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ギリシャぶらり旅⑧

2025-01-07 | 旅行

12月16日ギリシャ8日目 

きょうは、ギリシャの最終日、カタール航空でアテネ空港を18時55分発なので、ゆっくりアテネ市内を見学。午前中にアクロポリスの丘、午後に考古博物館を行くことにする。

パルテノン神殿は、朝8時から入場可能である、夏だったかな、パルテノンに入場に大行列が発生で猛暑の中を数時間待ちと報じされていたこともあり、一応、朝早く訪問することにする。

ホテルで最後のギリシャ朝食をたっぷりいただき、荷物を預けて、パルテノンまでお散歩する。オモニアからモナスティラキ広場、古代アゴラを通る。ここは何度も歩いてきた。さらに、アクロポリスの丘に向かって坂道を上って、30分くらいで入場ゲートに到着。

パルテノンが立っている丘の西側に小高い丘があり、これはかつて古代アテネの裁判所があったアレオパゴスである。入場は無料で開放されている。小高い岩山なのでこれを登っていくと、アクロポリスの丘に向かい合っているため、アクロポリスが美しい。朝の時間だが岩山の上に白い大理石のアクロポリス神殿が朝の柔らかい青空に映える。ここは、夕陽の名所であり、アクロポリスの西側にあるので、夕陽に赤く染まるパルテノンが美しいという。アクロポリスを眺望し、その向こうに広がるアテネ市街を一望できる絶景ポインいいである。南側には、フィロパトスの丘が見えるがそこにはソクラテスが収監され、毒杯を飲んだとされる監獄跡がある。ソクラテスは、このアレオパゴスで混迷していたアテネ民主政治により若者を惑わせたとして死刑を宣告された。逃亡することもできたが、悪法も法なりとこれを受け入れたそんな舞台がここなのである。

<アレオパゴスの丘からパルテノン神殿>

アレオパゴスの丘から

さて、アクロポリスに向かうことにする。アクロポリスや博物館はオンラインで時間指定のチケットで購入できる。並ばなくてよいとのことであるが、冬の朝、誰も並んでおらず、簡単にチケットを購入できた。冬季割引で10€。

坂を上り、ブーレの門を通り過ぎると前門のプレビレアがどーんと正面にそびえている。右側にはアテネ・ニケ神殿、左側にはアグリッパの台座がある。その規模の大きさと壮麗さに圧倒される。観光客もほとんどおらず、じっくりと鑑賞できる。プレビレアの中央はドーリア式の石柱であり美しい。でも左右にはイオニア式の石柱であり、その相違を感じるにはよい。作られた時期が違うのであろう。

<プレビレア(前門)>

プレビレア

右側の高い崖地とでもいうところに建てられているアテナ・ニケ神殿はこじんまりとしているが、イオニア式の柱が美しい。ここには勝利の女神ニケを翼のない姿で祀っていたという。勝利の女神が飛んでいかないように翼を切り落としたのだそうだ。

<ニケ神殿>

ニケ神殿

左側には、ローマの将軍アグリッパの銅像を据えていた大きな台座がある。もともとは違うものがあったらしいが、ローマの支配を示すためアグリッパを置いたのだろう。

<アグリッパの台座>

アグリッパの台座

プレビレアの階段を上り建物を通り抜けると、平面が広がる正面の右側にパルテノン神殿、左側にエレクティオンが目に入る。ついに来た。パルテノン神殿は、修復のためのクレーンが据えられている。いつ完成するかわからないだろうな。ドーリア式の柱が正面に8本、側面に十数本の長方形の建物である。パルテノン神殿は、アテネ黄金時代の紀元前432年に完成したものである。ペリクレスが提唱し、デロス同盟の盟主として金庫番を預かるアテネはその資金を活用し、アテネの繁栄を象徴する建物である。パルテノンが完成した年にペロポネソス戦争がはじまり、アテネの混迷と凋落が始まるのも歴史というものかもしれない。17世紀のベネチアとオスマントルコの戦争時に火薬庫として使われ爆発して大きく損傷したという。柱の構造は、有名で内側に少しだけ傾いており、上部に行くほど細くなり、大きく見えるように造られているというが、直視ではまっすぐにしか見えない。大理石の石柱は、だるま落としのように直径は2mもあるものを十個ほど高さ10mまで積み重ね、その上にファサード、屋根で覆い、周囲には神話のレリーフで囲い、華麗な彩色を施していたのだという。内陣には、巨大な黄金のアテナ神像がおかれていたという。大理石がむき出しで、白一色とは相当違ったものであったのだろう。この美しい建築物や彫刻を2500年前にこれを造ったということも驚きである。神殿を囲むレリーフは19世紀初頭イギリス人が遺跡から切り取って持ち帰り、相当な部分は現在も大英博物館に展示されている。残りの部分や復元されたものは、アクロポリス博物館で展示されている。横30m縦70mの壮麗な神殿であるが、周辺に大理石が散らばっており、現在復元作業が行われており、柱には修復された石を同じ材質の意思を使用しているようで、もともとの石の経年劣化も感じられ、いたいたしい感じもするがかえってよいかもしれない。19世紀のクノッソス神殿の復元から進化している。

