タローさんの、トコトコ♪エッセイ

アーティスト・きしもとタローの、旅の話や、夢日記、想い出話など…

スロバキア紀行 その1

2012-09-03 10:14:29 | 中欧の国々…ハンガリー、スロバキア編
はじめに

前回のブログで、ズラーッと並んだ笛の姿に驚かれたかも知れない…中欧・東欧は笛の文化が本当に多彩で、その全貌がこれまで本格的に紹介されてこなかったことは、不思議な気もする。

このような、古く多彩な笛の文化が現存しているのには、やはり(皮肉にも)東西の壁の存在が大きかったようだ。つい最近まで、すぐ近くに隣接した西側諸国でも、このスロバキアの音楽文化…特に農村に残っている羊飼いたちの笛の文化などは、ほとんど知られていなかったという。つまり、この「知られていなかった」ことにより、逆に守られてもきたという訳だ。


 持ち帰った本の幾つか

皆様ご存知の、チェコとスロバキア。この二国は一つになったり離れたりを繰り返していたが、あるスロバキア人はそのことを「離婚してから理解しあった夫婦」に、たとえていた。その方のお話しでは、ドイツにも近く、産業が盛んで工場も立ち並んでいたチェコと、昔ながらの農業牧畜社会が残るスロバキア、この二つの地域は様々な点で政治的優先順位や、国家の未来に関するビジョンが異なっていた…と。なるほど、それは音楽文化一つを見ても頷ける点が幾つかある。

もともと10代の後半から中東欧地域の音楽に興味を持ち、その後2000年にとあるプロジェクトに参加して、スロバキアのすぐ隣にあるオーストリア・ブルゲンラントの村に滞在し(この村はクロアチアに源流を持つ人々の村だった)、その際、国境近くの街キッツセーで行われた音楽フェスティヴァルを訪れ、そこで偶然にもスロバキアの著名な楽器製作家と出会った僕は、このスロバキアに想像を超える古い音楽文化が残っていることを、ある程度は認識しているつもりだった。

しかしその想像をはるかに上回るものが…ここ、スロバキアにはあったのだ。それは僕にとって、南米アンデス山岳地域の伝承音楽(「フォルクローレ」という名称で一般的に知られるようになった「民族楽器を使用したポップス」ではない、昔ながらの地域的な音楽文化)に出会った時以来の衝撃だった(それは1991年のことだったが)。


 再会したコブリチェク氏と



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