My Life

わかりにくいタイプの毒親育ちです。これまでの人生の整理とこれからの新しい人生の為に。同じような親をもつ誰かの為に。

代理によるミュンヒハウゼン症候群

2021-04-17 | 毒親育ち

代理によるミュンヒハウゼン症候群より

 

子どもに病気を作り、かいがいしく面倒をみることにより自らの心の安定をはかる、子どもの虐待における特殊型です。加害者は母親が多く、医師がその子どもに様々な検査や治療が必要であると誤診するような、巧妙な虚偽や症状を捏造します。

加害者は自分が満足できる結果がでて、処置をしてもらえるまで「その」状態を続けるため、必要のない検査が延々と続くことになります。加害者が医療者の注意を十分に引きつけることができないと、子どもの症状がどんどん重篤になり、致死的な手段もいとわなくなることがあるので、十分注意が必要です。しかし、医療者が疑いを持つと、急に来院しなくなったり、別の医療機関を受診したり、これまでに学習した知識を基に、さらに巧妙な症状をつくりだすこともあります。一般的に加害者は、医師に熱心な母親である、という印象を与えます。「この母親が虐待などするはずがない」と、思わせることがまれではないため、何か「おかしい」と MSBP を疑うことが大切です。


自動的なマゾ装置で身内の権利を剥奪する

2021-03-15 | 毒親育ち

母の特徴

自分と自分の連れ(家族)が他の万人と等しく持っている権利や当然のニーズ、欲求を

放棄して、そのニーズ・欲求と自然に対立関係、緊張関係にある他者に明け渡し

相手のニーズ・欲求を満たすことで、自分の超越性、人格者ぶり、いい人ぶりを誇示する。

子どもの頃から今までずっと道連れにされて来た。自分だけでその自虐ゲームをやって欲しい。

なぜ私達をいつも巻き込むのか。

彼女のあらゆる場面での行動原理は、「自分の人格者ぶりを示すこと」で一貫しており、自分が

どう見られるかという他者からの評価の為であった。毒親の特徴に、「世間体を気にする」という

鉄板法則があるが、私の母の場合、ちょっと変わった形であるが、その通りであることに最近気づいた。

 

自分のニーズ・欲求は、自然と他者のそれと対立・緊張関係になり、自分を守ろうとするのは

人間も動物も当たり前である。でも、母はこの当たり前に意地でも逆行することが生き甲斐に

なっている様に見える程、意固地なまでに自分と自分側の人間(家族)のニーズや権利を

放棄し殺して、相手側のニーズを叶えようとする。

これを、いかなる場面でも、自動的に、無意識にやるのである。

これが、どれだけ毒親か、わかって欲しい。今これを書いていても、胸が苦しい。

 

そして、私が自分のニーズや欲求を満たそうとすると、陰湿な方法で、それに抵抗し

邪魔し、阻害してくる。これはいつも尤もらしい詭弁、完璧風の建前の論理を

ふりかざしてとても陰湿なやり方でなされる。

私が当然の方向で動こうとすることに、猛烈な抵抗を自動的にしているのが、すごく

伝わる。あの重苦しい抵抗の波長。でも母はそれを認めず、否認して、建前の言葉を

駆使して、当たり前を当たり前でなく、捻じ曲げていくのである。

 

自己を犠牲にし、相手の要求を満たそうとすることで、自分の人格者ぶり、俗人離れした

超越ぶりを示し、社会的評価を得ようとする。

本当、自分だけでやって欲しい。このマゾゲームに、今までの人生ずっと巻き添えにされてきた

私の気持ち… 泣けてくる…

 

 

 

 

 

 

 


泣けない子ども

2017-10-19 | 毒親育ち

母の猛毒は今でも変わらない。母の、無言のメッセージ 強いメッセージは、幼い頃も今も変わらない。社会運動が何よりも大事な母。(社会運動自体を批判しているのではない。)会話の中で、それがはっきりした。

