山口童話 

山口弘信作成の童話です。

鳥たちの会ぎ

2018-11-27 07:48:08 | 童話

平成30年11月27日  富山新聞掲載

 

 気象えいせい打ち上げのため、カウントダウンが始まっています。

 そのとき、ロケットの上にハトがとまりました。

 ロケットの発しゃを、みまもっていた人たちは、ちょっとビックリしました。

しかし、ロケットはそのまま発しゃされました。

 ハトは、ロケットにしがみついています。

しかし、ずいぶん上空に上ったところで、力がつきてロケットからすべり落ちてしまいました。

 ハトは、そのままほかの鳥が待っている、鳥達の会ぎ場に飛んで帰りました。

「いやー、すごいスピードのため、そのまましがみついて、うちゅうまで行くことは無理です」

 鳥の会ぎの議長であるワシが「そうか、無理だったか、人間がロケットで、うちゅうにいろんなものを打ち上げています。それらの残がいやゴミがうちゅうに、ただよっていると聞いたので、ハト君に様子を見てきてもらうつもりだったが」と言いました。

 ツルが「私が、うちゅうまで飛んで行き、見てきましょう。そしてゴミを見つけたら、ロープでしばり、力持ちのダチョウさんに引っ張ってもらいましょう」

 ツルがうちゅうを目指して飛び立ちました。しかし、うちゅうは遠くて、ツルはつかれはてて、それ以上飛べなくなりました。

 オウムが「うちゅうをよごしているのは人間だから、どうしたらよいか人間に直接きいてみましょうか」と言いました。

 ワシが言いました。「人間の中にも空を飛んでいる人たちがいるから、鳥の会議に入ってもらうことにしましょう。オウム君、飛行機のパイロットの人に伝えてもらえるかな」「分かった」

パイロットの人が言いました「鳥たちと話し合いができるとは、うれしいね」

「うちゅうがゴミでよごれるのを心配しているのだ。どうしたらよいと思うか」とワシが言いました。

「自分たちは、大空を飛び回っているけれど、、うちゅうには行かないのです。そのため、うちゅうのことを相談されても、どうしようもありません。うちゅう飛行士の人を、しょうかいします」

ワシがうちゅう飛行士に言いました「君も、鳥の会議のメンバーだ、うちゅうのゴミをどうしたらよいかね」

「うちゅうステーションでゴミを回収します。そうだ、鳥さんの代表といっしょに、うちゅうに行きましょう。そして、うちゅうのことを鳥さんたちにも知ってもらいましょう」

ウグイスが、うちゅうステーションに連れて行ってもらいました。

「ホーホケキョ」と、うちゅうからの生放送に参加しています。

鳥の会議に人間が参加することで、鳥たちが人間を信らいするようになりました。


イモどろぼう

2018-08-09 03:56:39 | 童話

富山新聞 平成30年8月7日 掲載  

 

