あり得ないハズぢゃ無かったの(@_@)?
もう話題の旬も過ぎ、ほとぼり冷めた頃合いと
思うので、書き捨てちゃうw
日本中の小学校がガードマンと監視カメラに護られ、
“近所の広場”としての門を閉ざす契機となった
あの忌まわしくも理不尽な神戸の事件と同じく、
時代を変える、世相の節目に当たる事件だった
気がするんだよね~('~`;)
いあ、先日の三鷹女子高生殺人のコトなんスけどね。
みんなもう忘れたかな(^_^;)?
野次馬視点からの上っ面だけだと、
あの娘は学園のマドンナで超絶人気者、女優の卵でも在る。
そんなスーパー・アイドルが
ナゼかこんな俺にゾッコンで、おまけに好奇心旺盛、
どんなHな要求にも応えてくれる♪の青春ラブラブ・エロ・コメディー
…って状況だった風に見えるんだけれど。
この場合、“ナゼか”ってトコ重要で、
ヒロインに惚れられる側の『俺』には、
特段の資格や素養…つまりモテるだけの理由や、根拠となる
魅力を問われない、って点がミソであります。
エロゲやラノベ
(言い換えるなればアニメ原作)の中では、それがデフォです。
主人公(俺)が突如降って湧いた様に、学園一の美女や
アイドルに囲まれて“ナゼか”モテモテ。往々にして、
その理由付けは大して掘り下げられません。
・・・ま、そりゃ当然と言えば当然で、
元になった話がゲームの場合特に、誰でもソフト買って来て
起動すれば主人公になっちゃうワケですから、
そこ突き詰められると萎えちゃいますもんね、
己の現実とのギャップで(^_^;)
昔は、スーパー・ヒーローに『憧れ』て、そこに
自分を投影し“いつか自分も”あんな風になってやる(屮゚Д゚)屮!
と努力なり精進なり…よしんば単なる夢想に終ったにしても、
物語世界とのスタンスって、概ねそんな感じだった昭和w
『んなの在り得ねえし( ゚Д゚)!』とヒロイズムを切り捨て、
スターダムを否定する流れは
当初、それが“リアリズム”だ“現実だ”、ってのを旗印
にして居た気がするけれど。
いつの間にやら
それが『No.1で無くてもOnly 1』とか『自分らしくあればイイ』
とか『頑張らなくてイイ』とかと結び付き、
根性と修練で培った特殊能力を有したり、あるいは
先天的に天才スキルを持った“有資格制”のヒーロー像を
やっかみ半分に否定した挙句、
何の努力もしてない、能力も無い主人公様が
“自分が何もしなくても周囲の環境が勝手に変わって
モテモテに!”
って設定をデフォにする流れに、
落ち着かせちゃった感がございますなあ('~`;)
脱線ですが、
“何でも面倒臭がって関わりたがらないしヤル気も無いけれど、
イザ巻き込まれて本気出したら凄い”
って主人公像が当節流行の理由も、
その設定なら
『今は現実の俺もダメだけど、単に未だ
本気出して無いだけだから( ̄ー ̄)』
って気分で感情移入出来っから、なのだろうねw
サテ、三鷹女子高生殺人事件に話を戻しましょ。
いあ、散々話振って置いてアレなんですが…(-_-;)
実は
『アニメの影響ガー』とか『ゆとり脳ガー』とか
『ゲームと現実の区別ガー』なんてステレオ・タイプの
問題提起なんざ、この事件とは一切無関係だと思うのね(^_^;)
凸ヤマが持って行きたい方向はそっちでないのサw
心変わりだ裏切りだ、挙句の果てのストーカー化云々は
金色夜叉どころか源氏物語辺りまで遡っても、
古来ベタベタにありがちな話と展開。
良く在る話ぢゃないですか~?w
…(-_-;)いあ、モチロン悲惨なバッド・エンド過ぎて、
嫌~な気持ちになったからこそ、こうして
グダグダ書いてるワケですけど・・・
凸ヤマの心に一番引っ掛かったのは、
『ナゼそんな安売りをしたのか?』と云う一点!
いあいあ、倫理観とか清純さ・・・的な論点で女の子
かくあるべし、なんて説教を展開する意図も無いよ?
そのカップルを個人的に存じ上げてたワケでもないし…
いあ、よしんば近い知り合いだったにしても、
二人の間の本当の所は、ハタの誰にも解らないぢゃんw
全くの野次馬視点からの傍目八目だと、
('~`;) あんなにサービス過剰にしなくとも
『このアタシが付き合ってやってんだから!』ぐらいの勢いで
交際が成り立つスペックではなかったの?
