マトリックスの映画のなかで、私が一番印象に残ったのは預言者の言葉です。一言、一言に実に深遠な意味が込められていたからです。コンピューターと戦うということにおいてネオは救世主でした。しかしネオはそれをなかなか受け入れることができませんでした。そこでネオに救世主であることを思い出して欲しいと願っている光の子のリーダーのモーフィアスは、預言者のところにネオを連れて行きました。預言者の言葉がそれを思い出すヒントになると考えてのことです。次に挙げるのはその預言者とネオとの会話ですが、預言者はポイントにおいても、その他においてもわざわざ幾つかの嘘をつきます。さて、嘘をついたわけは?
預言者 「あなたには、どうしてモーフィアスがここに連れてきたのかが分かる」
ネ オ うなずく……
預言者 「あなたは自分が救世主だと思う?」
ネ オ 「正直言って分からない」
預言者 「(救世主であるということは)恋をしているようなものよ」
「だれにもあなたが知っているようには、『あなたが恋をしている』などと言うことはできないわ」
「自分で自分の体の中を通して実感するものよ」
「……ではちょっとあなたを見てみましょう」(略)……
「……あなたは既に私が何を言おうとしているかを知っているわ」……
ネ オ 「……私は救世主ではない」
預言者 「(救世主でないことは)残念だわ」「あなたには(神から贈られた)才能があるわ」
「だけど私にはあなたは何かを待っているように見えるわ」
ネ オ 「それは?(私が何を待っているって?)」
預言者 「(それが分かるのは)来世かもしれないわ」……
ネオは救世主でした。もちろん預言者もそれを知っていました。では、なぜ嘘をついたのでしょうか。
「(救世主であるということは)恋をしているようなものよ」という言葉にヒントが隠されています。自分で実感しないと何事も信じることができないということです。
ここで仮に預言者が「あなたは救世主よ」と真実を言ったところで、ネオはそれを受け容れる用意ができていません。自分が救世主だと実感できなくては自信とならず仕事は成就できないのです。プレッシャーを受けるか、うぬぼれて天狗になるかのどちらかです。
それでは救世主の役割をまっとうすることができないと、預言者は知っての嘘でした。
また救世主はネオかモーフィアスのどちらかが死ぬという嘘もつきました。
これは映画の終盤にモーフィアスがコンピュータの傀儡(かいらい)のエージェントに捕らえられたとき、自分が助けなければモーフィアスが死ぬ、自分が死んでもモーフィアスは助かるという理解に繋がっていると思います。そしてネオが自己犠牲の愛を行動に移したことで2人とも助かったというわけです。
預言者は嘘をつきながらも、人の言葉に惑わせられてはいけないことを、
「運命を(私がいま言った預言も)信じてはいけないわ。人生は自分でコントロールするのよ」という助言として最後に言い渡しました。
本当のことを話さなかったことで、後でネオは自分が救世主であったことを、預言者を通してではなく自分を通して思い出し、確立していくこととなります。
預言者のみならず、ネオを取り巻く人々の言動は、ことごとくネオにとって「真理へのいざない」となっていたのでした。その過程が映画ではとてもよく描かれていました。 ― つづく ―
写真は〝時さん〟のクラゲ、映画で魂の街ザイオンを狙う生き物?を連想して選びました。
預言者 「あなたには、どうしてモーフィアスがここに連れてきたのかが分かる」
ネ オ うなずく……
預言者 「あなたは自分が救世主だと思う?」
ネ オ 「正直言って分からない」
預言者 「(救世主であるということは)恋をしているようなものよ」
「だれにもあなたが知っているようには、『あなたが恋をしている』などと言うことはできないわ」
「自分で自分の体の中を通して実感するものよ」
「……ではちょっとあなたを見てみましょう」(略)……
「……あなたは既に私が何を言おうとしているかを知っているわ」……
ネ オ 「……私は救世主ではない」
預言者 「(救世主でないことは)残念だわ」「あなたには(神から贈られた)才能があるわ」
「だけど私にはあなたは何かを待っているように見えるわ」
ネ オ 「それは?(私が何を待っているって?)」
預言者 「(それが分かるのは)来世かもしれないわ」……
ネオは救世主でした。もちろん預言者もそれを知っていました。では、なぜ嘘をついたのでしょうか。
「(救世主であるということは)恋をしているようなものよ」という言葉にヒントが隠されています。自分で実感しないと何事も信じることができないということです。
ここで仮に預言者が「あなたは救世主よ」と真実を言ったところで、ネオはそれを受け容れる用意ができていません。自分が救世主だと実感できなくては自信とならず仕事は成就できないのです。プレッシャーを受けるか、うぬぼれて天狗になるかのどちらかです。
それでは救世主の役割をまっとうすることができないと、預言者は知っての嘘でした。
また救世主はネオかモーフィアスのどちらかが死ぬという嘘もつきました。
これは映画の終盤にモーフィアスがコンピュータの傀儡(かいらい)のエージェントに捕らえられたとき、自分が助けなければモーフィアスが死ぬ、自分が死んでもモーフィアスは助かるという理解に繋がっていると思います。そしてネオが自己犠牲の愛を行動に移したことで2人とも助かったというわけです。
預言者は嘘をつきながらも、人の言葉に惑わせられてはいけないことを、
「運命を(私がいま言った預言も)信じてはいけないわ。人生は自分でコントロールするのよ」という助言として最後に言い渡しました。
本当のことを話さなかったことで、後でネオは自分が救世主であったことを、預言者を通してではなく自分を通して思い出し、確立していくこととなります。
預言者のみならず、ネオを取り巻く人々の言動は、ことごとくネオにとって「真理へのいざない」となっていたのでした。その過程が映画ではとてもよく描かれていました。 ― つづく ―
写真は〝時さん〟のクラゲ、映画で魂の街ザイオンを狙う生き物?を連想して選びました。