イモどろぼう

 山あいの村に住んでいる、とってもまじめな、おじいさんとおばあさんが、庄屋さんのイモあなからイモを、こっそりとぬすみ出しています。

 イモあなは寒い冬にイモが、こおってくさらないように、保存するためのあなです。

人一人が入れるくらいの大きさです。山の中に作られています。

 おじいさんとおばあさんの家は、ひどく貧乏でたべものがなくなってしまっていたのです。

 そんなときに、この村に、はらペコの旅のおぼうさんが訪ねてきました。

 そして、このおじいさんの家に一ばん泊めてほしいと頼みました。

 おじいさんは、貧乏でとても泊めることは無理だと断わりました。

 そうしているうちに、おぼうさんは、ひもじさのために気を失ってしまいました。

 しかたなく、その家で一晩泊めることになりました。

 おじいさんたちは、自分たちも腹ペコなのに、自分のためでなく、おぼうさんを助けるために、どうしたらよいか、考え、なやんで、イモをぬすんだのです。

 イモを食べさせてもらったおぼうさんは、つぎの日には歩けるようになり、旅をつづけて行ってしまいました。

 おじいさんたちは、イモをぬすんだことをお役人のところに行って話しました。

 お役人は、おじいさんたちを、つかまえました。

 しかし、庄屋さんに謝ること、イモをかえすこと、もうぬすみをしないことを約束して、すぐに家にかえされました。

 二人は庄屋さんに、おわびをしました。

 でも、お返しするイモはありません。

 困りはてていると、おぼうさんが引き返してきました。

 そして「この家の裏山に少し大きな まっ黒な石があります。その石を動かせばお湯がわき出てきます。その風呂にはいれば身体全体に元気があふれます。おなかの調子の悪い人が飲めば、おなかの痛みがなおり、お通じがよくなります。」と言い残して、再び去ってゆきました。

おじいさんとおばあさんが、まっ黒な石を探し当てました。村中の人々に手伝ってもらい、その石を移動することができました。

その石のあったところからお湯が勢いよく吹き上がりました。

おじいさんと村人がお風呂場を作り、近くの村の人たちに入ってもらいました。

おなかの調子の悪い人には飲んでもらいました。

みんな元気になったことから、それが評判となり、全国からたくさんの人びとが温泉に入り、身体をいやすためにやってきました。

そのおかげで、村に活気が出てきて、村全体が裕福になりました。

 


じぞう様への濡れぎぬ

2017-12-15 23:23:28 | 童話

 平成29年12月14日富山新聞掲載

 

 じぞう様への濡れぎぬ

 

 真夜中に、村の神社から「ドドーン、ドンドンドン、ドドーンドンドンドン」とたいこの音が鳴りひびいています。

 人びとは不思議なこともあるもんだと言いながら一週間がたちました。

 そんなときに火事が発生です。

かやぶきの屋根の大きな家がほのおをふき上げて、燃え盛っています。

 そのとなりの家にも燃え移り、さらに大きな火柱となり、火の粉が周りにまき散らされています。

 これまで全く火事のなかった村里に火事が発生したのです。

 この村には、これまでじぞう様がなかったことから、一年前にじぞう様をまつろうということになりました。

村の子ども達が旗を持ち、近くの集落の各家を「じぞう様の建立」と言いながら、じぞう様をつくるための寄付金を集めて回りました。

そのかいがあって、じぞう様を作るためのお金もじゅんびできました。村の中央に、東に向けて設置されました。

 その向きがちょうど火事の発生した家の方向でした。

 じぞう様の見ている家が火事になったのです。村の中で、それが火事の原因だといううわさが広がりました。

 じぞう様はそれをきいて悲しくなりました。

 「私はこの村の人びとの幸せを一心に願っているのに、何故そのようなありもしないことを平気で言う人がいるのだろう。神社のたいこを打ち鳴らして、村人に、火の始末に気をつけるように注意していたのに。」 

 じぞう様は、これまで以上に村人をしっかりと見守ろうと思っていました。

 そんな時、この村にまた火事が起きてしまいました。

 今度は、じぞう様の向きと反対である西側の新しく建てたばかりの家が火事になりました。その少し前に、前回と同じく、神社のたいこも鳴りました。

 村人は、じぞう様につけている、よだれまえかけを赤色にしていることが火事の原因らしい、とうわさし始めました。

 なんとしても、火事の原因をじぞう様のせいにしたいらしいのです。

 じぞう様のよだれまえかけが、むらさき色に変わりました。

 それ以来、長い年月が経ちました。その村里に火事は発生していません。

 今日は、じぞう様のお祭りです。じぞう様の前に集まった人たちに、村の老人が静かに言いました。

 「むかし、この村に火事が発生して、大人たちがじぞう様のせいだと言っていました。しかし、そんなはずはありません。人のせいにするのはよくないことです。一人一人がしっかりと、火の始末をすればよかっただけのことなんですよ」 


孫は我が家の宝もの

2017-11-08 00:43:35 | 童話

 

平成29年8月31日 富山新聞掲載

 

  孫は我が家の宝もの

 

