パンパンに張った脚を引きずりながらJRで奈良駅へ、そして何故かバスに乗らずに歩いて近鉄奈良駅へ。
電車に乗って、大和西大寺へ、また懲りずにレンタサイクル借りてしまった。それも近鉄奈良駅で乗り捨てで...
取りあえず西大寺へ
孝謙上皇が藤原仲麻呂の反乱鎮圧を祈願して、四天王像を造立することを誓願され、鋳造されたことが西大寺のおこりといわれ、本堂より先に四王堂が先に建立されたといわれています。奈良時代に作られたもので現存するものは四天王に踏まれている邪鬼(藤原仲麻呂)のみだそうです。
このとき、お堂へ上がるのに靴を脱ぐのは問題なかったのですが、靴を履こうとすると足がつる状態になっていました。
それでも懲りずに称徳天皇陵が時代的に前方後円墳ではないと思い込み、龍王大神社へ足を延ばすも何も感じることができず、宅地化がずいぶん進んでいるなぁと思いつつ、称徳天皇高野陵へ
ここへたどり着いたとき、全身鳥肌が立つような感じがし、「何でここに?」と心の中で問いかけ、悲嘆にくれてしまいました。東国に下ったと思い込んでいたのかもしれません。そんな私の頭の中に『ここにいるよ。大丈夫』と優しい応えを感じました。
今、考えを巡らせてみますと以前書いた英親王の話が高野天皇だったのではないかと遺跡を発掘し見つけたのは高野天皇の御陵で、現在の高野陵に移し、お祀りしたのではないかと思ってしまいました。
平城京跡へ行った後、法華寺へ
このお寺で孝謙上皇が出家されたといわれていますが、そういう記述は一切なく、母親の光明子の話は記載されていました。
次に向かったのは海竜王寺。道鏡が法皇になるきっかけとなった舎利が発見された(うそ?)お寺でありますが、そのような記述はなかったです。
この後、聖武天皇陵へ行き、近鉄奈良駅にレンタサイクルを返しに。やっと歩いてるといった状態でした。
道頓堀まで行き、バスの時間までスーパー銭湯へ。少し体力を回復したのち夜行バスに揺られ帰ってきました。
奈良に行って感じたのは、藤原強しと太子信仰でした。孝謙天皇の足跡はほとんど見られませんでした。西隆寺跡はショッピングモールの下になっていましたし...。
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