My Life

わかりにくいタイプの毒親育ちです。これまでの人生の整理とこれからの新しい人生の為に。同じような親をもつ誰かの為に。

代理によるミュンヒハウゼン症候群

2021-04-17 | 毒親育ち

代理によるミュンヒハウゼン症候群より

 

子どもに病気を作り、かいがいしく面倒をみることにより自らの心の安定をはかる、子どもの虐待における特殊型です。加害者は母親が多く、医師がその子どもに様々な検査や治療が必要であると誤診するような、巧妙な虚偽や症状を捏造します。

加害者は自分が満足できる結果がでて、処置をしてもらえるまで「その」状態を続けるため、必要のない検査が延々と続くことになります。加害者が医療者の注意を十分に引きつけることができないと、子どもの症状がどんどん重篤になり、致死的な手段もいとわなくなることがあるので、十分注意が必要です。しかし、医療者が疑いを持つと、急に来院しなくなったり、別の医療機関を受診したり、これまでに学習した知識を基に、さらに巧妙な症状をつくりだすこともあります。一般的に加害者は、医師に熱心な母親である、という印象を与えます。「この母親が虐待などするはずがない」と、思わせることがまれではないため、何か「おかしい」と MSBP を疑うことが大切です。


自動的なマゾ装置で身内の権利を剥奪する

2021-03-15 | 毒親育ち

母の特徴

自分と自分の連れ(家族)が他の万人と等しく持っている権利や当然のニーズ、欲求を

放棄して、そのニーズ・欲求と自然に対立関係、緊張関係にある他者に明け渡し

相手のニーズ・欲求を満たすことで、自分の超越性、人格者ぶり、いい人ぶりを誇示する。

子どもの頃から今までずっと道連れにされて来た。自分だけでその自虐ゲームをやって欲しい。

なぜ私達をいつも巻き込むのか。

彼女のあらゆる場面での行動原理は、「自分の人格者ぶりを示すこと」で一貫しており、自分が

どう見られるかという他者からの評価の為であった。毒親の特徴に、「世間体を気にする」という

鉄板法則があるが、私の母の場合、ちょっと変わった形であるが、その通りであることに最近気づいた。

 

自分のニーズ・欲求は、自然と他者のそれと対立・緊張関係になり、自分を守ろうとするのは

人間も動物も当たり前である。でも、母はこの当たり前に意地でも逆行することが生き甲斐に

なっている様に見える程、意固地なまでに自分と自分側の人間(家族)のニーズや権利を

放棄し殺して、相手側のニーズを叶えようとする。

これを、いかなる場面でも、自動的に、無意識にやるのである。

これが、どれだけ毒親か、わかって欲しい。今これを書いていても、胸が苦しい。

 

そして、私が自分のニーズや欲求を満たそうとすると、陰湿な方法で、それに抵抗し

邪魔し、阻害してくる。これはいつも尤もらしい詭弁、完璧風の建前の論理を

ふりかざしてとても陰湿なやり方でなされる。

私が当然の方向で動こうとすることに、猛烈な抵抗を自動的にしているのが、すごく

伝わる。あの重苦しい抵抗の波長。でも母はそれを認めず、否認して、建前の言葉を

駆使して、当たり前を当たり前でなく、捻じ曲げていくのである。

 

自己を犠牲にし、相手の要求を満たそうとすることで、自分の人格者ぶり、俗人離れした

超越ぶりを示し、社会的評価を得ようとする。

本当、自分だけでやって欲しい。このマゾゲームに、今までの人生ずっと巻き添えにされてきた

私の気持ち… 泣けてくる…

 

 

 

 

 

 

 


泣けない子ども

2017-10-19 | 毒親育ち

母の猛毒は今でも変わらない。母の、無言のメッセージ 強いメッセージは、幼い頃も今も変わらない。社会運動が何よりも大事な母。(社会運動自体を批判しているのではない。)会話の中で、それがはっきりした。

私は母の子として生まれてきた時から、不幸な人生は決まっていた 

そんな考えが降りてきて、風呂の中で、涙が出た。

どうして、その社会的弱者への徹底的な擁護の眼差しを 私には向けてくれないの

どうしてその有能さを 私には発揮してくれないの

社会に出てつらいことがたくさんあったから 気丈に平気なふりして頑張ってきたけど 本当の心はズタズタに引き裂かれていて とうとう一歩も踏み出せなくなって 家に引きこもってずっといる

母は、相変わらず社会運動 他人への無償の献身をしている。

私はよく、ハゲ坊主のおじいさんの医者を想像する そしてその医者は私にこう言ってる

「つらかっただろう」「一番の猛毒親は子をもった神様だよ 神様は、自分の子をえこひいきしないからね」

それからこれもよく想像する 母の葬儀に、たくさんの参列者が来ている。母は社会の為に 無償で献身し続けた人 まさにその身を捧げた人と言って間違いない その死を、みんなが悼んでる

私にもマイクを向けられた 私は「やっと 死んでくれたね これからは私が生きる番だよ」って言うと 参列者たちは ギョッとして耳を疑い静まり返る 私は続ける「だって これ言わないと 私の人生始まらない」「みんなは 母に助けられ 素晴らしい影響を受け 希望をもった 母を厚く信頼している その裏で私は涙さえ押し殺していた 泣いていいなんて思えなかったから 社会をよく変えるのが何より大事なんだから 私の気持ちには関心が払われなかった」

