湖坊諒平っていうブログ

貧しくも 富士より高し わがモチベ

また、お世話になります。

2021-06-08 18:09:34 | 小説

勧める人あってブログを再開することにしました。

皆さまとは再会です。

ちょっとずつ書くのがいいそうです。

また、時々書くのでよろしくお願いいたします。

特急きのさき、再びしゅっぱーつ!


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アンダーラブ vol.13

2016-02-28 13:22:28 | 小説
十六

 健二の葬儀には奈々子も参列した。宏子は号泣していたが、奈々子はもう涙は出なかった。ふれあい園からも多くのメンバー、スタッフが駆けつけた。奈々子は彼らとは特に話はしなかった。出来なかった。
 やがて葬儀は終わり、親族は斎場へ向かった。参列者たちはそれぞれ帰ろうとした。奈々子も帰ろうとしたが、60代半ばくらいの喪服姿の女性に声を掛けられた。
「あなたが、藤野奈々子さん?」
「は、はい。」
奈々子は少し緊張して応えた。
「朝倉の母です。」 その女性は言った。
「ああっ、初めまして。」
「初めまして。ほら、故人の両親は斎場へは行かないって言うでしょう?だから私はここに残ったの。もしかしたら健二がよく話していた奈々子さんという女の子が来てるんじゃないかって思ったし。昨日まではあの子のことで主人と泣いたけど、もう涙も枯れちゃって。」
「そ、そうですか。」
「奈々子さんという女の子は2年前にふれあい園を出て行ったって健二から聞いてたけど、その後も健二はよく奈々子さん、あなたのことを話していたの。うんうん、本当にすてきなお嬢さん。あの子が好きになるのも無理ないわ。」
「・・・と言いますと?」
「まあね、聞いて頂戴。あの子は子どものころはあまり女の子と遊んだりなんかしなかったけど、まあ大人になって独身時代は普通にお付き合いはしてたわ。デートしたりして。病気してからもよ。あの子、親の私が言うのもあれだけど女の子からはもてたわ。」
「そうでしょうね。」
「でもそんなあの子が初めて私に紹介したのが宏子さん、今のあの子の奥さんよ。いいお嬢さんで本当にうれしかったわ。」
「そうですね。」
「宏子さんも病気をお持ちとかだそうけど、本当に健二にはぴったりだと思ったの。いざ結婚って話になってあちらのご両親も本当に喜んでおられたわ。その後、結婚して二人でうまくやっていたけど、ほら宏子さんは健二より体が悪いみたいで、体というより精神的にかな? たびたび入院されて、その間の家事はすべて健二がやったの。あの子親の私から見ても賢い子だと思えたわ。」
「そうですか。」
「本当はあの子には兄か姉がいたはずなんだけど、私が流産してしまったの。二番目に生まれたのが健二で、それで名前に漢数字の二をつけたんだけども、実はあの子にはまだ妹がいたの。末の子よ。でもその妹が17歳のときに・・・」
「確か自殺したって健二さんが・・・」
「そうなの。あの子から聞いていたのね。朗らかな子だったけど、友達との人間関係に悩んでたみたいだったわ。生きてたら今34歳。私の子どもたちはみんな親不孝者だわ。でも健二が一番親孝行してくれたわね。」
「健二さんは本当にすてきな方でした。ハンサムでスタイルがよくて。頭がよくて紳士的で。話がとっても面白くて。初めてお会いしたのはカフェでやっているフランス語講座だったんですけど、レッスンの後二人でお話しする機会があって、私そのときまだ高校生だったんですけど、いっぺんに健二さんの魅力にはまりました。」
「ありがとう。フランス語講座の話は私にもしてくれたわ。かわいい高校生の女の子が来てて、すごく出来るんだって言ってたわ。フランス語なんかお出来になるのね、奈々子さんは。」
そんなことないです、と奈々子は受け流した。
「でもね私言ったの、健二に。その高校生の方とは仲良くしてもほどほどにしておきなさい、って。宏子さんがいらっしゃるし、その女の子にもきっと大切な方がいらっしゃるでしょう、って。」
「いえ、それは・・・。」
「いえいえ、そうなのよ。仮にどんなにあなたのことがいいからといっても宏子さんのことを見捨てていいなんて有り得ないわ。結婚とはそういうものなの。失礼だけど、奈々子さんはまだだから分からないかもしれないけど、結婚っていうものは一人を選ぶことなの。つまりその一人以外をみんな捨ててしまうことなの。あの子は宏子さんを選んだのだからもう他を選ぶことはないの。」
「・・・」
「それにこんなこと言いたくないけど、40近い病気持ちのあの子と大学生で健常者の奈々子さんでは条件が違いすぎるわ。好きなもの同士なら誰でもいい、なんてことはないと私思うの。恋愛には責任が伴うわ。ましてや結婚となったら、結婚は一生のことだからできる限り釣り合いというか対等な立場でないと許されないと思う。あなたがどこまで健二のことを想っていたのかは分からないけど。」
「わ、私は健二さんのことが好きでした。恋をしていました。」
「ありがとう。でも恋愛はあなたが思うほど自由なものではないわ。許されない恋愛だってある。あなたの健二への思いは純粋でまっすぐなものだけど、許されるものではないの。」
「・・・」
「私も一人の人間、女だから数多く恋愛はしてきたわ。結婚する前はもちろんだし、結婚してからも気になる人がいたりして。でもね、奈々子さん。どんなに強い思いでも届かないこと、届くべきでないこともあるのよ。」
健二の母はさらに続けた。
「本当にごめんなさい。あなたに説教なんか垂れて。でもこれだけはあなたに託すわ。」
と、奈々子に封書を差し出した。
「健二の部屋に何通もあったの。これはそのうちの一通なんだけど、封してなかったから私読んじゃったけど。奈々子さん宛に書いたものらしいの。読んであげて。健二なりのまっすぐな思いだから。」
奈々子はためらったが、恐る恐る受け取った。
「本当にごめんなさい。でもありがとう。あの子のことを好きだと言ってくれて。本当にうれしいわ。」
二人はあいさつを交わし、分かれた。

