入院していた病院は大阪のたいへん大きな総合病院です。
入院していたのは、精神科でした。
大きな病院の入り口を入り、右に曲がります。ずっと、ずっとずっとずっと、歩いて、一度、鉄の扉を出て、左に曲がります。そこから約50mくらい歩くと正面に入り口があります。
その細長い約1mくらいの道のりの中で、今も心に残る小学生の感覚があります。左側に出て来るのが病室の窓ですが、全ての窓には鉄格子になっています。右手には、3mくらいの幅でちいさな樹々が植えられて、その奥にはコンクリートでできた病院の壁があります。その壁は、子供の私から見るとそびえ立つ感覚、その壁の上には鉄条網がグルグルと巻いてあり、コンクリートの壁のてっぺんには、割れたガラスが埋められています。
精神科の入り口に到着して、インターホンを押すと返事があり、中から看護士さんが鉄の扉を開けて、一度締め、入り口の扉を開けて僕を入れてくれます。入り口の扉を閉め病院に入る扉を開けます。扉と扉の間は約2畳位のスペースが有り、鉄の扉は二重になっています。
病院に到着した時、兄は看護詰め所にて、何かの説明を受けていました。
看護士さんに「お会いになりますか?」っと言われて、母の元に連れて行ってもらいました。
学校から、病院までは自転車で30分位をかけて来たのですが、その途中、頭の中で・・・何故かわからないのですが?(絶対に泣かない!)と、思いながら自転車をこいでました。
看護士さんが、母の顔に掛かっている、白いハンカチを両手でそっと取ってくれた時、母の顔を見た瞬間に、自分の涙で、目の前の景色が消えてしまいました。そして、目にしたのが、自分の太腿に落ちていく大量の涙でした。
人って、こんなに涙が出るんだ・・・と 思ったと同時に、小さな声が心の中でしました。「お母さんは、もっと生きたかったに違いない・・。」
「お母さんの分まで、自分は生きよう。」
「自分で自分の命は絶対に断たない。自殺は卑怯だ。」
その後の記憶は・・・お葬式が終わり、火葬が終わり・・・家に戻って来るタクシーの中の記憶です。薄暗くなって雨が降っていました。
今も、雨が振り、雲が立ちこめ薄暗くなると、少し、思い出してしまいます。
どれくらいの時が経ってからだろう、お母さんの最後の言葉というのを、兄から教えてもらった。
「光◯をよろしくね。」(僕の名前です) でした。
時が過ぎ、水商売時代に、とある女の子から電話をもらった事があります。
Deepな色恋の真っ最中だった時です。
♀「何で逢ってくれないの?
いつまで待ってればいいの?
もう、あたし、死ぬから・・探さないでね!
もう、決めたから!」
僕「ああ~わかった。わかった。死ぬのは構へん。
けどな今は忙しいから、今日はあかん。明日にしてくれ!」
結局、彼女はバカらしくなって、やめました。
人だけが、自分の命の期限を勝手に決める事ができます。
それは、どうなんでしょうか?
あきらめる事もできます。
それも、どうなんでしょうか?
人は、幸せになるために生まれてきた。
それが、本当のことだと信じています。
そう母には教えてもらいました。