 


感情を抑圧されて育ったのに、他人の感情に対応することを要求される子

2017-09-20 | 毒親育ち

親などに、気持ちやニーズを無視、度外視された子どもは、自分の気持ちを「なかったもの」として処理する。抑圧とか切り捨てとかいう。その子がどう感じているか、どういうニーズを持っているかに注意を払われず、無視され続けたら、その子は自分のそれらを「なかったもの」として処理するしかないだろう。それは、当然のなりゆきだと思う。

でも、外、社会に出れば、人の気持ち、感情に対応することをずっと求められる。

自分の気持ちを瞬間凍結させられてきたのに、他人の気持ちやニーズには対応することを社会的に求められる。自分が自分に対してすることを強いられ続けたことを、他人にしてはならず、逆のことをしなければならない。こんな不幸な不均衡があるだろうか。

保育園の時のこと憶えてる。「行きたくない」と泣いて柱にしがついて抵抗している子を見て、「育ちがいい」と思い、カルチャーショックを受けた。自分の気持ち、ニーズをあんなに主張するものだと思っていて それでなにかが変わる と思ってることが、自分と育ちが違うと感じた。

母は、社会的弱者(脳性まひとか、差別される立場の人とか)のニーズ、気持ち、感情に徹底的に寄り添い、その考えを私たちにも啓蒙するのに、私たちの気持ち、ニーズは無視、切り捨て続けた。

私は、酷いダブルバインド下にいたように思う。

母は知的で哲学的で、いわゆるリベラルな思想をもっていたし、自身がその信条に矛盾なく生きていると思っていた。でも、無意識には福岡の生まれ育ちによる、刷り込み・思い込みが彼女にもしっかりあった。本人は気づいていないけど。しかも、その九州的な常識においても彼女は、ふつうの九州女よりも優秀な側面さえあった。

本当に突き抜けていたら、 よかったのに。

無意識と意識が同じ方向向いてたら what he thinks, what he says, and what he does are in harmony だったら、私はそんな人に強く魅了される。そういう人は男でたまにいて、いい匂いの風を感じる。一般的な常識 common sence と全然違うけど、彼はそれを無意識からそうだと信じきっていて その泉から、自然に行為や言葉として流れ出てくる そこにはなんの過剰な緊張 tension 抵抗 もなく、当たり前にそうするのである。そんなハックルベリーフィンと出会ったら、いいようもなく魅かれる。呼吸が自由にできる。私がそれに共感しようがしまいが、いい気持ちになる。

私は、互いに矛盾するメッセージに二重に拘束されていたように思う。どっちに行っても塞がれる、窒息感がある。精神の監禁状態である。

また話が逸れてしまったけど、自分が自分に対してすることを強いられ続けたことを、他人にしてはならず、逆のことをしなければならない不幸な不均衡について記した。

参考文献:「子どもを生きればおとなになれる」クラウディア・ブラック著

 

 


自分のシャドウを娘に見て、無意識に攻撃する母親

2017-09-06 | 毒親育ち

母が、無意識に私の幸福を邪魔する心理の核心は、前の記事に書いた。これは、間違ってはいないと思う。

この結論をもっと奥まで進むこともできるだろう。

母の遺伝子を顕著に受け継いだ私だからこそ、他のきょうだいよりも私を無意識に執拗に攻撃し続けたのである。リア充お嬢さんだった母は、「自分が今まで知らないうちに 社会的弱者を虐げてきた ことに気づいて、衝撃的なターニングポイントとなり」、運動に精力的に投身するようになったのだが、運動体(差別を受ける社会的弱者の団体。主に、脳性まひの団体「青い芝の会」)によって植え付けられた原罪意識によって、自分およびその要素を多く受け継いだ娘の私を「自虐」することで、贖罪(償い)をし続けた。ターニングポイント以前の自分を頑なに否定(自己批判)するだけでなく、その自分を私に投影し、私をも否定し続けた のである。

ユング心理学の「ペルソナ」「シャドウ」理論によると、人は必ず「光と影」の両面を持つ。「光」がペルソナだとすれば、「影」がシャドウ。認めたくない自分だそうだ。私に、母のシャドウを見て、攻撃し続けた それが、彼女が無意識にし続けたことである。

母のペルソナは強靭で、一見まったく隙がなく、超然としているため、本当に起こっていることがわからないまま、私の苦しみは続いた。無意識だから、彼女も自覚がなく、頭のいい母だから、巧妙に理由づけ(カモフラージュ)してきたシャドウと向き合い、統合することで人間は精神的に成長し成熟すると言われているが、母はそれができていない、未熟な人間である ということになる。

ずっと認めないできた母の毒性に注目させたのは、カモフラージュさせなかったのは、やはり思考ではなく、feeling(感受性)であった。頭では、騙され続けていた。だって母は、その優秀な頭脳ゆえ、自らをも巧妙に騙し続けていたのだから。そんなに頭のよくない私が、なぜ気づいたのか。それは、私の感受性が嘘つかなかったから。

