(観音山 山頂)
埼玉県の西の端に山に囲まれた小鹿野という町がある。町内にある二子山・父不見山などの群馬県境の山は西上州、両神山や秩父御岳山などの秩父市との市町境の山は奥秩父として紹介されることが多いが、それ以外あるいはそれらを含めて小鹿野町一帯の山を西秩父と呼ぶこともある。西秩父という名称は埼玉県が指定する県立自然公園にも使われていて、こちらは塚山や城峯山も含まれている。今回はその西秩父にある観音山を歩いてみることにした。
西秩父桃湖から牛首峠
一般的に観音山へは南西にある秩父札所31番の観音院から登るルートと北西にある牛首峠を経由するルートがある。比較的標高差も水平距離も小さな山なので、今回は北東にある西秩父桃湖から出発し、北側から牛首峠に上がって山頂を目指す行程とした。下山は観音山から東に延びる尾根を使って落葉松峠へ下り、小鹿野の市街地へ出る予定だが、台風19号の被害が埼玉県の山間地でも出ており、道の具合が少々心配ではある。
スタート地点である西秩父桃湖へは、合角(かっかく)ダムを紹介する埼玉県のHPによると、西武秩父駅から吉田元気村行き終点か小鹿野役場乗り換えで長沢(ちょうざわ)行き女形入口バス停からアクセスできるようだ。バス時間を調べると吉田元気村着は10:03、女形入口着は9:33と小鹿野役場乗り換えで行く方が少し早い。小鹿野町営バスを除けば秩父漫遊きっぷのバスフリーパスの範囲内なので、バス代がかなりお得となりそうだ。
8時過ぎ西武秩父駅に着く。普段秩父方面の山を歩くときは8時前には西武秩父駅を通り過ぎていることが多いので、やや遅い出足だ。栗尾行きのバスに乗り込み、秩父漫遊きっぷのクーポン券をバスフリーパスに換えてもらう。定刻通りに出発したバスは賑やかな秩父市街地を抜けると中蒔田地区に出る。寄居から延びている有料道路がここまでやって来ていて、マイカーならこの有料道路を使えば小鹿野は大分近くなったのではないだろうか。蒔田川沿いには集落が形成され、どこか福島県二本松市や川俣町を思い起こさせる風景である。田村バス停を過ぎると山道を上がっていく。山を越えて出た先が城峯山を登った際に訪れた松井田地区だ。ここはもう小鹿野町の中だ。だが小鹿野町役場まではもう少しかかる。
(秩父漫遊きっぷのバスフリーパス バス車内で運転手にクーポン利用を伝えれば引き換えてもらえる)
民家が立ち並ぶ広い谷を行くと小鹿野町役場に着く。低層の小さな建物なのに少々驚いてしまった。バスを降り、観光案内所の前で長沢行きを待っていると消防職員と話をしていた高齢の男性が話しかけてきた。男性は秩父の人で毘沙門水まで行くとのこと。帰りは西秩父桃湖から落葉松峠を越えて小鹿野市街地へ下りてくる予定だったが、消防職員の話によると落葉松峠の小鹿野市街地側が台風19号の影響で通行止めになっているという。みどりの村への遊歩道は歩けるとのことだが、出発時刻も遅いので観音院から栗尾へと下ったほうが良さそうだ。
長沢行きのバスに乗り込むと小鹿野の市街地を抜けていく。役場から少し西へ行った辺りに商店街があるようだ。帰りに寄ってみようか。商店街を抜けると北にある丘陵を越えて秩父市の上吉田へと出る。なかなか複雑な行程の路線だ。吉田川沿いに付けられた道路をぐいぐい上がると合角ダムが見えてくる。西秩父桃湖は埼玉県の山間地に多い人工湖なのだ。ダムの堤防のすぐ先へ行った所でバスは停まる。女形入口バス停に到着だ。バス停の周りは駐車場となっているようだ。
出発が遅いので手早く準備を済ませ、まずはダムの堤防上を行く。台風19号の大雨により西秩父桃湖は濁り水で満水状態だ。堤防からは小川戸地区を見下ろすことができる。堤防からも濁り水が絶えず放水されていた。それほど大きなダムではないが、スマホで写真を撮ろうとするとちょっと怖い。堤防を渡り、湖の東側に付けられた車道を行く。この辺りは一般車立入禁止で道はあまり整備されていない。堤防のある辺りは秩父市だったが、湖の大半は小鹿野町の中にある。釣り人が多い小さな橋を渡ると湖を横切る大きな橋が見えてきた。合角漣大橋(かっかくさざなみおおはし)だ。橋は一般車の通行が許されており、橋の東端から南へ下れば小鹿野市街地へと出ることもできるのだが、台風により通行止めになっているのは前述のとおりだ。
(女形入口バス停から1分ほどで合角ダムの堤防に着く)
(堤防から小川戸地区を見下ろす)
(堤防から眺める西秩父桃湖)
(堤防からの放水)
(湖の東側に付けられた車道 一般車通行禁止)
(ダムは満水状態で木々も水に浸かっていた)
(合角漣大橋と観音山を望む)
(合角漣大橋)
合角漣大橋の中ほどへ進むと北側はダムの堤防、南側は観音山から落葉松峠へと延びる尾根を見渡すことができる。橋の上は標高320mくらいなので、観音山の頂上までは標高差400m弱といったところ。ここから見るとなんだか簡単に登れそうな山に見えなくもない。岬のように伸びた尾根を橋で越えて湖の西から山を少し上がる。すると日尾峠トンネルが見えてくる。地形図を見るとトンネルの南に旧道が残っているようだが、時間が惜しいのでトンネルを潜る。