私は母の子として生まれてきた時から、不幸な人生は決まっていた 

そんな考えが降りてきて、風呂の中で、涙が出た。

どうして、その社会的弱者への徹底的な擁護の眼差しを 私には向けてくれないの

どうしてその有能さを 私には発揮してくれないの

社会に出てつらいことがたくさんあったから 気丈に平気なふりして頑張ってきたけど 本当の心はズタズタに引き裂かれていて とうとう一歩も踏み出せなくなって 家に引きこもってずっといる

母は、相変わらず社会運動 他人への無償の献身をしている。

私はよく、ハゲ坊主のおじいさんの医者を想像する そしてその医者は私にこう言ってる

「つらかっただろう」「一番の猛毒親は子をもった神様だよ 神様は、自分の子をえこひいきしないからね」

それからこれもよく想像する 母の葬儀に、たくさんの参列者が来ている。母は社会の為に 無償で献身し続けた人 まさにその身を捧げた人と言って間違いない その死を、みんなが悼んでる

私にもマイクを向けられた 私は「やっと 死んでくれたね これからは私が生きる番だよ」って言うと 参列者たちは ギョッとして耳を疑い静まり返る 私は続ける「だって これ言わないと 私の人生始まらない」「みんなは 母に助けられ 素晴らしい影響を受け 希望をもった 母を厚く信頼している その裏で私は涙さえ押し殺していた 泣いていいなんて思えなかったから 社会をよく変えるのが何より大事なんだから 私の気持ちには関心が払われなかった」

 


感情を抑圧されて育ったのに、他人の感情に対応することを要求される子

2017-09-20 | 毒親育ち

親などに、気持ちやニーズを無視、度外視された子どもは、自分の気持ちを「なかったもの」として処理する。抑圧とか切り捨てとかいう。その子がどう感じているか、どういうニーズを持っているかに注意を払われず、無視され続けたら、その子は自分のそれらを「なかったもの」として処理するしかないだろう。それは、当然のなりゆきだと思う。

でも、外、社会に出れば、人の気持ち、感情に対応することをずっと求められる。

自分の気持ちを瞬間凍結させられてきたのに、他人の気持ちやニーズには対応することを社会的に求められる。自分が自分に対してすることを強いられ続けたことを、他人にしてはならず、逆のことをしなければならない。こんな不幸な不均衡があるだろうか。

保育園の時のこと憶えてる。「行きたくない」と泣いて柱にしがついて抵抗している子を見て、「育ちがいい」と思い、カルチャーショックを受けた。自分の気持ち、ニーズをあんなに主張するものだと思っていて それでなにかが変わる と思ってることが、自分と育ちが違うと感じた。

母は、社会的弱者(脳性まひとか、差別される立場の人とか)のニーズ、気持ち、感情に徹底的に寄り添い、その考えを私たちにも啓蒙するのに、私たちの気持ち、ニーズは無視、切り捨て続けた。

私は、酷いダブルバインド下にいたように思う。

母は知的で哲学的で、いわゆるリベラルな思想をもっていたし、自身がその信条に矛盾なく生きていると思っていた。でも、無意識には福岡の生まれ育ちによる、刷り込み・思い込みが彼女にもしっかりあった。本人は気づいていないけど。しかも、その九州的な常識においても彼女は、ふつうの九州女よりも優秀な側面さえあった。

本当に突き抜けていたら、 よかったのに。

無意識と意識が同じ方向向いてたら what he thinks, what he says, and what he does are in harmony だったら、私はそんな人に強く魅了される。そういう人は男でたまにいて、いい匂いの風を感じる。一般的な常識 common sence と全然違うけど、彼はそれを無意識からそうだと信じきっていて その泉から、自然に行為や言葉として流れ出てくる そこにはなんの過剰な緊張 tension 抵抗 もなく、当たり前にそうするのである。そんなハックルベリーフィンと出会ったら、いいようもなく魅かれる。呼吸が自由にできる。私がそれに共感しようがしまいが、いい気持ちになる。

私は、互いに矛盾するメッセージに二重に拘束されていたように思う。どっちに行っても塞がれる、窒息感がある。精神の監禁状態である。

また話が逸れてしまったけど、自分が自分に対してすることを強いられ続けたことを、他人にしてはならず、逆のことをしなければならない不幸な不均衡について記した。

参考文献:「子どもを生きればおとなになれる」クラウディア・ブラック著

 

