野老の里

奥武蔵をメインに日帰りの山歩きを中心としたブログです

奥武蔵へようこそ 2020年10月25日 白久駅から小鹿野警察前

2020年10月30日 | 奥武蔵へようこそ
伊豆沢右岸尾根伐採地ピークから二子山と毘沙門山を望む)

昨年11月、小鹿野町にある大日峠から釜ノ沢五峰にかけてのルートを歩いた。当初の予定では釜ノ沢五峰から文殊峠まで足を延ばすはずだったのだが、昨年の台風19号の影響で登山道が崩落した関係で、泣く泣く文殊峠だけをカットせざるを得なくなった。今回はそのカットした文殊峠へ白久から北に延びる尾根を使って歩いてみたい。また文殊峠から先は昨年と同じルートを通っても面白みがないので、釜ノ沢五峰から文殊峠への途中にあった伐採地のピーク(法性寺方面と伊豆沢右岸尾根が分岐するピーク)から北に延びる伊豆沢右岸尾根を使って大日峠へと下りるつもりだ。

白久駅から品刕
始発電車を乗り継ぎ、秩父鉄道の御花畑駅に着くと結構観光客が多い。熊谷行きの電車が着くとその3分の1ほどが乗り込んでいったが、他は皆三峰口行きに乗るらしい。20分後にやってきた三峰口行きは幸いにも混んでおらず、駅にいた乗客はすべて座ることが出来たようだ。車窓からは荒川越しに長尾根丘陵を望むことができるが、まだ葉は青々としていて、秩父であっても紅葉には至っていない。20分ほどで登山口の最寄り駅である白久に到着する。降りたのはボク一人で皆三峰口へと向かう。もっと奥山へと入って紅葉を見に行く人が多いのだろう。白久駅は一昨年熊倉山を歩いた際に訪れた駅で、雰囲気は全く変わっていない。駅前のベンチで準備を済ませ、登山届にも記入してポストに提出していく。ボクは登山計画書を必ず家族に残していくので改めて届を出す必要もないと思ってはいるのだが、登山届を出せる所があるときはできるだけ出していくようにしている。駅前の道を東へ進み、踏切を渡ったら、今度は西へ下って平和橋を渡る。橋から西側を眺めると荒川がつくる深い谷の向こうに山並が見える。今年2月に登った秩父御岳山辺りも見えているようだ。

(平和橋から西側の眺め)

国道140号を渡って西へ向かう。手元にある紙の地形図では下郷集落には細い実線しか描かれていないので、ぐるっと迂回することにしたのだが、少し東に進めば登山口へ真っ直ぐ向かう道があったようだ。車道が2本山側へ延びている所から下郷集落に入る。民家の多い典型的な山村集落といった雰囲気で陽当たりが良い。神社を過ぎ、橋が架かる沢が登山口だ。沢沿いの登山道は草に覆われているが、よく踏まれている。コンクリートの橋を渡ると本格的な山道だ。傾斜は緩く、シェルジャケットを着ていてもそれほど暑さは感じないが、道は枝で覆われて不明瞭だ。特に谷から右に曲がって尾根に上がる所がわかり難い。

ここが登山口


(コンクリ製の橋なので渡れない心配をする必要は無さそうだ)


(傾斜の緩い山道 そこそこ踏まれているが枝で覆い隠されていることが多い)

尾根に上がると送電鉄塔管理用の黄色いポストが立ち、下から別の道が上がってきている。ボクは民家の敷地に入り込みたくなかったので、沢沿いのルートを通ったが、ネットの情報では農地の中を上がるルートなどもあるとのこと。尾根をすぐに外れて、南向きの斜面をトラバースしながら登っていく。若干傾斜は急になったが、踏み幅の広い明瞭な道が続く。再び尾根に出ると新秩父線81号・82号と書かれたポストが立つ。ここからいよいよ稜線の縦走路歩きが始まる。暑くなったのでここでシェルジャケットを脱ぐ。以後家に戻るまで着ることは無かった。

一旦尾根に出る所で別な道が合流する)


(トラバース道を進むとこの管理用ポストがある 三峰線35号塔は尾根を白久方面に下った所にあるようだ)