(合角漣大橋からの観音山)
※横長の画像は画像上で右クリックし別窓を開くとより大きなサイズでご覧いただける場合があります
(合角漣大橋から合角ダムを望む)
(岬のように伸びた尾根を横切るように橋が架けられている)
(尾根を越えた橋の上からの眺め)
(日尾峠トンネル このトンネル手前左手に道がある)
トンネルを抜けて出た先は日尾の集落。吉田川に架かる橋から川を見下ろすと台風の爪痕ともいうべき流木が残されていた。路線バスのルートでもある車道を西に進むと倉尾ふるさと館なる観光施設がある。すぐそばに公衆トイレがあるので、用を足していく。天気は良いが、山はやっぱり寒いのだ。倉尾ふるさと館からは施設前の車道を道なりに上がっていくと観音山へと続く遊歩道が付けられているらしい。次に来る機会があれば、こうしたサブルートを歩いてみるのも楽しそうだ。
(日尾の集落に架かる橋から吉田川を眺める)
(倉尾ふるさと館)
(いくらか色づきが進んでいるようだ)
倉尾ふるさと館を過ぎると車道は急激に狭くなる。こんな所をあの大きなバスが通り抜けているかと思うと驚きだ。北に張り出した尾根を迂回し、殿谷戸と呼ばれる地区にやって来る。橋を渡った民家が立ち並ぶ集落から牛首峠への道が延びているのだが、200m先に毘沙門水(びしゃもんすい)と呼ばれる名水が湧き出しているというので、そちらに寄ってから山道に入るとしよう。車道を更に進むと橋を渡った川向うに毘沙門水と書かれた建物がある。建物の前に水道の蛇口が設けられ、そこから水を汲む仕組みになっている。環境整備料は100円以上とのことなので、100円を払ってプラティパスに満水まで汲んでいく。クルマで次々とやって来ては水を汲んでいくのでかなりの人気スポットであることがわかる。
(殿谷戸に出る前はかなり細い道だ)
(毘沙門水)
毘沙門水の前の細い道路を進んで殿谷戸の集落内を行く。集落は吉田川を見下ろすほどに高い所にあり、吉田川が増水すると結構な暴れ川になるのではないだろうか。集落内を流れる沢が見えてくるとそこが牛首峠の入口である。沢沿いに付けられたルートで2004年の彩の国まごころ国体の際にも使われたという。国体に使われた関係なのかコンクリートで護岸がされていて、台風19号の影響はあまり受けていないようだ。道は昔ながらの峠道だけあって傾斜は緩く歩きやすい。只管沢沿いに登っていくと石段(コンクリート階段?)が現れる。峠手前の急傾斜地帯に差し掛かったのだろう。大きな岩場を石段で巻いていくと大きな岩と色づいた木々が出向かえてくれる。岩に近づいてみるとここが牛首峠であった。事前に山と渓谷社発行の分県ガイドで大岩の切通があることがわかっていたのだが、想像していたものと比べるとやや小ぶりだ。名栗の天神峠のほうが圧倒されるような大きさはあるのではないだろうか。ただこの立派な岩の切通は一見の価値がある。
(牛首峠入口)
(沢沿いの道を行く コンクリート護岸が特徴的)
(終始沢沿いを行く ここは右に見切れている辺りまで進んで折り返して登る九十九折になっている)
(石段が現れる 奥に大きな岩場が見える)
(急傾斜地の岩場 写真がブレブレだがこれしか撮っていなかった)
(牛首峠周辺は大岩だらけ)
(牛首峠に着く もう少し色付きが進んだら紅葉が綺麗だろう)
(牛首峠の切通)
観音山頂上を目指す
牛首峠からは尾根伝いに観音山を目指す。東にある大岩に付けられた木段を上がり、トラバース気味に進む。炭焼き窯跡を過ぎると道は緩やかな谷を行く。突き当りの尾根に上がると道標があり、日尾城跡と観音山を指示している。日尾城跡方面に進むとすぐに石碑の立つ城跡に着く。他に石祠がある以外は松の木に覆われて展望は得られない。北に延びた尾根のピークにいるらしく、往時は周囲を伐採して吉田川を見下ろしていたのだろう。日尾城跡のピーク手前からは倉尾ふるさと館への道が延びているが、これは倉尾ふるさと館から延びる尾根に下るルートのようだ。
(炭焼き窯跡)
(緩やかな谷を進む この辺りやや踏み跡不明瞭)
(尾根に上がると道標がある)
(日尾城跡)
(倉尾ふるさと館へ下る道もあるようだ)
分岐を戻り、観音山を目指す。東西に延びる尾根を越えて南東に延びる尾根の南側をトラバースする。手持ちの紙の地形図にはこの道は載っていないが、地理院地図にはしっかり道形がある。その道の再現度には感心させられる。尾根に乗ると大岩が行く手を阻む。分県ガイドに書かれている鎖の付いた岩場だ。ただ正直な話、鎖を使わなければならないほどの岩場ではない。下りの際に使うと便利という程度だ。岩を越えると松や落葉樹の生える穏やかな尾根が続く。南側の展望が開けた一枚岩の上で道が左に折れ曲がる。道の穏やかさという点では奥武蔵の山に似る所もあるが、露出した岩が多いという点では西上州の山の雰囲気が濃厚という感じがする。松の木の多い尾根は所々展望が開けており、北側に作られた転落防止用の柵の向こうには先ほどまで居た日尾の集落が見下ろせる。奥の尾根の一番高い山は城峯山ではないかと思うのだが、微妙に位置がズレているようにも感じる。
