My Life

わかりにくいタイプの毒親育ちです。これまでの人生の整理とこれからの新しい人生の為に。同じような親をもつ誰かの為に。

青い芝の会の犠牲になった家族②

2017-07-08 | 青い芝の会の犠牲になった家族

私は、大人になってこのことを考える。

重度脳性まひ同士の中山と杉本が2人暮らしを強行している家に、母が介護(無償)に足繁く通っていたことで、私たち家族が犠牲を被った話。

母は、激務の職業で、それにまつわる活動でも多忙であった。そして入り婿の父は家事をしないから、祖母の力を借りながら、母は必死でこなしていた。ご飯も手抜き料理ではなかった。私たちは4人きょうだいだから7人家族である。睡眠時間を削って、ものすごい量の仕事をこなすスーパーウーマンとはこのことだろう。かれらの家に晩から行く前に、家事を大慌てでして行っていた。私たち子供のお弁当も5時に起きて作っていたし、家事に手を抜いたりしていない。

だからいいのか。そういう問題ではない。私達家族が被った犠牲は、精神的なものが大きい。

私たち家族は、母に、行って欲しくないのに、彼女が行き続けるということが、私の心には猛毒を放っていたのである。なにを言っても、変わらない。彼女の、崇高な社会思想の前には、なにを言っても変わらない。学習性無力感。私の、当たり前にふつうに感じることは、取るに足らない、無視していいことだ、もっと大事なことが他にある、優先されるべきは他にあるというメッセージを受けとり続けたことが、私には精神的な破壊だったと、大人になって顧みる。人の弱さを認めない、人の気持ちに寄り添わない 母の態度が。

脳性まひの障害者の気持ちには徹底的に寄り添うのに、どうして一番身近な私たちの気持ちは無視するの。

私は子どもだったし、障害者の介護に献身している母を、おかしいと思うことはできなかった。正しいと思うしかなかった。そしてかれらや母を非難する人達が間違ってると思うしかなかった。親戚たちは母に苦言をしたけど、母は聞く耳もたなかった。

こういう、硬直した態度。壁にものを言ってるみたい やさしい人のはずなのに、どうして母からは鋼鉄の匂いがするのか。

こういう哀しい気持ちは、カルト的な環境で育った子どもの声と随分かぶる。人の弱さ、ありのままのか弱さを認めず無茶な要求をし続ける行為は、境界の侵害にあたる。境界を守るいうことは、人の限界を適切に設けることを含む。

 



コメントを投稿