震災の日からまもなく3年が経とうとしている。
正直何を書いたらいいのか迷ってしまう。思うことがあり過ぎるからだ。
震災が起きて世の中が一変したようでいて、3年経つと結局何も変わっていなかったという気がしないでもない。
ただはっきりとしているのは、震災で被害を受けた人たちがいて、そして皆立ち上がろうとしているということだ。
震災の日に福島市にいて、その後3か月間混乱の一部始終を見てきた。
それから何度か福島を訪れて、その度に少しずつ物事が前に進んでいることを感じることができた。
震災当時は高かった放射線量もかなり下がっているし、地震で壊れた建物や塀、電柱なども撤去したり直したりして綺麗になった。
新しい店もできたし、花見山や鶴ヶ城の観光客もかなり戻ってきた。
もちろん前向きなことばかりではない。原発周辺地域はまだ何も手を付けられない所もある。
でもそれ以外の地域はマスコミが伝えがちな悲観的な状況というのはそう多くない。
農家や漁業者の苦境が伝えられることは多いけれども、ボク個人は福島産のものを食べてきたし、食べることに抵抗感もない。
そもそも原発とは無関係な地域も多いし、かつて放射線量が高かった所も下がってきているのが事実だ。
昨年の冬から3年ぶりに伊達地域のあんぽ柿が出荷されるようになった。放射性セシウムの残留濃度が高く、出荷が自粛されていたのだ。
伊達のあんぽ柿については「伊達 あんぽ柿 セシウム」で検索すると今でも危険性を訴える人がいるようだ。
しかし明らかに事実と異なる点を伝える人もいて、例えば農家が食べない柿をあんぽにして出荷しているというなんて話もある。
伊達に近い所に親類がいるボクに言わせるとあんぽにする蜂屋柿はそもそも生で食べるものではない。
あんぽにしない限りは食べても問題の無いセシウム濃度なのだが、焼酎漬けにして渋抜きをしなければ食べることはできないものなのだ。
だから農家の人は手間をかけてまであんぽに使う柿を食べるようなことはしない。
2012年の秋にあんぽにできない蜂屋柿を焼酎漬けにして食べる機会があった。
びっくりするくらい美味かった。そしてなんで生柿のまま出荷しないのだろうとも思った。
聞いてみると生柿で出荷しても値が付かないということだった。確かに焼酎漬けの作業は手間がかかるし、開封のタイミングが結構難しい。
そういう事情を知ったうえで、ボクはあんぽ柿の再出荷を心待ちにしていた。
そしてスーパーに伊達のあんぽ柿が出回るようになった。美味かった。美味かったけれども、まだ完全復活までには至っていない。
あんぽ柿はスーパーに出回るもの以外にも贈答用のものがある。福島の果物店に聞くと贈答用品はまだ出荷できる状況にないという。
全盛期の6分の1になってしまった出荷量が回復しない限り、以前のような立派なあんぽ柿はしばらく食べられないのかもしれない。
それでも風評被害に負けずに出荷にこぎつけた農家の頑張りは評価されるべきだと思う。
3年という月日は福島とそれ以外の地域との分断が進んでしまった部分もあるように思う。
食品に含まれるセシウムの濃度はその典型で、生産者と一部消費者との溝は埋められそうにない。
ボクは生産者ではないけれども、福島産を忌避する人たちに対しては疑問がある。
「そんなに福島産の食品って食べる機会あるの?」と。
例えばあんぽ柿は出荷量や出荷時期はかなり限定された食品だ。しかもその独特の食感からかなり好き嫌いは大きい。
多少基準濃度を超えていようと食べる量や機会は限られている。それに目くじらを立てることは正直馬鹿馬鹿しいと思う。
震災当時は摂取を控えるよう呼びかけのあった茎立菜なども食べなければ生きられない状況だった。
そしてそれを食べたからといって死ぬ人はいなかった。常時そんなものを食べる人はいないからだ。
生産者に近い人からも提言があるように、食品によって基準は異なるべきなんじゃないかと思う。
米のように常時大量に摂取するものなのか、それともあんぽ柿のような季節物の嗜好品なのかでやはり違いはあるはずだ。
排出物によって浄水場などがセシウムで汚染されると心配する人もいるようだが、
それに対してもやはり「そんなに摂取する機会はあるの?」と問いたい。
震災の直後はボクもある種のヒステリーにかかり、原発を推進してきた電力会社や国を絶対悪と思うようなところがあった。
だが、震災後福島と所沢を行ったり来たりしているうちに、放射能に対する温度差を如実に感じるようになった。
福島ではモニタリングポストが設置される光景が日常になっている一方で、小さな子を抱える親は放射能の影響を避けようと奔走している。
所沢に戻って来ても放射能を気にする人はほとんどいない。ただ過剰な拒否反応があるだけだ。
次第にそこのギャップが大きくなりすぎて、ボクは反原発運動から距離を置いた。
ボクは脱原発の立場だけれども、まずは福島のことを考えるのが第一だろうと思う。そこに立脚しない脱原発の議論は空虚でしかない。
反原発デモをやるのは良いと思う。ここまで継続してやってこれたという事実は重い。
ただ最近はデモをやることが目的化して、何のためにやっているのかがよくわからない。
アリバイ作りに福島の人を呼んでいるだけではダメなのだ。政治運動化していくのか。それとも福島に根を張って動いていくのか。
3年経って反原発運動も覚悟が問われているんではないかと思う。