超然として、知性があり、論理的で、弱者に徹底的に寄り添い擁護し支援して、社会的に尊敬されている母なのに

私にはやさしくない 私は母といると楽しくない 頭痛がする 鉄の匂いがする 硬直 頑な 冷たい 拒絶的 温かみがない 愛情が感じられない 私の大切な瞬間に、母にはいて欲しくない 

そんなfeelingに、向き合ってみたから真実に近づいた。素晴らしい親が、娘をこんなにも苦しめ続けるわけがない 傷つけ続けるわけがない。 

彼女のやってることを、騙されずによく見てみると、私の不幸を願っている ことが浮き彫りになってくる。私を傷つけることに躊躇いがない と前に書いたが、むしろ傷つけたがってる ことに、疑いの余地がないのである。きっと、赤の他人だったらもっと即座にわかることだろう。でも、私は母を信じる気持ちがあったから、他人の目には明らかな真実に気づくまでに、途方もなく時間がかかった。「子の幸せを願わない親はいない」という世間の通念、思い込みに私も強く影響され、そのせいで苦しみが長引いた。

子の不幸を願う親 がいるのだ。白雪姫の原話は、継母ではなく実母である。

母が周囲の人々に見せている温かい姿は嘘なのか 演技なのかというと、違う。本当なのだ。母は、人々に対して、温かく、やさしく、やわらかく 接している。特に弱者には徹底して援護する。それが、私相手になると、全く逆の態度になるのである。これは、母がただの人間であることを表している。きっと、母を知ってる人たちは、母が娘の私に対してこんなに冷たい などと思いもよらないだろう。

人を動かしているのは、圧倒的に無意識である。無意識を顧みないまま、意識上での弁論をふりかざす、頭のいい人は、頭の悪い人以上に大きなミスを犯し、最たる愚か者となる。

 

 


性善説の親は、子どもを守らない

2017-09-04 | 毒親育ち

日本の民度は低い。

性善説が、現実に即している共同体であれば、人を信じて生きていいだろうが、現実とずれている場合、性善説の親をもつ子どもは可哀そうである。

子どもは、得体のしれない世界の中で、親から守ってもらう必要がある。その親が、現実とずれていたら、子どもは適切に守ってもらうことができずに、常につき放されている状態である。

親の性善説の態度と、周りの実態がずれていなければ、それでいいのだけど。日本は、民度の低い修羅の世界なのだから、そのことをしっかりと弁えて、そんな中に子どもを産み落とした以上は、賢く子を守らなければならない。

民度が低い世界にいることを無視して、子どもに正しいこと 清いこと 品位を持ち続けること ばかりを教えるのは、子どもを傷つけ、苦しめ、引っかぶり役にさせ続ける無能な親である。いじめられている子に、品位を求め続けて、取り返しのつかない事態にしかねない。いじめる人間は力でしか動かないのに、現実に則さない理想論ばかり言い続け、しまいには被害者の子を死なせかねない無能な親である。自分の子どもを守る という責任を果たせない。

民度が高い世界なら、それでいいんだけど。

真諦と俗諦の両方が要るのである。

 


ダブルバインド(二重拘束)

2017-08-31 | 毒親育ち

ダブルバインド(Double bind)とは、

ある人が、メッセージとメタメッセージが矛盾するコミュニケーション状況におかれること。 この用語はグレゴリー・ベイトソン(アメリカ合衆国の文化人類学・精神医学などの研究者)による造語である。その矛盾を相手に指摘できないまま、相手に応答せざるを得ないような状態を作ることである。家族内コミュニケーションがダブルバインド・パターンであると、その状況におかれた人が統合失調症に似た症状を示すようになる と。

この偉大な発見をしてくれたベイトソン博士に感謝している。ただ、日本の社会自体がダブルバインドだらけなんだけど…家庭内っていうか。ダブルバインドがない場所が、日本のどこにあるんだよwみたいな。

以下、http://bright-ms.net/?p=1097というサイトからの引用である。重要な部分を抜粋したので、どれもこれも太字で真っ黒になってしまった。

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ダブルバインド・パターンのコミュニケーション環境だと、相当なストレス、脳への負担がかかり続けることが予想される。

心が拘束される。無意識で他者の汚物感情を背負わされる約2割の人は「溜め込んでしまうようにされている」 嘘や事実の歪曲、潜在意識(無意識)への無数の刷り込み、思い込み、などが入り乱れてのスケープゴートです。

本人も気づいていないことが多い

ダブルバインド(二重拘束)は、ほとんどが無意識で行われているので、やっている本人も気づいていません。なので、自分の無意識に責任を持つ必要があるのです。巧妙になればなるほど理解されず、抜け出しにくいのです。

心を監禁してはいけない

ダブルバインド(二重拘束)で心に手錠をかける側の特徴として、表面上はモラルを振りかざすので良い人だと言われやすいけど、よく話を聞くと矛盾をよく発すること、妄想が強いことがある