 ヒロくんは、幼稚園の年少組です。

 最近、自分の気に入らないことがあると、いつも本当に大事にして、かわいがってくれている、ばあちゃんやじいちゃんに、あっちに行けと冷たく言い放つのです。

 目の中に入れても痛くないほど、かわいがっているのに、ばあちゃんは一瞬ドキリとします。

 ヒロくんの家族は、ばあちゃんとじいちゃん、そしてパパとママの五人家族です。

 ヒロくんは、一人っ子です。

 パパとママは、お昼は会社でお仕事です。幼稚園への送り迎え、そしてパパとママが帰ってくるまで、じいちゃんとばあちゃんがヒロくんの世話をしています。

 お風呂に入るのも、ばあちゃんと一緒です。

 ヒロくんは、頭を洗うのが大嫌いなのです。しかし、なんとかなだめて頭をシャンプーしました。

 ヒロくんは、それが気にいらないのです。

 風呂から上がると、「ばあちゃんあっちへ行け」というのです。

 「ばあちゃん行くとこないよ」というと、「ばあちゃんの部屋に行け」というのです。

 パパやママには、何があっても、そんなことを言っているのを聞いたことがないのです。

 ばあちゃんは、次の言葉が出てきません。

 幼い子供とはいえ、どうしたら思いやりのある心を持ってくれるのか、と悩みました。

 そうだ、絵本を見せて、ヒロくんに考えてもらうことにしよう、と思いつきました。

 ばあちゃんの選んだ絵本は、タヌキさんとウサギさんとリスさんとキツネさんが仲良く遊んでいるときに、突然タヌキさんが、後ろ歩きの競争をしようと言い出すものです。

ウサギさんが、それはイヤだと反対しました。

 すると、タヌキさんがウサギさんに「おまえ、あっちに行け」と言うのです。

 ウサギさんは、後ろ歩きがほとんどできないのです。悲しくなって、目が真っ赤になってしまった、というお話です。

 ばあちゃんは、その絵本をヒロくんに読んで聞かせました。

 ヒロくんは真剣に、そのお話を聞いていました。

 「タヌキさんは、いいタヌキさんかね、悪いタヌキさんのどちらだろうね」といいました。

 ヒロくんは少し考えてから、「ウサギさんをなかま外れにしようとしているから、わるいタヌキさんだよね」といいました。

 ばあちゃんは、何が何でもヒロくんがかわいくて、大好きなのです。

 ヒロくんが三輪車に乗って、近くの公園まで一緒にお散歩です。その途中で、あっちに行く、こっちに行く、と自由気ままに言います。

ばあちゃんには、かなりの重労働ですが、

せっせと三輪車を後ろから、押しているのです。


しっぽのとれないカエル

2017-07-17 01:46:31 | 童話

 平成29年6月29日 富山新聞掲載 

 

 

