(2004年5月30日~)
書き続けた自分に、まずは「おつかれ」。
そして、いつもいつも読んでくださっている30~50名 (ip数から推定) のみなさま、ありがとうございます。
仕事柄(校正やら翻訳やら)、ここのところ「日本語」というものについて考えることが多いのです。
歳をとったせいもありますが、「がんばれ、日本語」と思うのですよ。
イコール「日本語の遣い手、がんばれ」ってことなのですが。
翻訳の技術はさておき、「顔の見えない文章」を使う翻訳者さんが、けっこういるんですね。
英語をそのまま日本語に置き換えることはできないわけで…てなことを、以前このブログにも書いたような気がします。
“I Love You”の翻訳なんて、文脈によって何通りも訳せますものね。
文章って、単独で存在することはまずありえません。
必ず、その文章が生まれた「文脈」(英語だと context)があるはずなんです。
逆に言うと、文脈を無視した文章は、強烈な違和感を放つわけです。
翻訳の文章って、えてしてそういう「文脈無視」の言葉が生まれてしまうんです。
それにしてもひどい…っていう文章を、ここ数日校正していました。
自分だって大したキャリアがあるわけじゃないし、そもそも言葉に正解なんてあるわけもないし、単に自分の感性と合わないだけかも……
などと、いろいろ理性的に解釈しようと思うわけですが、やっぱり無理。
己の感性を信じて、あれこれ手を加えました。
いわゆる「ビジネス文書」というやつは、あれこれ約束事があるわけです。
ましてや、マニュアルなんて分野になると、制約の塊みたいなものです。
マニュアル製作のためのマニュアルがあるくらいですから。
でもね。
結局、マニュアルを作るのも、マニュアルを読むのも、人間なんですよ。
もし文章の全てが文法ルールだけで作れるのであれば、すべて機械翻訳で事足りてしまうでしょう。
でも、そうやって作られた「顔のない文章」「根っこのない文章」は、何かがおかしくなっているはずです。
ブログというツールのよいところは、自分の言葉を「生」の状態で世に送り出せるところです。
でも、まったく手を加えていない、というわけでもないんですね。
だから「半生」って言ったほうがいいのかな。
「粗茶」しかお出しできませんが、よろしかったら今後も時々お立ち寄りくださいませ。
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