ダブルバインドをする人の改善

ダブルバインドをする人が改善されるには「意識」と「無意識」で矛盾が多い事に気づくことが大事だと思います。「意識」で発するメッセージと「無意識」で発するメッセージに矛盾が多いので、本人が自覚していないことが殆どです。本人が自分の矛盾したメッセージを発している部分に自覚することが必要です。

ダブルバインドは「連鎖」していく事がありますので「矛盾したメッセージを受け取らず、そして、流さず」を大切にしていく事も必要です。

ミルトン・エリクソンはダブルバインドをプラスに使ったそうです。「治療的ダブルバインド(therapeutic double bind)はダブルバインドを積極的に利用することで精神治療に役立てようとするもの。矛盾する指示に対する二者択一的な状況に、相手を置く点では通常のダブルバインドと同じであるが、そのどちらを選んでもよい結果となる(勝つ)ようにする点が異なる。ミルトン・エリクソンが提唱した。」

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【ダブルバインドの連鎖】

社会→ 青い芝の会やその他、差別をされる人達の運動団体(被害者かつ加害者) → 母(被害者かつ加害者) → 私(被害者/加害をしないようにする)

※先にも書いたが、団体や個人のやること ということ以前に、日本社会がものすごいダブルバインドで溢れ返った国だということは特記しておく。

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私はようやく、とても長い苦難の末に、母が私にしてきたこと の核心に辿り着くことができた(と思っている)誠実で、低俗さがまったく漂わず気高く超然としていて、弱者の団体にとことん寄り添い献身する母だから、まさかその毒性を疑うべきとは思うことができず、苦悩はここまで長引いてしまった。

辿り着いた核心は、間違ってないと思ってる。意識と無意識の矛盾については、ずっと前から、私が感じてきたことである。これは母だけではない。人の、本人に自覚がない意識と無意識の矛盾を目の当たりにすると、頭痛がしてきた。いい人ぶってる やさしい人ぶってるけど、患者を下に見ている医療従事者とかに遭うと。そういう人は、取り繕った体裁でも、その上から目線が漏れている。

私は、青い芝の会の要綱 を習って、ここに宣言することにする。

私は、自分の幸福な瞬間を求めることをためらわない。

この宣言の背後には、たくさんの経緯と思慮がある。でも、それを但し書きすることはしないでおこう。いい所どりだけしてくる安直な人間には、勘違いを誘発するのでこの短い宣言を読んで欲しくないのだが、今までに心に手錠をかけさせられてきた人なら、この宣言を見ても、拙劣なはき違えをしたりはしないだろう。

 

 


変性意識を解き放つ

2017-08-27 | 毒親育ち

母は、私が 変性意識状態 になるのを なにかとやっきに 潰してきた

日常から浮ついた意識は 泡沫(うたかた)のまやかしなんだ 地に足をつけて生活せよ と

私が変性意識状態になると 例えば、恋を謳歌している時 官能的な音楽に魅了されている時期 毎日が楽しくてしかたない時 などに 冷笑ぎみに 浮ついた状態だと こきおろしてきた そしてルーチンワーク ルーチンワーク と諭した まるで自分は、普遍の正しい日常意識 を知っている かのように

常に「じゃがいもを喰う人々」でいることを要求されてきた

元来、変性意識に入りやすく、それが大好きな私は、変性意識状態は悪いものとして、罪悪感をもち自分で禁じるようになった 

そして、生活者としての実用だけを目的に、地味でなんの特徴もない服・靴を買うようになった 全然可愛いとか素敵だとか思わないのに、わざとのように地味な服を着ていた 

でも今なら言える

日常の営みを回している、面白くもなんともない、地に足のついた意識 と母が思っているそれも、刷り込みによる思い込みであり 心理の産物であり

それだけを着実なるものとし、そうでない意識をまやかしとするのは 随分と乱暴な理屈だ って

どうして、同じく対等のものを こんなにも恣意的に取捨選択し差別するの? 

外国の生活文化を学べば、日本での常識・当たり前は、外国ではまったく違うということがわかる。日本の常識と逆 のことだってある

変性意識には 日常のあらゆるシーンで入ることができる  

そう思っていない人達が、都会に沸いてきて、必死にいきんで道を闊歩する女たち である。彼女たちの極端な気負いは、テンション&リリースを露呈していて 私にはとてもださく見える 

大人になった私は、変性意識を 今度は 自信をもって 謳歌できる

また変性意識に入ることを 自分で導いたり することができる

 


祝福

2017-08-26 | 毒親育ち

母の思想信条を私で体現しようとされてきたことを、先の記事で書いてきた。

子を祝福しない母

まさに彼女が私にやってきたことを表現する言葉

その裏には、おかしな慣習、価値観に加担することを拒否する 彼女の思想がある

私が容姿を褒められると「あなたは美人ではない」と必ず否定してきたのも、「容姿を云々して差別する低俗な風潮に加担して欲しくないから」 と言った。でも、その容姿の評価基準を人一倍厳密にふりかざして私を否定している。あなたが容姿評価の最高判事じゃないか と、大人になった私が言うと、返す言葉なかったようだ。二重拘束(ダブルバインド)が多い母である。私の境界を土足で侵害しながら 彼女は個人主義を求めそのスタイルで自らやってると思ってるところとか。