田んぼの すみっこで 一ぴきのカエルが一人ぼっちで ほかのカエルたちを ぼんやりと ながめています。

 よくみると そのカエルには しっぽが ついています。

 ほかのカエルたちは、ゲロゲロ グァウグァウと さわいでいるものや すいすいと およいでいるものがいます。

 今日は、この田んぼの がっこう たいこうの うんどうかいです。

 この田んぼには、カエルがっこう、ナマズがっこう、ゲンゴロウがっこう があります。 

 春の早くに、カエルたちは、カンテンのようなビロビロの たまごを うみます。

水の入っている田んぼに うみます。

そのカンテンのような たまごには、黒いゴマのような つぶが たくさん ふくまれています。

やがてそのゴマつぶは しだいに 大きくなります。そして少し大きくなった ゴマつぶに しっぽが はえてきて 水の中におよぎだして ゆきます。

おたまじゃくしに なったのです。

その おたまじゃくしたちは、しっぽをつかって 水の中を じゆうに およぎまわります。そのおよぐすがたは、ナマズのこどもと そっくりです。

およぎまわっているうちに、やがて うしろのあしが はえてきます。

ついで、まえあしが はえてきます。

あしが はえてくると しっぽが だんだん みじかくなります。

しまいには、しっぽがなくなって カエルとなるのです。

どうしたわけか 分からないのですが いっぴきのカエルのしっぽが おたまじゃくしのままなのです。

そのため カエルとして みんなの なかまに 入れてもらえないのです。

そのうえ みんなからは しっぽ、しっぽ といって バカにされています。

 そのしっぽカエルのところに、カエルがっこうの こうちょう先生が やってきました。

 「こんどの 十メートルリレーきょうそうに きみ せんしゅとして およいでほしい、およいでくれないかい」

 「ぼく、およぎたかったんです。およがせて下さい」

 カエルとナマズとゲンゴローの だいけっせんです。

 これで、きょうの ゆうしょうチームが きまります。

 しっぽカエルは さいごのせんしゅ として およぎました。

 それまで まけていたのに しっぽカエルが しっぽと足を つかって およいだことから トップで ゴールしました。

 しっぽカエルは、カエルなかまに すごいすごい といって しゅくふく されました。

 それからは だれも しっぽカエルを なかまはずれに しなく なりました。


新聞記事の紹介

2017-07-17 00:30:44 | 童話

 

平成29年2月23日の新聞記事です。


イノシシの掘り当てた不思議の水

2017-07-17 00:03:50 | 童話

平成27年12月10日 富山新聞掲載

 

 

イノシシの掘り当てた不思議の水

 

 

ある山あいの里に、とっても親切なお爺さんとお婆さんが住んでいました。

ある晴れた日に、二人が裏山へ山菜を採りに出かけました。竹やぶの中から、クィーン・クィーンという鳴き声が聞こえました。

なんだろうと思い、そっとのぞいてみると、小さなイノシシの子供が、足から血を流してうずくまっていました。古い割れた竹に足を挟み、怪我をしたようです。

かわいそうに思った二人は、そっと子イノシシを持ち上げ、家につれて帰りました。

傷口を消毒し、ブラブラしていた足に木を添え、包帯を巻いて、哺乳ビンでミルクを与えました。はじめは、辛そうにして、ジッとしていた子イノシシも、一週間もすると、やや元気を取りもどし、添え木をしたまま、家の中を、よたよたと歩き始めました。

二週間もすると、すっかり元気になったので、包帯をはずしました。食事も二人と同じものを、食べるようになっていました。

山に行くときや、畑での仕事に行くときは、一緒に連れて行き、放していました。

しかし、子イノシシは、二人から遠くに離れることはなく、家に帰るときには、走ってきてチョコチョコとついて来るのでした。

それから、一年がたち、子イノシシは、立派な若イノシシに成長しました。

いつもと同じように、裏山に山菜をつみに行ったとき、若イノシシは、さかんに辺りに鼻をこすりつけ、匂いをかいでいるのです。 

そのうち、一箇所にねらいを定めて、前足で穴を掘りはじめました。穴はしだいに大きく、深くなってゆき、水が湧き出てきました。

「あれまー、こんなところに穴を掘って、どうしたんだい」と、二人は若イノシシに話しかけていました。「グウ・グウ・グウ」と若イノシシは、答えましたが、二人には何のことかさっぱり分かりませんでした。

その日は、若イノシシは二人を見送るように、その場に立ち止まっていました。

「イノちゃん、もう帰りますよ」と声をかけました。「おや、今日は、イノちゃんは付いてきませんね、どうしたんでしょうね」と言いながら、家に帰りました。夜遅くなっても、若イノシシは、帰ってきませんでした。

その夜、二人は同時に同じ夢を見ました。山の神様があらわれ、「イノシシを助けてくれてありがとう、そのお礼に、今日の水をあなたたちに、さしあげます。この水は、ひふに傷があれば、つけてもよいし、お腹の調子が悪ければ、飲んでもよいし、お風呂として利用すれば、全身の健康に効果があります。」というものでした。

朝になって、昨日の湧き水を見に行くと、水は静かに、湧き続けていました。

二人は、そこから自宅までその水を引き、お風呂場を作り、村の人々に開放しました。  

皮膚の病気や傷に効果のあるお風呂として評判になり、遠くの村からも多数の人々がやってくるようになりました。

この不思議な水について、最近、成分を分析したところ、消毒薬のホウ酸が含まれていることが判りました。


白蛇の恩返し

2017-07-16 20:46:18 | 童話

 