 


自分のシャドウを娘に見て、無意識に攻撃する母親

2017-09-06 | 毒親育ち

母が、無意識に私の幸福を邪魔する心理の核心は、前の記事に書いた。これは、間違ってはいないと思う。

この結論をもっと奥まで進むこともできるだろう。

母の遺伝子を顕著に受け継いだ私だからこそ、他のきょうだいよりも私を無意識に執拗に攻撃し続けたのである。リア充お嬢さんだった母は、「自分が今まで知らないうちに 社会的弱者を虐げてきた ことに気づいて、衝撃的なターニングポイントとなり」、運動に精力的に投身するようになったのだが、運動体(差別を受ける社会的弱者の団体。主に、脳性まひの団体「青い芝の会」)によって植え付けられた原罪意識によって、自分およびその要素を多く受け継いだ娘の私を「自虐」することで、贖罪(償い)をし続けた。ターニングポイント以前の自分を頑なに否定(自己批判)するだけでなく、その自分を私に投影し、私をも否定し続けた のである。

ユング心理学の「ペルソナ」「シャドウ」理論によると、人は必ず「光と影」の両面を持つ。「光」がペルソナだとすれば、「影」がシャドウ。認めたくない自分だそうだ。私に、母のシャドウを見て、攻撃し続けた それが、彼女が無意識にし続けたことである。

母のペルソナは強靭で、一見まったく隙がなく、超然としているため、本当に起こっていることがわからないまま、私の苦しみは続いた。無意識だから、彼女も自覚がなく、頭のいい母だから、巧妙に理由づけ(カモフラージュ)してきたシャドウと向き合い、統合することで人間は精神的に成長し成熟すると言われているが、母はそれができていない、未熟な人間である ということになる。

ずっと認めないできた母の毒性に注目させたのは、カモフラージュさせなかったのは、やはり思考ではなく、feeling(感受性)であった。頭では、騙され続けていた。だって母は、その優秀な頭脳ゆえ、自らをも巧妙に騙し続けていたのだから。そんなに頭のよくない私が、なぜ気づいたのか。それは、私の感受性が嘘つかなかったから。

超然として、知性があり、論理的で、弱者に徹底的に寄り添い擁護し支援して、社会的に尊敬されている母なのに

私にはやさしくない 私は母といると楽しくない 頭痛がする 鉄の匂いがする 硬直 頑な 冷たい 拒絶的 温かみがない 愛情が感じられない 私の大切な瞬間に、母にはいて欲しくない 

そんなfeelingに、向き合ってみたから真実に近づいた。素晴らしい親が、娘をこんなにも苦しめ続けるわけがない 傷つけ続けるわけがない。 

彼女のやってることを、騙されずによく見てみると、私の不幸を願っている ことが浮き彫りになってくる。私を傷つけることに躊躇いがない と前に書いたが、むしろ傷つけたがってる ことに、疑いの余地がないのである。きっと、赤の他人だったらもっと即座にわかることだろう。でも、私は母を信じる気持ちがあったから、他人の目には明らかな真実に気づくまでに、途方もなく時間がかかった。「子の幸せを願わない親はいない」という世間の通念、思い込みに私も強く影響され、そのせいで苦しみが長引いた。

子の不幸を願う親 がいるのだ。白雪姫の原話は、継母ではなく実母である。

母が周囲の人々に見せている温かい姿は嘘なのか 演技なのかというと、違う。本当なのだ。母は、人々に対して、温かく、やさしく、やわらかく 接している。特に弱者には徹底して援護する。それが、私相手になると、全く逆の態度になるのである。これは、母がただの人間であることを表している。きっと、母を知ってる人たちは、母が娘の私に対してこんなに冷たい などと思いもよらないだろう。

人を動かしているのは、圧倒的に無意識である。無意識を顧みないまま、意識上での弁論をふりかざす、頭のいい人は、頭の悪い人以上に大きなミスを犯し、最たる愚か者となる。