彼の演じたパッチアダムスの映画を以前観て、衝撃を受けた思い出があります。
私はその時エホバの証人のふりをして、自分を殺していました。しかし、パッチアダムスの生き方は素晴らしいと思っていたので映画を観たのでした。
彼が医療の現実で絶望して、神様の存在を問うシーンがあります。私はその時ものすごくドキドキしました。私もエホバの証人たちに心を破壊され、神様なんていないと思っていたからです。
彼は一匹の蝶に神を見いだしました。
…私は絶望しました。私はその時神は存在しないと悟りました。
それから今まで、私は神の存在を否定していますし、一生認めないと誓いました。
今現在、医療の、しかもERという命の現場に身をおいて、その思いは深まるばかりです。
なぜ神は死を容認しているのか。天国で幸せに、ならば、なぜいたいけな子供たちが病や事故で苦しみつつ死んで行くのか。だったら最初から天国にしておけよ、この地球を!
生まれながらに罪がある、つまり原罪ってさ、すごい神のワガママです。神は盗人の子は盗人、と決めつけているわけですからね。だったらきちんと1人1人にあの実を食べるか否かのチャンスを与えるべきです。全くもって不公平。
これだけでも神に愛情という感情はないと分かります。少なくとも人を神は愛していません。
ならばキリストの購いは?→はっきり言って、神の自己満足と欺瞞です。
どの人にとっても、子どもは大切な存在で、一人一人、違う命です。神はキリストを復活させる能力がありますけど、人にはありません。けれどその大切な子供を神は奪います。そして、神の信者でなければ天国ヘは行けませんし、復活させる事も神はしてくれません。
はっきり言って、こういう神に、私は憎しみしか感じません。毎日人の生死を見すぎたからだとエホバの証人のエライ人に言われましたがそれは要するに、現実逃避しなさい、私たちはそうしています、という事です。
ではだれがERで働けば良いのでしょうか?
私はERの仕事は好きです。辞めるつもりもありません。しっかり現実を見つめていきます。
どうですか?あなたはそれでも神とやらを信じますか?
少なくとも私は信じませんし、愛情のひとかけらさえ、感じませんし、もし存在していても、救ってなど欲しくないですね。
私はその時エホバの証人のふりをして、自分を殺していました。しかし、パッチアダムスの生き方は素晴らしいと思っていたので映画を観たのでした。
彼が医療の現実で絶望して、神様の存在を問うシーンがあります。私はその時ものすごくドキドキしました。私もエホバの証人たちに心を破壊され、神様なんていないと思っていたからです。
彼は一匹の蝶に神を見いだしました。
…私は絶望しました。私はその時神は存在しないと悟りました。
それから今まで、私は神の存在を否定していますし、一生認めないと誓いました。
今現在、医療の、しかもERという命の現場に身をおいて、その思いは深まるばかりです。
なぜ神は死を容認しているのか。天国で幸せに、ならば、なぜいたいけな子供たちが病や事故で苦しみつつ死んで行くのか。だったら最初から天国にしておけよ、この地球を!
生まれながらに罪がある、つまり原罪ってさ、すごい神のワガママです。神は盗人の子は盗人、と決めつけているわけですからね。だったらきちんと1人1人にあの実を食べるか否かのチャンスを与えるべきです。全くもって不公平。
これだけでも神に愛情という感情はないと分かります。少なくとも人を神は愛していません。
ならばキリストの購いは?→はっきり言って、神の自己満足と欺瞞です。
どの人にとっても、子どもは大切な存在で、一人一人、違う命です。神はキリストを復活させる能力がありますけど、人にはありません。けれどその大切な子供を神は奪います。そして、神の信者でなければ天国ヘは行けませんし、復活させる事も神はしてくれません。
はっきり言って、こういう神に、私は憎しみしか感じません。毎日人の生死を見すぎたからだとエホバの証人のエライ人に言われましたがそれは要するに、現実逃避しなさい、私たちはそうしています、という事です。
ではだれがERで働けば良いのでしょうか?
私はERの仕事は好きです。辞めるつもりもありません。しっかり現実を見つめていきます。
どうですか?あなたはそれでも神とやらを信じますか?
少なくとも私は信じませんし、愛情のひとかけらさえ、感じませんし、もし存在していても、救ってなど欲しくないですね。