
エインズレー・ダンバー師匠の
後任(ミック・ウォーラー)の後任
として大活躍、その際
Bassロン・ウッド(現RollingStonesギター('~`;) )
とのコンビで奏でた『監獄ロック』が
小学生だった凸ヤマのその後の
人生を変えた名ドラマー・
トニー・ニューマン氏。
70'sブリティッシュROCK・マイナー路線探訪に
ひとたび足を踏み入れたヒトなら、
第三段階位で辿り着く?wMay Blitz
は、氏の率いた3ピースBANDで2枚の
スタジオ・アルバムを遺して居ります。
これまたデジタル修復技術の恩恵か?こんなマイナー
BANDの70年ドイツはエッセン公演のライヴ・アルバムが
今更奇跡の発掘&リリース!


↑ジャケ写は、たまま様も持ってるJBGの2nd『Beck-Ola』。
隣のファンキーな漫画ジャケがMayBlitzの1st。
どちらもトニー・ニューマンが叩いてます。
(祥さん、これも密林リンクだけどMayBlitzの1stは
ポチっちゃ駄目だよ!?Beck-Olaは万一
持ってなかったら、一家に一枚マストだけどw)
んで表題のMayBlitz『Essen 1970』
なんですが・・・トニー凄いよトニー!
当時、英国スタジオ界で8ビートのレコーディング
を製作する際、電話して招集掛けるドラマーの
選択肢はトニーかコージー・パウエルの二択
しか無かった、って説も頷ける。
(YouTubeで探すと、
トニーさんが叩いた英国TV番組の
テーマみたいなのも結構出て来ます(o^-')b)
この『ESSEN 1970』の“I Don't Know”なんか
聞くと、安定性確実性、派手さ閃き・・・いづれも
ライヴでこの技量は凄スギ。スタジオを遥かに凌駕。
( ゚Д゚)う・・・上手い。って舌を巻くplayの連発。
サスガにまだこの『Essen 1970』からの
音源はうpされてなかったので、MayBlitzの二作目
『The 2nd of May』からのナンバーをば。
当時、ぶっちぎりの“最速”。パンクもスラッシュもNWOHMも
始まる遥か以前の始祖をお聞きあれw
</object>
MayBlitz以降は
小欄
http://white.ap.teacup.com/yama-rosali/14.html#readmore
にも詳しい“叩きまくりドラマー依存症候群”w
ガービッツ兄弟とのThreeManArmyで活躍♪
凸ヤマ的には、ハードロック史上屈指の名リフ
"POLECAT WOMAN"をモノにしました(o^-')b
</object>
↓コレが"POLECAT WOMAN"の入ってる
アルバム『Three Man Army Two』

ブリティッシュ・ロック探訪の旅を始めたならば、
メジャーどころ以外で最初に襲い来る衝撃の二大名曲
MayBlitz『For Madmen only』と
ThreeManArmy『Polecat woman』が
どちらもトニーのドラムで
成り立ってる事実は偶然ではございますまい。
その他にも、エインズレー・ダンバー師匠と
同様の軌跡が多く、トニーもやはりデビット・ボウイ、
ミック・ロンソン界隈のサポートを勤め、
(やはりズバ抜けたドラマーの後任はズバ抜けた
ドラマーにしか勤まらない、って単純な理屈か?)
一時はT-Rexマーク・ボランともPlayしてました。
小欄では散々既出のBOXERに於ける
燻銀のドラミングも鮮烈な印象として残ってますね(o^-')b
(↓このIMPACT大な お下劣ジャケ、何回目の登場かしら(^_^;))

最後に、脱線な余談で、しかも
全く筋が通らない話なんですが…(-_-;)
チャーチ・オブ・◯ザリーってサバス・オリエンテッドな
70年代アプローチのBANDさんが
(仲間内ではSUNSOWLとかPullingTeethが絡んだコト
在るみたいだけど、ロザリは対バン経験ナシ)
『For Madman only』を
カバーなさってるみたいで・・・いあ、どなたが何をカバー
しようが自由なんですが・・・
なんとも言えないジェラシイ?歯痒い?悔しい?
腹立たしい?悶々?('~`;)
俺こそが・・・俺だけがアイツの彼氏なのに・・・的な
感情に苛まれたコトを此処にご報告申し上げまして、
締めの御挨拶に代えたいと存じます。
ご静聴、ありがとうございましたm(_ _)m
書いた甲斐も在るってもんですよ(T_T)
なんせ考えてみたら、ネットも何も無い頃
仕入れた知識とコレクションですもの、
自分の足で稼いで、授業料も高かったデスよw