この白久から文殊峠へと続く道は古い地形図にも載っており、文殊峠から伊豆沢地区へ下りたり、布沢峠付近から柿ノ久保へ下りたりなど生活道として使われていたようだ。今歩いている道も生活道としての意味合いが濃かったためか明瞭で歩きやすい。杉檜が大半を占める尾根ではあるが、時折落葉樹の薄い緑色が暗い林の中に浮かび上がる。新秩父線81号塔から延びてくる天宮尾根が合流するピークを西から巻くと広い谷が現れる。一瞬どの辺りにいるのかわからなくなったが、地形図で見た限りでは等高線が疎らで尾根が四方八方へ延びている辺りを登りかかっているようだ。

(稜線に出るとこんな具合で道は明瞭)


(石祠があり、生活道として使われていた様子が窺える)


谷に差し掛かった所 右に道があり、谷を登っていく)

緩やかな谷の中を登っていくと鉄塔管理用ポストがある。これらのポストは目印となってありがたいのだが、向きがアバウトで判断に困ることが多い。ポストが示す鉄塔の方向は一旦無視して周囲を見回すと谷の西寄りに薄い踏み跡がある。踏み跡を辿っていくとまたも黄色いポストが立ち、その先は急斜面が待ち受ける。急斜面のピークの西側には鉄塔管理用なのか中腹を横切るトラバース道が付けられている。ボクはこのトラバース道を下から上がってくる鉄塔管理道と考えて急斜面の尾根を直登したのだが、これが間違いだった。

(新秩父線81号・82号塔を示す管理用ポスト 道はこのポストの背後を通っている)


(右手に急斜面の尾根がある 画面に見える巻き道を行くのが正解だったのかもしれない)

踏み跡の無い急斜面を登りきると小ピークの頂上に出る。かつて看板などを差し込んでいたのではないかと思われるコンクリ製の土台がある。東からは明瞭な尾根が延びていて、地理院地図上の破線ルートに乗っているのは間違いないようだ。小ピークからは尾根を北へ進むが、かなり細くストックを突いての通過は正直怖い。一旦尾根は広くなるが、次の岩場のピークで進退窮まってしまう。岩場を越えると急斜面な上に立木が無く、木につかまって下ることもできない。岩場の手前には西からトラバース道が下っているが、これもかなり踏み跡が薄く踏み幅も狭い。しかし岩場を下るよりはましなので、なんとかこの危険なトラバース道を下る。無事急斜面を下り切り、人心地付いて振り返るとなんと明瞭な巻き道が延びてきている。この道はおそらく急斜面のピークの西側に付けられていたトラバース道だったのではないだろうか。道標が無いルートなので、この先もしばしば道に迷うことになる。

(急斜面を登りきるとこのピークに出る)


(尾根を進んでいくとこんな急斜面に出くわす ロープでもないと下れない)

岩場のピークを巻いた後は地形図にも表れないような小ピークがいくつかあるが、どれも右に左に巻いていく。この辺りの歩きやすさは昔の生活道らしい。巻き道から尾根上を進んでいくと急斜面の手前で踏み跡が左右に分かれる。どうやら東西に574m峰・575m峰がある尾根のジャンクションピークに差し掛かったようだ。地理院地図だと尾根を直登するのが正しいようだが、一旦明瞭な左の道に入る。かなり歩きやすいトラバース道を進むと予想通り西へ下る尾根上に出る。このままジャンクションピークを巻けるのではないかと思ったのだが、踏み跡は西に下る尾根上にしか無い。やむなく東へ急斜面を登る。登り切ったジャンクションピークは尾根の末端といった雰囲気で、東から延びてきている尾根だけが明瞭だ。今登ってきた西の尾根もこれから下る北の尾根も急斜面でわかり難い。

(岩場のピークを巻いて尾根に出た所 岩が露出した痩せた尾根になっている所が多い)


(こんな感じで巻き道がある 写真で見るよりは歩きやすい)


(良い尾根道に出た 今回のルートはあまりこういった所は多くない)


(ジャンクションピークの巻き道 道がよく整備されているのでどうしても本線であると感じてしまう)


(ジャンクションピークから西に延びる尾根に出る ここを右に登り返していく)


(ジャンクションピークの急斜面)


(ジャンクションピークから南側を見ると東へ明瞭な道が下っている)

