タローさんの、トコトコ♪エッセイ

アーティスト・きしもとタローの、旅の話や、夢日記、想い出話など…

スロバキア紀行 その1

2012-09-03 10:14:29 | 中欧の国々…ハンガリー、スロバキア編
はじめに

前回のブログで、ズラーッと並んだ笛の姿に驚かれたかも知れない…中欧・東欧は笛の文化が本当に多彩で、その全貌がこれまで本格的に紹介されてこなかったことは、不思議な気もする。

このような、古く多彩な笛の文化が現存しているのには、やはり(皮肉にも)東西の壁の存在が大きかったようだ。つい最近まで、すぐ近くに隣接した西側諸国でも、このスロバキアの音楽文化…特に農村に残っている羊飼いたちの笛の文化などは、ほとんど知られていなかったという。つまり、この「知られていなかった」ことにより、逆に守られてもきたという訳だ。


 持ち帰った本の幾つか

皆様ご存知の、チェコとスロバキア。この二国は一つになったり離れたりを繰り返していたが、あるスロバキア人はそのことを「離婚してから理解しあった夫婦」に、たとえていた。その方のお話しでは、ドイツにも近く、産業が盛んで工場も立ち並んでいたチェコと、昔ながらの農業牧畜社会が残るスロバキア、この二つの地域は様々な点で政治的優先順位や、国家の未来に関するビジョンが異なっていた…と。なるほど、それは音楽文化一つを見ても頷ける点が幾つかある。

もともと10代の後半から中東欧地域の音楽に興味を持ち、その後2000年にとあるプロジェクトに参加して、スロバキアのすぐ隣にあるオーストリア・ブルゲンラントの村に滞在し(この村はクロアチアに源流を持つ人々の村だった)、その際、国境近くの街キッツセーで行われた音楽フェスティヴァルを訪れ、そこで偶然にもスロバキアの著名な楽器製作家と出会った僕は、このスロバキアに想像を超える古い音楽文化が残っていることを、ある程度は認識しているつもりだった。

しかしその想像をはるかに上回るものが…ここ、スロバキアにはあったのだ。それは僕にとって、南米アンデス山岳地域の伝承音楽(「フォルクローレ」という名称で一般的に知られるようになった「民族楽器を使用したポップス」ではない、昔ながらの地域的な音楽文化)に出会った時以来の衝撃だった(それは1991年のことだったが)。


 再会したコブリチェク氏と


まずは、ハンガリーから

2012-02-12 16:05:07 | 中欧の国々…ハンガリー、スロバキア編
スロバキアでの国際詩祭への招聘演奏…無事終了し、帰国

これから少しばかりシリーズで?ご報告させて頂こうと思う。初回は何だか普通の旅ブログになりかねないので、笛演奏家として一応冒頭は楽器の写真を。これらは今回、ハンガリーやスロバキアから連れ帰った、素敵な笛たち。笛や音楽の話はおいおいするとして…まずはスロバキア入りする前に、チョコッと立ち寄ったハンガリーのお話しから

 
 一番長いので1メートルちょい。

2000年のオーストリア公演、2004年のルーマニア・ブルガリア旅行から随分経ち、久しぶりの中欧・東欧となるのだが、期待に胸が膨らみ、最初からテンションが高かったせいか、飛行機での長旅も全く苦にならなかった

まずはウィーンに入り、仕事の打ち合わせなどをしつつ、その合間の空き時間を利用してハンガリーへ。仕事で来ているので、すぐにまたウィーンに戻らなくてはならなかったが、ハンガリーとスロバキアは歴史的に関わりが深いし、この機会にハンガリー音楽についても色々調べたい事あったからだ。

ホテルのすぐ近くが駅だったので、切符をチャッチャと買って飛び乗り、平原が続く風景の中をガタゴトと抜けて、途中パスポートのチェックもなしに2時間45分…あっという間に着いた久しぶりのブダペストは…とにかく面白かった!色んな人がいて、街を歩くだけでも退屈しない。とにかく僕は、旅をすると、歩きに歩く。

以前訪れた時の記憶から、ハンガリーは英語が通じない人が多い…というイメージがあり、旅に際して片言のハンガリー語を覚えてはいたのだが(もし英語が通じたとしても、英語圏以外の国で一言目に英語で話しかけるのは、ちょっと礼儀に欠けると思う。なので大抵、その国の言葉を挨拶程度には覚えて行く。)ハンガリー語で挨拶した後に、少々遠慮がちに「英語でも大丈夫ですか?」と尋ねると、「大丈夫!ちょっとはわかるよ」という人が予想以上に多く、驚いた。もちろん、全く通じない人も沢山いて、あの手この手でやり取りしたりもするのだが…それはそれで、むしろ楽しくて僕は好きだ。


 古い建物の一階にスロットルのネオンが光る

それにしても、見渡せばネット環境もそれなりにあるし、カードが使える店も街中に沢山ある。この10年位の間に、随分雰囲気も変わった気がする。何て言うのか…以前に比べて街全体が明るくなったみたいな印象が、あった。