(分岐に戻って来た 尾根から往路を見るとこんな感じの谷になっている)
(鎖が付けられた岩場)
(岩を越えると明るい尾根だ 地面が岩っぽいのが特徴的)
(南側が開けた一枚岩の上からの眺め)
(柵が設けられた松林から日尾の集落を見下ろす)
(左に見えるように露岩の多い山だ)
暗い檜の尾根の北側を歩いていくと道標の立つ分岐に出る。道標には中央湖畔ルートと書かれ、湖畔・展望休憩舎と書かれた方には斜面をトラバースしながら道が下っている。おそらく日尾峠トンネル付近からここまで登ってくるルートがあるのではないだろうか。ベンチがあるのでここで一旦休憩を取る。短い行程だがややきつく感じるのは毘沙門水で2.5リットルも水を汲んでしまったせいだろう。尾根を越えると観音山の南西斜面をトラバースしていく。傾斜の緩い所は道形がはっきりしているが、傾斜が急な所は道形がかなり薄くなっている。真っ直ぐ進めば問題はないのだが、山慣れていない人にはわかりづらいだろう。
(尾根道はよく整備されていて歩きやすい)
(中央湖畔ルートと書かれた道標のある分岐 奥の尾根を越えるとトラバース道が始まる)
(トラバース道 この辺りは良い道)
(やっぱり露岩が多い)
(急斜面のトラバース 踏み跡はかなり不明瞭)
急傾斜のトラバースを終えると小さな尾根を越える。道形は更に中腹を延びているが、直ぐ下に道標があるのが見える。念のために下りてみると通行止めとなっている西奥の院を示す道標が立っていた。こちらは観音院ルートと名付けられているようだ。道標は札所31番観音院も示していて、明瞭な道が下っている。確認のためにここを下るとまた道標があり、牛首峠・観音院以外に観音山頂上方面を示している。道標に従って観音山方面をジグザグに上がると西奥の院を指示す道標の所で分かれたトラバース道と合流する。トラバース道は小枝で通せんぼしてあったので、順路ではないということなのだろう。しかし西奥の院方面を通行止めとしているのなら、むしろトラバース道を歩かせたほうが安全なのではないだろうか。
(西奥の院を示す道標 観音院ルートとある)
(観音山分岐)
トラバース道は仁王尊細工場跡と書かれた看板が立つ所で終わり、その先は急傾斜の谷を九十九折に上がっていく。標高差は100m超で、時間にしても10分程度ではあるが、木段続きでかなり体力を奪われる。尾根に上がる手前で道は二手に分かれ、右手は落葉松峠へ、左手は観音山頂へと向かう。山頂へは南側斜面をトラバースしながら進む。というのも仁王尊採石場跡と書かれた看板がある辺りに大きく露出した岩があるからだ。岩を回り込んだ辺りで山頂から降りてきた高齢者のグループとすれ違う。結局山中で出会ったのはこの人たちだけで、割と静かな山歩きが楽しめた。小さな鞍部から上がると木立に囲まれた観音山頂上(698.2)に出る。細長く小さな山頂なので大人数で休憩を取るには適さない。山頂の西端には岩が露出していて北西側が開けている。近くに見える台形の出っ張りが特徴的な山は白石山だ。「画廊天地人」や「山と渓ときのこと酒と」などでは毘沙門山と紹介されていて、そちらのほうが地元では一般的な名称のようだ。その右に見える凸凹とした岩山は二子山。二子山から右へは上武国境の山々が聳える。父不見山が呼称のうちあるようだが、正確な位置は分からない。岩場を少し下ると両神山から二子山にかけての眺めが良い。あまり展望には期待していなかったので、望外の展望につい長居してしまう。
(仁王尊細工場跡 ここから先は谷をジグザグに上がっていく)
(落葉松峠との分岐を示す道標)
(仁王尊採石場跡)
(観音山頂上西にはちょっとした岩場がある)
(観音山頂上からのパノラマ)
(左背後に見えるのが両神山)
大岩窟の観音院を経て小鹿野の街へ
昼食のカロリーメイトを食べ終わり、下山に取り掛かる。先ずは往路を戻るが、木段続きの道は下りでも体に応える。分岐まで戻っても斜面のトラバースは続く。道はよく整備されているほうだが、斜面のトラバース道はどうしても薄くなりがちである。尾根に出ると木の階段が現れる。人の声なども聞こえてきたので観音院は近い。階段を下りきったところで参拝客のカップルと出会う。もう熊鈴に用はない。西に延びる尾根は岩が剥き出しで観音山の一部であることがわかる。堂宇が立つ東奥の院からは観音院が見渡せるとのことであったが、本堂のある辺りは木に覆われて見ることができない。ただ本堂脇の大岩壁は広く見渡せ、岩窟に石仏が納められているのもよく見える。規模は小さいがアジャンターの石窟寺院みたいだ。