ジャンクションピークの急斜面を下れば、しばらくは単調な尾根道が続く。82号鉄塔付近からはずっと陰鬱な杉檜の林が続いているのが精神的にもきつい。尾根上に立つ黄色いポストは新秩父線83号(575m峰)・84号を示しており、ちょうど中間辺りにいるらしい。84号鉄塔へ西に尾根が延びる小ピークは東から巻く。ちょっとした掘割があり、古道らしさを感じる部分ではある。最後は尾根上を忠実に辿り、山頂部が伐採された644m峰の頂上に出る。山頂には小鹿野町による地籍調査の成果として境界標が埋設されている。644m峰から北側は秩父市から小鹿野町へ入るのだ。地籍調査のためか伐採されているものの、眺めはほとんど得られず、のっぺりと平たい和名倉山が見える程度だ。

(新秩父線83号・84号塔を示す管理用ポスト)


(この辺りの巻き道はこんな具合 金曜日まで雨が降っていたが危険と感じる所はなかった)


(伐採された644m峰の頂上)


(山頂プレートが一部残っていた)


(和名倉山が少しだけ見える)

644m峰から北西へ急斜面を下り切り、細いフラットな尾根を行く。急斜面を登ると品刕の南にある小ピークでぬか喜びさせられるが、そこから少しも経たない内に品刕(639.1)に着く。三角点の埋設された山頂は檜に覆われて薄暗い。三角点と書かれたプレートが張られた道標だけが目立つ。地味な山頂にしては変わった山名で、そもそも何と読むのだろう?シナシュウだろうか。それともヒンシュウだろうか。また刀を山型に三つ並べた漢字はシュウと読むのだが、どんな意味なのだろうか。ネットで検索してみると「州」の異字体だという。古い地形図を見ると品刕は小鹿野町・長若村(現在の小鹿野町)・白川村(現在の秩父市)という3つの自治体の町村境だった。州は国や行政区画を意味するから3つの行政区画が合わさる所という意味もあったのだろうか。

(岩が露出した痩せ尾根)


(品刕の頂上)

見晴らしの良い文殊峠天文台と伐採地のピーク
当初の目標である文殊峠まで品刕からはそれほど遠くない。白久駅から品刕まで2時間で着いてしまったので、30分も掛からないだろうと高を括っていた。ところがこの認識が間違いであったことを嫌というほど味わわされることになる。品刕から北へ下り、森林公社の境界標のあるピークで右に曲がる。傾斜は急だが、踏み跡はわかる。地理院地図にも載っている林道を過ぎると小ピークへの登りに差し掛かる。踏み跡が薄くどこを通っていけばよいのかわからない。小ピークを東から巻くようにも見えるのだが、小ピークを直登する尾根に道標が立つ。踏み跡は無いが真っ直ぐ登っていけということなのだろう。やや急な傾斜を登りきると藪化した伐採地のピークに出る。ここも山頂部だけが伐採されていて眺めが良いとは言い難いが、辛うじて2つの切り立った岩山を突き出す二子山が見える。

尾根まで林道が上がってきている


(品刕以外では初めて見る道標 なお周辺に踏み跡はない)


(道標がある急斜面を登りきると藪に覆われた小ピークに出る)


(小鹿野の二子山が見える)

藪化した伐採地からは東へ延びる尾根のほうが地形図上は顕著なのだが、皮肉にも藪に踏み跡が覆われているせいで、それに惑わされることなくコンパスを使って北西に延びる急傾斜の尾根を見定めることができた。山頂から下る途中で両神山の山頂部が見える。小鹿野町までやって来ると流石に両神山や二子山を間近に見ることができる。急斜面を下りきって鞍部に着く。品刕周辺のルートを頻繁に歩かれている「山と渓ときのこと酒と」のyasutaniさんによるとこの鞍部から林道へと下りて文殊峠へ向かうのが通常のルートだという。ところがボクは更に尾根上を進んでしまった。

(藪に覆われた尾根を下っていく)


(両神山の山頂部が見える)