ホテルも安い割にはとても良い感じの所で、部屋に入ったらウェルカム・ワインまで置いてあるではないか。ウィーンからこんなに近くの場所で、言葉も違えば文化も違う、人の感じも違うし、物価まで安い…全く、どうなってるんだろうと思ってしまう。

街には色んな人が行き交っていて、中心部には観光客も多いが、少し外れると視線が鋭い人々もあちこちにいて不思議な活気を感じ、何だか楽しい。一瞬どこの国にいるのか、わからなくなる位だ。アジア系の顔の人、スラブ系の顔の人、ドイツ系の顔の人、いかにもハンガリーって感じの顔の人…背丈の大きい人も小さい人もいて、顔の表情も様々だから、オープン・テラスでお茶飲んで、一服しながら行き交う人を見てるだけでも、本当に飽きない。この国が歩んで来た歴史に想いを馳せて、人々を眺めてたら、あっと言う間に時間が経ってしまう。

驚いたのは、あちこちにマクドナルドが出来ていて(中には古い建物を利用した世界一豪華な内装の店舗も、ここブダペストにある)、更にそれが目に入らない位、通りのあちこちにトルコ・スタイルのケバブ屋が出来てる。広場には、若いカップルや小さな子供を連れた家族、よくわからない謎の若者集団や老人集団?が、それぞれ楽しそうに集い、ワイワイしている。


 鯉やナマズが入ってるそうだが…

…で、さっそく食べたのは、やはりコレ。「漁師のスープ」ハラースレーだ。スープ狂?の僕は、とにかく海外に行ったら美味しそうなスープを次から次へ試す。我々日本人の慎ましい胃袋なら、こういった地元スープと、もれなく付いてくるパン(大抵ドカ盛り)で、充分お腹が満たされてしまう。値段も安い 

ちなみに赤いけど、旨味のあるパプリカだし、全然辛くない。グヤーシュももちろん美味しいが、これも結構イケる これから始まる街歩きの活力が湧くというものだ。こっちの地面は石畳の道も多く固いから、街歩きは気合を入れねばならない。

ブダペストは観光地で都会だから、いろんな店があって思わずキョロキョロ…昔に比べてオシャレな店も増えてる気がした。小さなお店で水(こっちの国では必携。すぐに喉が乾くからちなみに僕は、ヨーロッパの街頭で一般的に売ってる炭酸入りの水が大好きである)を買って、グビグビ飲みながら歩いてると、時折不思議なものを発見して、思わず凝視。ハンガリーは通りのあちこちに、謎の看板があって、その中でも最も良くわからんのがコレ。


 目玉…脳とつながって…何が言いたい

…正直、怖いっス「よく見て考えろ」とでも言いたいのか…。周りは路駐の車が沢山あったけど、何かの注意を促しているのか。でも、逆にこの看板にビビって、何かを見落としそうである。

さて、ブダペストはドナウ川を挟んで街がブダ側とペスト側に分かれているのは、ご存じの方も多いと思う…その間にかかる「くさり橋」はこの街のシンボル的存在というか、よく旅行雑誌や観光案内の写真にも載っている。

ここを歩くと、(僕だけかもしれないけど)なんか「巨大な京都に」来たような気持ちになる…。この辺りではドナウ川が南北に通っていて、くさり橋から北を見ると向こう側に橋が見えて、マルギット島という中洲の島が見える。これはさしづめ、出町柳の三角州か。くさり橋の西側には王宮があるのだけれど、これはいわば御所、川の両サイドには道が延びていて、その川べりの道を車や人が行き交っている…鴨川にしてはやたら大きいけれど、こんな風景、京都にあるではないか。そう思ったら西側の道も川端通りに見えて来たゾ。

 



という事は、この辺りを丸太町辺りと考えたらいいか。じゃ、あの山は船岡山で、あいつは衣笠の辺りか。博物館だの美術館の位置関係も、それ程ハズレてはいないかも。むむむむ…何の因縁か、それとも都市というのは構造的に似て来るものであろうか

しかし、土産物屋が集まっているブダペストの新京極通りとでもいうべきヴァーツィ通りは川の東側。どちらかというと東側に繁華街があるのは京都と逆だが…あ!祇園か!あれを祇園と見立てれば、合点がいく。所々、微妙に東西南北の方向が逆転しているように見受けられる所もあるけど、やっぱり、ますます「ブダペスト←大京都」か…などと、アホなことを考えつつ橋を渡る。

橋の袂には、狛犬ならぬ獅子が。帝都の守護獣だけに、その顔はなかなかイカツイのだが、裏に回ってみると、お尻は案外、緊張感に欠ける。所詮はデカいネコである(せっかくなら香箱座りにして欲しい)。しかも、相手は石像…背後をとることはたやすいので、回り込んで、その本性を密かに写真に収める狛犬同様、乙な写真をとるなら背後からである。

 後ろ姿はリラックス

ブダ側に渡ると、どこからともなくトランシルヴァニアな音楽が。見ると鴨川べりヨロシク、自転車が行きかう中、音楽を演奏する男が二人。こんな連中、京の川べりにもいっぱいいるゾ…と、またまた巨大な京都を歩いているような気分になりつつ、縦弾きビオラを見せてもらうと、やはりバッチリ、駒がこの手の音楽用に平たく調整されいた。彼らのトランシルヴァニア音楽は粗削りながら、なかなか雰囲気が良かった昔からこの手の音楽を聴いているが、やっぱりハンガリーの、バーンと広い平原や緑をバックに聴きたい音楽だ。やってみたいとずっと思ってるんだけど、基本的にバイオリン音楽なんだよな~。…いや、今からでもやってみるか。

