1 大津市中学生いじめ自殺事件
最近起きた旭川市女子中学生いじめ凍死事件は、10年前の大津市中学生いじめ自殺事件を思い起こさせます。
この事件は、2011年、大津市立中学2年生のAが、同級生から、特に2学期以降の約1か月間、連日にわたる過酷ないじめを受け、同年10月、自宅のあるマンションから飛び降り自殺をしたという事件です。
いじめの内容は、転倒させて殴打し足蹴にする、蜂の死骸を食べさせる、下半身を露出させる、自殺の練習や万引きを強要するなどというひどいものでした。
2 地裁判決(大津地裁平成31年2月19日判決)
(1)判決の内容
Aの両親(父Bと母C)は、翌2012年2月、加害者の同級生D、E、Fとその両親、中学校の設置者である大津市を被告にして、損害賠償請求訴訟を提起しました。
訴訟提起後、原告らは、2015年3月、被告大津市との間で、大津市がBとCに計1300万円を支払うとの和解をしたため、被告は加害者の同級生とその両親だけとなりました。
地裁は、証人尋問、当事者本人尋問などの証拠調べなどを経て、訴訟提起から実に7年を経過した2019年(平成31年)2月19日、判決を言い渡しました。
判決は、被告D、Eに対し、原告B、Cに、連帯して、大津市との和解金と災害共済給付金計2800万円を控除した合計約3756万円の支払いを命じるというものでした。判決では過失相殺(Aや原告らに落度があるとして損害額を減ずること)は認定しませんでした。
ただ被告Fに対しては、いじめ行為の関与が少ないとして損害賠償の支払いは認めませんでした。また加害者の両親についても、監督義務違反はないとしました。
(2)いじめによる自殺は「通常損害」
地裁判決が注目されたのは、本件のいじめによる自殺は通常損害であるとして相当因果関係を認めたことです。
判決はこのように述べています。
「被告D、Eのいじめ行為は、Aに対し、希死念慮を抱かせるに足りる程度の孤立感・無価値感を形成させ、被告らからの離脱が困難であるとの無力感・絶望感を形成させるに十分で、そのような心理状態に至った者が自殺に及ぶことは、一般に予見可能な事態であるから、Aの自殺は通常損害である。したがって、加害行為と自殺との間には相当因果関係がある」
なぜ地裁判決が自殺を通常損害としたことが注目されたのでしょうか。
民法では、加害者の責任を認めるためには、責任を負わせるだけの因果関係(相当因果関係といいます)がなければなりません。
これは、殴られて怪我をしたというような一般に予見できる損害(通常損害)の場合はそのまま相当因果関係が認められるのですが、例えば殴られて怪我をして学校を休んだために成績が落ちたというような特別の損害を主張する場合は、加害者が被害者の成績が落ちることまで予見可能性があったときだけに相当因果関係があるとされるのです。
これまでいじめで自殺することは一般には予想もできなかったとして、自殺は特別損害として加害者に自殺の予見可能性が必要とされてきました。
地裁判決は、いじめによる自殺を通常損害として予見可能性は必要ないとしたことで注目されたのです。
3 高裁判決(大阪高裁令和2年2月27日判決)
(1)判決の内容
地裁判決に対して、被告B、Cは、特に地裁が過失相殺を認めなかったことを争いました。
高裁判決は、地裁同様、本件のいじめによる自殺は通常損害だとしました。これは高裁レベルでははじめてのことでやはり注目されました。
ただ高裁判決には大きな問題がありました。過失相殺とその類推適用(以下あわせて「過失相殺」といいます)として、Aや原告らには減額すべき事情があるとして4割もの減額をしたことです。
判決は、被告(控訴人)D、Eに対し、原告(被控訴人)B、Cに、連帯して、合計約404万円の支払いを命じるものでした。この額は、地裁の認容額から約3352万円を減じるものです。
(2)最高裁
