快読日記

日々の読書記録

「最後の付き人が見た 渥美清最後の日々」篠原靖治

2020年03月27日 | アート・映画など
3月27日(金)

たとえば職場で、Aさんがミスをしたとして、
それを指摘してカバーするBさん、
Aさんを責めるCさん、
見ていても言葉にも態度にも出さないDさんがいたとして、
3人のうちAさんを一番嫌っているのはDさんなんではないかと思うんです。
Aさんなんてミスしようが何だろうがどうでもいいし関わりたくもない、
はっきり言えばそんな感じではないか。

で、なにが言いたいのかというと、
昔のスターや偉人の評伝を読むと、
とにかく周囲の人に優しかったと書いてある。
同僚はもちろん、下働きの者の失敗にまで寛容だったと。
でも上の人には毅然としていたと。

でもこれ、許していたというより絶望していたんじゃないかと思うんです。
その個人に対してというより、他人に対して、他人に何かを要求して(期待して)しまうことに対して。
絶望が言い過ぎならあきらめていた、でもいい。
そしてそれは、彼らがとてつもなく孤独だった証拠なんじゃないかと。

「最後の付き人が見た 渥美清最後の日々」(篠原靖治 祥伝社文庫)を読みながらそんなことを考えたのでした。