  



夜は、歌舞団のステージを見に劇場へ。ブダ側には国立ダンス劇場、ペスト側にはドゥナ・パロタがある。日によってやってる場所や演目が異なるのだが、これは本当に必見だ。劇場も壮麗で素晴らしいんだけど、舞台の内容はもう、ブラボーの一言。もともと昔からハンガリーの踊りや音楽は好きなんだけど、来日して公演されるものよりも内容がアーティスティックというか…どうしても日本公演などでは各地の踊りを披露していく、とう内容に終始しやすいのだが、ここ現地では結構メッセージ性もある、凝った演出の舞台が楽しめた。


 とても写真では伝えられない…あぁ幸せ

どちらの劇場もどちらの歌舞団も…国立歌舞団もドゥナ・パロタも素晴らしくて、次から次へと繰り出されるレベルの高い演奏と踊り、そのハッピー感に、ただただ圧倒されっぱなし。踊ってる人が一番ハッピーなんじゃないだろうかと、こういう地域の踊りを見てたらいつも思う。個人的に大好きなモルドヴァの曲や踊り、そして何というタイミングか、我々がスロバキアに行くことを知っているかのような「北部ハンガリー、スロバキア国境の音楽と踊り」という演目。スロバキアから参加のメンバーも加わり、超盛り上がりの楽しいステージを満喫させて頂いた
多分、毎晩のように見ても飽きない。完成度の高い舞台を見ると、何だか清々しい満足を覚える


 夜の国会議事堂前を馬鹿騒ぎ船が横切る

夢のようなステージの余韻の中、夜のドナウ川べりを歩くと、川の方からドンチャカ大騒ぎの歓声や音楽が…何事かと思って見てみると、大きな船の中でミラーボールが回り、人々が踊ったり騒いだりしている。まるで北新地か大阪・難波のビルが、丸ごと川を横切っていくようではないか。去りゆく夏を惜しみながら一年分の大騒ぎを企てたかのようなドンチャカ船、ゆっくりと国会議事堂の前を横切ってゆく。あまりに面白いからパシャリ。あんなに騒いで、沈まないのだろうか。いや、そんな船だったらドナウ川に繰り出してること自体、ヤバいか。

地下鉄で帰ろうと思って、乗り口に行くと…地獄の底まで伸びていくようなエスカレーター。しかも、スピードがやたら速い!意を決して飛び乗ると、ゴーッという轟音と共に下へ降りてゆく。エスカレーターを降りる時にしくじると、ベルトに巻き込まれそうだから、タイミングを見計らって、気合を入れて降りなくてはならない。ほぼジャンプである!ハンガリーの地下鉄(のエスカレーター)恐るべし。コレに慣れてしまうと、逆に日本のゆっくりしたジェントルなエスカレーターでタイミングが合わず、コケてしまうに違いない…。


 乗り損ねたら転げ落ちる…多分下まで

地下鉄は車両によって椅子の柔らかさが全然違ってて、固いのに座ると、前の方にジワジワ滑ってズリ落ちそうになる そう言えば、前に座ってたお尻の大きなオバサンも、多少ズリ落ち気味に見えた。落ち着かないんじゃないかな…改善する気はないのだろうか。もちろん、地下鉄の中では東洋人は珍しいのか、乗客全員が気兼ねなくガン見してくれる 雰囲気も服装も珍しいのだろう。

切符を買うのも面白くて、ちゃんと動いてるのか心配になる自販機もあるんだけど、結構沢山の人が並んで旧式の窓口で買っている。切符を買ったらエスカレーター前の検札機にガチャコンと入れて進むのだが、監視員が目を光らせて沢山立ってて、これもまた面白い。で、降りる時は誰も見てないというか…乗る時だけ見張られてるのね

夜のブダペストも、また違った味わいだ。イシュトヴァーン大聖堂横のオープン・カフェで、ちょっと一杯。他にも幾つか店があって、結構夜遅くまで人々が外の席にユッタリ座って、キャンドルを囲んで語り合っている。雨や湿気が多くて街中は排気ガスだらけの日本じゃ、オープンテラスも微妙だが…こういう国だと、確かに外に座って、ゆっくり時間を過ごしたくなる。(気候は仕方ないとしても、改めて日本は、車も車道も多過ぎる気がする とりあえず、京都は市内のアスファルト出来るだけ剥がして、路面電車を復活させて欲しい…でないと、空気も地下水も復活しないし、落ち着いた生活も居住できる都市としての姿も、取り戻せないんじゃないだろうか)


 夜のシナゴーグ 


 夜中の広場

イシュトヴァーン大聖堂からすぐのデアーク広場という所では、少し階段で地下に降りた所に椅子やテーブルが並んでて、沢山の自転車があちこちに停められ、人々が集ってワイワイ話している。昼間も賑わってたけど、何故か夜も変わらず賑わってる。その近くにある24時間営業みたいな小さなスーパーに行くと、日本では全く見かけないような品々も並んでて、興味津々…あぁ、こんなあちこち見物してたら、いつまでたってもホテルに帰り着けない。


