十五
奈々子は3年生になると公認会計士を目指すことを決心した。商学部の監査の授業を聴いて会計士の仕事に興味を持ったからである。会計士を目指すことは両親も反対しなかった。大学の授業だけでは不十分となり、受験のための塾に通うようになった。両親も塾の月謝は工面してくれた。
大学の課外活動には参加しなかった奈々子だが、3年生から始まったゼミは友達を作るいい機会となった。女友達はもちろん、男友達も出来るようになった。不思議と同年代の男の子をみんなやらしいと思わなくなってきたのだ。デートもするようになった。健二のことやふれあい園のことを少しずつ忘れるようになった。
4年生になると周りの友達は就職活動をするようになった。だが奈々子はあえて就職活動はせず、会計士の勉強に専念した。公認会計士の試験は厳しい。実力不足なのは分かっていた。会計士の試験に落ちたら留年して就職活動をしながらまた受験しよう、そう決心した。
公認会計士の試験の日がやって来た。
当日の朝、試験会場の大学へ足を運んだ。少し緊張していた。試験を受ける人たちの波にまぎれて会場の教室へ向かった。そのとき、奈々子は人並みにまぎれて歩く一人の受験生に気付いた。
「健二さん?!」
健二らしい男性がいたのだ。ドキッとした。だが、はっきりそれとは分からなかった。向こうは奈々子にはまったく気が付かなかったようだ。
会場の教室の自分の席についても奈々子は健二のことを考えていた。健二さん、会計のお仕事されていたから資格を取りに来たんだわ、そう思った。でも今はダメ、試験に集中しないと。無理にでも奈々子は試験のことに集中しようとした。カバンから簿記のテキストを取り出し、読んだ。やがて時間となり試験官がやって来て、試験が始まった。
試験が終わった。試験の手ごたえはまずまずだった。勉強していたところも出た。1回の受験で通るほど易しい試験じゃないし。奈々子はわけもなく、すがすがしい気持ちだった。健二のことは忘れていた。
受験生たちの人並みに沿って最寄の駅に向かった。歩いていると男の声に呼び止められた。
「こんなところで会えるなんて光栄ですね、藤野奈々子さん。」
奈々子は振り返った。健二だった。
「健二さん!!」
健二はにっこり微笑んだ。
「お久しぶりです。実に2年ぶりですね。奈々子さんも公認会計士、目指しておられたんですね。」
「いやあ、今年はダメですよ。私なんか。健二さんは実務の経験があるからいいですけど。」
「いやいや、ぼくだって仕事しながらなんで十分勉強時間が取れなくて。学生さんはいいです。」
意外と失恋の傷はもうなかった。奈々子は親しかったころのように健二と話すことが出来た。
「いかがです? お茶でもして帰りませんか?」
健二が誘ってきた。
「特別おごりますよ。」
二人は駅近くのコーヒー屋へ入った。
コーヒーを飲みながら二人は話をした。今日の試験のこと、奈々子がふれあい園を離れてからのこと、奈々子の学生生活のこと、健二の仕事のこと。昔に戻ったみたい、二人はそれぞれに思った。まるでフランス語講座の後のコーヒータイムのようだった。
約1時間話をした。もう少しこうしていたい、奈々子は思った。話が終わるのが怖かった。
「そうだ、はがきを出さないと。」
健二が言った。
「ポストなら道路を越えた向こう側にありましたよ。」 奈々子は言った。
「ありがとうございます。奈々子さん、出して来るんでちょっと待っててください。」
そう言って健二は店を出た。
2,3分後車の急ブレーキの音とドン、という激しい音が聞こえた。まさか、奈々子は思った。慌ててコーヒー屋を飛び出した。救急車を呼べ! 通行人が叫んでいる。人が血を流して倒れているのが見えた。
「健二さん!!」奈々子は大声で叫んだ。
健二が倒れていたのだ。
奈々子は3年生になると公認会計士を目指すことを決心した。商学部の監査の授業を聴いて会計士の仕事に興味を持ったからである。会計士を目指すことは両親も反対しなかった。大学の授業だけでは不十分となり、受験のための塾に通うようになった。両親も塾の月謝は工面してくれた。
大学の課外活動には参加しなかった奈々子だが、3年生から始まったゼミは友達を作るいい機会となった。女友達はもちろん、男友達も出来るようになった。不思議と同年代の男の子をみんなやらしいと思わなくなってきたのだ。デートもするようになった。健二のことやふれあい園のことを少しずつ忘れるようになった。
4年生になると周りの友達は就職活動をするようになった。だが奈々子はあえて就職活動はせず、会計士の勉強に専念した。公認会計士の試験は厳しい。実力不足なのは分かっていた。会計士の試験に落ちたら留年して就職活動をしながらまた受験しよう、そう決心した。
公認会計士の試験の日がやって来た。
当日の朝、試験会場の大学へ足を運んだ。少し緊張していた。試験を受ける人たちの波にまぎれて会場の教室へ向かった。そのとき、奈々子は人並みにまぎれて歩く一人の受験生に気付いた。
「健二さん?!」
健二らしい男性がいたのだ。ドキッとした。だが、はっきりそれとは分からなかった。向こうは奈々子にはまったく気が付かなかったようだ。
会場の教室の自分の席についても奈々子は健二のことを考えていた。健二さん、会計のお仕事されていたから資格を取りに来たんだわ、そう思った。でも今はダメ、試験に集中しないと。無理にでも奈々子は試験のことに集中しようとした。カバンから簿記のテキストを取り出し、読んだ。やがて時間となり試験官がやって来て、試験が始まった。
試験が終わった。試験の手ごたえはまずまずだった。勉強していたところも出た。1回の受験で通るほど易しい試験じゃないし。奈々子はわけもなく、すがすがしい気持ちだった。健二のことは忘れていた。
受験生たちの人並みに沿って最寄の駅に向かった。歩いていると男の声に呼び止められた。
「こんなところで会えるなんて光栄ですね、藤野奈々子さん。」
奈々子は振り返った。健二だった。
「健二さん!!」
健二はにっこり微笑んだ。
「お久しぶりです。実に2年ぶりですね。奈々子さんも公認会計士、目指しておられたんですね。」
「いやあ、今年はダメですよ。私なんか。健二さんは実務の経験があるからいいですけど。」
「いやいや、ぼくだって仕事しながらなんで十分勉強時間が取れなくて。学生さんはいいです。」
意外と失恋の傷はもうなかった。奈々子は親しかったころのように健二と話すことが出来た。
「いかがです? お茶でもして帰りませんか?」
健二が誘ってきた。
「特別おごりますよ。」
二人は駅近くのコーヒー屋へ入った。
コーヒーを飲みながら二人は話をした。今日の試験のこと、奈々子がふれあい園を離れてからのこと、奈々子の学生生活のこと、健二の仕事のこと。昔に戻ったみたい、二人はそれぞれに思った。まるでフランス語講座の後のコーヒータイムのようだった。
約1時間話をした。もう少しこうしていたい、奈々子は思った。話が終わるのが怖かった。
「そうだ、はがきを出さないと。」
健二が言った。
「ポストなら道路を越えた向こう側にありましたよ。」 奈々子は言った。
「ありがとうございます。奈々子さん、出して来るんでちょっと待っててください。」
そう言って健二は店を出た。
2,3分後車の急ブレーキの音とドン、という激しい音が聞こえた。まさか、奈々子は思った。慌ててコーヒー屋を飛び出した。救急車を呼べ! 通行人が叫んでいる。人が血を流して倒れているのが見えた。
「健二さん!!」奈々子は大声で叫んだ。
健二が倒れていたのだ。