(落葉松峠分岐から仁王尊細工場跡まではこうした木段が続く)
(観音院へと向かう道 若干道が薄い)
(ここまで来れば観音院は間近)
(東奥の院 観音院の岩壁を見るのに良い)
(観音院の大岩壁)
(岩壁には石仏が納められている)
石仏の置かれた石段を下り、本堂へと下りてくる。正面に回り込むと大きな岩屋の下に本堂が作られていることがわかる。秩父札所31番に数えられている観音院の正式名称は鷲窟山観音院で、鷲窟山という名はこの巨大な岩屋が「鷲の岩屋」と呼ばれることに由来するという。本堂脇の岩壁からは水が滴り落ちて水溜りを作り出しており、聖浄の滝と名付けられている。水が染み出す岩場は台風19号の大雨にも耐えたようだが、覆い被さる岩を見ていると何とも恐怖心が湧き出してしまう。この光景を拝むだけのためであっても小鹿野に来る価値は十分にある。岩壁の下部には爪彫りの磨崖仏(正式には鷲窟磨崖仏)があり、弘法大師が彫ったものと伝えられている。
(観音院の堂宇が見えてきた)
(本堂)
(本堂と鷲の岩屋を引きで眺める)
(聖浄の滝)
(本堂の背後の岩場から水が染み出しているのがわかる)
(岩壁にできた隙間には石仏が納められている)
(鷲窟磨崖仏)
(落石が多いらしく、西奥の院などは通行止めになっている)
本堂から山門へは沢沿いの石段を下っていく。300ほどの長い石段だ。途中石段の上に大岩が鎮座し、迂回路ができていた。山門にあった案内によると台風19号による落石であるらしい。山門には観音山で切り出されたというあの仁王像が納められ、一本石造りとしては日本一の仁王尊であるとの看板が掛けられていた。明治元年に完成したということであるが、石質が良いのか古びた感じはしない。
(石段を下る 296段あるとのこと)
(台風19号で落ちてきたらしい)
(仁王尊)
(台風被害を知らせる看板)
(観音院山門)
観音院の山門より先は岩殿沢沿いの車道を下っていく。観音山トンネルの手前には大竜寺源泉の建物があり、周辺の温泉旅館の多くが使用している。トンネルを抜けると谷間を埋め尽くす石仏が目に入る。水子供養で有名な地蔵寺だ。ボクが法学部の学生だった頃、消費者法の講義で水子供養が比較的新しい信仰であることを知ってからは少々距離を置くようにしている。もちろん水子の悩みを抱えている人の信仰を否定するつもりは全くないが。二軒の蕎麦屋を過ぎるとたらちね観音がある。ずいぶん宗教色の濃い道だ。牛が寝そべる吉田牧場を過ぎれば岩殿沢の集落だ。沢の左岸に形成され、陽当たりは良い。やがて交通量の多い国道299号に出ると間も無く栗尾バス停に着く。時刻表を見ると次のバスが来るまではあと1時間弱ある。ここでただ突っ立っているのも勿体ないし、小鹿野の街を見てみたいこともあって中心市街地まで歩くことにした。
(大竜寺源泉の成分表 建物の写真は撮ったつもりが写っていたのは地面だった…)
(観音山トンネル 中でカーブしている)
(地蔵寺 谷は石仏で埋め尽くされている)
(たらちね観音周辺の紅葉)
(吉田牧場)
民家が点在する国道を行くと行く手に顕著な三角形の山が見えてくる。山頂部の半分がすっぱりと切られた武甲山だ。台風19号の被害によって表参道・浦山側どちらも登山道が崩壊して通行止めになっている。あの辺りの山域を歩けるようになるのは来年以降になるだろうか。西武観光バスの停留所を拾いながら歩いていく。停留所に着く度時刻表を確認していくのだが、巣掛(すがかり)峠入口バス停に着いたところで西武秩父駅行きのバスが通っていないことに気づく。スマホの地図ロイドで調べてみるとこの先の交差点を曲がって小鹿野高校脇の道を進めば小鹿野の中心市街に出られそうだ。小鹿野高校前の交差点を曲がるとなるほど民家が多い。原町の交差点を左に曲がればバス車内から見かけた商店街に入る。日曜日ということもあってか閉めている店が多く、また歩いている人がいないため、うら寂しい感じだ。須崎旅館などを過ぎ、越後屋旅館前にある町立病院前バス停でバスを待つことにした。これ以上進んでももう店は無いだろう。道向かいにある太田甘池堂なる羊羹のお店に入る。いんげん豆でから作られた本煉の羊羹を買ってみたが、手ごろな値段の割に本格的な味でスイーツ好きにはお薦めできる。14時半過ぎにやって来たバスに乗り込むと学生さんで一杯だったが、なんとか一つ席を確保できた。小鹿野の山は遠くて交通費も嵩みがちだったのでなかなか訪れることができなかったが、秩父漫遊きっぷのおかげで訪れやすくなった。バスの使い方も今回の山行で要領は摑めたので今後は西秩父の山歩きも増やしていこうと思うのだった。
(国道299号を行くと武甲山が見えてくる 武甲山の右に見えるのは小持山辺りだろうか?)