母は、社会への思想信条という大義名分で、私が幸福になることを否定し続ける

その時の理由づけは、頭のいい母だから、あまりにも巧妙で崇高で超然としていて、私はそのおかしさを見抜けなかった 母は正しい って計り知れない影響を受けてきた 私はあまり頭がきれるタイプじゃない カモフラージュの理由づけで行う、尤もらしい行為 だけど無意識を覗けば、彼女の強い意図 感情の塊 すなわち 植え付けられた罪の意識による贖罪(償い)を私への「自虐」でしようとする感情 それだったのだ。

私は、こんなを望みをずっと抱いている

私の愛する人には、母よりももっとずっと頭のいい人 でいて欲しい 

私がスポットライトを浴びた時には、祝福して欲しい

こんな、子どもの様な憧れを、抱いている 祝福されたことが、ないのだから、許して欲しい

ずっと、不思議だった。どうして、私のことを愛してくれる男性と その男性のことを愛する私と 母 この三人揃うとこんなにもいたたまれず不快なのか。

今ここで感じていることを日頃交わし合っている、官能をもった関係の 私とその男性 そこに母が入ると ものすごくその場から去りたくなるのだ。それは切羽詰まったもので、1秒でもいられない そんな感じだった。それは、私がまだ母の絶大な影響下にいたからこそ、そうだったのであり、もし母から自由になっていれば、そんな風にはならないだろう。

私は母の影響下にいて、耐えられずにその男性から逃げた。その男性が、私とのvibrationの交わりを信じて追いかけて来ても、なお逃げていたから、「あ、っそ そうだったんだ」ってなって去って行った。信じていいのはその男性の方だったのに、私は母の方をdeforte だと思っていたのだ。私にやさしくない母なのに、そっちに操を捧げてきた。この強力な支配はなんなのか 母の存在の娘への支配はよく言われていることだ。

 


母の「強い意図」の核心にあるもの

2017-08-25 | 毒親育ち

彼女は、大学まで、色んな面で恵まれて歩んできた。頭も良い、可愛い、運動神経もいい、アイドル的存在、先生や大人たちのお気に入り(リア充だねw)そしてそのことに安住する低俗な女とは違い、哲学的な思索にふける少女 油絵を描く芸術家… その油絵、上手だしすごく素敵だしとてもいいと思う でも本人は学生時代に「私の描く絵は中身がない」と痛烈に思い悩んだそうだ。学生運動のさなか、差別を受ける人達の様々な運動団体、特に脳性まひの団体に出会って「自分が今まで知らないうちに 社会的弱者を虐げてきた ことに気づいて、衝撃的なターニングポイントとなり」、運動に精力的に投身するようになったそうだ。母はそれまでのリア充の自分を捨て、弱者の立場にいる人達に徹底的に寄り添い支援するようになった。

その自虐的な原罪意識における罪を、娘の私を否定し自虐することで償おうとした そんな心理が核心から遠からず なのかもしれない。母に似た私は、母と同じ社会における「武器」を受け継いだ。いわゆるリア充要素である。それを、母の罪の意識、懺悔意識によって、ことごとく否定されてきた これが、ことの核心だと考えていいと思う。頑なさ 硬直の源は、思想信条 への献身 自分はそれに矛盾しないと示しをつける意地なんだろう。自己批判 という考えに当時出会ったことを話していた。私は、その思想についてなにか言える程の知識がないし、思想を非難したいんじゃない。子育てにおける毒の話をしているのである。心理学における境界の話になると思う。

母はその頃知り合った、新進気鋭の運動家と恋におちたが、両親の猛烈な反対により結ばれず、堕胎して、別の運動家の男(私の父)の求婚で、断り続けたものの、彼が熱心だったので結婚したのである。(でも幸せな家庭は築けなかった…)

母の人生は、フランスの女性運動家のようにとてもドラマチックなものであるが、娘の私を否定 自虐 することで、自分の原罪意識を処理し続けたことは、甚だしい過ち、大罪である。母は、私やきょうだいが勝者の立場にならないように仕向けた。運動をしながら、自分の子に関しては勝者になって欲しいと思ってる普通の親とは違うんだと頑固に示してる。「勝てる者」「持てる者」になる行為を、頑なに拒否して教育され、私もきょうだいもみな、その通りになってる。 

革命家には子供は要らない と言った革命家がいた

自分の子どもの幸福で満たされた経験よりも、社会運動が大事なら、子をもつべきではないだろう

と言ったら、なんて言ったと思う?「そうかも知れないね」って言った。どこまでも子供を傷つけることに躊躇いがなくコケにするって 書いた意味がわかるかな

社会運動に献身する親の子どもが、精神を病む例は、けっこう聞くことがある。統合失調症とか。社会を変える運動をしながら、残念な社会の中で子供を育てることは、心理学的な配慮が必要である

世の中の主流とそれに異を唱える少数派 どちらが素晴らしいかに関わらず、いずれにせよ子どもはその板挟みの中で、心理的な葛藤 混乱 小さな脳みそでキリキリと処理する調整作業 を絶えず経験する 子は、良くも悪くも、自分がいる共同体、社会から学ぶのである。