 ぐるぐる巻きのスモークチーズ。剥がしながら食べる。

先述したケバブ屋には、夜遅くまで営業してるところが多いようで、店内には若者が沢山座っている。手軽で値段も安いし、この時間帯に、こういう店では野菜が充実したメニューが揃っているから、グッドなんだろう。そんなこんなで寄り道しながらようやくホテルに帰り着くと…(ちなみにこのホテル、安い割に中身はゴージャスで、ジャグジーバスが付いてたりする)あまりにも精力的に動きすぎたのか、毎度の事ながら、帰ったら、ユックリお風呂に入る元気も残っていない。

さて、今回の旅で音楽関係の探し物はあるにしろ、手工芸品全般が好きな僕にとっては、そういうお店を回るのも楽しみの一つだ。旅の本を開いてみると、ブダペストの中心地からちょっと離れた所に中欧最大の蚤の市があるとかで、蚤の市と聞いて行かない訳にはいかない。

地下鉄とバスで乗り継いで行って来た…が、本を見ても実際の駅名が違うし、バスに乗ったら乗ったで停留所名が違う。人に聞いてもチンプンカンプンで、もはや勘で行くしかなかった。
通り過ぎたような嫌な予感がして途中下車し、もう一回逆方向に乗って戻ったらバスの中の表示に市場の名前が出てきたから慌てて降りると…あった、あった。こりゃ、油断してたら見つからん。

思いのほか地味~な感じで、平日だったせいもあるだろう、人もまばらだった。いわゆる民族衣装も置いてる古着屋を見つけたので、ここぞという時用の舞台衣装に地方のブラウスを服の山から探して引きずり出し、値切って購入オバちゃんも人が良いし、安い。さすが蚤の市


 中欧最大規模?と言われる蚤の市エチェリ

それにしても、不思議な店がいっぱい!謎なのは、綺麗な民族系ブラウスとエッチなビデオを一緒に並べて売ってる品の良さそうなオバちゃんの店…店頭はまるで時空が歪んでいるかの如くであった(衝撃度が高く、人に見せれないので写真撮ってない)。興味を押さえきれず、オバちゃんに話しかけ、試しにそのブラウスを試させて頂いたけど、ちょっとサイズが小さかった…残念!それにしてもやっぱり、愛想良くて品の良いオバちゃん。一体、この店に何があった


 …とても中央市場には見えん 

さて、足早にブダペストに戻ると、今度は自由橋という橋の近くにある中央市場に向かった。正直、ドでかいレンガ作りの壮麗な風貌は、昔の列車の駅か何かにしか見えない。ところが中に入ると、一階は食料品店が並び、二階はいわゆるお土産物や手工芸品、食事のスタンドがズラ~ッと並んでいる。


 色々見てたら時を忘れる

海外に行くと必ず市場をうろつきたくなる僕は、こういう所に来るとスイッチが入り、好奇心のまま歩き回ってしまう。あまり見たことのない食材なんかを見つけると、思わず買いそうになるのだが、「買ってどうする」…と自分にツッコミを入れながら、それでも、ここで日常を送ってる人ってどんな感じなのかなぁ~なんて想像して、仮想的に食費計算などしつつ、う~む、案外普通に暮らせそうではないか、等と妄想を膨らませながら歩く。あぁ、でも香辛料位なら今買ってしまっても大丈夫なハズ…。

それから訪れたのは、手工芸品のセンター。歌舞団のスタッフさんに尋ねても有力情報が得られなかったので、ここで色々笛の事について尋ねてきた。展示してあるものは面白いものばかり。マジャール人、さすが騎馬民族の末裔と言うだけあるな~(蒙古斑ある人、結構いるみたいだし)というグッズの数々や、やたら可愛いフェルトのグッズ。しかし何と言っても興味をそそられるのは楽器である。





下の写真はツィタレと、いわゆるバグ・パイプ。ツィタレはチューニング用の器具がト音記号になってるのが妙に可愛い。この楽器でハンガリーの親父が高らかに歌うの聴いたら結構グッとくる。バグ・パイプは、スロバキアのもそうだけど、羊やヤギの体そのまま使ってるみたいなボディーで、パイプ部分の頭がヤギの頭(しかもメカ・ヤギみたいな斬新なデザイン)になってるのが、イイ。今回、CDや楽譜集も沢山手に入ったのだが、大量の写真が載った楽器に関する研究書も手に入ったのが超嬉しかった。こんな本、昔はなかった。





ナマハゲかと思うような、お面の数々にも興味津々。キリスト教が伝わる以前の彼らの世界観や、自然との付き合いが非常によくわかる。日本を含め、アジア諸地域の文化やその感性とのつながりも感じずにはいられない。実際、音楽に長く関わっていると、人々を取り巻く昔ながらの感性・感覚というものに興味が向くし、もちろんのことながら歴史・風俗など、音楽を支える全てのものに興味が出てくるものだが…ハンガリーの音楽や彼らのこういった古い習俗に触れると、(僕は10代初めから聴いていたという事もあるが)ある一種の「懐かしさ」のようなものも感じることがある。