(小鹿野の市街地に着いた)
(町立病院前バス停 後ろの建物は越後屋旅館)
(バス停の向かいにある太田甘池堂)
DATA:
西武秩父駅(西武観光バス 小鹿野車庫・栗尾行き)小鹿野役場バス停(西武観光バス 長沢行き)女形入口バス停9:37→9:38合角ダム(西秩父桃湖)→9:50合角漣大橋→10:11日尾集落→10:33毘沙門水→10:38牛首峠入口→10:59牛首峠→11:07日尾城跡→11:23西秩父桃湖分岐→11:32観音院分岐→11:49落葉松峠分岐→11:52観音山(698.2)12:04→12:17観音院分岐→12:28東奥の院→12:33観音院本堂12:42→12:52観音院山門→12:56大竜寺源泉→13:01水子地蔵寺→13:26栗尾バス停→14:12町立病院前(西武観光バス)西武秩父駅
地形図 長又
トイレ 倉尾ふるさと館 観音院
水場 毘沙門水(環境整備料100円以上)
交通機関
西武池袋・秩父線 小手指~西武秩父 510円(往復)
西武観光バス 西武秩父駅~小鹿野役場 490円
小鹿野役場~女形入口 350円
町立病院前~西武秩父駅 530円
(秩父漫遊きっぷ 1770円で上記の路線に乗ることができます)
埼玉県の西の端に山に囲まれた小鹿野という町がある。町内にある二子山・父不見山などの群馬県境の山は西上州、両神山や秩父御岳山などの秩父市との市町境の山は奥秩父として紹介されることが多いが、それ以外あるいはそれらを含めて小鹿野町一帯の山を西秩父と呼ぶこともある。西秩父という名称は埼玉県が指定する県立自然公園にも使われていて、こちらは塚山や城峯山も含まれている。今回はその西秩父にある観音山を歩いてみることにした。
西秩父桃湖から牛首峠
一般的に観音山へは南西にある秩父札所31番の観音院から登るルートと北西にある牛首峠を経由するルートがある。比較的標高差も水平距離も小さな山なので、今回は北東にある西秩父桃湖から出発し、北側から牛首峠に上がって山頂を目指す行程とした。下山は観音山から東に延びる尾根を使って落葉松峠へ下り、小鹿野の市街地へ出る予定だが、台風19号の被害が埼玉県の山間地でも出ており、道の具合が少々心配ではある。
スタート地点である西秩父桃湖へは、合角(かっかく)ダムを紹介する埼玉県のHPによると、西武秩父駅から吉田元気村行き終点か小鹿野役場乗り換えで長沢(ちょうざわ)行き女形入口バス停からアクセスできるようだ。バス時間を調べると吉田元気村着は10:03、女形入口着は9:33と小鹿野役場乗り換えで行く方が少し早い。小鹿野町営バスを除けば秩父漫遊きっぷのバスフリーパスの範囲内なので、バス代がかなりお得となりそうだ。
8時過ぎ西武秩父駅に着く。普段秩父方面の山を歩くときは8時前には西武秩父駅を通り過ぎていることが多いので、やや遅い出足だ。栗尾行きのバスに乗り込み、秩父漫遊きっぷのクーポン券をバスフリーパスに換えてもらう。定刻通りに出発したバスは賑やかな秩父市街地を抜けると中蒔田地区に出る。寄居から延びている有料道路がここまでやって来ていて、マイカーならこの有料道路を使えば小鹿野は大分近くなったのではないだろうか。蒔田川沿いには集落が形成され、どこか福島県二本松市や川俣町を思い起こさせる風景である。田村バス停を過ぎると山道を上がっていく。山を越えて出た先が城峯山を登った際に訪れた松井田地区だ。ここはもう小鹿野町の中だ。だが小鹿野町役場まではもう少しかかる。
(秩父漫遊きっぷのバスフリーパス バス車内で運転手にクーポン利用を伝えれば引き換えてもらえる)
民家が立ち並ぶ広い谷を行くと小鹿野町役場に着く。低層の小さな建物なのに少々驚いてしまった。バスを降り、観光案内所の前で長沢行きを待っていると消防職員と話をしていた高齢の男性が話しかけてきた。男性は秩父の人で毘沙門水まで行くとのこと。帰りは西秩父桃湖から落葉松峠を越えて小鹿野市街地へ下りてくる予定だったが、消防職員の話によると落葉松峠の小鹿野市街地側が台風19号の影響で通行止めになっているという。みどりの村への遊歩道は歩けるとのことだが、出発時刻も遅いので観音院から栗尾へと下ったほうが良さそうだ。
長沢行きのバスに乗り込むと小鹿野の市街地を抜けていく。役場から少し西へ行った辺りに商店街があるようだ。帰りに寄ってみようか。商店街を抜けると北にある丘陵を越えて秩父市の上吉田へと出る。なかなか複雑な行程の路線だ。吉田川沿いに付けられた道路をぐいぐい上がると合角ダムが見えてくる。西秩父桃湖は埼玉県の山間地に多い人工湖なのだ。ダムの堤防のすぐ先へ行った所でバスは停まる。女形入口バス停に到着だ。バス停の周りは駐車場となっているようだ。
出発が遅いので手早く準備を済ませ、まずはダムの堤防上を行く。台風19号の大雨により西秩父桃湖は濁り水で満水状態だ。堤防からは小川戸地区を見下ろすことができる。堤防からも濁り水が絶えず放水されていた。それほど大きなダムではないが、スマホで写真を撮ろうとするとちょっと怖い。堤防を渡り、湖の東側に付けられた車道を行く。この辺りは一般車立入禁止で道はあまり整備されていない。堤防のある辺りは秩父市だったが、湖の大半は小鹿野町の中にある。釣り人が多い小さな橋を渡ると湖を横切る大きな橋が見えてきた。合角漣大橋(かっかくさざなみおおはし)だ。橋は一般車の通行が許されており、橋の東端から南へ下れば小鹿野市街地へと出ることもできるのだが、台風により通行止めになっているのは前述のとおりだ。
