ましログ

日常と好きなものと母の自宅介護の極私的記録

夢かもね

2022-12-12 00:09:51 | 日記

ナンバーガールが再び解散した

解散ライブはスペシャ配信で見た

 

とても不思議なフワッとした感じ

笑みのこぼれる感じ

最初の解散の切迫感や

焦燥感や

ギリギリした感じは全く無くて

それは当然なのだけど

 

全然違う形で

グッとバンドがひとつになって

演奏もタイトで

むしろ当時を超えていたりして

解散する必要あるのかなと思うほど

 

だけれどやっぱり

ナンバーガールのいない日常が

彼ら4人にとっても

お客にとっても

通常営業なのだと

 

ナンバーガール後に

4人がそれぞれの場所で紡いできた

自力

地力

そこに帰っていく

戻っていくのだなあと

 

少し寂しくもあり

感傷に浸る青くささを克服して

自分も大人になったんだな

年くったなと思った

 

 

2日前に配信された

ライジングサンロックフェスティバルでの

OMOIDE IN MY HEAD

LIVE映像を見た時は

実は思いっきり感傷に浸っていた

 

バンドが転がっている時の

あのステージ上での最強感

それを如実に感じた

 

照明を背に

4人の音が一つの塊になっていき

ライブ会場に自分がいたならば

きっと

ぶん殴られるほどの音圧が

自分の耳を殺すその瞬間の

今死んでもいいと思えて

生をギシギシと感じるあの瞬間の

 

とても眩しくて

轟音の中で

思いっきり拳を突き上げ

声をからして叫んで

心が走り出すあの瞬間を

 

現役のパフォーマンスを超える圧巻の演奏で

ああ

この姿に憧れていたのだと

この生き様に教えられていたのだと

再び思い起こさせてくれた

 

もう何回聴き

口ずさんだことであろう

omoide in my headの詩

この4人がかき鳴らしている姿に

泣きそうになっていた

 

 

中尾憲太郎の抜けたいという申し出に

この4人でなければナンバーガールではないと

解散を決めた向井秀徳、田渕ひさ子、アヒトイナザワ

 

それはきっと不完全燃焼で

心のどっかに

ぶすぶすと燻るものがあったのかもしれない

 

生きているうちに

まだ無理のきくうちに

その後悔を

完全に燃やし尽くし

供養するために

再結成したんじゃないだろうか

 

そして再び解散するのは

きっと悔い無くその想いを供養でき

満足したからなんじゃないだろうか

 

最近のとてもリラックスした

4人の笑顔や

再解散LIVEの4人の距離感を見ていると

そんな気がする

 

 

予想を裏切り早々にOMOIDEIN MY HEADしたり

相変わらずというか悪ふざけが加速していった向井秀徳のMCパフォーマンス

それに呆れながらしょうがないなあと付き合う3人

4回もあの娘を透明にしたり

プリクラ撮ったりと

遊び心にあふれていて

一つ一つがとてもいいなあと思った

 

 

諸行は無常であるが

思い出は頭の中にしっかりあるだから

 

ただ

ありがとうと

 

孤独に喘いで

青くさい感傷にひたっていた

過去の日々を救ってくれた

ナンバーガールには

ただただ感謝しかない

 

この再結成の時間は

夢だったのかもねと

日常の大事さを噛み締めつつ

非日常を再び思い起こさせてくれたことにも

あらためて

ありがとうございました。

ありがとうございました。


未知の世界

2021-10-14 04:21:55 | 日記

推しが宇宙に飛んだ!


何のことか
書いているこちらもわからないw


敬愛する俳優ウィリアム・シャトナー
90歳になるその人が
宇宙に行ったのだ


まだまだなんのことかわからないw

BABYMETALに鞘師里保よりも
全然わからないw


1966年のテレビドラマ「スター・トレック」で
主人公のカーク船長を演じ
その後劇場版が7作も作られ
80年代にはドラマ「パトカーアダム30」もヒット
00年代には「ボストン・リーガル」で
エミー賞助演男優賞を受賞し
監督、作家、ドキュメンタリーのMC
歌わない音楽=語りで聴かせる
スポークンアルバムを何作もリリースするなど
90歳の今尚第一線で活躍する
生きる伝説その人が

