今日の朝のワイドショーで、10月7日公開の「マーダーボール」というマイナー映画を紹介していました。
この競技は頑丈な車椅子に乗った障害者が1チーム4人制で行うラグビーで、正式名を"Quad Rugby"(クアド・ラグビー)というのだそうです。
クアドとは "quadriplegia" 、つまり「四肢麻痺」または「頸髄(けいずい)損傷」の略です。
それで障害者の行うゲームであっても、とても過激で危険です。選手のほとんどは車がぶつかる衝撃などで首の骨を折ったりして、首の中に鉄のネジのような物を入れているとのことでした。
そんな過激なゲームということで、"Murderball"(殺人球技)とも呼ばれており、一部では熱烈なファンがいるようです。
選手に刺青をしている人が多いので何となく雰囲気も殺伐としています。
さて、今日このゲームの番組を見ていて、ある日本の選手が番組のインタビューに答えて、日本の障害者ゲームを扱ったドキュメンタリー映像は必ずと言っていいほど「涙」がつき物だが、(外国or米国)ではこんなもの(涙を売りにしない)ですよ、というようなことを言っていました。
それで浮かんだイメージがありました。
「障害者映画は障害者に見せるものではなくて健常者に見せるために作られているものだから、お涙ものとして作られるのは当然である。しかし健常者とハンディキャッパーの立場を入れ替えて見ると、私たち健常者たちこそハンディキャッパートして(障害に立ち向かえないものとして)五体満足に生まれさせていただいていのだ」
という印象が浮かんできたのでした。
つまり見方を変えれば、
私たちこそハンディキャッパーなのだということもできる、ということです。
今、ふと、とびらさんのHPをあけてみたら、とびらさんがいたから、とっても嬉しく思いましたよ。
ありがとう!
立場を変えて見ると、一つのことが、まったくの正反対に捉えることができるのですね。
自分の側からの一方通行の見方が正しいとすると、対立や争いの基になってしまうのですね。
だから、私たちはいつも相手の立場にたって考えて行動することが大切なのでしょう。
一つの事象を、いろんな角度から見て、違いを認めあうことの大事さに気づかされました。
ありがとうございました !
ちょっと間を空くと継続するのがめんどくなってしまいます。
車のエンジンをかけるときや、「よいしょ」と立ち上がるときは大きなエネルギーが必要で、ガソリンは食うしギックリ腰にはなるしということで、更新もできるだけ間を空けないようにしたいですが、<(_ _)>
身障者が普通で健常者がそうでない (ハンディキャッパー) という発想はおかしいわけですが、スピリチャルな次元からは、どちらも普通と考えるべきでと思います。
人間が耐えられない環境は、基本的には神様は与えられないということからは、身障者の魂は平均的には健常者より高いところにあると考えられます。心も澄んでいる人が多いですよね。
もちろんカルマの償還という理由の場合もありますので一概には言えませんが、私はその理由は少ないのでは・・と考えます。
身障者は、その周りの人たちに人を労わることを教えてくれますから、導師と見ることもできると思います。
久しぶりにお会いできて嬉しかったです。
「マーダーボール」についてブログりましたので、
トラバさせて頂きました。 よろしければ遊びにきてくださいね。
自分は試写会で観ましたが、ステキな作品でした。
是非映画館でご覧になって楽しんできてくださいね。
最後の逆転の発想、興味深かったです。
ここのところ忙しくてほとんどページを開いていませんでした。
ご返事遅くなりまして済みませんです。
トラバ、ありがとうございました。
なかなか凝ったブログをお持ちですね。
時々、拝見させていただきます。