My Life

わかりにくいタイプの毒親育ちです。これまでの人生の整理とこれからの新しい人生の為に。同じような親をもつ誰かの為に。

青い芝の会の犠牲になった家族

2017-07-07 | 青い芝の会の犠牲になった家族

私が話したのは、青い芝の会のことである。

(この記事は、連続で投稿した前回の記事と重複する部分が多々あります)

母は、この団体のリーダーであった中山とその妻杉本(両方とも重度脳性まひ)の介護を無償でし続けていた。

障害者は家族が介護をするのがふつうであるが、かれらはそれを拒否し、家を飛び出して、重度脳性まひ同士で結婚し、2人暮らしを強行したのである。これは、激しい運動の1つである。

私の家族は当時7人暮らしだった。父・母・母方の祖母・4人のきょうだいである。家庭内は、平和・穏やかとはとても言えない、不穏で不調和なものであった。母は、激務の職業をしていた。父は都会から来た高学歴エリートで、田舎に婿入りして不適応であった。祖母とも折り合いが悪く、互いに大変居心地の悪い関係であった。また弟は超未熟児で生まれ、視覚障害があり、そのせいか知能も低かった。また私は発達障害(自閉症スペクトラムとADHD)を大人になって診断されたのだが、本当にそうなのかは自分でもわからない。機能不全家族で育つと、脳の機能に深刻なダメージを受け発達障害を呈する(第4の発達障害)ことは、近年広まっている研究報告である。私は、これに該当するのではないかと思っている。しかし、父の家系にも心当たりが随分あるので先天的な遺伝による障害である可能性も高い。

そんな家庭状況の中、母は中山と杉本の、障害者運動に献身していた。かれらはうちの家族構成はもちろん、母の激務の職業やそれにまつわる多忙な活動も知っていたし、家庭内の状況もだいたいは知っていた。それなのに母を最も頻繁に呼び出して介護を要請していた。ほかの支援者たちが断るのを、母が被ってきた。誰かがやらないと、かれらは膀胱炎になるし、垂れ流すし、死に至る可能性だってある。そういう状況を、かれらが2人暮らしを強行して作ったのだ。私は子供の頃なんども、晩に杉本や中山から電話がかかってくる(介護の要請)のを取り次いだ。かれらは私に「○○ちゃん」と親しみ深く呼び、「お母さんに代わって」と言った。いったい、どういうつもりでそんなことができるのだろうと、今思う。あなたは、私の母を、いつもいつも奪って、私たちは哀しくて、苦しくて 当惑して 所在なくしているんだよ、それなのに、私に親しみ込めて名前を呼ぶのは、どういうつもりなのか。

中山も、杉本も、母のことを慕い互いに「仲間」と言っていた。でも、私は思う。仲間じゃない
あなたたちは、母に何をしてあげた?母をぞうきんのようにこき使い、パン1個でもそうめん1杯でも代金をビンに入れろと言って要求した運動家のあなたたちは、金と時間とエネルギーを使って献身・支援した母になにをしてあげた?過酷な肉体労働の風呂入れでぎっくり腰になっても治療費は自腹、ガソリン代も自腹、ついでに食べた粗末な食事も自腹。

私は、かれらの言い分とそれを擁護する母に、猛烈に歯ぎしりを覚える。青い芝の言い分に、歯ぎしりを覚える。それは、私たち家族がかれらの激しい運動の犠牲になったからだ。

青い芝の中山も杉本も、母やその他の支援者を利用し搾取し、支援を求め、高尚な精神を求める。でもかれらは、母やその他支援者とその家族たちの幸福、平穏無事な生活になんの関心も持っていない。この甚だ不均衡な構図は企業や政治や、流行、カルトに言えることだが、そのどれよりもその理不尽な暴力性が群を抜いている。ブラック企業でも、賃金は少しくれるもの。ヤマギシでも、衣食住はできるもの。青い芝の運動の甚だしい一方的な要求。かれらの言い分では、障害者たちは今までずっと一方的に健常者に虐げられてきた だからこちらも一方的にやるんだ 闘いなんだというものである。その運動のせいで、私たち家族がどれだけ苦しみ続けてきたか。

私たち家族は、青い芝の過激な運動の犠牲になった。

精神面での大きな弊害が一番大きい。私は、ふつうに思うことを正しくない 間違っている と思ってかれらのやっていることを庇うという処理をずっとしてきた。とても深い考えがあって、そのためなら、私たちが哀しいとか行かないでとか苦しい おかしいと思うのは、とるにたらないこと 正しくない 間違ってる もっと大事なことが他にある というメッセージを強烈に受け止めながら育った。このことは、私の脳や心の発達において、深刻なダメージを残した。


・障害者の家族は一切介護しないのに、赤の他人の母たち支援者が、無償で介護をさせられることへの疑問→子殺しの歴史を持ち出して、「障害者は家族でみろというその発想が悲劇を生む」と言う 赤の他人の家族に甚大な悲劇が生まれています

・なぜ、ただで赤の他人の介護を母が背負わないといけないのか。なぜ母が呼び出され時間かまわず車で片道50分の距離を往復して無償で介護しに生き続けるのか ガソリン代も ぎっくり腰も自腹、パン1個も自腹 →誰がやってもいいことなのに近所の人たちがしないから、やってる と言う そんな余裕のある人が、またかれらの脳性まひ2人暮らしに納得する人が、日本のどこにいると言うのだ
※支援者の中でも、上手に断る人たちがでてきた。「忙しい」とか言って。母と同じくらい激務の職業の女性はあまりおめにかからないが、母が、それらの断られた介護を引き受けて背負ってきた

・かれらのやってることはあまりにも非常識すぎるだろう→健常者の「常識」が、障害者を排除してきた。常識と闘っている

・かれらのやってることは迷惑だ→迷惑じゃない 障害者が生きて行くのが迷惑なのか と母は擁護


この調子で、なにを言っても母はかれらを擁護して「高尚な考え」で返してくるのであった


母は、かれらの闘いを見せ理解させるために私をあの臭い家に連れて行って色々と手伝いをさせた。居間の壁には青い芝の要綱が貼ってあった。当時子供だった私は、母のことを正しいと思うしかなかったので(他に私に道はあった?)そこで見たすべてのことを肯定していた。

今、大人になって、私は母の願いとは全く逆になった。私は、かれらが早くに死んでくれていたらよかったのにと思っている。それほど、かれらのやったことは、私や家族に深く犠牲を強いたのである。

私はいまでも、あの時に根付いた精神・思考回路における弊害に苦しみ脱出しようとしている。

暴力的な論理を、正しいと思うしかなかったこと、ありのままの気持ちを自分で否定する癖、ありのままの感性を否定する癖 常に得たいの知れない正しさを優先されたことそして自分にもそれを強いる癖ができたこと 自分の幸福を追求することはいけないことだと罪悪感を抱くようになったこと 自分の境界を侵害され続けたこと 境界がわからなくなったこと 自分の権限を行使していいとわからなくなったこと そのせいで攻撃の対象にされやすいこと 単純明快な論理がわからなくなったこと

私は、青い芝の運動によって、おかしくなった思考回路を回復させている途上にいる。

 



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