十七

藤野 奈々子  様

 前略 ふれあい園にはまったくお見えにならなくなりましたね。いかがされているのか心配です。ここのメンバーもスタッフもみんなあなたの復帰を待っていますよ。本来ならもっと早くにこうしたお手紙を送るべきでしたが、そうする勇気が私にはありませんでした。実際こんな手紙を何度も書いては出せずにいたものですから。
 年甲斐もなく、あなたに惚れていました。あなたとお近づきになってすぐにあなたのことが好きになり、私は必死であなたのことを考えないようにしました。すべては妻の宏子のため、自分に言い聞かせました。それはある程度まではうまくいったと自覚しています。しかし、完璧には出来ませんでした。母も私があなたに好意を持つことには反対でした。しかし、あなたへの思いは日に日に強くなりました。
 私は怖ろしいくらいの自惚れ屋です。あなたが私に好意をお持ちだと勝手に解釈していました。あなたがわざわざ私と同じG大学の経済学部に進学したこと、ふれあい園にアルバイトに来られた事実からそう解釈しました。でもその解釈に完全な自信を持てなかったので、もし好意を持っておられたら私はどんなに幸せだろう、そんなふうに思っていました。
 それだけに初夏のあの海で告白を受けたことは本当に喜びでした。驚きでした。ですが、宏子のため、とあなたに素直になれませんでした。素直になれなかったことは本当に大きな損失であり、悔やんでも悔やみきれないことであります。
 しかし、あなたの愛を素直に受け入れていたとしたら!宏子があまりにもいかわいそうです。宏子は何もかも私に頼りきっています。私を愛し、信じきっています。やはり私も妻を愛しています。あなたとのことがあったとしてもです。この矛盾から逃れることが出来ないのです。宏子を恨みすらしました。宏子がいなくなってしまえば、とも思いました。でもすべては私の自分勝手な妄想でした。
 あなたもふれあい園を離れ、私からも離れられました。そうすることが自然な道だったことでしょう。私にはつらいことですが、今はそれを支持してみたく思います。もし私から離れたことをあなたが少しでもつらい、と感じられたらそれはとてもうれしいことです。
 しかしあなたはまだ若い。洋々たる未来があります。無限の可能性がある方です。きっともっとあなたにふさわしい方がいるのだと思います。一回り以上も年上で病気持ちの私なんかより、もっとふさわしいその方との本当の幸せを今は願います。あなたを獲得することは出来ない、しかし喪失することも出来ない。そんな私にとって今のこのあなたと会えない無味乾燥な日々は私の最後の選択肢だったように思えます。さようなら。私より幸せになってください。
                                敬具