(女形入口バス停から1分ほどで合角ダムの堤防に着く)
(堤防から小川戸地区を見下ろす)
(堤防から眺める西秩父桃湖)
(堤防からの放水)
(湖の東側に付けられた車道 一般車通行禁止)
(ダムは満水状態で木々も水に浸かっていた)
(合角漣大橋と観音山を望む)
(合角漣大橋)
合角漣大橋の中ほどへ進むと北側はダムの堤防、南側は観音山から落葉松峠へと延びる尾根を見渡すことができる。橋の上は標高320mくらいなので、観音山の頂上までは標高差400m弱といったところ。ここから見るとなんだか簡単に登れそうな山に見えなくもない。岬のように伸びた尾根を橋で越えて湖の西から山を少し上がる。すると日尾峠トンネルが見えてくる。地形図を見るとトンネルの南に旧道が残っているようだが、時間が惜しいのでトンネルを潜る。
(合角漣大橋からの観音山)
※横長の画像は画像上で右クリックし別窓を開くとより大きなサイズでご覧いただける場合があります
(合角漣大橋から合角ダムを望む)
(岬のように伸びた尾根を横切るように橋が架けられている)
(尾根を越えた橋の上からの眺め)
(日尾峠トンネル このトンネル手前左手に道がある)
トンネルを抜けて出た先は日尾の集落。吉田川に架かる橋から川を見下ろすと台風の爪痕ともいうべき流木が残されていた。路線バスのルートでもある車道を西に進むと倉尾ふるさと館なる観光施設がある。すぐそばに公衆トイレがあるので、用を足していく。天気は良いが、山はやっぱり寒いのだ。倉尾ふるさと館からは施設前の車道を道なりに上がっていくと観音山へと続く遊歩道が付けられているらしい。次に来る機会があれば、こうしたサブルートを歩いてみるのも楽しそうだ。
(日尾の集落に架かる橋から吉田川を眺める)
(倉尾ふるさと館)
(いくらか色づきが進んでいるようだ)
倉尾ふるさと館を過ぎると車道は急激に狭くなる。こんな所をあの大きなバスが通り抜けているかと思うと驚きだ。北に張り出した尾根を迂回し、殿谷戸と呼ばれる地区にやって来る。橋を渡った民家が立ち並ぶ集落から牛首峠への道が延びているのだが、200m先に毘沙門水(びしゃもんすい)と呼ばれる名水が湧き出しているというので、そちらに寄ってから山道に入るとしよう。車道を更に進むと橋を渡った川向うに毘沙門水と書かれた建物がある。建物の前に水道の蛇口が設けられ、そこから水を汲む仕組みになっている。環境整備料は100円以上とのことなので、100円を払ってプラティパスに満水まで汲んでいく。クルマで次々とやって来ては水を汲んでいくのでかなりの人気スポットであることがわかる。
(殿谷戸に出る前はかなり細い道だ)
(毘沙門水)
毘沙門水の前の細い道路を進んで殿谷戸の集落内を行く。集落は吉田川を見下ろすほどに高い所にあり、吉田川が増水すると結構な暴れ川になるのではないだろうか。集落内を流れる沢が見えてくるとそこが牛首峠の入口である。沢沿いに付けられたルートで2004年の彩の国まごころ国体の際にも使われたという。国体に使われた関係なのかコンクリートで護岸がされていて、台風19号の影響はあまり受けていないようだ。道は昔ながらの峠道だけあって傾斜は緩く歩きやすい。只管沢沿いに登っていくと石段(コンクリート階段?)が現れる。峠手前の急傾斜地帯に差し掛かったのだろう。大きな岩場を石段で巻いていくと大きな岩と色づいた木々が出向かえてくれる。岩に近づいてみるとここが牛首峠であった。事前に山と渓谷社発行の分県ガイドで大岩の切通があることがわかっていたのだが、想像していたものと比べるとやや小ぶりだ。名栗の天神峠のほうが圧倒されるような大きさはあるのではないだろうか。ただこの立派な岩の切通は一見の価値がある。
(牛首峠入口)
(沢沿いの道を行く コンクリート護岸が特徴的)
(終始沢沿いを行く ここは右に見切れている辺りまで進んで折り返して登る九十九折になっている)
(石段が現れる 奥に大きな岩場が見える)
(急傾斜地の岩場 写真がブレブレだがこれしか撮っていなかった)
(牛首峠周辺は大岩だらけ)
(牛首峠に着く もう少し色付きが進んだら紅葉が綺麗だろう)
(牛首峠の切通)
観音山頂上を目指す
牛首峠からは尾根伝いに観音山を目指す。東にある大岩に付けられた木段を上がり、トラバース気味に進む。炭焼き窯跡を過ぎると道は緩やかな谷を行く。突き当りの尾根に上がると道標があり、日尾城跡と観音山を指示している。日尾城跡方面に進むとすぐに石碑の立つ城跡に着く。他に石祠がある以外は松の木に覆われて展望は得られない。北に延びた尾根のピークにいるらしく、往時は周囲を伐採して吉田川を見下ろしていたのだろう。日尾城跡のピーク手前からは倉尾ふるさと館への道が延びているが、これは倉尾ふるさと館から延びる尾根に下るルートのようだ。
(炭焼き窯跡)
(緩やかな谷を進む この辺りやや踏み跡不明瞭)
(尾根に上がると道標がある)
(日尾城跡)
(倉尾ふるさと館へ下る道もあるようだ)
分岐を戻り、観音山を目指す。東西に延びる尾根を越えて南東に延びる尾根の南側をトラバースする。手持ちの紙の地形図にはこの道は載っていないが、地理院地図にはしっかり道形がある。その道の再現度には感心させられる。尾根に乗ると大岩が行く手を阻む。分県ガイドに書かれている鎖の付いた岩場だ。ただ正直な話、鎖を使わなければならないほどの岩場ではない。下りの際に使うと便利という程度だ。岩を越えると松や落葉樹の生える穏やかな尾根が続く。南側の展望が開けた一枚岩の上で道が左に折れ曲がる。道の穏やかさという点では奥武蔵の山に似る所もあるが、露出した岩が多いという点では西上州の山の雰囲気が濃厚という感じがする。松の木の多い尾根は所々展望が開けており、北側に作られた転落防止用の柵の向こうには先ほどまで居た日尾の集落が見下ろせる。奥の尾根の一番高い山は城峯山ではないかと思うのだが、微妙に位置がズレているようにも感じる。