鞍部から先は苔生した岩が露出した細い尾根が続く。途中東側斜面に巻き道があったので、558m峰を巻いていく。東の谷には林道が見えているのだが、崖地の上で下りられそうな所はない。巻き道は途中で途切れ、再び細い尾根に上がる。3mくらいの高さのコブがあるので上がってみるとその先は草木の生えない岩壁の崖地となっている。ここを下るのは無理だ。コブから戻るとコブの西に薄い踏み跡がある。コブを巻いていくと尾根上を濃い藪が遮る。ここを無理矢理通過すると何と建物の前に出た。特徴的な丸いドームを頂く建物で、これが文殊峠天文台だ。天文台の周辺は広く伐採されていて、品刕へ続く尾根だけが藪となっている。時計を見るとちょうど品刕から40分かかっている。思ったよりもだいぶ時間がかかってしまった。

(鞍部付近の痩せ尾根)


(苔生した岩 こうした光景を度々見かけるルートだ)


(巻き道はこの辺りで途切れる 左手に見える尾根はそれほど高くなく上がれる)


(尾根を進むとこのコブがあり、左から巻くのが正解)


(文殊峠天文台 私設の建物だ)

天文台の周りにはいくつかベンチがあり、ザックを置いて休憩を取る。天文台の北西側は広く伐採されていて両神山から御荷鉾山辺りまでを見渡すことができる。普段は大きな扇形の両神山や2つの鋭鋒が目立つ二子山などに目が行きがちだが、ここからだと二子山の右に岩山を連ねる毘沙門山が壮観だ。そこから更に右に行くと左側に岩場が目立つ観音山も見える。昨年歩いた山をこうして見られるとは感慨深い。逆に南東側は今まで歩いてきた尾根に阻まれる関係で武甲山と小持山・大持山が見える程度だ。

(北西側の眺め PCでご覧の方は新しいタブで開くともう少し大きな画像になります)


(南東側の眺め)

天文台からは東へ広い道が下っていて、石段を下ると文殊峠に下り立つ。車道が乗り越す峠で中高年男性たちがクルマを停めて何やら話し合っている。天文台の利用者だろうか。峠には道標が立ち、品刕も示されている。峠を200mほど下った所に入口があるらしいが、面倒なので見に行かない。天文台の向かいには金精神社の本殿がある。その金精神社の脇の道が中ノ沢ノ頭へと向かう縦走路だ。古い地形図には布沢峠まで尾根上に道が描かれており、布沢峠から布沢・柿ノ久保へそれぞれ道が下っている。つまり布沢峠までは少なくとも古道だったのだ。そして古道らしくよく踏まれた道が中ノ沢ノ頭まで続く。檜に覆われた尾根を登った先の山頂が中ノ沢ノ頭だ。

(天文台から文殊峠へは広い道が下る この辺りに東屋もある)


(文殊峠)


(道標に品刕の文字もある)




(峠のすぐそばに立つ金精神社)


(中ノ沢ノ頭へ向かって良い道が続く)


(中ノ沢ノ頭)

中ノ沢ノ頭から道標に示された釜ノ沢五峰への道を進む。ここは昨年歩いた所だ。かつての生活道らしく顕著なピークは巻いていくので、旅人には優しい道だ。途中ボクより一回り程年上の男性グループとすれ違う。山中で出会った登山者はこれが初めてだ。巻き道でなく、尾根を直登するピークが現れるとそこが昨年も訪れた伐採地のピークだ。地形図で見ると北西へ長く伸びたピークに見えるが、伐採されているのは南東側の半分だけで北西側は檜に覆われている。古い地形図を見るとかつての道はこのピークを南から巻いて布沢峠へと至っていたようだ。現在は法性寺と伊豆沢右岸尾根を分けるジャンクションピークであり、山頂に立つ道標も「鉄塔を通り伊豆沢へ」と書かれている。伐採地なので西側の眺めが良く、鈍重な和名倉山から両神山までを見渡すことができるが、先ほどの文殊峠を含め、これから展望地を次々と通るので印象は薄い。

(釜ノ沢五峰方面への道を行く 巻き道がありがたい)


(各所に道標が完備されている)


(伐採地のピークに着く 法性寺・釜ノ沢五峰方面と伊豆沢右岸尾根との分岐でもある)


(道標には伊豆沢も示されている)


(伐採地のピークからの眺め)