アマゾン創業者のジェフ・ベゾス率いる
ブルーオリジン社のロケット
「ニューシェパード」(NS-18)に乗り込み
テキサス州の発射場から
UTC 2021年10月13日水曜日の
午後2時49分
に打ち上げられ

国際航空連盟によって定められた
海抜高度100km
カーマンラインを超え
(347,539 ft. (AGL) / 351,186 ft. (MSL) )
(106 km AGL/107 km MSL)
つまり
宇宙空間に到達して
微小重力状態を体験し
10分17秒の飛行ののち
地上に着陸したのだ


推しぴが宇宙へ行ったのだ
しかも人類史上最高齢でだ

おめでとう!


実はもう一つ宇宙関連のニュースもある

シャトナーさんに先んじて
ロシアの女優さんと監督さんが
こちらは長期の訓練を経て
ソユーズに乗り込み
ISS国際宇宙ステーションにドッキング
二週間弱になる宇宙ではじめての
本格的な劇映画の撮影を行っている

さらにはイーロン・マスク率いる
スペースX社のファルコンロケットで
トム・クルーズとダグ・リーマンが
ISSに向かい
映画撮影を行うことも検討されている


アメリカの民間企業の有人宇宙開発が
技術の積み重ねを経て
ここへきて一気に開花している

宇宙観光の
本格的な幕開けを感じずにはいられない

未来だなーと思うw

 

シャトナーさんは
とても精力的に芸能活動をこなしているので
ほんとに90歳?と思ってしまう若々しさ

だが
さすがに今回は緊張した表情を見せており
ロケット先端の乗り込みハッチまでの階段で
息があがっていた
ファンとしては無事に帰ってきてくれと
とても心配だった

何度かのカウントダウン中断もあったが
準備は順調に進み
スムーズな打ち上げで
あっという間にパラシュートが開き
10分17秒の飛行は終了した


シャトナーさんと同乗した
他の方々は
この宇宙旅行に歓喜し
盛大にシャンパンをあけて
テンション高く祝っていた

その喧騒には巻き込まれまいと
少し距離をとり
ジッとしているシャトナーさん
体調がすぐれないのかなと思ったが
そうではなく
何かをジッと内省している様子

英語で聞き取りはできないが
次第に感情があふれ
言葉が止まらなくなり
落涙する
とてつもなく特別な体験だったことが
英語がわからないこちらにも
伝わってきた


打ち上げ前の緊張した表情と
帰還した後のその涙を見て
「ああ、事故で万が一があってもいいと
覚悟決めてたのね」と
勝手な邪推で申し訳ないけれど
そんな風に思った


「死ぬのが怖い」
とドキュメンタリーや
いろんなメディアの
インタビューを受ける際に
彼が常々語っていたことを思い出す

カーク船長の最期を演じた際
冒険家の船長なら
死という未知の光景に驚愕し
魅了されるだろうと想像をめぐらしたという

幕が降りていく光景に
「Oh my…」
たぶん"すごい"という意味で最期の言葉を
発して絶命する様は
とても印象的だった

実際の宇宙という
もしかしたら
天とか死とか
神なんてものを感じさせる場所に行き
驚異的な未知の世界を体験したシャトナーさん

涙する彼を見て
ふと
死についての考えは変わったのか
怖くなくなったのか
それともやっぱり死は怖いのか
聞いてみたいと思った


私の母は
クモ膜下出血で倒れる直前に
私の勧めた本を読み
「死ぬのが怖くなくなったわ」
と言った

その母の死を引き止め
後遺症で麻痺が残り
喋れない状態のまま
延命され続けて
来年で
10年という月日が経とうとしている

母の介護を続けながら
この煉獄と
その先にある終わりと
どちらがマシなのか
救いはあるのかと
考えぬ日はない

バルカン人の挨拶に
「長寿と繁栄を」という言葉があるが
果たしてそれがいいものなのだろうか
ロックンロールなら言うであろう
「太く短く」の方がいいものなのだろうか

宗教を持たぬ私には
「痛みをかかえて生きるのが人間である。
その痛みは私のものだ」と語る
ジェイムス・タイベリアス・カークの台詞が
人生訓として頭をよぎる

 