この高裁判決に対して、原告B、Cは、過失相殺の判断を争い、最高裁に上告しましたが、最高裁は2021年(令和3年)1月21日、上告を棄却し、高裁判決が確定しました。
4 高裁判決の過失相殺の3つの問題点
(1)自殺は本人が選択した自招行為として自殺を減額事情としたこと
高裁判決は、「自殺は行為者が自らの意思で選択した行為であり、そのような選択がなければ起こり得ないものであって、自らの死という結果を直接招来したものとして過失相殺の事情となる」としました。
このような自殺そのものを自殺者のいわば自己責任として損害額を減ずる考え方は、これまでの多くの判決でもとられていますが、自殺者の心理のとらえ方として正しいものではありません。
自殺は、個人の自由な意思や選択の結果ではなく(自殺総合対策大綱)、ましてや「過失」ではありません。
(2) 両親が別居し、「心を癒す家庭」を作らなかったことを減額事情としたこと
高裁判決は、「両親が円満に過ごす家庭環境は、いじめで傷ついた心を癒す上で非常に重要な役割を果たすのに、両親が別居し、甘えられる母親不在の家庭環境が自殺を招いたとして、原告の両親に家庭環境を整えることができなかった責任がある」として減額事情としました。
たしかに、判決で認定された事実では、母親が家を出て別居したことと、残った父親とAとは良好な関係ではなかったことでAが不安を感じ、このことが自殺の一要因となった可能性はあります。
しかし両親が別居して母親不在となったことを両親の過失として減額するのは、家庭環境についての理解が乏しいとしかいえないでしょう。子供と一緒に暮らしたいがどうしても別居を回避できないことはいくらでもあります。別居を過失とみるのは家庭環境のとらえ方として誤っていると思います。
この判決の背景には、両親が揃って円満に過ごすのが理想であるという「円満家庭神話」があるのではないでしょうか。
(3)4割もの減額をしたこと
高裁判決は、自殺は自らの意思で選択したこと、両親が家庭環境を整えなかったことなどを考慮して、損害賠償について4割もの減額をしました。
過失相殺の割合は裁判官があらゆる事情を考慮して何割という形で判断します。
高裁判決が4割もの過失相殺をしたことは、過失相殺の事情をあまりに重く見過ぎていると思います。
5 これからのいじめ自殺裁判の課題
(1)通常損害か特別損害か
この事件では、地裁も高裁も、いじめによる自殺を通常損害として、予見可能性は必要ないという立場にたちました。
これはたしかに意味があります。ただ本件で争われたのはいじめ加害者の予見可能性であり、学校の教員の予見可能性が問題になったものではないことに注意が必要です。いじめ行為をした加害者の予見可能性と教員の予見可能性は異なります。
これまで多く裁判で争われてきているのは、教員の予見可能性です。これまでほぼすべての判決は、特別損害として予見可能性が必要としています。
そしてまたほとんどの判決は、教員には予見可能性がなかったとして学校の責任を否定しています。教員の予見可能性の問題はまだこれから検討されるべき大きな論点です。
(2)いじめの程度と通常損害
この事件は短期間で過酷ないじめがあったケースです。このような場合には、そのいじめの程度が過酷であったことから自殺を通常損害と見たともいえます。
問題は、そこまでの過酷さはないが長期間にわたるいじめの場合です。その場合でも被害者の絶望感や喪失感が大きくなり自殺に追い込まれることが少なくありません。
このような場合にも通常損害といえるかどうか。いじめが自殺をもたらす原因についてはさらに検討を深めなければなりません。
(3)過失相殺について
高裁判決の過失相殺は大きな問題点を含むものでした。上告を受けた最高裁がこの高裁の過失相殺を否定するかもしれないと思っていたのですが、最高裁は高裁判決をそのまま認めました。
この高裁判決の過失相殺判断が今後のいじめ自殺裁判に広がっていくことが懸念されます。