忘れられた日本 桜が散ったあと
武蔵国府八幡宮
桜の時期の終わりかけに訪れた神社。
とても静かで、静謐でした。
花見には近隣の人々が訪れているのでしょうか。
無口な神様です。
武蔵国府八幡宮 の近隣紹介
徒歩で6分 東京競馬場
徒歩で8分 普門寺
徒歩で8分 馬頭観世音菩薩
徒歩で9分 瀧神社
徒歩で9分 日吉神社
徒歩で10分 天神社
徒歩で10分 妙光院
徒歩で12分 金比羅神社
徒歩で14分 大國魂神社
忘れられた日本 桜が散ったあと
武蔵国府八幡宮
桜の時期の終わりかけに訪れた神社。
とても静かで、静謐でした。
花見には近隣の人々が訪れているのでしょうか。
無口な神様です。
武蔵国府八幡宮 の近隣紹介
徒歩で6分 東京競馬場
徒歩で8分 普門寺
徒歩で8分 馬頭観世音菩薩
徒歩で9分 瀧神社
徒歩で9分 日吉神社
徒歩で10分 天神社
徒歩で10分 妙光院
徒歩で12分 金比羅神社
徒歩で14分 大國魂神社
忘れられた日本 吉原遊廓 遊女たちが生きてきた証 吉原神社
吉原神社
吉原神社の歴史は、吉原遊郭の歴史とも言えます。
辺鄙な場所が一大歓楽街となる。
そして接待の場所・文化交流のメッカになっていき、春は桜の木が通りに持ち込まれ、人々の目を楽しませ江戸の観光名所となる。
吉原に来る人々の7割が素通りの客(ひやかし)だったとも言います。
美しい女性、美しい場所を見に来る人々。
遊女たちはお稲荷様を篤く信仰していたそう。
いろいろな願掛けをしたのだと思います。
それに思いをはせることができる聖域です。
【吉原遊郭と吉原神社の歴史年表】
和同4(711)年 千葉九朗助の夢見に白狐黒狐が天下り元吉原の地に勧請
元和3年(1617) 幕府の許可を得て江戸中の遊女屋を集める。元吉原時代始まり
(現在の日本橋人形町周辺)
元吉原の総鎮守は末廣神社
https://youtu.be/e6WplfNmmVw
明暦3年(1655) 新吉原(千束村)へ移転 新吉原時代の始まり
廓入口にあっ た玄徳(よし
とく)稲荷社 は、新吉原が移転してくる以前より、
千束村に祀られていた地主神
江戸時時代 吉原遊廓内の九郎助稲荷が書物に登場
明治14(1881)年 吉原遊郭の四隅にあった四稲荷と玄徳稲荷を合祀し
吉原神社とする
大正12(1923)年 関東大震災で焼失 水道尻付近にて仮社殿
このとき犠牲になった遊女は新吉 原花園池(弁天池)跡で
祀られる
昭和9(1934)年 現在地で新社殿を造営、その際吉原弁財天を合祀
昭和20(1945)年 アメリカ軍による東京大空襲で焼失
昭和43(1968)年 新社殿造営
昭和52(1977)年 浅草七福神復活
(浅草神社HPと東京都神社庁「東京都神社名鑑」より)