                                朝倉 健二 

 日付は二年前の7月7日になっていた。あの潮干狩りの約1ヵ月後で、7月7日は奈々子の誕生日だ。健二はそのことを意識して書いたのかも知れない。奈々子は一気に読み上げると、少し泣いた。健二の葬儀のときに出なかった涙が今出たようだった。
「健二さん・・・」
 奈々子は無性に健二のことが懐かしくなった。健二に会いたくなった。そして失ってはならないものを失ったと思った。涙のしずくが手紙に落ちた。やがて嗚咽に変わった。



 公認会計士の試験の結果が分かった。奈々子は晴れて合格した。後で人づてに聞いたのだが、健二も合格していたらしいと聞いた。
 大手監査法人への就職も決まった奈々子。2年以上ぶりにふれあい園に復帰した。中川さんからの強い要請があったのだ。朝倉君の遺志を継ぐつもりで来てほしい、と。アルバイトではなく、健二と同じボランティアとして再度ふれあい園に加わった。これには中川さんをはじめ山本さん・石川さん・宏子・そしてメンバー全員が歓迎した。

                                    終

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アンダーラブ vol.12

2016-01-31 15:35:52 | 小説
十五

 奈々子は3年生になると公認会計士を目指すことを決心した。商学部の監査の授業を聴いて会計士の仕事に興味を持ったからである。会計士を目指すことは両親も反対しなかった。大学の授業だけでは不十分となり、受験のための塾に通うようになった。両親も塾の月謝は工面してくれた。
 大学の課外活動には参加しなかった奈々子だが、3年生から始まったゼミは友達を作るいい機会となった。女友達はもちろん、男友達も出来るようになった。不思議と同年代の男の子をみんなやらしいと思わなくなってきたのだ。デートもするようになった。健二のことやふれあい園のことを少しずつ忘れるようになった。
 4年生になると周りの友達は就職活動をするようになった。だが奈々子はあえて就職活動はせず、会計士の勉強に専念した。公認会計士の試験は厳しい。実力不足なのは分かっていた。会計士の試験に落ちたら留年して就職活動をしながらまた受験しよう、そう決心した。
 公認会計士の試験の日がやって来た。

 当日の朝、試験会場の大学へ足を運んだ。少し緊張していた。試験を受ける人たちの波にまぎれて会場の教室へ向かった。そのとき、奈々子は人並みにまぎれて歩く一人の受験生に気付いた。
「健二さん?!」
健二らしい男性がいたのだ。ドキッとした。だが、はっきりそれとは分からなかった。向こうは奈々子にはまったく気が付かなかったようだ。
 会場の教室の自分の席についても奈々子は健二のことを考えていた。健二さん、会計のお仕事されていたから資格を取りに来たんだわ、そう思った。でも今はダメ、試験に集中しないと。無理にでも奈々子は試験のことに集中しようとした。カバンから簿記のテキストを取り出し、読んだ。やがて時間となり試験官がやって来て、試験が始まった。

 試験が終わった。試験の手ごたえはまずまずだった。勉強していたところも出た。1回の受験で通るほど易しい試験じゃないし。奈々子はわけもなく、すがすがしい気持ちだった。健二のことは忘れていた。
受験生たちの人並みに沿って最寄の駅に向かった。歩いていると男の声に呼び止められた。
「こんなところで会えるなんて光栄ですね、藤野奈々子さん。」
奈々子は振り返った。健二だった。
「健二さん!!」
健二はにっこり微笑んだ。
「お久しぶりです。実に2年ぶりですね。奈々子さんも公認会計士、目指しておられたんですね。」
「いやあ、今年はダメですよ。私なんか。健二さんは実務の経験があるからいいですけど。」
「いやいや、ぼくだって仕事しながらなんで十分勉強時間が取れなくて。学生さんはいいです。」
意外と失恋の傷はもうなかった。奈々子は親しかったころのように健二と話すことが出来た。
「いかがです? お茶でもして帰りませんか?」
健二が誘ってきた。
「特別おごりますよ。」
二人は駅近くのコーヒー屋へ入った。