 ちゃんと草食動物みたいな瞳になってるところがニクイ

それにしても、以前この街を訪れた時は、建物の外壁に銃弾の跡らしきものが残っているのを何箇所かで見た記憶があるのだが、今回はあまり見かけなかった。それも、街全体が以前に比べて明るく見えた理由の一つかも知れない。街の持つ、一種独特の「生々しさ」とも言えるものは今でも感じるのだが、街のあちこちで出会った人々も、お店や博物館、レストランで出会った人も、何だか昔よりずっと明るいエネルギーを発しているように感じた。


 壁に残る、沢山の銃弾らしき痕

さて、今回うまくいけばハンガリーの田舎スタイルの笛…もちろん、お土産用じゃなくて実際の伝統音楽に使われてるタイプの笛を入手することが大きな目標だったんだけど、ウィーンに戻る間際になってようやく、手工芸センターの気のいい親父からの有力情報により、地方の村の笛を仕入れている所へ寄ることができた。そこは結構凝り凝りのショップで、周辺の伝統音楽で使う楽器やその資料を豊富に仕入れていた。

僕が笛演奏家で、モルドヴァのチャンゴーの人々の笛や、ハンガリーの田舎の方のスタイルの笛を探している…と言う事を伝えると、そこの主人がトランシルヴァニア・スタイルの笛を吹いてくれた。「親父、やるやん!」と思わず拍手するほど、あの独特の味があって良かった!ちゃんと研究と言うか…練習した人なんだな。

それに感心してたら、隣の方で、ちょうどルーマニアの田舎のスタイルの笛を仕入れに来てる演奏家らしき人がいて、そのスタイルの楽器のいい感じのヤツを一切合切、買い占めて帰ってしまったこわ~ここはマニアの集う場所か。その後もツィタレを持った人なんかも入って来て、どうやらその手の音楽やってる人が結構来るようだ。こりゃ、油断してられん、僕も早々に探さなければ。


 Village Flute たちの歌口ならべると、何だかかわいい。

僕は、ハンガリーの羊飼いの笛…特に、やたら長い三つ穴のヤツ(ホッジ・フルヤ)と、親父が吹いてくれたトランシルヴァニアの村の笛、それから何と言ってもモルドヴァ・スタイルのフルヤ(縦笛)を仕入れたかったので、店の迷惑も帰りの時間も気にせず?あれこれ尋ねて笛を箱から引き出し、見せてもらった。モルドヴァ・スタイルのカヴァルと言う笛は、残念ながら思うようなのがなかったのだが、何とラッキーなことに、他の笛に関しては結構入手したかったものが見つかった(上の写真の笛たちがそう)。

村の製作家の作った笛は、それぞれ独特の音程感、独特の趣向を伺う事が出来る。僕も笛製作をするから、「よくある作りの笛なら」、竹を素材にして、現物を想像しながら「らしきもの」を作ることは出来るのだが…こういう楽器に関しては一番癖のあるヤツをまずは手にしないと、「その土地の人々が求めている感じ」のようなものを感じ取ることが出来ない。食材や料理と一緒である。よく、「あぁ、リコーダー型の歌口なのね」で片付けてしまう人がいるのだが、多分ちゃんと吹いた事・吹けた事もないし、細部まで観察した事もないのだろう。ダクトのある構造の笛にだって、本当に色々なものがあるのだ。

お目当ての笛を幾つか見つけることが出来てハッピーな顔になってたのか、店のご主人が色々面白い話も聞かせてくれた。何でも、ご主人の息子さんは日本人のヴァイオリニストと結婚したとか!嬉しそうに写真を見せてくれたんだけど、何と写真は広島の宮島で撮られたものだった。海の中に鳥居が立ってる…世界は狭くなってるんだなぁ。

さて、そんなこんなで列車に飛び乗って、これまたアッという間にウィーンへ。列車の中でショプロン(ハンガリーの地方都市の名前で、この名前のビールもある)の黒ビールを飲みながら、この行程の余韻に浸る。ハンガリーはやっぱり興味津々の国で、ブダペストは、やっぱり面白くて不思議な居心地の良さがある街だった。劇場で見た素晴らしい舞台の余韻は、なかなか冷めない。躍動的で、とんでもなく多彩な踊りの数々、様々な地域の美しい衣装、切なくもあり力強くもある音楽と魅力的なその音色や歌い回し。

それにしても、この短い間に様々な人とも出会い、美味しい物も食べ、市場やマーケットも見物し、歌舞団の舞台も観て、様々なCDやDVDも入手し、研究書や紹介書、楽器や地方の音楽のテキストまで入手して、果ては今まで手に入らなかったタイプの笛まで入手して…奇跡的と言えば、奇跡的と言えなくもない。旅の最初っからこんなに飛ばしてていいものか。

名残惜しく感じながらウィーンに戻ったこの時は、これから更に、旅がテンション・アップするとは…想像だにしていなかったそう、旅のメインは、まだこれからだったのである。

続く…



キュートなヤツらの、キュートな…?

