皆さんはワニ神社という神社をご存知でしょうか?佐賀県の吉野ヶ里遺跡の左上辺りにある小さな神社です。「ワニ」…というのは看板で「鮫神社」と書いてあることもあり、何だか海にいるコワいヤツのようですが、実は日本に漢字と儒教を持ち込んだという伝説の人「ワニ博士(王仁とか和邇吉師って書いてある人)」の事らしいです。
伝説…っていうことは、実際にいた人かどうかわからない…ということなんですが、僕は歴史家ではないのでその辺りのしっかりした検証は出来ません。当時の記述は政治的要請の元に書かれた物が多いし、基本的に記した人々の都合や思惑が反映された上で書かれていたものが多いですから、検証も実際難しいのかもしれません。
ともあれ、ワニさんは古事記や日本書紀や続日本紀とかに登場するだけで、百済から来た漢人系の人らしいのですが、大陸の方の文献にはそれらしき該当者が記されていない…という不思議な人なのです。4世紀後半の人で、論語10巻と一面漢字熟語の千字文を天皇に献上したとされているのですが、千字文はもうちょっと後の時代に完成したものだし、文脈的につじつまが合わない点が多いそうです。確かに、もっと昔から漢字文化はチョコチョコ入ってきてる訳だし、人も渡来してるから…「彼が最初に日本に漢字を伝えた」って話には無理がありそうです。大阪の枚方にある「ワニ(王仁)さんの墓」とされる所も、地元の人が「オニさん」と呼んで拝んでいた石を、江戸時代のある学者が古文書をもとに「これが王仁の墓に違いない」と言い切って、そうなっちゃった所らしいのですが、本当のところはよくわかりません。
そうやって当時、色んな文物を大陸から日本にもたらした人々を、一緒くたにしてシンボリックに「ひとりの賢人」として伝えたのではないか、とも言われてるそうで、そうなってくると、そういう偉人達の集合体のような存在として考えたらいいのかも知れませんね。ワニさん物語は、そういう意味では「神話の部類」に近いと思います。本当か嘘か…という問題よりも、そこから何を読み取るかの方が重要、ということですね。
で、このワニ神社…看板には鮫神社とも書いてあるのですが、確かに古くは鮫(サメ)をワニと呼びもしたようですね。考えてみたら、ワニ(鰐)は航海の守護神である金毘羅さんのサンスクリット語源クンビーラでもありますから、渡来人にまつわる神社にこの航海の守護神の名前がついているのも何となく意味がありそうです。神社の周りには花がワンサカと植えられていて、何だか小さくて綺麗な所でした。
さて、ここの狛犬…狛犬というか石像…神社を守護しているわけではなく、奥の方の祠の脇に対で置かれているのですが、コイツラが何ともいい顔!一瞬、カエルかと見紛うような、前頭葉のない頭にどこか情けない口!思わず…ナデナデしたくなります(実際したけど)。コイツラは一体何者なんだろう??一般的な神社の狛犬&獅子に見られるような「阿と吽のペア」ではなく、二匹とも同じようにしまりのない半開きの口…いや、これは一応閉じているのか?
渡来人や海にまつわる祠には、その昔、舟の重石として載せられていた航海の安全を守る守護獣の石像が、そのまま陸に上がって狛犬のようにして神社や祠に置かれている場合がある、と聞いた事があるのですが、その話を彷彿とさせる風貌です。もしかしたらサルかもしれないな…神使のサル。いや、口がそれこそワニっぽいから、これはもしかしたら航海の守護神獣・クンビーラかもしれない!ワニにしては可愛すぎるけど…足はサリーちゃんみたいだし。
ともあれ、船に乗せるのなら、こういうヤツがいいな。(下の愛くるしい写真参照)