 コーヒーを飲みながら二人は話をした。今日の試験のこと、奈々子がふれあい園を離れてからのこと、奈々子の学生生活のこと、健二の仕事のこと。昔に戻ったみたい、二人はそれぞれに思った。まるでフランス語講座の後のコーヒータイムのようだった。
 約1時間話をした。もう少しこうしていたい、奈々子は思った。話が終わるのが怖かった。
「そうだ、はがきを出さないと。」
健二が言った。
「ポストなら道路を越えた向こう側にありましたよ。」 奈々子は言った。
「ありがとうございます。奈々子さん、出して来るんでちょっと待っててください。」
そう言って健二は店を出た。
2,3分後車の急ブレーキの音とドン、という激しい音が聞こえた。まさか、奈々子は思った。慌ててコーヒー屋を飛び出した。救急車を呼べ! 通行人が叫んでいる。人が血を流して倒れているのが見えた。
 「健二さん!!」奈々子は大声で叫んだ。
 健二が倒れていたのだ。

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アンダーラブ vol.11

2016-01-17 12:53:17 | 小説
十四

 ふれあい園から奈々子に解任の通知が来た。無理もない、黙って行かなくなって1ヶ月、まったく仕事に行かなくて一切連絡していないのだから。1ヶ月待ってもらっただけでも感謝しなければならないところだ。
 奈々子の母は口をすっぱくして厳しく言った。『せめて最後にあいさつだけはして来なさい。』気は進まなかった。季節は過ぎ、秋が来て冬になろうとしていた。11月のある日曜日、施設まで行くことにした。
 ふれあい園の正面入り口まできて急に入るのが嫌になった。やっぱり入れない、健二がいるかもしれない。怖ろしいほどの嫌気が差してきた。外は11月だから寒かったが、それでも入るのをためらった。でも奈々子は健二に会うのが怖いはずなのに自分が健二に会えることを期待していた。自分の矛盾に気付いていた。
 気がつくとやってきてからもう2時間が過ぎようとしていた。
 やがて雨が降ってきた。奈々子は傘を持っていなかった。帰りたい、でも入らなければ、そんな思いで濡れながら佇んでいた。
 しばらくして喫茶コーナーの扉が開いた。宏子だった。
「あら、奈々子さん、どうしたの? ずぶ濡れじゃない。とりあえず入って。」
奈々子は何も応えなかった。応えることが出来なかった。
「おいしいアールグレイを入れるわ。もちろん温かいの。アップルパイもいかが?」
気は進まなかったがとりあえず喫茶コーナーに入った。かつて奈々子も働いていたところだ。宏子は奈々子に乾いたタオルを持ってきて、紅茶を淹れた。
「私の自慢のアップルパイよ。奈々子さんもよくご存知だとは思うけど。ここの喫茶コーナーの目玉商品。これがあったから私喫茶コーナーの責任者に抜擢されたの。とは言っても時給300円だけど。」
宏子は笑った。「何もとりえのない私にとっての唯一のとりえがこのアップルパイを焼くことなの。召し上がって。」
アップルパイの乗った皿をテーブルの上に出した。奈々子は黙って食べ始めた。
「しばらく見かけなかったけど、どうしていたの?」
奈々子はうつむいて何も応えなかった。