2010-05-19 11:03:05 | 狛犬 こ♪ま♪い♪ぬ


数年ぶりにブログをアップするのに…やっぱりカテゴリーが「狛犬」って、音楽家としてどうなんだろ…と疑問は残りつつも、一番気持ちも乗りやすいので、深く考えないで、やっぱりこいつでブログ復活することにしました。狛犬ブログじゃないんだけどなぁ 

前のブログの頃から、引っ越しもして、生活はすっかり一変。僕は今、プチ田舎に住んでいます。家の裏には時折、キジが舞い降りたり、猪が夜中にいなないたり、夜中に鹿が突然横切ったり、タヌキが散歩してたり…これで本当に市内なんでしょうか。この季節になると、カエルの合唱が素晴らしくて、子供の頃にそういう環境で暮らしたせいか、やはりこういう、自分にとっての原風景的な場所は、心が落ち着きます 

そんな環境の中で、別にブログが書けないほど忙しく暮らしていた訳ではないのですが、ここ数年は、本来ブログに書くような事も、ほとんど年4回発行してる会報に盛り込んでしまってました。で、久しぶりにブログ書こうと思ったら、ブログの書き方もアップの仕方も、どうにも思いだせない始末!何か、コンピューターに向かう心のスイッチがオフってたのでしょう。これじゃいかん、と思いつつも、時間がどんどん経ってしまい…ようやく思い出したので、これからは、ちょこちょこ更新します(本当かな) 音楽家やってるくせに、「発信する」という事にあまり一種懸命になれない自分がいる 

さてさて、このキュートなヤツは、広島の厳島神社の奥にある社にいる「玉乗り狛犬」で、僕のお気に入りの狛犬です。とにかく、二匹そろって社入口に並んでる姿は、力が抜けるほど、能天気でかわいい。大体、何でそんな所で玉乗りしてんの?って突っ込み入れたくなります。これも匠の技と言うべきでしょうか、その無邪気でご機嫌な表情からは、前足二つが球体に乗った時の、連中のウキウキ感が伝わってくるようです。

通常、普通の狛犬は社の入り口で、一応にらみ?をきかせてる感じで並んでいるものですが、連中は石で出来てますから、簡単に背後をとれます。で、トコトコっと歩いて後ろに回ると…後姿は意外に無防備。そのギャップが面白くて、ついつい狛犬を見たら、僕は後ろに回ってしまうのですが、一口に獅子・狛犬と言っても、色んな背中やお尻のパターンがあって、しっぽの数や、その「はえ方」見るだけでも面白い。が、中にはお尻や後ろ足そのものの形がイケてるヤツらもいて、匠の技を感じさせられます。

そんな訳で、このキュートなヤツの後姿は…やっぱり、群を抜いてキュート
いいんでしょうか、こんな家の奥で遊んでるような愛玩犬を外に出してきて…。
どう見ても番犬にはならん とりあえず、どこかの匠に、連中の犬小屋作ってやってほしい


『犬…じゃないでしょ!?』

2007-09-23 12:22:54 | 狛犬 こ♪ま♪い♪ぬ


ほぼ一年もブログを休んでました…信じられない
何だか予想以上に余裕のない生活をしていたようです。
この一年、投稿出来ずじまいだったものをジワジワとアップしていきます

相変わらず、旅先で思わず撮ってしまう狛犬写真…その中でも秀逸な犬どもをご紹介致します。まずはこいつら!絶対犬じゃないけど!

    

僕の産土神社は、大阪府吹田市にある伊射奈岐(いざなぎ)神社なのですが、この神社の入り口に突如現れるのがこの謎の狛犬…というか石像。

僕は神戸市民病院で生まれて、赤ん坊の時は三宮の布引辺りにいて、その後幼稚園の頃は南千里で暮らし、その後神戸市北区に移って小学校位から大学生位まで暮らし、その後学生時代は大阪の千里、卒業してからは大阪・神戸市北区と移って、その後最近は京都に住んでいます。なんだか、関西動きまくり三都物語、って感じなのですが、親に聞くと、産土神社は千里にあるこの伊射奈岐神社らしいんですね。
そんな訳で、一度お参りしようと思い、訪ねてみたのです。しかし、車降りて社殿に向かうと、いきなりのこいつらの登場で、あまりのショックにそこから先に進めない!

くちばしなのか出っ歯なのかよくわからん口に、どこを見てるか全くわからん目、ないに等しい前頭葉に、極めつけは背中のヒレ!一瞬、カメレオンかカエルか、とにかく両生類か恐竜か何かに見間違うほどの異形の姿。どう見ても「犬」じゃないっす!
奥の社殿の前にはチャンと普通の立派な狛犬がおるのですが、神社入り口のこの謎の生き物の衝撃が強すぎて、その姿が脳裏から消えません。神社の神主さんに尋ねたところ、もともとは大陸から持ち帰られた石像で、今よりも小さいものが神社にあったそうです。それを少し大きなものに作り直して入り口に置いたものが、この現在のものだとか。それ以上は由縁がわからないらしく、神主さんも首を傾げておられました…。

