とみしゅう日記

親切の種

今朝の出勤途中に見かけた光景です。

地下鉄の戸口付近に座っていた女性がやおら立ち上がりました。
電車が出発した直後だったので、どうしたのだろう?と見ていたら、すぐ隣に立っていた老人男性に何やら話しかけています。
「あぁ、なるほど。席を譲るつもりなのか」と納得しましたが、その女性はまたすぐに席に着いてしまいました。
何らかの理由で、その老人は譲られた席を断ったのでしょう。
僕は、ひどく残念な思いにとらわれました。

老人や妊婦などに席を譲るということは、なかなかに勇気のいることだと思います。
「善行」が何やら気恥ずかしいということもあるでしょう。

一方、譲られたほうも申し訳なく思うのか、「すぐに降りますから」とか「大丈夫ですから」といった理由で断ることもよくあるみたいですね。

このあたりの心情的なやりとりは実に人間的だと思います。
ですが…ここはひとつ、気持ちよく譲られてもらえないでしょうか?
たとえ、本当に次の駅で降りるとしても。

前述のように、誰かに親切をはたらくということは気恥ずかしいものだと思うのです。
その「ささやかな勇気」が、譲られたほうの遠慮で無になってしまった時(本当はそうではないのだけれど)、「あぁ、柄にもないことしなきゃよかった」と譲った側は自分の勇気を恥じてしまうことになりはしないでしょうか。

僕は誰かに褒めてもらえた時(滅多にありませんが…)、素直に笑って「ありがとう」と言うようにしています。
相手の好意を気持ちよく受け止めて感謝する。
それも大切なことではないでしょうか。

親切の種を咲かせるのは、一人でできることではありません。
種を蒔く人、水をやる人、咲いた花を愛でる人。
大勢の協力が必要なのです。

「小さな勇気」の小ささを恥じないで。
すべては、そこから始まるのですから。
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