“下僕ハベらす”とか“日陰のオトコでも満足よね?”
ってな扱いで、ポチよろしく尻尾振ってオアズケ待ち…
をデフォでイケるバランスのカップルだった、と感じるの
だけれど如何です?
(残念ながら、犯人の人となりを知らないし、
彼女の方も凸ヤマ好みのルックスでもなんでもないので、
あくまで“表面的なスペック”だけが前提の話ですが)
…にも関わらず!の、彼女のご奉仕っぷりを、
残された写メや動画上の現象だけ捉えて観るなれば…
非常に純で一途な娘だった、とすら考え得る。
なんとなれば、ほんの幾ばくかでも
計算高い女の子であれば、決して
起こり得ない展開だったのでは?
なぜ。
なにゆえに、そんな非現実のエロゲの中にのみ
男どもが求めて来た理想郷を、
彼女は自らのスペックと云う熨斗まで付けて、
“進んで提供”し現出させたんだろ?
それは、異性の求める所を敏感に感じ取り、
交尾対象誘引を目的に特化して
自らを変化させる…羽根とか鳴き声みたいな、
種の保存と云う原始欲求にのみ立脚した行動なの?
例えば“巨乳ブームが来ると巷に爆乳ギャルが増える”
みたいな?
(コレ、誰も賛同してくんないケド、凸ヤマは痛切に
感じたんだけど!?)
実際には誰もそんなplayはしてなかった
行為が、アダルト・ビデオの演出として定番化するコトにより、
逆輸入?の形で巷のカップル達に取り入れられる、みたいな?
そんなイメージの方が近いのか?
今の時代の男性達が求める、それこそアニメやエロゲや
ラノベの中に在る理想像を、女の子達側が
本能的にアンテナで察知。
それに即したサービスを提供し始めたの?
古い感覚で言わせてもらうと、昭和のマドンナは高嶺の花、
深窓の令嬢…だからこそ落とし甲斐も在り、
そこにはダンピングもサービスも一切介在しないのが
鉄板だったし、それでこその価値だったよね(o^-')b?
凸ヤマが引っ掛かった『ナゼそんな安売りをしたのか?』
と云う感覚は、そんな旧態依然の時代感覚から
来るものに過ぎないのでしょうけれど。
凸ヤマに取って今回の事件は、
『時代のニーズに則した過剰サービス』の顕著な事例として、
“世相の節目”として記憶されるんだろうな。
そして、きっとそれは
マスコミや音楽業界が、こぞって大衆に媚び、
“遠い憧れの存在”としてのスター・システムを
崩壊させ、『身近な』『隣に居る様な』『貴女もなれる』
『君にも出来る』『等身大』『代弁者』
と云った“妬み嫉みに迎合した文化”のみを増進した
成れの果てとして、TV視聴率やCD売上の絶望的下落を
招いたコトと、根が一緒だと云う気がして居マス('~`;)
『馬鹿でも解る』『親しみ易い』『最大公約数』にばかり
おもねて、一段高い処への啓蒙を放棄したが最後、
文化も民度も地に堕ちて行くだけぢゃな~い?
手に入りにくいモノが確かに在る、と
自覚した方が、ヒトは努力や向上へ向かうのでは無いだろか?
あるいは、それこそが己の“分相応を知る”近道では?
子供達に優劣を付けず、全員手を繋いでゴールさせる。
その運動会が日狂組ないしモンスター・ペアレンツと云う
名のDQNによって成し遂げられ、罷り通った時点で、この勝負、
既に詰んでるのかも知れないケドな~(^_^;)
自分の心に引っ掛かったトゲを外す為だけに、
未整理のまま書き記しました。
従って、内容をご理解戴くのは少々難儀かとw
無責任でごめんなさい♪
だって、備忘のために記録しないと、
もーなんでもかんでもスグ忘れちゃって、瞬く間に過ぎ去って
行っちゃうんですものw
(;¬_¬)昔のコトは細々覚えてるから…所謂アレか?
これがpsychoさんが研究してる、あの例の
“コルサコフ症候群”ってヤツか?w
もう話題の旬も過ぎ、ほとぼり冷めた頃合いと
思うので、書き捨てちゃうw
日本中の小学校がガードマンと監視カメラに護られ、
“近所の広場”としての門を閉ざす契機となった
あの忌まわしくも理不尽な神戸の事件と同じく、
時代を変える、世相の節目に当たる事件だった
気がするんだよね~('~`;)
いあ、先日の三鷹女子高生殺人のコトなんスけどね。
みんなもう忘れたかな(^_^;)?