正直何を書いたらいいのか迷ってしまう。思うことがあり過ぎるからだ。
震災が起きて世の中が一変したようでいて、3年経つと結局何も変わっていなかったという気がしないでもない。
ただはっきりとしているのは、震災で被害を受けた人たちがいて、そして皆立ち上がろうとしているということだ。
震災の日に福島市にいて、その後3か月間混乱の一部始終を見てきた。
それから何度か福島を訪れて、その度に少しずつ物事が前に進んでいることを感じることができた。
震災当時は高かった放射線量もかなり下がっているし、地震で壊れた建物や塀、電柱なども撤去したり直したりして綺麗になった。
新しい店もできたし、花見山や鶴ヶ城の観光客もかなり戻ってきた。
もちろん前向きなことばかりではない。原発周辺地域はまだ何も手を付けられない所もある。
でもそれ以外の地域はマスコミが伝えがちな悲観的な状況というのはそう多くない。
農家や漁業者の苦境が伝えられることは多いけれども、ボク個人は福島産のものを食べてきたし、食べることに抵抗感もない。
そもそも原発とは無関係な地域も多いし、かつて放射線量が高かった所も下がってきているのが事実だ。
昨年の冬から3年ぶりに伊達地域のあんぽ柿が出荷されるようになった。放射性セシウムの残留濃度が高く、出荷が自粛されていたのだ。
伊達のあんぽ柿については「伊達 あんぽ柿 セシウム」で検索すると今でも危険性を訴える人がいるようだ。
しかし明らかに事実と異なる点を伝える人もいて、例えば農家が食べない柿をあんぽにして出荷しているというなんて話もある。
伊達に近い所に親類がいるボクに言わせるとあんぽにする蜂屋柿はそもそも生で食べるものではない。
あんぽにしない限りは食べても問題の無いセシウム濃度なのだが、焼酎漬けにして渋抜きをしなければ食べることはできないものなのだ。
だから農家の人は手間をかけてまであんぽに使う柿を食べるようなことはしない。
2012年の秋にあんぽにできない蜂屋柿を焼酎漬けにして食べる機会があった。
びっくりするくらい美味かった。そしてなんで生柿のまま出荷しないのだろうとも思った。
聞いてみると生柿で出荷しても値が付かないということだった。確かに焼酎漬けの作業は手間がかかるし、開封のタイミングが結構難しい。
そういう事情を知ったうえで、ボクはあんぽ柿の再出荷を心待ちにしていた。
そしてスーパーに伊達のあんぽ柿が出回るようになった。美味かった。美味かったけれども、まだ完全復活までには至っていない。
あんぽ柿はスーパーに出回るもの以外にも贈答用のものがある。福島の果物店に聞くと贈答用品はまだ出荷できる状況にないという。
全盛期の6分の1になってしまった出荷量が回復しない限り、以前のような立派なあんぽ柿はしばらく食べられないのかもしれない。
それでも風評被害に負けずに出荷にこぎつけた農家の頑張りは評価されるべきだと思う。
3年という月日は福島とそれ以外の地域との分断が進んでしまった部分もあるように思う。
食品に含まれるセシウムの濃度はその典型で、生産者と一部消費者との溝は埋められそうにない。
ボクは生産者ではないけれども、福島産を忌避する人たちに対しては疑問がある。
「そんなに福島産の食品って食べる機会あるの?」と。
例えばあんぽ柿は出荷量や出荷時期はかなり限定された食品だ。しかもその独特の食感からかなり好き嫌いは大きい。
多少基準濃度を超えていようと食べる量や機会は限られている。それに目くじらを立てることは正直馬鹿馬鹿しいと思う。
震災当時は摂取を控えるよう呼びかけのあった茎立菜なども食べなければ生きられない状況だった。
そしてそれを食べたからといって死ぬ人はいなかった。常時そんなものを食べる人はいないからだ。
生産者に近い人からも提言があるように、食品によって基準は異なるべきなんじゃないかと思う。
米のように常時大量に摂取するものなのか、それともあんぽ柿のような季節物の嗜好品なのかでやはり違いはあるはずだ。
排出物によって浄水場などがセシウムで汚染されると心配する人もいるようだが、
それに対してもやはり「そんなに摂取する機会はあるの?」と問いたい。
震災の直後はボクもある種のヒステリーにかかり、原発を推進してきた電力会社や国を絶対悪と思うようなところがあった。
だが、震災後福島と所沢を行ったり来たりしているうちに、放射能に対する温度差を如実に感じるようになった。
福島ではモニタリングポストが設置される光景が日常になっている一方で、小さな子を抱える親は放射能の影響を避けようと奔走している。
所沢に戻って来ても放射能を気にする人はほとんどいない。ただ過剰な拒否反応があるだけだ。
次第にそこのギャップが大きくなりすぎて、ボクは反原発運動から距離を置いた。
ボクは脱原発の立場だけれども、まずは福島のことを考えるのが第一だろうと思う。そこに立脚しない脱原発の議論は空虚でしかない。
反原発デモをやるのは良いと思う。ここまで継続してやってこれたという事実は重い。
ただ最近はデモをやることが目的化して、何のためにやっているのかがよくわからない。
アリバイ作りに福島の人を呼んでいるだけではダメなのだ。政治運動化していくのか。それとも福島に根を張って動いていくのか。
3年経って反原発運動も覚悟が問われているんではないかと思う。