(分岐に戻って来た 尾根から往路を見るとこんな感じの谷になっている)
(鎖が付けられた岩場)
(岩を越えると明るい尾根だ 地面が岩っぽいのが特徴的)
(南側が開けた一枚岩の上からの眺め)
(柵が設けられた松林から日尾の集落を見下ろす)
(左に見えるように露岩の多い山だ)
暗い檜の尾根の北側を歩いていくと道標の立つ分岐に出る。道標には中央湖畔ルートと書かれ、湖畔・展望休憩舎と書かれた方には斜面をトラバースしながら道が下っている。おそらく日尾峠トンネル付近からここまで登ってくるルートがあるのではないだろうか。ベンチがあるのでここで一旦休憩を取る。短い行程だがややきつく感じるのは毘沙門水で2.5リットルも水を汲んでしまったせいだろう。尾根を越えると観音山の南西斜面をトラバースしていく。傾斜の緩い所は道形がはっきりしているが、傾斜が急な所は道形がかなり薄くなっている。真っ直ぐ進めば問題はないのだが、山慣れていない人にはわかりづらいだろう。
(尾根道はよく整備されていて歩きやすい)
(中央湖畔ルートと書かれた道標のある分岐 奥の尾根を越えるとトラバース道が始まる)
(トラバース道 この辺りは良い道)
(やっぱり露岩が多い)
(急斜面のトラバース 踏み跡はかなり不明瞭)
急傾斜のトラバースを終えると小さな尾根を越える。道形は更に中腹を延びているが、直ぐ下に道標があるのが見える。念のために下りてみると通行止めとなっている西奥の院を示す道標が立っていた。こちらは観音院ルートと名付けられているようだ。道標は札所31番観音院も示していて、明瞭な道が下っている。確認のためにここを下るとまた道標があり、牛首峠・観音院以外に観音山頂上方面を示している。道標に従って観音山方面をジグザグに上がると西奥の院を指示す道標の所で分かれたトラバース道と合流する。トラバース道は小枝で通せんぼしてあったので、順路ではないということなのだろう。しかし西奥の院方面を通行止めとしているのなら、むしろトラバース道を歩かせたほうが安全なのではないだろうか。
(西奥の院を示す道標 観音院ルートとある)
(観音山分岐)
トラバース道は仁王尊細工場跡と書かれた看板が立つ所で終わり、その先は急傾斜の谷を九十九折に上がっていく。標高差は100m超で、時間にしても10分程度ではあるが、木段続きでかなり体力を奪われる。尾根に上がる手前で道は二手に分かれ、右手は落葉松峠へ、左手は観音山頂へと向かう。山頂へは南側斜面をトラバースしながら進む。というのも仁王尊採石場跡と書かれた看板がある辺りに大きく露出した岩があるからだ。岩を回り込んだ辺りで山頂から降りてきた高齢者のグループとすれ違う。結局山中で出会ったのはこの人たちだけで、割と静かな山歩きが楽しめた。小さな鞍部から上がると木立に囲まれた観音山頂上(698.2)に出る。細長く小さな山頂なので大人数で休憩を取るには適さない。山頂の西端には岩が露出していて北西側が開けている。近くに見える台形の出っ張りが特徴的な山は白石山だ。「画廊天地人」や「山と渓ときのこと酒と」などでは毘沙門山と紹介されていて、そちらのほうが地元では一般的な名称のようだ。その右に見える凸凹とした岩山は二子山。二子山から右へは上武国境の山々が聳える。父不見山が呼称のうちあるようだが、正確な位置は分からない。岩場を少し下ると両神山から二子山にかけての眺めが良い。あまり展望には期待していなかったので、望外の展望につい長居してしまう。
(仁王尊細工場跡 ここから先は谷をジグザグに上がっていく)
(落葉松峠との分岐を示す道標)
(仁王尊採石場跡)
(観音山頂上西にはちょっとした岩場がある)
(観音山頂上からのパノラマ)
(左背後に見えるのが両神山)
大岩窟の観音院を経て小鹿野の街へ
昼食のカロリーメイトを食べ終わり、下山に取り掛かる。先ずは往路を戻るが、木段続きの道は下りでも体に応える。分岐まで戻っても斜面のトラバースは続く。道はよく整備されているほうだが、斜面のトラバース道はどうしても薄くなりがちである。尾根に出ると木の階段が現れる。人の声なども聞こえてきたので観音院は近い。階段を下りきったところで参拝客のカップルと出会う。もう熊鈴に用はない。西に延びる尾根は岩が剥き出しで観音山の一部であることがわかる。堂宇が立つ東奥の院からは観音院が見渡せるとのことであったが、本堂のある辺りは木に覆われて見ることができない。ただ本堂脇の大岩壁は広く見渡せ、岩窟に石仏が納められているのもよく見える。規模は小さいがアジャンターの石窟寺院みたいだ。
(落葉松峠分岐から仁王尊細工場跡まではこうした木段が続く)
(観音院へと向かう道 若干道が薄い)
(ここまで来れば観音院は間近)
(東奥の院 観音院の岩壁を見るのに良い)
(観音院の大岩壁)
(岩壁には石仏が納められている)