パルテノンパルテノンパルテノン

パルテノン神殿の西側には、エレクティオンが丘の西の崖地に立っている。ここは6人の少女の柱像、カリアティードが有名である。本体は5体がパルテノン博物館、1体は大英博物館で展示されている。エレクティオンは、アテネの伝説の英雄エレクトリウスが祀されており、聖跡と祭祀所が合わさった複雑な建物であったそうだ。アクロポリスは古来より神聖な場所とされていて、ここは最も古い時代より聖域であったという。その後、神殿はペルシャ戦争で破壊された後、紀元前5世紀末年頃のペロポネソス戦争時に完成したそうだが、戦費で予算縮小せざるを得なかったそうだ。南東側が高く北西側が低くなっており、イオニア式の大理石の柱が立っている。南側の玄関には、6体のカリアティードが並ぶが、この像で建物を支える柱の役割を果たしているのであるが、少女の首は結構細く、美しさのみならず技術的にも高度な設計がなされたのであろう。

<エレクティオン>

エレクティオンエレクティオンの少女エレクティオン

エレクティオンの南側には、巨大なアテナ・プロマコスの青銅の像が立っていて高さ9mほどでピレウスやさらに南のスニオン岬からも見ることができたそうである。ペルシャ戦争の戦利品で作られたそうだが、いまはその基礎が残っているのでのみで、想像するしかない。5世紀にコンスタンチノープルの宮殿に移されたが、1205年ビザンチン帝国が十字軍によって制圧されたことの禍のもとであるとして破壊されたそうである。

<アテナ神像が立っていたところ>

アテナ像跡アテナ像

丘の平面の一番北の端には展望台があり、パルテノン神殿をながめ、眼下には古代アゴラはじめアテネの市街を一望できる。古代の人たちもきっとここで自分たちの街並みを見渡していたのだろう。

アクロポリスの丘を下ると、パルテノンの崖斜面を利用して造られたイロド・アッティカ音楽堂がある。これはローマ時代の劇場であって、5000人ほど収容できていまも劇場として使われているそうだ。ローマ時代のものは新しく感じてしまう。アテネ黄金期より600年も後だからそう思えるのかも。

<イロド・アッティカ音楽堂>

イロド・アッティカ音楽堂

そのあたりからアクロポリスの崖にそって、エウメネスの柱廊が並んでいる。紀元前2世紀に小アジアのペルガモンのエウメネス2世によって築かれた通路だそうだ。柱廊沿いに進んでいくとディオニッソス劇場が現れる。毎年の酒と豊穣の神ディオニッソス祭が行われ、こちらは15000人収容のこの劇場で開催されたそうだ。古代アテネの劇作家アイスキュロスやソポクレス、エウリピデスの三大悲劇作家、喜劇のアリストファネスなどの演劇がここで上演されたのだという。皇帝ネロにより大規模に修復されたというが、いまも原形をとどめている。ローマではコロッセオだが、アテネでは演劇が当時の最大の娯楽なのだろう。