ミとミのフラット

2021-03-10 18:40:26 | 日記
音楽をより幅広く
好きになった10年だった

不思議なコード進行の意味も
今ならよく理解できる

The mushroom monkey
skygazer

この撮影から
ちょうど10年

先日のエヴァの卒業といい
今、
前を見る事ができている自分に驚く
区切りをつける事は
いい事だと思う


今年は絵をたくさん描こうと思う

卒業

2021-03-08 19:09:00 | 日記
アスカにさようならしてきたw

やっと
シン・エヴァンゲリオンが公開になり
初日初回を見てきた

ずっと泣いてた
お別れの寂しさと
感動の涙

語りたい事は山程あるけれど
日常と社会生活と時間
これが何よりも大切だと
正面から描ききった
庵野秀明に拍手を送りたい

この世は生きるに値しないと
デフォで毎日悲観している自分も
鏡を見れば
もう少年でも青年でもなくなっている

未来に希望はないように見えるけれど
過去がよかったとか感傷に浸ることは
多いのだが
あんまりそれはもう本当に
いよいよ意味がないのだと
そう思えた

実際の所
社会の在り方は
どんどんヤバイ感は増していってて
過去の方が
当たり前のように
マシなのかもしれないと
思ってたりもするけれど

それとは違う尺度で見ると
積み重ねてきた過去の蓄積が
それはもう本当に
死にたくなることもあったけれど
今生きているということが
まあそんなに悪い人生ではないのだと
証明してくれていると感じる

介護の日々の年月と実感が
庵野秀明の解答とシンクロして
清々しく晴れやかな気分になれた

ちゃんと初恋のアスカ"達"に
お別れができ
セカイを終わらせられた

終わらせる事は
とても重要だと思う一方
終わらせられない
気持ちや情にも
時間が寄り添ってくれるのだと
当たり前の
とても当たり前だけど
忘れてしまうことを
見せてくれている

奇をてらった現実認知ではなく
映画の外へ
現実への帰還を
キャスト、スタッフの偉大なる手仕事
日々の積み重ねが
ランディングさせてくれたことに
大感謝

たぶん
まあまあなんとか
大人をやれている事を
実感できた事が
自分としても驚きで
己の10代にケリをつける事が
できているんだという
証明だったように思う

エヴァンゲリオンという作品と
リアルタイムに時代を過ごせたことを
誇りに思う

ありがとう
さようなら






サービス

2021-02-28 07:47:00 | 日記
さて
決着をつけようか
庵野秀明

桜を流す

2021-01-23 11:56:00 | 鞘師
首絞めたり
昏睡状態でいけないことしたり
「気持ち悪い」とか「殺してやる」って言われたり
トウジと交代させられたの見て激怒したり
こっちは14歳の魂のまんまなのに
28歳の大人の女子になってたり
「助けに来てくれないんだ」って
そんな事言われた日には
歩きますよ
ついていきますよ
何人目か忘れたけど
ショートカットの人だって
言いなりにならずに自我持って歩き出しますよ
そりゃあ
女子って凄いなって思いましたよ

まだ携帯電話もインターネッツも普及しきらん時代の
あのムーブメントを思い出しますよ
フィルムから匂い立つ
怨念の様な文学性に
思春期をやられましたんで
続編と勝手に思ってる実写も見に行って
なんか愛とポップさにあふれてて
最悪だけど
この世界は最悪だけど
笑えるんだと渡部いっけいに言われましたよ

世界系を脱しようと
日常を粛々とつみかさねて
生活をたんたんと真面目にやろうとしても
どっかで
みんなみんな死んでしまえばいいのにと
思うことも
もはや飽き飽きするほどで
メンがヘラることも
もはや病がデフォルトとなって久しい時代ですよ

好きなあの娘に抱きしめて欲しいと
ただそれだけの
どうしようもない男のクズっぷりを
純文学を
ナツメロと唐突な実写とピアノの音に
完全にやられたもんで

わからないものを
わからないまま
ドキドキしたまま
心底楽しめた子供ではなくなっていますけれど
ガキくさい
心底恥ずかしい社会性の無さと
成熟しきらん魂が
やっぱり思い出すんですよ

神を信じないって決めてるんで
アダムに祈りゃあいいのか
リリンとかリリスとか
もうすっかりわからなくなってますけど
ただただ
願いますよ
わかっていたことのようで
やっぱりわかってなかったと思った
去年からの
この世界の終わり感満載の世の中で

