We're All Criminals Now (2018 Remaster)
今日、ボクが住む埼玉県に緊急事態宣言が出された。様々な意見はあるが、皆が危機感を持つという点では一定の効果は期待できるのではないだろうか。緊急事態宣言の発令によってボクらはより一層の外出自粛が求められることになる。それに符合するかのようにテレビや新聞などのマスコミは一部の不心得者を糾弾するキャンペーンを行っている。ボクはあれは逆効果だと常々思っている。COVID-19の感染拡大をある程度留められていた頃なら集団感染を引き起こす不心得者を糾弾する意味はあった。しかし今は違う。誰もが気付かない内に感染し、感染させているのだ。今回の緊急事態宣言でも買い物に行き、職場に通うために外出することは禁止されていない。しかし買い物や仕事のために外出して本当に他者からCOVID-19に感染すること、また他者へ感染させることはないと言い切れるだろうか。極力外出を自粛し、マスクを着けているからといって本当に感染すること、または感染させることはないと言い切ってしまってよいのだろうか。不心得者の行為を是認するわけではない。しかし、自分たちは不心得者と違うと思ってしまった時点で、自分たちもCOVID-19に感染し、または感染させてしまう危険性があることを忘れてしまってはいないだろうか。COVID-19の感染拡大についてボクらは共犯関係にある。どんなに自粛をしていようが人と会う生活をしていればCOVID-19の感染の危険性はある。誰かのせいにしていればよいという段階はもう終わったのだ。
曲はアルバム"Format"(2012)から(シングル"Love etc."(2009)のB-SIDEでもある)。同時多発テロ事件以降、監視社会化を推し進めるイギリスを皮肉った中身で、以前取り上げた"Integral"と似通った所がある。しかし"Integral"はジョージ・オーウェルの「1984」みたいな寓話的作品であるのに対してこの"We're All Criminals Now "はもっと直接的に「まるで誰もが犯罪者であるかのようだ」と監視社会化を皮肉っている。尤もCOVID-19の感染拡大によってボクらは皆「感染者」なんだ、と疑わなければならなくなってしまった。誰もが感染者であると互いを監視しあう必要がない時はいつやって来るのだろうか。
今日、ボクが住む埼玉県に緊急事態宣言が出された。様々な意見はあるが、皆が危機感を持つという点では一定の効果は期待できるのではないだろうか。緊急事態宣言の発令によってボクらはより一層の外出自粛が求められることになる。それに符合するかのようにテレビや新聞などのマスコミは一部の不心得者を糾弾するキャンペーンを行っている。ボクはあれは逆効果だと常々思っている。COVID-19の感染拡大をある程度留められていた頃なら集団感染を引き起こす不心得者を糾弾する意味はあった。しかし今は違う。誰もが気付かない内に感染し、感染させているのだ。今回の緊急事態宣言でも買い物に行き、職場に通うために外出することは禁止されていない。しかし買い物や仕事のために外出して本当に他者からCOVID-19に感染すること、また他者へ感染させることはないと言い切れるだろうか。極力外出を自粛し、マスクを着けているからといって本当に感染すること、または感染させることはないと言い切ってしまってよいのだろうか。不心得者の行為を是認するわけではない。しかし、自分たちは不心得者と違うと思ってしまった時点で、自分たちもCOVID-19に感染し、または感染させてしまう危険性があることを忘れてしまってはいないだろうか。COVID-19の感染拡大についてボクらは共犯関係にある。どんなに自粛をしていようが人と会う生活をしていればCOVID-19の感染の危険性はある。誰かのせいにしていればよいという段階はもう終わったのだ。
曲はアルバム"Format"(2012)から(シングル"Love etc."(2009)のB-SIDEでもある)。同時多発テロ事件以降、監視社会化を推し進めるイギリスを皮肉った中身で、以前取り上げた"Integral"と似通った所がある。しかし"Integral"はジョージ・オーウェルの「1984」みたいな寓話的作品であるのに対してこの"We're All Criminals Now "はもっと直接的に「まるで誰もが犯罪者であるかのようだ」と監視社会化を皮肉っている。尤もCOVID-19の感染拡大によってボクらは皆「感染者」なんだ、と疑わなければならなくなってしまった。誰もが感染者であると互いを監視しあう必要がない時はいつやって来るのだろうか。