昨日、後輩が制作を勤める劇団の公演を見に行きました。正直言いまして、友人には薦めないであろう内容だったわけですが、それなりに楽しめるところもありました。
日本の戦後史をテーマにしたコメディ、というか風刺劇、だったのですが、「そのギャグはどうだろう…」というものが多かったのです、前半は。
途中休憩後、後半も“ぬるいギャグ”が何度か出てきたのですが、その時『ぼのぼの』の教えが頭をよぎりました。
「この役者さんたちは、演出の指導の下、このギャグを何度も練習してきたのだな」
「このギャグは、まぎれもなく生身の人間が、まさにこの瞬間に本気でやっているのだな」
そう思うと、ギャグの本質とは異なるベクトルで、おかしさが込み上げてきました。
「どう? どう? この顔、面白い?」
そういって、ぼのぼの達の前に現れてきた奴がいます(動物の種類は忘れました)。変な表情ではありますが、別に面白いわけではありません。でも、その時ぼのぼのの仲間の一人が言います(アライグマくんだったっけな? 定かではありませんが)。
「こいつが、本気でこの表情をやっているんだと思ってみな」
そう言われて見ると、なるほど何だか面白い。皆は腹を抱えて笑い転げます。
どうですか? けっこう深い発言だと思うのですけれど。
つまるところ、面白いことを言っている側の「本気度」を、笑いの指針にしようということです。
究極のギャグがあるとするならば、それは誰がどう言っても面白いもの、ということになるでしょう。もちろん、そんなものありはしません。誰が、どうやって、どの場面で言うのか? それによって、100点のギャグが0点になるということは充分あり得ます。
今回の芝居は、おそらく高い年齢層をターゲットにしているものかと思います。ですから観客の大半は、芝居の中に出てくるギャグを、結構好意的に解釈していたようです。
個人的には、登場人物の一人が「立ち上がって発言する(スーツのボタンを留める)」←→「発言を終えて座る(スーツのボタンを外す)」というギャグが面白かったです。厳密に言うと、一度留めるのを忘れていて、発言の途中で慌てて留めていたところが。そこまで一生懸命やっていたのに、笑いとしてほとんど認知されていなかったところが。
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