シン・エヴァンゲリオンを
アスカの最後がどうなるかを
観せてください
お願いします

悪を読む

2020-11-30 01:01:00 | 日記
読書家ではないので
自分の本棚を見て
みっともねえなぁといつも思う

本棚に多いのは
何かを学ぶための
技術書とか参考書的な本が多い
絵や音楽の…
これは本とは呼べないかw


趣味の読書は
いつもバイオリズムがあって
一年のうち何度か
無性に読みたくなる瞬間
集中する期間がある


今年初めに「夜と霧」を読んだ
しばらく何も手付かずだったのだが
東浩紀氏がニコニコ動画でやっている
ゲンロンチャンネルで、
一人語りをしている
過去の放送を少し前に視聴した

そこから
アーレントの「イェルサレムのアイヒマン」
ミルグラムの「服従の心理」
國部功一郎「中動態の世界」
と読んで
雑誌ゲンロン10号と11号に掲載されている
東浩紀氏の論考「悪の愚かさについて」を読んだ

超越者のいない、超自我のない悪
中動態の加害
なんとなく殺す、何げなしに犯す

フィクションによく出てくる悪が
俳優の自尊心の肥大で
過剰に"狂った"演技をするように
我々は悪と言うと
異常な狂気を想像するけれど
それは結局想像上のものでしかない

現実はもっと正常である
なんとなく
なにげなし
そうやって犯される暴力の恐ろしさ
ゾッとする実感として迫る
哲学者・東氏の思考の凄みに打ち震えた


読み終わってふと
映画監督の塩田明彦氏の授業を
思い出した
それは日本映画における"敵"について

1950年代は初代ゴジラ
70年代は女囚さそりシリーズ
90年代は黒沢清監督のcure

それぞれの映画から見る
日本人にとっての
その時代における"敵"の描かれ方は興味深い

ゴジラがイメージされるものは"戦争の記憶"
つまり50年代における日本人にとっての"敵"は
二度と体験したくない戦火であったのだと
塩田氏は考察する

70年代は権威や体制、
90年代は見知らぬ隣人が
日本人がその時代時代で
ある一定の共感を伴って想像できうる
打倒すべき"敵"なのだと説く

この授業を受けたのは
2003年の映画美学校でのこと
その時の締めくくりは
00年代における敵の描き方をここから模索しよう、であった

あれから20年あまり経ち
さて
10年代の総括とか
20年代、ここからの敵について
考えを馳せてみる

東浩紀氏の論ずる
なんとなく犯される暴力は
増えていってしまうような
恐ろしい予感を感じる

Heroes

2020-11-18 23:28:00 | 日記
ある事がキッカケで人間不信になった

信じるに足る人間関係を求めて
深く関わろうとすればするほど
うまくいかない

人なんて絶対信じてはいけないと
そう思った

大なり小なり
己の恥部や他者の暗部を見ては
不信の感情を拗らせ続けている

犯した罪は
巡り巡って己や
己の大切な存在を脅かす

この世は生きるに値しない
本心からそう思う

久しぶりに
己の傷がむくむくと蘇る感覚があって
どうしようもない

こういう時は
映画か音楽か
浸れるもの
忘れる事のできる瞬間を求める

『ジョジョ・ラビット』

David BowieのHeldenが鳴るラスト
リルケの詩の引用で終わる

"すべてを経験せよ
美も恐怖も
生き続けよ
絶望が最後ではない"

我が闘争の終わりには
ダンスを踊ろう

手品

2020-08-18 02:32:00 | 日記
昨日よりマシな今日であってくれ
今日よりマシな明日であってくれ

なんかどっかの歌詞に書いてありそうだけど
いつからこういう思考になったのだろうか

さながら
ぼんやりとした未来への不安か?
感傷が過ぎるよな

だから
手品をください

アボカドをワサビ醤油で食いながら
ジャカジャカギターをかき鳴らすのはいいなあと思う



祈り

2020-08-14 23:01:00 | 日記
毎日疲れてるのかな
ストレス溜まってるのかな
ちょっと寂しいのかな
安心して眠ってほしいな
幸せを祈ろう
あの人のこの人の幸せを祈ろう
良き明日がくるように
祈ってます