伊豆沢右岸尾根を歩いて大日峠へ
地形図上で品刕を見ると西から派生した尾根が北へ長く延びている。この尾根は一般に伊豆沢左岸尾根と呼ばれ、途中いくつか峠があり、歩く人も結構いる。一方これまで歩いてきた品刕から北へ延びる道は本来伊豆沢右岸尾根と呼ばれるべきなのだが、現在は釜ノ沢五峰・竜神山コースの一部として認識されてしまっている。今回は更に伐採地のピークから伊豆沢右岸尾根を縦走していきたい。古い地形図を見るとこの伊豆沢右岸尾根から大日峠へと至るルートは旧長若村と合併前の小鹿野町との境を形成していた。地理院地図とは異なり道形は描かれていないが、町村境としてそれなりに人は入っていたのではないだろうか。

伐採地のピークから少し下って植林帯へと登り返す。地理院地図で調べてみると伐採地のピーク(571m)より植林帯(572m)のほうが少し標高が高い。北西のピークまで上がって方向を見定める。踏み跡は無いが、尾根は明瞭でここまでのところ迷う要素はない。細く傾斜の緩い尾根を下っていく。これだけ明瞭な尾根が続くのなら正直チョロいなと思ってしまった。しかしこの認識がかなり甘かったことを思い知らされることになる。細尾根の末端まで下って来ると伐採地に出る。地籍調査の測量のために伐採が入ったのか、境界標が埋設されている。ここも主に北西が開けていて両神山から西御荷鉾山辺りまでが見渡せる。一方東側も一部だけ開けているがどの辺りがよくわからない。

(植林帯へ入った所のピーク ここを右に下る)




(尾根はこんな具合で明瞭だが踏み跡はない)


(細尾根末端の伐採地から北西側の眺め 両神山から西御荷鉾山まで見渡せる)




(東側の眺め)

細尾根末端の伐採地から下って一旦植林帯に入るが、すぐに送電鉄塔のピークへ登り返す。ここが安曇幹線302号鉄塔らしいが、既に電線は外されており、今後も使われていくのかは定かではない。その証拠に鉄塔下は藪が繁茂しており、登り返すのも一苦労で、鉄塔が見えてから鉄塔下に出るまで5分を要した。鉄塔下からは西側の眺めが良いが、のんびり眺めていたい気分ではない。問題は更に続き、鉄塔から先も踏み跡が無く、どう進んだらよいかわからない。コンパスで方向を定めて薄の藪を上から踏みつけていくと三角点の境界標を見つける。これが521.9mの三角点だろうか?

(植林帯に入るとすぐにこの境界石がある 旧長若村と合併する前のものだろうか)


(安曇幹線302号鉄塔 この鉄塔下の藪は地獄だ)


(鉄塔下からの眺め 右に見える三角形の山は雨降山であるようだ)


(藪の中に測量用の杭がある 三角点はこの辺りにあるらしい)

521.9mの三角点峰から植林帯に入ると尾根が明瞭となる。伐採地さえなければアップダウンの少ない細尾根なので比較的歩きやすい部類に入るだろう。522m峰も伐採地となっていて、中心に地籍調査の杭が打たれている。ここはそれほど酷い藪ではなく、ただヨウシュヤマゴボウが大きく育って沢山の実を付けており、服が紫色に染まってしまうのが困る程度だ。522m峰は稜線縦走路以外にも東西に尾根が延びているが、藪によって東の尾根は覆い隠されている。問題は西の尾根で、次の鉄塔へ向かって踏み跡が延びているので間違いやすい。北に延びる尾根に踏み跡は無いので、コンパスで方向を見定める力が試される。ここを下りきれば後は比較的わかりやすい尾根道だ。小ピークには巻き道もあるので伐採地を通過するよりずっと楽に歩ける。

(植林帯に入ってしまえば歩きやすい尾根が続く)


(安曇幹線302号鉄塔の管理用ポスト これがあるということはまだ管理対象になっているということだろうか)


(ヨウシュヤマゴボウに覆われた522m峰)




(伐採地なので多少の眺めは得られる)


(ここは地形図を読み取る力が問われる なお確認のため地図ロイドも使った)




(522m峰を無事下れれば歩きやすい道が続く)