「ケンちゃんから聞いたわ。好きです、って言ったんですってね。」
奈々子は顔を上げた。
「分かるわ・・・。ケンちゃんって本当にすてきな人・・・。」
宏子は少し視線を上に向けて言った。
「・・・」
「正直思わない? 何で私みたいな女があんないい人と結婚できたのかって。」
「いいえ、そんなことは・・・」奈々子はやっと応えることが出来た。
「無理しなくていいのよ。私自身が一番そう思っているから。」
宏子はにっこり微笑んだ。
「ケンちゃんって・・・優しくてでも強くて頼りがいがあるわ。ハンサムで背が高くてスタイルもいいし。障害年金、それも公務員出身だからいい年金をもらいながらちゃんとお勤めもしていて経済力もあるの。ユーモアもあって人当たりがよくて。もう何十人分もの長所が服を着て歩いているような人なの。それに比べて私なんか心も体も病弱でわがままばっかりのただのオバサンね。」
そんなことないです、奈々子は反論した。
「私たちってこの法人のきぼう作業所で知り合ったの。入ったのは私のほうが先で後からケンちゃんが来たんだけど、あるとき急にケンちゃんからデートのお誘いがあったの。美術展のチケットが2枚あるんだけど、一緒に行きませんかって。私、美術のことはよく分からないけど、本当うれしかった。私って彼氏いない歴27年の女だったから正直信じられなかったけど、喜んでOKしたわ。そのデートがきっかけでお付き合いが始まって1年後にプロポーズされたわ。私ケンちゃんよりひとつ年上なんだけど、もう彼に夢中だった。」
「・・・」
「ごめんなさいね、私の自慢話ばっかりで。ただ、とにかく私たちは一緒になって幸せに暮らしてきたの。私はたびたび入院したけど、ケンちゃんが何度もお見舞いに来てくれて身の回りの世話をしてくれたわ。本当に支えてくれた。そんな彼だからこのふれあい園でも女性に大人気よ。みんな私に羨望のまなざしだわ。心地いいような、くすぐったいような。奈々子さんもきっとみんなと同じ思いだと思っていたわ。」
「わ、私の好意に気付いておられたんですか?」
「もちろんよ。」
「ごめんなさい。ご主人さんのこと好きになったりして・・・。」
「構わないわ。好きになることくらい誰でもあることだから。ただ、ケンちゃんがどう思うか分からないけど、奈々子さんならケンちゃんも好きになりそう。私たちライバルね。」
宏子はにこっ、と微笑んだ。
「握手!」 宏子は右手を差し出した。
奈々子は弱々しく宏子の手を握った。急に奈々子は自分の奥底からこみ上げてくるものを感じた。
「アップルパイもう一切れいかが?」
奈々子の目から涙が零れ落ちた。涙を拭おうともしなかった。奈々子は財布から千円札を一枚取り出し、テーブルの上に置いた。
「お、お代はいいわよ、私のおごりだから。」 宏子は言った。
大粒の涙が零れ落ちた。『ごちそうさまでした』それだけ言うと奈々子は喫茶ルームを飛び出した。
 外はまだ雨が強く降っていた。だが、奈々子は傘もなく濡れて行った。
「ライバルだなんて・・・私の完敗じゃない。」
宏子に自分を重ね合わせると負けているのは一目瞭然だった。宏子の優しさ、広い心、余裕。すべてにおいて私は負けている。奈々子はそう思った。
 11月の冷たい雨に濡れながら奈々子は走った。