私だってこの社会が大嫌い 元々優秀な母と違って、虐げられてきた弱者の当事者である。(私の人生がいじめられ役であり続けたのは、母親に起因するような気がするが)

主流に反対するならば、「日本の教育の海に子を投げ込むことに強い不安がある」と言ったアグネス・チャンのように、違う環境の中で育てるのが一番いいだろう。それが難しければ、この社会の中で、おかしいと思いながら、子どもを育てるなら、もっと子どもに対して思慮深く有能にやるべきなんだ。

 


思想信条を子で体現しようとする母ー子を祝福しない母ー

2017-08-25 | 毒親育ち

保育園では、女児はみな目一杯「女の子」らしいレースやひらひらのついたピンクの靴下や水着を着る中、私だけが家にあったごぼう色やくすんだ紺色の靴下を履かされ、家にあったパーマンの弁当箱を持って行かされ、とても恥ずかしくいたたまれない思いをした。母が、変な習慣に加担したくないという信条があった。全ての私の持ち物がその調子で、私はshameー恥辱ーを感じていた。「これ誰の~?男の子」と保育士にみんなの前で言われた時、名乗り出ることができなかったことが何回もある。(これは、周りがみんな同色一辺倒でなかったら、あるいは教養のない保育士でなかったら、きっと、それでよかったのだ。好みでなくとも、堂々と普通にできただろう。でも、みんなが(先生までも)同色一辺倒な中、1人違うことをさせられて、思慮のないことを平気で言われるから、辛くてたまらなかったのだ)

小学校の時、お誕生日会を自宅で開いた時、母は私たちのために食事やおやつの準備をして持ってきてくれはしなかった。パーティの部屋と台所を、行ったり来たりして自分で支度をしなければならなかった。会の途中で、「●●さん、カレーの鍋が沸いてますよ」と台所から母が言ってきて、私は「はーい」と言って台所にルーを入れに行ったり、その「普通じゃない」様子に引いて戸惑っている招待客たちの前で、私は恥ずかしさ、みじめったらしさを隠して、平気なふりしてやっていた。「て、手伝うよ。」と招待客に言われたことを記憶してる。

ピアノの発表会に、友人たちが見に来てくれることになった時も、母が厳格にルールを要求して来て、「プレゼントは一切持ってこないこと」とか他にも約束を書いた紙を、自分で書いて配らされて、ある子から、「なんか、迷惑そうだから、行くのは遠慮しとくね」と言われて哀しかったことを覚えている。私が、発表会で花束とか貰うのが、いけないことなんだって思った。出演者たちが晴れ舞台で盛装している中、私は普段着で行かされた。先生は怒りを抑えられない様子で私を見た。それ以来、針のむしろのように辛く当たられ続けた。

私はどんな場面でも、その調子で、周りとの不協和音を強いられた。またどんな場面でも、「じゃがいもを喰う人々」であることを要求された。(ゴッホのこの絵大好きだけど、例え)

今これ書いてると、完全に母からのいじめみたいだね。白雪姫の継母は、原話では実母だったそうだ。でも、母性神話の都合から、継母に変えられたそうだ。ただ、母の私への否定は、世にありがちだと言われる 娘への嫉妬 という単純なものでもない。

私が、スポットライトを浴びるのを 特別で幸福な1日を過ごすのを、頑なに阻止している ように見える。子を祝福することを頑なに拒む母。どうして? 母によると、おおざっぱに言うと、母の思想信条に反する というものだった(※その社会思想を批判するものではない。母の、難解な心理の話をしている。)

 


頑なさ 硬直の裏には何がある

2017-08-24 | 毒親育ち

私は、母が口でインテリジェントに言う巧妙に整然とした言葉のいばらをかいくぐり、

私への否定 

という強い意図 という真実に辿り着いた。本人がいくら認めなくても、やってることを集めて俯瞰して見たらそれは明白なことである。

強い意図 ―強い― ここに硬直性 頑なさ がある。これは、紐をピンと張ったような、テンション(緊張)に例えられる。これが、不自然さを既に物語っているよう。

私はこの難問を解きたい。猛毒を放つ親だという悲嘆は、ある程度まで十分にやったら、いつまでもはしていられない。

母の、この頑なさ 硬直性 は、いったいどこから来るのか

自分の損得勘定で動かず、社会を変える運動に献身し続けている。今でも。(※社会運動を批判するものではない。この日本社会がクソなのは私こそが常に言ってるw)

でも、ちょっと変

どうして、家族、そばにいる人と、今ここで感じていること、バイブレーションを互いに交わそうとせずに、駆り立てられるように社会活動ばかりやるの?