石仏の置かれた石段を下り、本堂へと下りてくる。正面に回り込むと大きな岩屋の下に本堂が作られていることがわかる。秩父札所31番に数えられている観音院の正式名称は鷲窟山観音院で、鷲窟山という名はこの巨大な岩屋が「鷲の岩屋」と呼ばれることに由来するという。本堂脇の岩壁からは水が滴り落ちて水溜りを作り出しており、聖浄の滝と名付けられている。水が染み出す岩場は台風19号の大雨にも耐えたようだが、覆い被さる岩を見ていると何とも恐怖心が湧き出してしまう。この光景を拝むだけのためであっても小鹿野に来る価値は十分にある。岩壁の下部には爪彫りの磨崖仏(正式には鷲窟磨崖仏)があり、弘法大師が彫ったものと伝えられている。
(観音院の堂宇が見えてきた)
(本堂)
(本堂と鷲の岩屋を引きで眺める)
(聖浄の滝)
(本堂の背後の岩場から水が染み出しているのがわかる)
(岩壁にできた隙間には石仏が納められている)
(鷲窟磨崖仏)
(落石が多いらしく、西奥の院などは通行止めになっている)
本堂から山門へは沢沿いの石段を下っていく。300ほどの長い石段だ。途中石段の上に大岩が鎮座し、迂回路ができていた。山門にあった案内によると台風19号による落石であるらしい。山門には観音山で切り出されたというあの仁王像が納められ、一本石造りとしては日本一の仁王尊であるとの看板が掛けられていた。明治元年に完成したということであるが、石質が良いのか古びた感じはしない。
(石段を下る 296段あるとのこと)
(台風19号で落ちてきたらしい)
(仁王尊)
(台風被害を知らせる看板)
(観音院山門)
観音院の山門より先は岩殿沢沿いの車道を下っていく。観音山トンネルの手前には大竜寺源泉の建物があり、周辺の温泉旅館の多くが使用している。トンネルを抜けると谷間を埋め尽くす石仏が目に入る。水子供養で有名な地蔵寺だ。ボクが法学部の学生だった頃、消費者法の講義で水子供養が比較的新しい信仰であることを知ってからは少々距離を置くようにしている。もちろん水子の悩みを抱えている人の信仰を否定するつもりは全くないが。二軒の蕎麦屋を過ぎるとたらちね観音がある。ずいぶん宗教色の濃い道だ。牛が寝そべる吉田牧場を過ぎれば岩殿沢の集落だ。沢の左岸に形成され、陽当たりは良い。やがて交通量の多い国道299号に出ると間も無く栗尾バス停に着く。時刻表を見ると次のバスが来るまではあと1時間弱ある。ここでただ突っ立っているのも勿体ないし、小鹿野の街を見てみたいこともあって中心市街地まで歩くことにした。
(大竜寺源泉の成分表 建物の写真は撮ったつもりが写っていたのは地面だった…)
(観音山トンネル 中でカーブしている)
(地蔵寺 谷は石仏で埋め尽くされている)
(たらちね観音周辺の紅葉)
(吉田牧場)
民家が点在する国道を行くと行く手に顕著な三角形の山が見えてくる。山頂部の半分がすっぱりと切られた武甲山だ。台風19号の被害によって表参道・浦山側どちらも登山道が崩壊して通行止めになっている。あの辺りの山域を歩けるようになるのは来年以降になるだろうか。西武観光バスの停留所を拾いながら歩いていく。停留所に着く度時刻表を確認していくのだが、巣掛(すがかり)峠入口バス停に着いたところで西武秩父駅行きのバスが通っていないことに気づく。スマホの地図ロイドで調べてみるとこの先の交差点を曲がって小鹿野高校脇の道を進めば小鹿野の中心市街に出られそうだ。小鹿野高校前の交差点を曲がるとなるほど民家が多い。原町の交差点を左に曲がればバス車内から見かけた商店街に入る。日曜日ということもあってか閉めている店が多く、また歩いている人がいないため、うら寂しい感じだ。須崎旅館などを過ぎ、越後屋旅館前にある町立病院前バス停でバスを待つことにした。これ以上進んでももう店は無いだろう。道向かいにある太田甘池堂なる羊羹のお店に入る。いんげん豆でから作られた本煉の羊羹を買ってみたが、手ごろな値段の割に本格的な味でスイーツ好きにはお薦めできる。14時半過ぎにやって来たバスに乗り込むと学生さんで一杯だったが、なんとか一つ席を確保できた。小鹿野の山は遠くて交通費も嵩みがちだったのでなかなか訪れることができなかったが、秩父漫遊きっぷのおかげで訪れやすくなった。バスの使い方も今回の山行で要領は摑めたので今後は西秩父の山歩きも増やしていこうと思うのだった。
(国道299号を行くと武甲山が見えてくる 武甲山の右に見えるのは小持山辺りだろうか?)
(小鹿野の市街地に着いた)
(町立病院前バス停 後ろの建物は越後屋旅館)
(バス停の向かいにある太田甘池堂)
DATA:
西武秩父駅(西武観光バス 小鹿野車庫・栗尾行き)小鹿野役場バス停(西武観光バス 長沢行き)女形入口バス停9:37→9:38合角ダム(西秩父桃湖)→9:50合角漣大橋→10:11日尾集落→10:33毘沙門水→10:38牛首峠入口→10:59牛首峠→11:07日尾城跡→11:23西秩父桃湖分岐→11:32観音院分岐→11:49落葉松峠分岐→11:52観音山(698.2)12:04→12:17観音院分岐→12:28東奥の院→12:33観音院本堂12:42→12:52観音院山門→12:56大竜寺源泉→13:01水子地蔵寺→13:26栗尾バス停→14:12町立病院前(西武観光バス)西武秩父駅
地形図 長又
トイレ 倉尾ふるさと館 観音院
水場 毘沙門水(環境整備料100円以上)
交通機関
西武池袋・秩父線 小手指~西武秩父 510円(往復)
西武観光バス 西武秩父駅~小鹿野役場 490円
小鹿野役場~女形入口 350円
町立病院前~西武秩父駅 530円
(秩父漫遊きっぷ 1770円で上記の路線に乗ることができます)