母が、無意識に私の幸福を邪魔する心理の核心は、前の記事に書いた。これは、間違ってはいないと思う。
この結論をもっと奥まで進むこともできるだろう。
母の遺伝子を顕著に受け継いだ私だからこそ、他のきょうだいよりも私を無意識に執拗に攻撃し続けたのである。リア充お嬢さんだった母は、「自分が今まで知らないうちに 社会的弱者を虐げてきた ことに気づいて、衝撃的なターニングポイントとなり」、運動に精力的に投身するようになったのだが、運動体(差別を受ける社会的弱者の団体。主に、脳性まひの団体「青い芝の会」)によって植え付けられた原罪意識によって、自分およびその要素を多く受け継いだ娘の私を「自虐」することで、贖罪(償い)をし続けた。ターニングポイント以前の自分を頑なに否定(自己批判)するだけでなく、その自分を私に投影し、私をも否定し続けた のである。
ユング心理学の「ペルソナ」「シャドウ」理論によると、人は必ず「光と影」の両面を持つ。「光」がペルソナだとすれば、「影」がシャドウ。認めたくない自分だそうだ。私に、母のシャドウを見て、攻撃し続けた それが、彼女が無意識にし続けたことである。
母のペルソナは強靭で、一見まったく隙がなく、超然としているため、本当に起こっていることがわからないまま、私の苦しみは続いた。無意識だから、彼女も自覚がなく、頭のいい母だから、巧妙に理由づけ(カモフラージュ)してきた。シャドウと向き合い、統合することで人間は精神的に成長し成熟すると言われているが、母はそれができていない、未熟な人間である ということになる。
ずっと認めないできた母の毒性に注目させたのは、カモフラージュさせなかったのは、やはり思考ではなく、feeling(感受性)であった。頭では、騙され続けていた。だって母は、その優秀な頭脳ゆえ、自らをも巧妙に騙し続けていたのだから。そんなに頭のよくない私が、なぜ気づいたのか。それは、私の感受性が嘘つかなかったから。
超然として、知性があり、論理的で、弱者に徹底的に寄り添い擁護し支援して、社会的に尊敬されている母なのに
私にはやさしくない 私は母といると楽しくない 頭痛がする 鉄の匂いがする 硬直 頑な 冷たい 拒絶的 温かみがない 愛情が感じられない 私の大切な瞬間に、母にはいて欲しくない
そんなfeelingに、向き合ってみたから真実に近づいた。素晴らしい親が、娘をこんなにも苦しめ続けるわけがない 傷つけ続けるわけがない。
彼女のやってることを、騙されずによく見てみると、私の不幸を願っている ことが浮き彫りになってくる。私を傷つけることに躊躇いがない と前に書いたが、むしろ傷つけたがってる ことに、疑いの余地がないのである。きっと、赤の他人だったらもっと即座にわかることだろう。でも、私は母を信じる気持ちがあったから、他人の目には明らかな真実に気づくまでに、途方もなく時間がかかった。「子の幸せを願わない親はいない」という世間の通念、思い込みに私も強く影響され、そのせいで苦しみが長引いた。
子の不幸を願う親 がいるのだ。白雪姫の原話は、継母ではなく実母である。
母が周囲の人々に見せている温かい姿は嘘なのか 演技なのかというと、違う。本当なのだ。母は、人々に対して、温かく、やさしく、やわらかく 接している。特に弱者には徹底して援護する。それが、私相手になると、全く逆の態度になるのである。これは、母がただの人間であることを表している。きっと、母を知ってる人たちは、母が娘の私に対してこんなに冷たい などと思いもよらないだろう。
人を動かしているのは、圧倒的に無意識である。無意識を顧みないまま、意識上での弁論をふりかざす、頭のいい人は、頭の悪い人以上に大きなミスを犯し、最たる愚か者となる。
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