次の送電鉄塔が近づく手前でまたも伐採地のピークに出る。ここも藪濃いが、安曇幹線302号鉄塔下ほどではない。藪がいくらか薄いこともあって伊豆沢右岸尾根の中では一番眺めが良い。西側はこれまで通り両神山から御荷鉾山まで見渡せるほか、両神山から南側の和名倉山や三峰山辺りまでが見渡せるようだ。東側はここに来てようやく手前に平たい長尾根丘陵が見え、その奥は相変わらず武甲山と小持山が見える。武甲山の右には横瀬町の二子山の双耳峰が顕著で、更に右奥へは丸山や堂平山、笠山などが見えているらしい。

(伐採地のピーク ここも地籍調査が入ったらしく杭がある)


(西側の眺め)


(東側の眺め 武甲山手前の尾根が長尾根丘陵)

眺めの良い伐採地から下っていくと黒部幹線651号鉄塔が見えてくる。藪は薄く、楽に通過できそうに感じたが、鉄塔目前で問題が発生する。鉄塔がこれまでと異なり、切土した上に建てられているのだ。崖を何とか下ってみようとするが、伐採地で周りに木が無いので勢い余って下まで落ちてしまいそうだ。結局藪を突っ切ってトラバースし、鉄塔の下に出ることができた。斜面を振り返ると東の尾根から木段交じりの道が延びており、安全に迂回できるようになっていたようだ。この黒部幹線651号鉄塔からも武甲山や両神山・毘沙門山などが望める。

(黒部幹線651号鉄塔 ここは藪よりもどうやって下に下りるかが問題)


(鉄塔下から東側を見ると結構良い道が延びてきている)


(鉄塔下からも両神山と毘沙門山がよく見える)

黒部幹線651号鉄塔の周りは藪が薄く、北に延びる尾根道も明瞭だ。植林に覆われた小ピークを越えて502.9mの三角点峰に差し掛かる。ここも地籍調査に入った関係か、山頂部が伐採されており、藪が酷い。一応人が通った跡が薄く残っていて、それを頼りに山頂へ出ることができた。山頂には国土地理院の杭が打たれおり、その周辺は地面が剥き出しになっている。これまでの伐採地と異なり、周辺の木が高いので見晴らしは得られない。

(502.9mの三角点峰)

三角点502.9m峰からは伊豆沢右岸尾根を外れて大日峠へ向かう。前述通り国土地理院の杭が埋設された部分以外は濃い藪に覆われているので、どこへ行くにしてもコンパスで方向を定める必要がある。コンパスを切って藪の薄そうな所を抜けていく。502.9m峰は尾根から突き出た狭い山頂なので、やや傾斜の急な藪を下っていかなければならない。薄につかまりながら慎重に下っていくと尾根が無事に見えてくる。一旦植林帯に入ってしまえば難しい所はない。踏み跡は特にないが、尾根は明瞭だ。緩やかに下って登り返すと489m峰の頂上に着く。杉檜ばかりの尾根ではあるが、この山頂には落葉樹の大木が立ち、根本には石祠が置かれている。

(伐採地を抜けてしまえばわかりやすい尾根が続くのは共通した特徴)




(石祠が置かれた489m峰)

489m峰はジャンクションピークで、「山と渓ときのこと酒と」のyasutaniさんは「般若川水源を周回」という記事で間違って南西の尾根を下ってしまったという。確かに南へ向かって踏み跡らしきものがあり、北東の尾根は一見わかりづらい。ただ下ってしまえば尾根は明瞭だ。途中やはり地籍調査の関係なのか伐採地があり、境界標が埋められている。ここは地形図を見ると広い尾根が二つの尾根に分かれており、地形図に表現しきれない隠れたピークというやつだ。この辺りの伐採地の例に漏れず藪に覆われているが、踏み跡はあるので通過は難しくない。ただこれまでと異なり、蜘蛛の巣がやけに多い。夢中になって踏み跡を辿っていて、5cmくらいの女郎蜘蛛に引っ付かれたときは心底驚いてしまった。

(広い尾根の伐採地 地形図に表れないピークのひとつ)


(この伐採地からも武甲山が見える)


(ここも地籍調査の杭が立っている)