<ディオニッソス劇場>

ディオニッソス劇場

アクロポリスで日本人の団体に遭遇した。ギリシャを回っていて日本人を見かけたのは初めてで久々に日本語を耳にした。東洋人自体あまり見かけないが、韓国人と中国人であったとおもう。アクロポリスのゲートを過ぎると、すぐにパルテノン神殿を模ったアクロポリス博物館がある。入り口までの通路はガラス張りになっており、透明なガラスの下には古代の遺構を下に見ることができる。ここらへんは、掘れば遺跡がどこでもでてくるのだろう。ここもオンラインで予約できるが。当日券を20€で買う。アクロポリスと合わせて30€である。アクロポリスで出土した遺物が陳列されている。展示物のQRコードで読み取ると映像でガイドしてくれ。これは無料でありとても便利。展示物は、アクロポリスの最初期からの変遷やその時代の遺物が多数展示され、上階にはアクロポリスの上側面を飾っていたレリーフが飾られており、ギリシャ神話の神々が多数掘られ、それぞれ動きのある姿で見事に表現されている。かなりの部分は、19世紀のイギリス人によって持ち去られているが、その部分がどう切られたかなども目にすることができる。パルテノンの建設から崩壊、そして今に至る経緯を説明してくれたり、映像で説明をしてくれたり、見ごたえのある博物館である。

<アクロポリス博物館>

パルテノンの側壁レリーフエレクティオンの少女

エレクティオンの乙女は、2階の中央奥に5体まとめて展示しており、まじかに見ることができる。たしかに美しい。ギリシャの街中でもこれほどの美女を見噛めることはない。顔の彫りの深さや鼻筋など現在のアテネと共通する顔形でもある。博物館はかなり広いので、1時間は優にかかるがゆっくり見たので、11時を過ぎていた。パルテノンと合わせて3時くらいはいたのかな。

 

博物館を出てゼウス神殿に向かうことにする。この周辺は、カフェやレストランがたくさん並んでおり、観光地ならではの感じである。大きなアマリアス通りの向こう側に広大な芝生の中にゼウス神殿はある。その手目、道に面してハドリアヌスの門が立っている。2階の構造になっていて、下はアーチ状の入り口、上は4本の柱で構成されている。皇帝ハドリアヌスであるから紀元2世紀中ごろの建設である。図書館も立てているし、ずいぶんとギリシャに力を入れていたのだ。

<ハドリアヌスの門>

ハドリアヌスの門

フェンスの向こうの広大な敷地が広がり、真ん中あたりに円柱が何本かたっている。かつては100本以上の柱であったようで、さぞかし巨大な神殿であったのだろう。これが完成したのは紀元前2世紀であったようだ。ちょっと広いし、神殿の柱は工事中だし、フェンス越しにも十分見えるし、入りぐとは遠いので、中に入るのをやめることにした。

<ゼウス神殿>

ゼウス神殿

さて、最後の目的地は、アテネ考古学博物館。ここにはクレタ以外のギリシャ本土で出土したものが展示されているという。地下鉄ビクトリア駅からあるいて10分くらいなので、アクロポリス駅から地下鉄で向かう。考古学博物館は、火曜が13時からの開館で、ほかの日は8時から。今日は火曜なので、13時からである。博物館近くのカフェで軽くギロとコーヒーの軽い昼食をとり中へ入る。入場料は冬季割引の6€。

<ギリシャ国立考古博物館>

アテネ考古学博物館

博物館は、かなり広い。真ん中の展示室から入ると、まず目に入るのがアガメムノンのマスクだ。ミケーネでシュリーマンが発掘した本物が展示されている。ミケーネは、地中海交易で栄えた中心都市であり、その豊かさからか豊富な金の緻密な工芸品が展示されている。豊かさと技巧の洗練さを感じさせる。ミケーネの王墓から大量に出土した欣や銀、またアフリカとの交易で得たであろうゾウやサイの牙でできたものある。そのほか、馬とか印象などが並んでおり、印象には文字のような模様が刻まれ、当時の繁栄をしのばせるものである。ミケーネの右側には、さらに古いキクラデス諸島の考古資料がならぶ、キクラデスはクレタよりも先の紀元前2千年紀の出土であり、素朴な石器が多い。

<あげ芽生ノンのマスク、ミケーネの遺物>

アガメムノンのマスクミケーネ壁画

そこを過ぎると、エーゲ海文明というようにギリシャ本土や島々で発掘されたものが多数展示され、有名なものではエビア島の「馬に乗る少年」や「ポセイドン」などの青銅の彫像、ミロのヴィーナスで有名なミロス島で発見された「アフロディテ像」の大理石像など、美しいものがならぶ。マラトン沖で発見された「マラトンの少年像」とかいろいろ。アテネからのス都度品としては、墓石がたくさん展示されている。墓石には生前の姿や家族などが掘られており、当時の死生観というべきものか。