野次馬視点からの上っ面だけだと、
あの娘は学園のマドンナで超絶人気者、女優の卵でも在る。
そんなスーパー・アイドルが
ナゼかこんな俺にゾッコンで、おまけに好奇心旺盛、
どんなHな要求にも応えてくれる♪の青春ラブラブ・エロ・コメディー
…って状況だった風に見えるんだけれど。
この場合、“ナゼか”ってトコ重要で、
ヒロインに惚れられる側の『俺』には、
特段の資格や素養…つまりモテるだけの理由や、根拠となる
魅力を問われない、って点がミソであります。
エロゲやラノベ
(言い換えるなればアニメ原作)の中では、それがデフォです。
主人公(俺)が突如降って湧いた様に、学園一の美女や
アイドルに囲まれて“ナゼか”モテモテ。往々にして、
その理由付けは大して掘り下げられません。
・・・ま、そりゃ当然と言えば当然で、
元になった話がゲームの場合特に、誰でもソフト買って来て
起動すれば主人公になっちゃうワケですから、
そこ突き詰められると萎えちゃいますもんね、
己の現実とのギャップで(^_^;)
昔は、スーパー・ヒーローに『憧れ』て、そこに
自分を投影し“いつか自分も”あんな風になってやる(屮゚Д゚)屮!
と努力なり精進なり…よしんば単なる夢想に終ったにしても、
物語世界とのスタンスって、概ねそんな感じだった昭和w
『んなの在り得ねえし( ゚Д゚)!』とヒロイズムを切り捨て、
スターダムを否定する流れは
当初、それが“リアリズム”だ“現実だ”、ってのを旗印
にして居た気がするけれど。
いつの間にやら
それが『No.1で無くてもOnly 1』とか『自分らしくあればイイ』
とか『頑張らなくてイイ』とかと結び付き、
根性と修練で培った特殊能力を有したり、あるいは
先天的に天才スキルを持った“有資格制”のヒーロー像を
やっかみ半分に否定した挙句、
何の努力もしてない、能力も無い主人公様が
“自分が何もしなくても周囲の環境が勝手に変わって
モテモテに!”
って設定をデフォにする流れに、
落ち着かせちゃった感がございますなあ('~`;)
脱線ですが、
“何でも面倒臭がって関わりたがらないしヤル気も無いけれど、
イザ巻き込まれて本気出したら凄い”
って主人公像が当節流行の理由も、
その設定なら
『今は現実の俺もダメだけど、単に未だ
本気出して無いだけだから( ̄ー ̄)』
って気分で感情移入出来っから、なのだろうねw
サテ、三鷹女子高生殺人事件に話を戻しましょ。
いあ、散々話振って置いてアレなんですが…(-_-;)
実は
『アニメの影響ガー』とか『ゆとり脳ガー』とか
『ゲームと現実の区別ガー』なんてステレオ・タイプの
問題提起なんざ、この事件とは一切無関係だと思うのね(^_^;)
凸ヤマが持って行きたい方向はそっちでないのサw
心変わりだ裏切りだ、挙句の果てのストーカー化云々は
金色夜叉どころか源氏物語辺りまで遡っても、
古来ベタベタにありがちな話と展開。
良く在る話ぢゃないですか~?w
…(-_-;)いあ、モチロン悲惨なバッド・エンド過ぎて、
嫌~な気持ちになったからこそ、こうして
グダグダ書いてるワケですけど・・・
凸ヤマの心に一番引っ掛かったのは、
『ナゼそんな安売りをしたのか?』と云う一点!
いあいあ、倫理観とか清純さ・・・的な論点で女の子
かくあるべし、なんて説教を展開する意図も無いよ?
そのカップルを個人的に存じ上げてたワケでもないし…
いあ、よしんば近い知り合いだったにしても、
二人の間の本当の所は、ハタの誰にも解らないぢゃんw
全くの野次馬視点からの傍目八目だと、
('~`;) あんなにサービス過剰にしなくとも
『このアタシが付き合ってやってんだから!』ぐらいの勢いで
交際が成り立つスペックではなかったの?
“下僕ハベらす”とか“日陰のオトコでも満足よね?”
ってな扱いで、ポチよろしく尻尾振ってオアズケ待ち…
をデフォでイケるバランスのカップルだった、と感じるの
だけれど如何です?