ともあれ、「朝~ッ!!」という雄たけびが聞こえてきそうな、鼻息すら感じるこの姿
自分の産土神社の入り口を飾るこの異形の生き物達に思わず合掌です






その12『恐怖のバス1…イグアナVS芋虫星人』

2006-09-18 12:32:22 | アンデスの国…ペルー・ボリビア編
『恐怖のバス1…イグアナVS芋虫星人』

「ボリビアに行ったらスクレという街に行ったらいいよ!」と知人に言われ、旅に出る前から私はボリビアに行ったら「白い街」スクレを訪ねる計画を立てていました。南米の楽器の輸入業をされてるカサ・デ・ラ・パパ店主からも、よく知られたチャランゴ(南米の代表的な弦楽器)工房の住所までもらっていたので、行かない訳にはいかない!「Ciudad blanca(白い街)」という素敵な曲の印象も手伝って、私は旅行前からスクレを訪れるのを楽しみにしていました。

ラ・パスで知り合ったボリビア人夫妻に行き方を尋ねると「スクレなら簡単に行けるよ~♪バスで寝ながら行けるみたいだし…チケット買いに行くのは手伝ってあげるから!いつから行くの??」と、いとも簡単に行けるような反応で、次の日くらいにはチケット買いに行こか!?というくらいの勢いでしたので、私はその場で急遽日程を調整し、スクレに向かうことにしました。

さすがに荷物全部を持ち歩く訳にはいかないので、そのご夫妻宅に大きな荷物と大金を預けて、最初にボリビアにやって来た朝のように、ナップザック一つにGパンに軽いジャンバー…という軽装で、私はスクレに旅立ちました。夕方から次の日の夕方まで丸一日近くかけて移動する陸路の旅です。陸路の旅というのは、夜通しバスでの移動なのですが、私はこのバスがどれほど標高の高い道を走ってゆくのか、どうのようなバスなのか、全くわかっていなかったのです。調べなかった私もアホですが、誰か教えてくれてもいいのに…!

美しい夕暮れの前、透き通るような景色の中、途中眺めるであろう雄大なアンデスの山々や、点在する村々に想いを馳せながら、ボリビア人の知人に見送られて私はバスに乗り込みました。アメリカからの払い下げのようなオンボロ・バスです。私の席は中ほどの窓際の席でした。自分の席を探して、バスの中を奥へ奥へと歩いていると…他のお客はみんな、妙に服を着込んでいて重装備なのです。普通に街を歩いているような軽装な私…その差が少しばかり気にはなったのですが、それよりも席についたら椅子が壊れてガタガタになってて、そっちの方が気になって格好のことはスッカリ忘れていました。しかも窓が壊れていて、キッチリと閉まりきっていないのです。なんだか不吉な予感が走りましたが、今さらどう…と言うことも出来なさそうなので、おとなしく座ってバスの出発を待っていたのです。やがて全ての客が乗り終えて、バスが出発しました。

走り出すとすぐに景色が大きく動き、周りは夕方の山間の、深い群青色の景色に変わりました。山間に入ると運転手のオヤジさんが爆音で音楽をかけ始め、それはもう何百回もかけまくって伸びかけたようなテープを、スピーカーがとびかけてるオンボロのラジカセでかけてるもんですから、すさまじい!軽くジャブの連打を食らってるようです。そんな、情緒があるのかないのか…際どいバスの車内をグルッと見渡すと、やけに毛布を持った人が多い…もしかして寒くなるのかな。いやいや、寝てしまえばわからんだろう…そう自分に言い聞かせようとした瞬間、突然やたらに冷たい空気が、壊れた窓の隙間から強く吹き込んできました。何!?このやたら冷たい風はっ??すると、周りの人たちが次々にバッグからマフラーだのブランケットだのを出し始めるではありませんか!!ひょっとして、このバスは…暖房とかそういう気の利いた物はないのか??

バスは私の不安を現実化するように、徐々に標高の高い山の道に向かっていきます。と同時に日が暮れ始め、辺りは暗く沈んだ色に変わっていきました。バスの中の温度は徐々に下がり始め、気が付けば私の手は少しかじかんでいるのです。やばい!このまま夜になったら、バスの中の温度はどうなるんだろう??私は、窓際から離れ、空いていた一番内側の席に座りなおしました。しかし、風は依然として吹き込んできます。しかも椅子はガタガタ。このまま一晩ってのはヤバイ…と、血の気の引いたところで、突然バスが停まりました。どうやら村の中のようです。何人かの人達がワラワラと乗って来て、空いている席に座り始めました。

と、その時、力士のようにデカいオバチャンが、ノシノシと私の方に歩いて来たのです。もう性を超越した、ただのドでかい人です!鋭い目でジロリと窓際の席を見ると、指差して「座るよ!」とジェスチャーを送り、半ば強引にねじ込むように席の間に入ってきました。身をよじってよける私の前をグイグイと入るのですが、座れるのか、この身体で!?席から、はみ出るばかりの巨大な肉体!まるで…肉の布団のようです!「ぬ、ぬくい…」私は思わずオバチャンに身を寄せました。というか、オバチャンの身体がでっかいもんで、自動的にコバンザメのようにくっついちゃうんですが…すると、なんと!温かい!!さっきまでの寒さが嘘みたいに!しかも、そのオバちゃんの巨大な肉体に遮られて、風も入ってこない!オバチャンは平然とした顔をしてドッカリ座っています。これは神様の救いの手かも…その温かいオバチャンの、巨大な肉体にピッタリ引っ付いて(というか、オバチャンが大きすぎるので、単に席がギュウギュウなだけなのですが)、私はいつの間にか眠っていました。

