明けくれば藩から出張つた役人が杣の棟梁政兵衛と其の子分をあまた引き具
にしてやって来た。何物かの豫感があったらしく、住職の顔は青ざめ、念珠持
つ手は戦いていた。本堂正面に端座して瞑目しながら頻りに御題目を唱えてい
た。
第一の鉞を杣がふるった時、カチンと弾けた音がして鉞の柄が折れた餘勢で
杣が尻餅を搗いた。あまりの不思議に第二、第三の杣は申し合わせた様に御題
目を唱え出した。役人の機転で住職日恵師に引導をわたさせ、それから鉞を入
れ出したが、今度は怪異なく四日目に漸く切りはなした。樹木の倒れ伏す時、
古猿が一疋枝葉の中より棟梁政兵衛の頭上にとび落ちた。そして、樹木の倒れ
る響きは遠雷の如く響き渡り、三日三夜さが間其の餘韻は馬木の山野をこめて
いた。
此の銀杏樹の切口の広さは實に疊四疊半敷きに餘り、不思議なことには切口
から鮮血如き液汁が流れ出で、三日目にして切株の中央から、又、芽を出し、
以前にまして繁茂し十数年を出ざるに高さ数丈に達する巨木となり、漸次、枝
葉いや栄え来、現在、樹周約三丈、高さ十丈あり、地上より約三間上部に長さ
七寸、直径二寸位の澱粉質の凝結とみとめられる乳房二箇を有し地上との接続
地點に帯をなしたが如く見ゆるのは先代の古株と現樹の接続したあとを物語る
ものである。今に至るも霊験いやちこに、四時賽客絶えず、善男善女の崇敬の
的となって居る。
おわり
双嶽に背く寺あり秋の晴
銀杏聳えて寺古めける紅葉かな
銀杏樹に棚たてまつる小春寺
昭和二十八年一月二十二日 清書
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