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お正月があけると見かけ始める桜餅
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これを見ると母を思い出す。
10年前の今日は母の命日
深夜3時頃「ご臨終です」
この事を境に、私にとっては人生第二のターニングポイントになりました。
残された父に頼まれ
順風満帆だった湯沢でのお仕事を全部やめて、新潟市の実家に戻り
専業主婦みたいな形で、ずーっと家にいる羽目になったストレスからか
古い実家が寒かったせいか、翌年の2月29日に子宮頸がんの手術をした。
小学校1年生の娘のことが、可愛そうで心配で
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入院どころじゃぁなかったけど、パートナーのいない私に弟が献身的に娘の面倒をよく見てくれた。
「どうして亡くなったんだろう」とか「なんで癌なんかに」とか
頭の中の80%以上はいつもそんなことを考えていた。
自分のこれからのこと、実父とのあり方
急に同居することになった家族とのあり方に、今思うと悩まされていました。
その頃、スタートした「うるおいの新潟SNS」
突然、お仕事を失ってしまった私にとっては、このSNSの更新が
観光業と繋がっていられるツールとして嬉しかった
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そこで出会ったうるおいメンバーは、今でも、かけがえのない大切な存在
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2008年の夏くらいから、大観光交流年と呼ばれる時期に突入し始めて
大河ドラマ「天地人」、大地の芸術祭、DC、ときめき新潟国体が、
翌年の2009年同時にやってくるという事で、
湯沢のバスガイドに復帰、おもてなし講演会やガイド養成セミナー、テレビやラジオの出演、
イベント司会、湯沢中学校ガイド講座開始、
そして観光カリスマ会議越後湯沢(2009年開催)のホスト役など
お仕事と人脈のつながりが、ものすごく広がった
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2年くらいは、突っ走ってお仕事忙しいことが楽しくて、いろんな人との出会いも嬉しくて
そんな矢先の2011年起こった東日本大震災
観光~とか、おもてなし~という空気は一変して、急にお仕事が入らなくなったことを
逆手にとって学びの時間をいただいた。心理学との出会い。
目からウロコの講座から、磨き合える人との輪が広がり、自分の心も広がった
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生前、母は「新潟市に戻ってきてほしい」と言ったことはなかった。
2007年のお正月に実家に帰った時も、
新潟市に戻るなんてこと、もちろん思いもしなかった。
湯沢の人が親切にしてくれるし、知っている人ばかりだし、スキーは出来るし、温泉もあるし
空気はおいしいし、空は青くて高いし、子育てにやさしい町制だし、
湯沢の空気が私には合っていた。
最初は、居心地が悪かった新潟市が
うるおいの新潟SNSで繋がった人たち、テレビやラジオを作っている人たち、
観光バスのお客さまとのご縁、心理学を一緒に学んだ仲間
あっという間に住みやすい町に感じられたのは、たくさんの人たちに出会えたから
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バチがあたったんじゃない
母が亡くなったことも、癌になったことも、幸せになるために未来が与えてくれたもの。
強制的に居心地の悪さを与えてくれた母の死は
確実に私を成長させてくれた。
母に逢うことは叶わないけど、声なき声で今も私は育てられている
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時々、母と祖母(母の母)が、夢に出てくるよ~
ふつうに家でお茶飲んだりしている
55歳だった母に、42歳になった姿、成長して幸せな心になった姿で
心から感謝しています
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いつもありがとうございます
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