どれくらい時間が経ったでしょうか…私が夢の中を漂っていると、突如ドヤドヤと人が動き出す音がして、目が覚めました。気が付くとバスがどこかの村で停まってて、先ほどの「歩く湯たんぽ」のようなオバチャンが降りようとしているところでした。あれれ、降りちゃうんだ…ぬくかったのに。結構沢山の人がこの村で降りたようです。どうやらトイレ休憩も兼ねているようで、私も外に出てみました。辺りは真っ暗、満天の星空で、信じられないくらい綺麗です!暢気に感激してるのもつかの間、バスが出るようなので戻ってみると、バスの中の温度はさっきよりも下がっているではありませんか!再びあの恐怖の寒さが襲ってきたのです。…と、途端に乗客達は、揃ってガサガサと自分のリュックやズダ袋をさぐり、毛布や大きな寝袋を出して身体をクルクル巻きにくるみ始めたのです!右も左も、前も後ろも…みんな芋虫みたいになって毛布でグルグル巻き!!頭にも毛糸の帽子をかぶって、なんだか冬眠の準備のようではありませんか!!そして、私だけが…ネルシャツとGパンだけで、完っ全に浮いてます!!

皆は眠りに入ってしまったので、運転手のオッチャンも爆音ラジカセの音楽を止めて、山の中の砂利道を爆走しながら隣の親父と何やら話し込んでいます。暖房のないバスの中に吹き込む隙間風に、もはやドカドカとダンスをするような椅子。このまま、朝までもつのか??誰も他人のことは構わないでひたすら冬眠って雰囲気だし…私は既に寒さで泣きそうになってきました。そう!寒さで涙が出てくる!当然、全く寝れない。というか、寝たら死ぬんじゃないか、とさえ思えてくる寒さ!「…フハ!フハハハ!」自分の無計画の度合いに、乾いた笑いまで出てきます。いかんいかん、正気を保たねばっ!私は必死でナップザックをさぐり、バスタオルを取り出しました。使い古したバスタオル…そのバスタオルで膝から太ももを包み背筋をピンッと張りました。歯は食いしばって!!太ももにタオルかけたくらいで何が変わるのか?と思われる方もおられるでしょうが、そうでもしないと耐えられないのです!唯一の布がバスタオル、外から吹き入る高地の寒風!更に冷え込んでゆく車内!まわりは巨大芋虫の群れ!!轟音でいびきをかくオヤジ!何の生物に囲まれているのか一瞬不安になるほどの異空間!!「死ぬ~っ、死ぬ~っ、…いや、死んでたまるか~っ、こんなアホなことでぇぇぇ~!!くくくぅぅぅ~、寝るなぁぁぁっ!寝たら絶対、次の日死んでる~!!」

そのままガタガタと震えながら、何時間が過ぎたでしょうか…この長い長い苦しみの夜の事を私は決して忘れないでしょう。半分意識を失いかけて幻覚まで見えそうなその時、山々の向こう側が白み始めました。あ…朝だ!!山の向こうから、放牧されたリャマの群れと、それらを率いる伝統的な衣装の村人が、朝もやの細くて白い光が射す中、宙に浮かぶようにこちらに向かって歩いているのが見えます。なんて幻想的な光景なんでしょうか…でもそんな光景を味わう余裕は私には全くありません!!じわじわと太くなってゆく太陽の光に向かって「早く!早く射してくれえええっ!」と悲痛に訴える自分に、情けなさから涙が出ます。

そして次第に太くなってゆく太陽の光の線に、思わず手のひらをかざすと…?!なんと!?手のひらが暖かいではありませんか!!私は、思わず窓に張り付きました!!文字通り体全体で、その壊れたバスの窓に、「イモリ」のように!ガラス越しに射す淡い光が、涙が出るほど暖かい~!!太陽の光ってこんなに暖かかったのか!朝の、まだ寒い空気の中、斜めに細く射す光にも関わらず、その有難さに涙がこぼれます。その時、私は瞬時に理解したのです!ガラパゴス諸島の海辺で、太陽の光に向かって口を半開きにして、変てこなポーズで停止したままの、あのイグアナ達の心をっ。子供の頃にテレビで見た時は、「何やってんだコイツらは~」と笑っていましたが…今まさに!自分があのイグアナの状態!今なら理解できる、あのイグアナ達の心が!お前ら、大変やったんやな~!!変温動物たちの生の営みに深い感動をおぼえ…こうしてイグアナ達と心が通じたと思うと、更に熱い涙がこぼれます。そして、そんな私の姿を、深々とかぶった毛糸の帽子とグルグル巻きに体中を巻いた毛布のわずかな隙間から、芋虫星人達が寝ぼけた目でのぞいていました。お互いに、なんて変てこな格好なんだろう、と思っていたのでしょうね。(つづく)