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アンダーラブ vol.10

2016-01-11 14:35:10 | 小説
十三

 6月の第一日曜日、ふれあい園の潮干狩りの日がやって来た。朝8時集合、参加メンバー13名、家族7名、スタッフは理事長以下3名、それに加えること健二・宏子それと奈々子の3名だから総勢26名である。理事長の中川さんが大型のマイクロバスをチャーターした。東京から少し離れた湘南の海に向けてバスは走った。
 バスの中は賑やかだった。バスガイドさんがついたのだが、そのガイドさんが愉快な歌やクイズで盛り上げてくれた。時間があったのでカラオケも使わせてもらうことになり、メンバーたちは我先になった。宏子は歌わなかったが、健二が昔の古い演歌を歌うと中川さんやメンバーの川上さんは大喜びだった。奈々子が最新のアイドルグループのヒット曲を歌うと若いメンバーたちは大盛り上がりだった。
 東京から3時間、目的地の海岸へやって来た。空はよく晴れて青かった。海もまた青かった。かもめが飛んでいた。まだ6月のはじめだが、もう真夏のように暑く、汗ばむくらいだった。ただ時折さわやかな初夏の風が吹いて気持ちよかった。障害者のメンバーたちは一斉に浜へ駆け出していった。健二も今日ばかりは大はしゃぎでメンバーの佐々木さんやほかの男連中たちとスコップを持って浜へ出た。宏子はそんな健二を見て奈々子と苦笑した。
 始まって小1時間ほどして一行は昼食を取った。スタッフと健二・宏子・奈々子が総出で用意したおにぎりと玉子焼き、鮭の塩焼きだった。みんなおいしいと争って食べた。
食事の後は自由な時間となった。メンバーたちはまた砂浜を掘ったり、波打ち際へ行って海水に素足を浸したり、浜辺に座っておしゃべりしたり、思い思いに過ごした。奈々子はスタッフの山本さん、石川さんと食事の後片付けをしていたが、ふと健二はどうしているだろうと思った。健二は仲間たちと離れて一人で立っていた。ブラウスも脱いでTシャツ一枚で海を眺めていた。
 片付けを終えて奈々子もTシャツ姿で健二のもとへ行った。
「ああ、奈々子さん。」 健二はやって来た奈々子を見て声をかけた。
「どうなさったんですか? 一人でボーっと海なんか見ちゃって。」
奈々子は応えた。二人の間をさわやかな初夏の風が抜けていった。
「海を見ていたんですよ。あの水平線はここから5,6キロ先のあたり。ぼくたちの見ているこの半径5キロの視界はいわば地球という球体をこの地点で微分した一部分で・・・」
と健二は言った。言って一人で少し笑った。
「なんてよしますか、こんな話。今日くらいは。」
「もう、健二さんたら」
奈々子もそんな健二を見て微笑み返した。空にはかもめが飛び交い、二人がそれぞれ着ていたTシャツが風に泳いだ。
「なんだか、言葉がいらない・・・」 
奈々子は気持ちが高ぶるのを感じた。健二とこの場所で時間を共有できることを喜んだ。
 しばらく、そのまま時間が流れた。
「ぼくが今22歳の青年だったら奈々子さんに恋しただろうな。」
ふと、急に健二が言った。奈々子はびっくりした。
「健二さん?!」
「あっ、ああごめんなさい、奈々子さん。これではただのやらしい男ですね。失礼しました。」
「・・・」
「な、奈々子さん?」
「嘘なんですか、今の?」
奈々子が逆に聞き返した。その一言にはむしろ怒りすら込められていた。
「ごめんなさい、奈々子さん。ぼくはただ、場のノリというか、気分的にちょっと・・・」
「私に恋しないんですね。」
「だからその・・・」
「私は恋しています。」
奈々子はきっぱり言った。
「私は・・・、健二さんが好きだから!!」
健二はぎょっと奈々子を見た。
言ってしまった・・・奈々子は思った。自分の一番正直な気持ち。伝えたかったけど今まで伝えられなかった思い。
「高校生のときにフランス語講座で出会って、数学や経済のことを教えてくれて、優しくて誠実で、ずっとあこがれていました。尊敬していました。」
「奈々子さん・・・」
健二は何か言いかけた。
「でも、分かっています。私なんかじゃ全然ダメだってこと。健二さんとは歳も離れていますし、奥さんもいらっしゃるし。ごめんなさい」
奈々子の眼から涙が頬を伝って落ちた。
「奈々子さん、本当にありがとう。どうか泣かないでください。でも、お気持ちにお応えすることは・・・。宏子のこともありますし、申し訳ない。それにぼくは恋愛は不得意ですから。」
奈々子は泣いた。
「でも奈々子さん、あなたは本当にすてきな方です。宏子以上に価値のある方です。」
健二は補足した。奈々子はとめどなく涙が溢れて何も言えなかった。
 奈々子は健二から離れ、とぼとぼと砂浜を歩いた。健二は追いかけようとはしなかった。
 さっきまで青かった空に雲が垂れ込めてきた。かもめも姿を消した。
 ただ、海だけが穏やかだった。

 健二に失恋して以来、奈々子はふれあい園のアルバイトに行けなくなってしまった。無断欠勤するようになった。最初のうちは施設から奈々子の携帯や自宅に電話があったが、そのうちそれもなくなった。施設へいかなければならない、連絡を入れなければならない、それは分かっていた。
 しかし出来なかった。出来ないまま時間だけが過ぎた。

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