母は、どうして、娘の私を 反射的に否定する という無意識の意図があるんだろう

 


無意識をとらえると、母の超然性は崩れてくる

2017-08-24 | 毒親育ち

(続き)

その知的な佇まいで真実が隠されてきたが、実際には 私への否定 という強い意図 感情の塊 に突き動かされている、猛毒女であったと思う。そんな風には全く見えないのに。頭がいい優秀な彼女だから、巧妙に、本人さえも無自覚にやっていた。

哀しい。

この発見をさせたのは、私がA君に愛情をもったことだ。守ってあげたい、庇いたい、傷つけたくない 今この子が感じていることを認めてあげたい 心の襞に沿った対応をしたい という意図をもったから。

すると、母がその逆であること を突きつけられるのである。私のA君への意図は、おおらかでやわらかく、強い意図ではない。母のは強い意図であり、頑なさ、テンション(緊張)がある。

心理学の分野になるが、この意図は、反射的、自動的なもので、その強力な無意識に動かされていることに、本人さえ自覚していない。でも私は、その無意識に気づいた。頭がいい人ほど、尤もらしい理屈をこねて、やり方は巧妙になって、本当のことを迷宮入りさせる

どうして、母は私を反射的に否定する 強い意図を もっているのだろう。

昔、母に「どうして、私のやろうとすることを、必ず挫いてくるの?」と言うと、「そうじゃない、応援してるのよ。あなたがやろうとすることを実現可能にするために、(不安要素をなくそうと詰めて)確かめている」そんな内容のことを言った。母は、口では「実現するために」と言いながら、やってることは、私のわくわくした気持ち、意欲を挫いているだけだった。それは、母が「あなたにはできない」と思っているからであった。もし、本当に応援しているなら、違った態度になるだろう。母は、口では応援してると言いながら、意地悪く、潰しにかかっている それだけのことだった。それは無意識だから、本人には自覚がなく、あくまでも私の為 と言うのである。

また、母の矛盾にも気づくようになった。知的で超然とした話し方だから、気づきにくいけれど。例えば、既存の価値観といつも闘っている彼女の中にこそ、それが深く刷り込まれていて、その価値観において人一倍の厳密さで物を見る。例えば、私が容姿を「綺麗」「美人」と言われると、その場でも家でも「美人風に見えるのね」「あなたは美人ではないけどね」と必ずくさして「わからせて」くる。今まで何度もあった。(母は若い頃、とても可愛く、みんなのアイドルだったと親戚が言う)人の容姿の優劣をどうこういう大衆的な低俗さと距離を置く超然とした人のはずなのに、誰よりも厳密な基準をふりかざし、わざわざ否定してくる。私は、母の言葉は本当のことなんだと思ってきた。すると不思議がって「自信もっていいんやで」と言う人が何人かいた。

家では、母からの無神経でやさしくない発言 は当たり前のことで、私はそれを受け容れてきたのだけど、高校時代に遊びに来た友人がびっくりして、後で「●●のお母さんって、いつもあんなこと言うの?」って心配げに言ったことがあった。

また、ジェンダー問題を勉強し取り組んでいる人なのに、母自身にジェンダー意識が刷り込まれていることに、気づいてない。洗濯・掃除・炊事など子どもの頃から私には期待・要求するのに、男きょうだいはしなくていいという意識があった。他にも、日本の常識を批判しているはずなのに、人一倍その常識において完璧な行動をして、私のやり方を「非常識」と言ったりする。

母のやってることって、ダブルバインド(二重拘束)じゃない?

私は、母を見てると頭痛がする。意識の上では、一貫したスタンスである。理路整然、正義、社会思想、反差別、品位、高潔、知性…でも、どうしてなのか、彼女と話すと苦痛で、温かみと逆のものばかり感じる。彼女は娘の私には、無意識の、強い意図 感情の塊 に突き動かされているだけだったのだ。頭がいいから周到な理由づけをして。

世にうようよいるらしい、あからさまにひどい親とは全く違う。でも、その巧妙な偽装(カモフラージュ)ゆえに、私には猛毒だったと思う。私を苦しめ続けたブラックジョーカーが、母 だった ことを突き止めると、戦慄をおぼえる。

以前、母のことが捉え難く、占いに手を出した。その占いでは、母の分類の蟹座のなんとかは、「意地が悪い、陰湿」「人の1番傷つくことを言う天才」として「当たってる」と2chで騒がれていた。私も「当たってる」…と思ったw。 知性と寝たような超然主義にしては、私の1番傷つく言葉を反射的に言う能力が半端ないのである。あくまでも、仙人面して。天然のKYじゃなくて、狙って確信犯としてやってる。その脳内速度が速過ぎて、本人が自覚してないだけで。

人を動かすのは、強力な無意識の意図なのである。(続く)

 


今この時に感じていることーvibrationーの交わり

2017-08-24 | 毒親育ち

母は、社会運動に献身する人であった。今でも毎日出かけて活動している。(母のことを書いているが、これは社会運動を批判するものではないことを特記しておく。)

母に官能がない と書いた。これは、「今この時に相手が感じていることを感じ取り、それを包み込もうとする意図」 という意味で書いた。母としての愛情がない と一般的には言えると思う。母は自分に子どもへの愛情がないつもりはないし、その通りだろうと思う。でも、私は、愛情からくる官能を、母から感じたことがなかった。私が今ここで感じていることをことごとく無視されてきた。私は、今ここで感じていることを、ないがしろにすることを学び、習得した。

