ダブルバインド(Double bind)とは、
ある人が、メッセージとメタメッセージが矛盾するコミュニケーション状況におかれること。 この用語はグレゴリー・ベイトソン(アメリカ合衆国の文化人類学・精神医学などの研究者)による造語である。その矛盾を相手に指摘できないまま、相手に応答せざるを得ないような状態を作ることである。家族内コミュニケーションがダブルバインド・パターンであると、その状況におかれた人が統合失調症に似た症状を示すようになる と。
この偉大な発見をしてくれたベイトソン博士に感謝している。ただ、日本の社会自体がダブルバインドだらけなんだけど…家庭内っていうか。ダブルバインドがない場所が、日本のどこにあるんだよwみたいな。
以下、http://bright-ms.net/?p=1097というサイトからの引用である。重要な部分を抜粋したので、どれもこれも太字で真っ黒になってしまった。
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ダブルバインド・パターンのコミュニケーション環境だと、相当なストレス、脳への負担がかかり続けることが予想される。
心が拘束される。無意識で他者の汚物感情を背負わされる約2割の人は「溜め込んでしまうようにされている」 嘘や事実の歪曲、潜在意識(無意識)への無数の刷り込み、思い込み、などが入り乱れてのスケープゴートです。
本人も気づいていないことが多い
ダブルバインド(二重拘束)は、ほとんどが無意識で行われているので、やっている本人も気づいていません。なので、自分の無意識に責任を持つ必要があるのです。巧妙になればなるほど理解されず、抜け出しにくいのです。
心を監禁してはいけない
ダブルバインド(二重拘束)で心に手錠をかける側の特徴として、表面上はモラルを振りかざすので良い人だと言われやすいけど、よく話を聞くと矛盾をよく発すること、妄想が強いことがある
ダブルバインドをする人の改善
ダブルバインドをする人が改善されるには「意識」と「無意識」で矛盾が多い事に気づくことが大事だと思います。「意識」で発するメッセージと「無意識」で発するメッセージに矛盾が多いので、本人が自覚していないことが殆どです。本人が自分の矛盾したメッセージを発している部分に自覚することが必要です。
ダブルバインドは「連鎖」していく事がありますので「矛盾したメッセージを受け取らず、そして、流さず」を大切にしていく事も必要です。
ミルトン・エリクソンはダブルバインドをプラスに使ったそうです。「治療的ダブルバインド(therapeutic double bind)はダブルバインドを積極的に利用することで精神治療に役立てようとするもの。矛盾する指示に対する二者択一的な状況に、相手を置く点では通常のダブルバインドと同じであるが、そのどちらを選んでもよい結果となる(勝つ)ようにする点が異なる。ミルトン・エリクソンが提唱した。」
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【ダブルバインドの連鎖】
社会→ 青い芝の会やその他、差別をされる人達の運動団体(被害者かつ加害者) → 母(被害者かつ加害者) → 私(被害者/加害をしないようにする)
※先にも書いたが、団体や個人のやること ということ以前に、日本社会がものすごいダブルバインドで溢れ返った国だということは特記しておく。
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私はようやく、とても長い苦難の末に、母が私にしてきたこと の核心に辿り着くことができた(と思っている)誠実で、低俗さがまったく漂わず気高く超然としていて、弱者の団体にとことん寄り添い献身する母だから、まさかその毒性を疑うべきとは思うことができず、苦悩はここまで長引いてしまった。
辿り着いた核心は、間違ってないと思ってる。意識と無意識の矛盾については、ずっと前から、私が感じてきたことである。これは母だけではない。人の、本人に自覚がない意識と無意識の矛盾を目の当たりにすると、頭痛がしてきた。いい人ぶってる やさしい人ぶってるけど、患者を下に見ている医療従事者とかに遭うと。そういう人は、取り繕った体裁でも、その上から目線が漏れている。
私は、青い芝の会の要綱 を習って、ここに宣言することにする。
私は、自分の幸福な瞬間を求めることをためらわない。
この宣言の背後には、たくさんの経緯と思慮がある。でも、それを但し書きすることはしないでおこう。いい所どりだけしてくる安直な人間には、勘違いを誘発するのでこの短い宣言を読んで欲しくないのだが、今までに心に手錠をかけさせられてきた人なら、この宣言を見ても、拙劣なはき違えをしたりはしないだろう。