<アフロディーテ>               <ポセイドン>

アフロディテ像ポセイドン

<馬に乗る少年>                       <マラトンの少年>

馬に乗る少年マラトンの少年像

また、人物や神の彫像は多数陳列されるが、時代ごとの変遷を見ることができる。紀元前8世紀から5世紀ころのアルカイック期のものは微笑をたたえているような直立像であり、アルカイックスマイルである。最盛期のアテネ古典期には、人間の理想的な美しさを表現した豊かな造形、紀元前3~1世紀のヘレニズム期ではより人間的なリアルな造形となっ通り、ローマ期になると個人の像も増え、質実とした感じになっていく。これらを1000年にも及ぶ機関であり、信仰から芸術、さらには個人像へと変遷していくにつれ、造形も変化しつつづけていくというのを感じる。ギリシャヘレニズムローマと並べれば1000年とう長い歴史が西洋の原点として広がっているということを感じる。

2階には、紀元前1500年ころのサントリーニ島での大噴火で消えたアクロティリ遺跡の出土品が一堂に展示されている。人物の表情の穏やかさ、草木や花をモチーフにした図柄など、クノッソスと共通するところを感じる。開放的で穏やかな海洋文化が栄えていたのだろう。2階は、黒と赤のギリシャの陶器が展示されているはずだが、この日は中に名入れなかった。これも楽しみの一つだったので残念。ゆっくりと見学して2時間くらいかな。ミュージアムショップも閉まっており、図録をかえなかった。

<アクロティリ遺跡の壁画と陶器>

アクロティリの壁画陶器

アテネの日程もこれで終了し、ホテルで荷物を引き取り、空港に向かう。空港での出国手続きや保安検査は、入国時と同様、スムーズに流れて時間を要しないのはよい。アテネ空港ラウンジで時間を過ごす。アテネのエアラインラウンジは小さくて狭くて空いている。最後にギリシャヨーグルトとオレンジジュースをのんで、18時55分発のドーハ行きに乗り込む。さよなら、ギリシャ。8日間、各地で石ばかり見たが、世界史の原点に触れることができた。教科書では1~2ページであるが、その後の西洋史に与えた影響は大きく、いまもなお、その文明での成果は根底に流れていると思う。世界史を学んで興味を持ってから40年以上たって初めて訪れたギリシャ、感動であった。

 

おまけ

カタールのドーハ空港に0時ころにつくが、羽田行きのフライトは9時40分。なんと夜中で9時間以上も待ち時間がある。ドーハ空港は広くて設備も充実し、24時間営業だが、さてどうやって寝るか。カタール航空はトランジットを提供しているというが、私のチケットは最安値なので提供できないと断られた。睡眠ポッドのようなsleepinng loungeは予約でいっぱい。エアポートラウンジは椅子が中途半端で寝るのは難しい、男女別の休憩ルームもあるが、エアラインの放送が流れるので眠れない。ということで、仕方ないのでエアラインのラウンジで8時間の休憩をとることにした。2時くらいにはほとんど人がいなくなったが6時くらいから大変な賑わいになっている。

9時40分のJAL運行のコードシェアで羽田へ。所要時間は9時間。また座り続けることに。羽田の到着は午前1時。もう終電もないが、カタール航空のお帰りなさいキャンペーンというもので、平和島温泉に無料で入れるのでこれを利用。1時40分の迎えのバスで15分ほどで温泉へつく。バスには30人くらいの日本人や中台韓の人たち、深夜に台北やソウルから羽田についたようだ。久しぶりの温泉。というかお風呂。ギリシャではバスタブ付きは一回もなかったので、日本人の疲れをいやすにはこれだよな、日本人でよかったと思う至福の瞬間であるかも。仮眠ルームを設けてあり、14時まで滞在可能という。羽田空港への送りのバスが4時40分発であるので、それに乗って空港へ向かい、家路についた。乗り換え時間はちゃんと確認しておくべきだったな、と思うが、これも一つの経験である。

 

コメント
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