東京に住んでた頃、母が訪れに来た。混雑する中、地下鉄の改札口を通って、慣れない旅行者の母に次の方向を素早く導こうと(ボヤボヤしてたらわざと攻撃してくる意地の悪い女とかいるから)、腕をふんわり掴んでこっちと誘導すると、母は硬質に反応して、抗議するような嫌がる声を発してその手を振り払った。痴漢を振り払うみたいに。私のことが、すごく鬱陶しいみたいに。私が彼女の「身体の自由を侵害している」みたいに。本当にびっくりする。そして、傷つく。私は、母への親しみと愛情をこめて、そっと腕をとったのに…。こういった類のことは数えきれない程ある。鉄のような人

私は私と同じく自閉症スペクトラム、ADHDと診断されているI君に対して愛情を抱いている。すると、自ずと、I君の感じていることを包み込もうとする欲求をもつ。当たっているかわからない 外れているかもしれないけど、その子の感じていることを包み込んであげたいと、無意識に、自動的に、思うのである。それは、その子を守ってあげたい 庇いたい という気持ち=愛情に由来する。

母親だったら、これをもつものと思うが、私の母には、そういうのを、まったく感じたことがない。母と接すると、頭痛がする。

子の気持ちを傷つけることに躊躇(ためら)いがない、論理をカミソリのように駆使して平気でコケにしてくる、ひどい無神経 呆気にとられる他の母親たち…そういう経験を幼少からしてきた。子どもは、自分がコケにされることを、正当だと思うようになる。嫌がらせされても、そのことに鈍感になってしまう。自分で自分を守る能力を身につけないで大人になってしまう。

母と話す時は私は法廷の弁護士のように、弁論を闘わせないといけない。

母が、私の気持ちを完全に無視して、論理、正義、そういう四角いもので話す。私は、その土俵に乗って、弁論を闘わせてきた。でも、最近はそのこと自体が異常だと思っている。そういうことを家でしたくない。家は、温かい、巣であることを望んでいる。「私は機械じゃない」「か弱いナイーブな人間だ」「私は弁護士じゃない」と言ってる。こんなことを、泣きながら子どもに言わせる人。こんなに母親として無能な女がいるものかと思う。それでも、母の態度は変わらない。

また、母は、論理や正義や知性と寝たかのように、私の気持ちを無視して話をするが、最近気づいたのが、母が、本人にも気づかない無意識の目的 に動かされている ということである。その無意識の目的は、強い意図である。それは、とても哀しいことだけど、今これを書いてて泣けてくるのだけど、

私への否定 

であった。母は、論理や正義や知性で、そのことを認めない。でも、彼女が私にやってきたこと、今でもやっていることを見ると、私への否定 という目的が、そこにあることは、疑いようのない答えである。それは、自動的、反射的、無意識で、母に自覚がないのである。

私は、長い道のりの末、この真実に辿りつき、どうしていいのかわからない。

母は、これを認めない。でも、この 強い意図 はすべてを説明するに足りるのである。どうして、母からは硬直 頑なさ を感じ 温かさがないのか 頭痛がするのか。(続く)

 


官能

2017-08-23 | 毒親育ち

このことに共感する人はいるだろうか。

私は、大人になった今でさえ、母のことがひどく捉え難い。

教養があり、知性があり、尊敬できる、日本にあまりいないタイプの素晴らしい女性である。これは誰もが同じ感想だ。浅ましい損得勘定では動かない人。社会の為に活動する人。

でも、私にとっては猛毒を放つ親であった。

母からは、鋼鉄の匂いがして 温かみを感じない。私を、守ってくれる、庇ってくれる 絶対的な味方というのが幼少期からない。

脳性まひの2人暮らしの運動家夫婦の所には足繁く通って無償で介護し、尽くす。他にも、差別をされる人達の運動に携わり、徹底的に寄り添い擁護するのに、私には、温かみをくれない。

私は、母と話すと楽しくない。「私は機械じゃない」っていつも言ってる。教養や知性は大事、でも、私はか弱い血の通った人間であることを、母は認めてくれない。人のナイーブさを、包容してそれに応えない、鋼鉄のような女。母から、母性をまったく感じない。

母と話すと、私は法廷での弁護士のように、論理を闘わせないといけない。

母と話しても議論にしかならず、頭痛がして、やすらぎや癒しや安心がない。子どもの繊細なやわらかな気持ちを汲み取らず、傷つけることに躊躇いがない母親。私は、自分の気持ちをすべて、あけっぴろげに身も蓋もなく言葉化して説明しないといけない。その惨めさったらない。子どもの私にそこまでさせ、しかもそれでも伝わらず、相変わらず鋼鉄のような母のままである。世に揶揄される「アスペ」なのは私ではなく、母だとよく思うのだ。

とても知的で知識が深く優秀な人なのに、子の気持ちを平気で逆撫でしズタズタにコケにする。しばしば、その無神経さに周囲の人が唖然としていた。

こんな感じ それ以外では、バランスよく高い能力を発達させているのに、それだけ甚だしく欠いている そしてそれは、なくてはならない物。

普通の、学のない女性で、気持ちを汲み取って応えてくれるおばちゃんはたくさん知ってる。学はなくても温かみがある。電車の中でも、何も話していないのに、少しそういう心の襞の通い合いがあったりする。もちろん男でもそれはある。

これを、なんと言うのかとずっと探してきた。そして、多分これだと思う。

官能

そして、これがない母は、無能である。(続く)