平成27年4月9日 富山新聞掲載

 

    白蛇の恩返し

 

 

 日本が、太平洋戦争を始めるだいぶ以前に、高岡市伏木矢田の、お百姓さんの家にあった、本当のお話です。

 そのころ、日本の村人たちの間に、食事事情と栄養に対する知識不足から、脚気になる人が、大勢居りました。

 脚気は、ビタミンの不足から、かかる病気で、足がむくみ、だるくて、歩けなくなる病気です。

 ひどい時には、それがもとで死んでしまうこともありました。

 ある天気の晴れた日に、矢田のお爺さんが、山の畑に仕事に出かけました。

 すると、白蛇が大きな鳥に襲われて、大きな切り株の上に、鳥の鋭い爪で押さえつけられ、必死に体をくねらせて、逃れようとしていました。

しかし、逃れることができずに、今にも食べられてしまいそうでした。

 お爺さんは、白蛇がかわいそうになり、大声で「こらー、何しとる!」と叫び、持っていた柄の長い草刈鎌を振りかざし、大きな鳥を脅したところ、大きな鳥はビックリして、白蛇を、そこに置いたまま、どこかに飛び去ってゆきました。

 白蛇は、少しの間、そこに残って、お爺さんを見ていました。

 その眼には、涙がいっぱい溢れていました。

 しばらくして、白蛇は、何度もお爺さんを振り返りながら、藪の中に消えて、見えなくなりました。

 その晩、お爺さんの家に、旅の尼僧が訪ねてきて、一晩泊めてくれるように、と頼まれました。それまでも、その家では、しばしば、旅人とか、托鉢修行のお坊さんとかを、お泊めすることがあったのです。

 その尼僧さんを、お泊めしてあげたところ、その尼僧は、その家のお婆さんに、「脚気を治す灸を教えてあげましょう」と言って、親切、丁寧に教えて、いつの間にか、いなくなっていました。

 次の日の晩に、お爺さんの夢に、白蛇が現われて、「昨日泊めていただいたのは,助けていただいた私です。この方法で治療すれば、脚気は治りますから、脚気で苦しむ人々をなおしてあげてくださいね」と告げられました。

 それから、お婆さんは、脚気で困っている人に、その灸をやってあげると、皆さん、たちまち元気になり、その評判が、村を超えて周辺に広がり、沢山の人が灸の治療を求めてくるようになりました。

 歩けなくて、リヤカーで運ばれてきた人も、帰りには、しゃんしゃんと歩いて帰るほどによくなりました。

 こうして、長い間、脚気の患者さんを治し、喜ばれてきましたが、近年、治療に対する規制が厳しくなり、無許可治療が認められなくなり、その治療も終わりました。


お祖母ちゃんとの約束

2017-07-16 20:34:07 | 童話

平成27年6月25日 富山新聞掲載

 

     お祖母ちゃんとの約束

 

 

 五月のある土曜日の朝会で、担任の水原先生から「突然ですが、今日の午後に、クラス対抗の野球をすることになりました。選手の人も、応援する人も、みんなで力を合わせて頑張りましょう」と告げられました。

 ひろし君は、小学四年生で、一組のエースです。この日は、お正月のときに、隣り町に住んでいるお祖母ちゃんの家に、妹の明美を連れて、遊びに行く約束をしていました。

 お祖母ちゃんは、ひろし君を本当に大好きで、いつもお祖父ちゃんと一緒に待っていてくれることを知っていました。

 ひろし君が、お祖母ちゃんとの約束を守るために、野球の試合に参加しなければ、きっと四年一組は、負けてしまうだろうし、クラスのみんなに、なんだか迷惑を掛けるような気持ちになり、困ってしまっていました。