(残念ながら、犯人の人となりを知らないし、
彼女の方も凸ヤマ好みのルックスでもなんでもないので、
あくまで“表面的なスペック”だけが前提の話ですが)
…にも関わらず!の、彼女のご奉仕っぷりを、
残された写メや動画上の現象だけ捉えて観るなれば…
非常に純で一途な娘だった、とすら考え得る。
なんとなれば、ほんの幾ばくかでも
計算高い女の子であれば、決して
起こり得ない展開だったのでは?
なぜ。
なにゆえに、そんな非現実のエロゲの中にのみ
男どもが求めて来た理想郷を、
彼女は自らのスペックと云う熨斗まで付けて、
“進んで提供”し現出させたんだろ?
それは、異性の求める所を敏感に感じ取り、
交尾対象誘引を目的に特化して
自らを変化させる…羽根とか鳴き声みたいな、
種の保存と云う原始欲求にのみ立脚した行動なの?
例えば“巨乳ブームが来ると巷に爆乳ギャルが増える”
みたいな?
(コレ、誰も賛同してくんないケド、凸ヤマは痛切に
感じたんだけど!?)
実際には誰もそんなplayはしてなかった
行為が、アダルト・ビデオの演出として定番化するコトにより、
逆輸入?の形で巷のカップル達に取り入れられる、みたいな?
そんなイメージの方が近いのか?
今の時代の男性達が求める、それこそアニメやエロゲや
ラノベの中に在る理想像を、女の子達側が
本能的にアンテナで察知。
それに即したサービスを提供し始めたの?
古い感覚で言わせてもらうと、昭和のマドンナは高嶺の花、
深窓の令嬢…だからこそ落とし甲斐も在り、
そこにはダンピングもサービスも一切介在しないのが
鉄板だったし、それでこその価値だったよね(o^-')b?
凸ヤマが引っ掛かった『ナゼそんな安売りをしたのか?』
と云う感覚は、そんな旧態依然の時代感覚から
来るものに過ぎないのでしょうけれど。
凸ヤマに取って今回の事件は、
『時代のニーズに則した過剰サービス』の顕著な事例として、
“世相の節目”として記憶されるんだろうな。
そして、きっとそれは
マスコミや音楽業界が、こぞって大衆に媚び、
“遠い憧れの存在”としてのスター・システムを
崩壊させ、『身近な』『隣に居る様な』『貴女もなれる』
『君にも出来る』『等身大』『代弁者』
と云った“妬み嫉みに迎合した文化”のみを増進した
成れの果てとして、TV視聴率やCD売上の絶望的下落を
招いたコトと、根が一緒だと云う気がして居マス('~`;)
『馬鹿でも解る』『親しみ易い』『最大公約数』にばかり
おもねて、一段高い処への啓蒙を放棄したが最後、
文化も民度も地に堕ちて行くだけぢゃな~い?
手に入りにくいモノが確かに在る、と
自覚した方が、ヒトは努力や向上へ向かうのでは無いだろか?
あるいは、それこそが己の“分相応を知る”近道では?
子供達に優劣を付けず、全員手を繋いでゴールさせる。
その運動会が日狂組ないしモンスター・ペアレンツと云う
名のDQNによって成し遂げられ、罷り通った時点で、この勝負、
既に詰んでるのかも知れないケドな~(^_^;)
自分の心に引っ掛かったトゲを外す為だけに、
未整理のまま書き記しました。
従って、内容をご理解戴くのは少々難儀かとw
無責任でごめんなさい♪
だって、備忘のために記録しないと、
もーなんでもかんでもスグ忘れちゃって、瞬く間に過ぎ去って
行っちゃうんですものw
(;¬_¬)昔のコトは細々覚えてるから…所謂アレか?
これがpsychoさんが研究してる、あの例の
“コルサコフ症候群”ってヤツか?w
でも、どうにもこうにも
引っ掛かる事件でさ。
書かずに居られんかっとんてんチントンしゃんw
いや、自分が書こうと思いながら書けなかったものだから。
かつて「勉強も出来ず運動部のヒーローでもないヤツがディスコでだけは光り輝く」時、そこには血のにじむような努力の果てに生み出されたステップがあった。
しかし80年代に「誰でも踊れますよ~」という「パラパラ」が現れると女子は言った。「真剣に踊るなんてダッサ~い」
むぅ、違うな。そんなことじゃないんだ。
彼女は・・・この結末を望んでいたのでは。オレにはそれしか思いつかん。何故か淋しい。