ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

テロリストの詩

2014年10月14日 | 文学

  我、その時を待ちわびたり。

 時満つれば、その時が来たらむは必至なればなり。

  我が一日千秋の思いで待ちたるは、現世の終末に他ならず。

  義務たる教育を受けし折、日輪はやがて牙をむき、我らの住みたる世界を飲み込み、生きとし生けるものは滅するが必定なりと教わりし。
  そを知りたる日の幸いは、言の葉にならず。
 ただ我、夢見の心地して、如何にして日を過ごしたか定かならず。

  しかれども、我が存命のうちにその時が来たらむべくもなきことを知りたり。
  日輪の時は悠久にして、我らの時はあまりにも短かければ、日輪の怒り爆発すを待つは、釈迦の説く劫にも等しき時が経るを待ちたる他なし。

 我が嘆き筆舌に尽くし難し。
 嘆き、にわかに怒りに変じ、我が怒髪は天を突く。

 ならば取るべき道は唯一つ。

  願いを成さんに、我が力と謀をもって、生きとし生けるものに引導を渡すべからず。
  これ、我が宿願にして、テロルに深く共鳴したる所以なり。

 我、而していわゆるテロリストと呼ばれたり。

 しかれども我に思想信条のあるべきか。

 ただ破壊の王たるを願うのみ。

 砂漠の国に出向きて破壊を為し、駅舎空港、人の集まりたる場所に出向きて火薬を揮う。

 これほどの快あるべからず。

 我陶然として殺戮を繰り返せば、ついには世にお尋ね者と知られ、首に懸賞かけられたり。

 それもまた、愉快ならずや。

 破壊殺戮の限りを尽くし、日を送れば、我が加虐の快、限りなし。

 知らず、いつの日か宿願を忘れ、ただ快のみを求めたり。

 これ我が精神の堕落と言わずして何をか言わむ。

 ついに我、捕縛の憂き目にあいたり。

 我、御用の役人に対するに、魔王のごとき傲岸不遜の態度を貫きたり。
 
  しょせんこの世は仮の宿。

 いつ何どき斬首の河原に引きづられようと、我の嘆くところに非ず。
  破壊殺戮に飽いた頃なれば、次いで我が殺戮せしめらるもまた一興。
 
  しかれども役人、我を崇拝するあまたのテロリストの復讐を怖れたか、斬首の罪一等を減じ、終身禁固を命ず。

 我大いに不満なり。
 斬首せしめよと迫りたるが、叶わず。

 ついに我、我がもっとも忌み嫌う退屈に落ち込みたり。

 我、破壊の魔王たらむと志した所以のものは、退屈を嫌い、巨大スペクタクルを求めたるがためなり。

 その志が我をして退屈の淵に沈めたるか。

 我、独り監獄で、退屈のあまり狂い死にたるを渇望す。

 狂い死にこそ、我に似合いの最期なればなり。

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