https://www.youtube.com/watch?v=Mbprblx2s48
1985年から1991年までのシングルA面を集めたアルバム"Discography"(1991)から。
8月に入ると毎年戦争の話になる。今年は特に安保法制の議論もあって、反対デモや政治家の不規則発言などがクローズアップされている。ボクは何度か言及してきたように比較的リベラルな立場の人間なのだが、他方で山を歩く者として最終的には自分の身は自分で守るということを否定するつもりはない。だから自衛隊はあっても良いし、いずれは憲法でその存在を認めても良いだろうと考える。ただ正直な話、今の安保法制の議論はよくわからない。だからこの件については断定的なことは言えない。でも国際貢献であろうが、自国の防衛であろうが武器を使用して敵を殺すということはどういうことなのかを真剣に考えなければならないのは間違いない。
この時期そうした戦争の話に関連してドラマや映画がテレビで流されることは多い。ボクはそうしたものを観るといつも引っかかることがある。それは決まって死んだり被害を受けるのは日本人だということだ。敵が死ぬ、日本軍の攻撃で民間人が死ぬ、そういったことが描かれることは殆ど無い。あったとしてもそれがメインで描かれることはない。アメリカの映画とはそこが決定的に違う。「プライベートライアン」では敵が死に、「アメリカンスナイパー」では(たとえ手榴弾を持っていたとしても)民間人が(直接的ではないが)殺される姿が映し出される。それはアメリカが現実の戦争に常に直面してきたからだ。「あの戦争は良かったのか、悪かったのか」という次元の話ではなく、起きてしまった戦争の現実を考えなければならない。そうアメリカ国民が考える故の表現なのだ。翻って日本では戦争で殺され、傷つくのは日本人だ。敵を殺すという現実に向き合わない。だから自衛戦争か侵略戦争かという下らない議論を延々と続けることになる。結局、悪いのは自分たちではない、戦争を勝手に起こした軍部が悪いのだ、というのが深層心理に焼き付いているのだ。
この曲はイラク戦争の前の戦争、つまり湾岸戦争を題材としている。湾岸戦争の結果は30代以上の人なら今でも覚えている人が多いであろう。イラクをクウェートから追い出すことに成功し、当時のアメリカ大統領のパパブッシュは高い支持率を得た。他方イラクのフセインもアメリカとの抵抗戦争に勝利したと喧伝し、その後イラク戦争までその政権を維持することに成功した。歌詞の中で冒頭「誰もが勝利する戦争を想像してごらん」と歌っているのはそのことを皮肉っている。確かにアメリカは成果を得て、独裁者もその地位を維持した。だがその裏では現場で戦った兵士が死に、アメリカの空爆に巻き込まれて死ぬ民間人は多数いたのだ。しかしそのことはこの曲では描かれていない。
聡いPSBの二人がそのことについて考えていない訳はないだろう。じゃあ彼らは戦争をどう捉えていたのか。それについては"Living in a satellite fantasy"という歌詞が鍵になる。当時衛星放送を通して戦争の様子がよく報道されていた。自らは決して傷つかない状況で現実の戦争の一部を観る。それでいて実際に人が死ぬ場面を見ることは無い。空爆の光の下では人が死んでいるという事実を想像することはそう簡単なことではない。つまりこの曲は戦争を安全地帯から傍観しているボクたちに向けられているのだ。人が殺し合う現実から目を背け、まるで戦争ゲームを体感している、そんなボクらを皮肉っている。
戦争というのはこの曲の一面を表している。と同時にこの曲はテレビというか情報漬けになっているボクらの姿も表している。テレビで流れる音楽PVを観、映画で出てくるお人形のように細い女優を観る。そして裁判の様子も見る。遺族が「犯人には死刑を」と叫ぶのを。そうやってボクらは情報過多の状態で全てがわかりきったようになる。被害者になった気分で「法律は役に立たない」と主張し、画面に映る可愛いアイドルはみんな処女でなければいけないと思い込んでいる。ネットが発達した現在ではこの曲がヒットした頃よりも思い込みはもっと酷くなっている。
だからボクは思う。現実はわからないことだらけだ、と。そしてボクらは現実を知ろうとすることから始めなければならない、とも。画面から映るものだけを見て議論したところで、現実の問題には何の役にも立たないのだから。