伐採地から檜林に入ると掘割の道がある。伊豆沢右岸尾根を歩き始めてこれほど人の手が入った道を歩くのは初めてだ。489m峰に石祠があったことを考えると伊豆沢へ抜ける道として機能していた時期があったのかもしれない。多少枝が堆積しているものの、概ね歩きやすく、最後の伐採地から5分で大日峠へと下ることができた。峠に着くとちょうどおいずるを着た巡礼の男性が峠を通り過ぎていった。

(掘割の道が続く 傾斜が緩く歩きやすい)


(大日峠)


(峠の道標には秩父郡長若村と彫られている かつて大日峠から南が長若村だった)


(改めて道標を見ると南側は柿ノ久保道、北側は小鹿野道とある)


(大正8年とあり、それほど古いものともいえない)

大日峠から小鹿野の街へは昨年も歩いた道だ。峠からは傾斜の緩い九十九折を下る。苔生した岩が露出していてちょっと滑るが身体には優しい。九十九折を終えると沢沿いを行く。美しい滑沢に癒される。ただ何度も渡渉するのが少々鬱陶しい。小判沢集落に出れば後は小鹿野警察前バス停まで舗装路歩き。硬い舗装路歩きになると腰が痛むが、前回に比べると足腰へのダメージは少ない。金園橋を渡って登り返せばバス通りに出る。バス停はすぐそこだ。バス停のベンチで13時35分発のバスを待つ。西日が照り付けるベンチは暑さを感じるほどだ。本格的な秋が奥武蔵に訪れるのはまだ先のことになりそうだ。

(大日峠からの九十九折)


(沢沿いのルートは歩きやすい)




(この沢は面白い地層が見られる)


(金園橋 上の住宅街に上がればバス停はすぐそこだ)

DATA:
白久駅7:41→8:34新秩父線82号鉄塔付近→9:08ジャンクションピーク→9:22 644m峰→9:42品刕(639.1)→10:22文殊峠天文台10:29→10:33文殊峠(金精神社下)→10:42中ノ沢ノ頭→10:52伐採地のピーク(法性寺・伊豆沢右岸尾根分岐)→11:26安曇幹線302号鉄塔(三角点521.9m)→11:41 522m峰→12:13黒部幹線651号鉄塔→12:24三角点502.9m峰(大日峠分岐)→12:33石祠のあるジャンクションピーク(489)→12:45大日峠→13:16小判沢集落→13:27小鹿野警察前バス停(西武観光バス 西武秩父駅行き)西武秩父駅

地形図 三峰 秩父 皆野

トイレ 道中には無し

交通機関 
西武池袋・秩父線 小手指~西武秩父 503円(往復 計1006円)
秩父鉄道 御花畑~白久 450円(ICカード不可)
西武観光バス 西武秩父駅行き 小鹿野警察前~西武秩父駅483円

関連記事:
 2019年11月30日 大日峠を経て般若山・釜ノ沢五峰

白久駅から品刕までは道標がありません。踏み跡は比較的わかりやすいものの、枝道が各所で派生しており、地形図・コンパスが使えることが前提です。不安な人はGPS機器(地理院地図が利用できるならスマホのGPSでも構いません)の利用もおすすめします。
品刕から文殊峠間も地形図・コンパス使用が前提です。品刕の北にある伐採地のピークが藪だらけでかなりわかり難いかと思います。
文殊峠から法性寺・伊豆沢右岸尾根分岐のピークまでは一般ルートです。踏み跡も明瞭です。
法性寺・伊豆沢右岸尾根分岐のピークから伊豆沢右岸尾根と大日峠までのルートは数か所ある伐採地の通過が困難となっています。地形図・コンパスが使えるだけでなく、藪歩きの準備(皮軍手など)も必要です。

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2 コメント

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Unknown (山ばか夫婦の山歩)
2020-10-31 10:45:06
品刕山は以前、踏み跡を確認しながら登った
ことがあります。釜ノ沢五峰は未踏ですが
懐かしく拝見させて頂きました。
返信する
コメントありがとうございます (tokoro)
2020-10-31 12:31:16
>品刕山は以前、踏み跡を確認しながら登った
ことがあります。

私が山歩きを始めた15年ほど前は「山と高原地図」に標高だけが載っている忘れられた山といった印象でした。
今は山名も載りましたし、ネットで検索するとかなりのレポートがヒットするので、大分ポピュラーな山となってきたようです。
返信する

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