ちょっと前に評判になった、「それでも僕は夢を見る」という漫画を読みました。
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それでも僕は夢を見る |
鉄拳 | |
文響社 |
受験に失敗し、就きたい仕事に就けず、縁あって会社員になり、心機一転、出世を目指しますが、何をやっても駄目で、出世することもなく、好きな女性には振られて、というしんどい人生を生きてきた男が、身寄りも友人もないまま死の床につき、人生を回想するものです。
彼が若かりし頃、擬人化されたユメが彼に寄り添い、能天気に彼を励まします。
最初は彼もユメに鼓舞されて、恋に仕事に努力しますが、何をやってもうまくいきません。
そして彼は、盟友であったユメを捨ててしまいます。
その後さえない人生を独りで生きて、今、病院で虫の息。
医師はもって3日という見立てをします。
彼が思い出すのは、盟友のユメと、悪戦苦闘した日々。
辛いことばかりだったはずですが、死の床に就いた彼には、輝かしい日々に思えます。
すると、すっかり老いさらばえたユメが、何十年ぶりに彼の前に現れます。
そして、「何かやり残したことがあるんじゃないの」と発破をかけます。
しかし、死を前にして、何をやればいいんでしょう?
ユメは紙と鉛筆を彼にわたします。
彼は誰にともなく、手紙を書きます。
ユメを叶えることや、あるいはユメに向かって努力するから生きることは輝くのではなく、生きていることそのものが、輝いているのだ、と。
客観的に言って、人生の負け組の言い訳のようにも聞こえますが、私もまた、就きたい職業に就くことはできず、なんとなく入った今の職場では、精神障害発症後、昇進が止まり、年下で私より上位の職階に就いている者がうじゃうじゃいます。
幸いにして、惚れた女とは一緒になることができ、今も一緒に暮らしていますし、男女問わず、多くの友人がおり、さらには多くの親族がいます。
そういう意味では、彼とは異なりますが、私の心象風景は、ネガティブになり、ユメを捨てた心境と近いものがあるように感じます。
これは多くの凡人に希望を与える漫画だとは思いますが、ひねくれ者の私には、素直に解釈することができません。
幸福の本質を、見誤っているように思います。
幸福の有り様は人それぞれ。
しかし死の三日前になって、突如お宗旨替えをしたかのごとく、生きることそのものが輝きだなどと、誰が読むとも知れぬ手紙を書くことが、最後のユメなのでしょうか。
不思議です。
私なら、孤独なまま、静かに消え去っていくこと望むように思いますが。
私は働かんで食えるだけの大金を得、文学や芸術、好きなホラー映画などに浸りきり、その世界で三昧境に遊ぶ日々を妄想しては、悦に入っています。
この漫画はたいそう評判となり、同じように何をやってもうまくいかない読者たちの共感を得たようです。
私の主治医は、ハッピー感を感じられるかどうかが重要だと言います。
それはそうでしょうねぇ。
しかし私には、サラリーマンを続けているかぎり、心の底からのハッピー感を得ることは難しいような気がします。
してみると、私の望みは、早期退職しても食えるだけの貯金をこさえることかもしれませんねぇ。