 「どうしたらよいか」と迷っているうちに放課後になってしまいました。

 それで、担任の水原先生に、どうしたらよいか、と相談しました。先生は、「ひろし君に任せるから、自分で判断しなさい」という返事でした。

 次に、ひろし君は、お母さんに電話で相談しました。「野球の試合があるのなら、仕方ないから、野球をしてきなさい。お祖母ちゃんには、お母さんから、今日は、ひろしと明美が行けなくなったことを、連絡しておきますから、心配しないで大丈夫」ということでした。

 四年生のクラスは、三クラスあります。一組は、見事に、ひろし君の大活躍で、優勝することができました。

 ひろし君は、ちょっと疲れましたが、大得意になって、今日の自分の活躍と、優勝できた喜びを、夕食の時に、お父さんと、妹と、お母さんに、お話しました。

 お父さんは、「ひろしの活躍で、優勝できたことは、嬉しいけれど、お祖母ちゃんとの約束を守れなかったことについて、ちゃんと自分で、直接謝っておくように」と注意をされました。ひろし君は、まだ、お祖母ちゃんに謝りの電話を、していなかったことに気づき、すぐに電話しました。

 お祖母ちゃんは、優勝したことを報告すると、とっても喜んでくれました。でも、その時にお祖母ちゃんが、僕の大好きなおはぎをこしらえて待っていてくれたことも知りました。

 「今度、いつきてくれる」と、お祖母ちゃんからの問いかけがあり、次の土曜日に約束をしました。

 受話器を置いてから、考えてしまいました。

「お祖母ちゃんだから、約束を守らなくてよかったのだろうか、お祖母ちゃんでなく、よその人だったら、約束を破ってよかったのだろうか、次の土曜日は、約束をキチンと守れるだろうか、明美の気持ちも、考えてあげなくちゃ」。


おまもり神様たちの秘密会議

2017-07-16 20:18:59 | 童話

 

 

平成27年9月10日 富山新聞掲載

 

おまもり神様たちの秘密会議

 

 ひろし君と妹のしほちゃんが、押入れの戸に、そっと耳を当てて、中のお話しを聞いています。

その押入れの中には、天神様とおひな様と五月人形かぶとが入っているのです。

 天神様がかぶとに、「ひろし君が、自転車の練習をしていて、たおれて手をすりむいたでしょう、しっかりと守ってやらないと、だめでしょ」と言っています。

 かぶとは「そうなんですけど、骨折をさせないで、手をすりむいただけで、終わらせるので、せいいっぱいでした。」「うん、そうだな、本人にも、自転車に乗るときは、気をつける必要がある、ということを知ってもらうためにも、それでちょうどよかったのだろうね」と言っています。

 この中では、天神様が一番えらそうにしています。

 おひな様にむかって「しほちゃんは、かぜをひいたけど、どうだったんですか」「ようち園でかぜがはやっていて、仕方なかったのです」と会議をしていました。

 「ひろし君の勉強は、本人がやる気になっていますので、このまま見守りたいと思っています、どうでしょう」と天神様が言いました。

 十一月一日に、押入れの中で、ひみつの会議が、開かれることを、ひろし君は、学校の友達から、教えてもらったのでした。

 その会議の話は、大人には聞こえなくて、子供だけに聞こえる、ということでした。

 ひろし君の家の天神様は、かけじくに天神様の姿が描かれたものです。おじいちゃんが、買ってくれたものです。

 正月に、ひろし君の勉強が出来ますように、また、家族全員が幸せでありますように、との願いをこめて、かざられます。

おひな様は、おだいり様だけのものです。しほちゃんが生まれた年に、おじいちゃんとおばあちゃんが、しほちゃんの幸せを願って、買ってくれたものです。

おひな様祭りにそれをかざって、おじいちゃんとおばあちゃんをお呼びして、ごちそうを食べながら、しほちゃんの幸せと、みんなの幸せをお願いします。

五月人形かぶとは、仙台のだてまさむねのかぶとを、ひろし君が、実際に冠れるようにしたものです。こどもの日に、取り出して、くだものやおはぎをお供えし、その横に、花びんをおいて、しょうぶを差しておきます。しょうぶの香りが部屋一杯に漂います。

その日は、そのしょうぶをお風呂に浮べ、しょうぶ湯を楽しみながら、ひろし君の無事な成長と家族の無事をお願いするのです。

 ひろし君は、自分がけがをしないように、お父さんとお母さん達が、心配してくれていることを知っていました。天神様達の、ひみつの会議を聞いてから、かぶとも自分のために、見守ってくれていることを知りました。

ひろし君はしほちゃんに「ひみつ会議のみんなに、めいわくをかけちゃだめだよ」と兄ちゃんらしく、言いました


らかん様へのお願い

2017-07-16 20:02:10 | 童話

 

平成28年9月8日 富山新聞掲載

 

 らかん様へのお願い

 

 ひろし君がお父さんと一緒に、となりの町内にある、お祖父ちゃんの家に自転車に乗って遊びに来ました。

 自転車は、四年生になったお祝いに、お父さんに買ってもらった赤色もようの、いかにも、スピードが出そうな子供用のものです。

 お祖父ちゃんが「すばらしいのをかって貰ったね、道路に出るときは、じゅうぶん気をつけてね」と、少し心配そうに言いました。

 ひろし君は、「うん、分かっている。」と元気よく返事をしました。

 しかし、お父さんと帰るときに、見送っていたお祖父ちゃんは、心配になりました。

 それは、お父さんが道路の左側を走り、ひろし君は道路の中央を走っていたからです。

 その少し先に、一時停止の看板がありました。お父さんもひろし君も停止することなく右に曲がって行き、見えなくなりました。

 お祖父ちゃんは、もう、ひろし君のことが心配で心配でたまらなくなりました。

どうしたらよいか、必死に考えました。

 「そうだ、もうすぐ、らかん祭があるから、らかん様に交通安全をお願いすることにしよう。だけど、本人の交通安全に対する強い自覚がなくては、らかん様も、おまもりの仕様がない、というかもしれない。」

「ひろし君と一緒に、団地内を実際に自転車でまわって、交通の決まりを知ってもらうことにしよう。」と思いつきました。

さっそく、ひろし君の家に電話をしました。

「今度の土曜日か日曜日に、ひろしちゃんと妹のれいちゃん、遊びにきてちょうだい、ひろしちゃんに交通安全のお話をしたいの、いちごのケーキを準備して待っているからね。」と連絡しました。

日曜日に、れいちゃんとお母さんは車で、ひろし君は自転車で来ることになりました。

 その日に、お祖父ちゃんは自転車に乗って、ひろし君を迎えに行きました。

 ひろし君は、お祖父ちゃんの横に来て、並んで走ろうとしたので、お祖父ちゃんは停まって、言いました。「自転車は、二列になってはダメなんだよ、お話が出来なくて、さみしいけれど、自転車に乗っているときは、集中して、しっかりと前を見る必要があるの。だから、うしろから付いてきてほしいのだけど、分かったかな。」「うん、分ったよ、うしろから付いてゆくよ」

 そして、お祖父ちゃんの団地を、二回まわって、「信号のあるところでは、信号を守ること、一時停止の看板があれば停止し、右と左を見ること、歩道のあるところでは歩道を走ること、そのときには車道に近い部分を、ゆっくりと走り、歩道だから歩いている人に、めいわくをかけないようにすること」を勉強しました。そのあとで、いちごケーキを、みんなで食べました。

 つぎの日曜日が呉羽山五百らかん祭です。みんなで一緒に行って、交通安全のお願いをすることを約束しました。

 お祖父ちゃんは、それでもまだ心配で、帰りも自転車でひろし君の家まで一緒に付いてゆきました。ひろし君が先頭になり、お祖父ちゃんが後からついてゆきました。


キツネのお医者さん

2017-07-16 17:37:48 | 童話

 

平成29年3月30日 富山新聞掲載

 

キッネのお医者さん

 

山おくの集落にアスファルトの道路がありました。

その道路で子ギツネが自動車にひかれ、死にそうなくらいの大ケガをしました。

子ギツネが道ばたでたおれているところに、集落のおじいさんが通りかかりました。

「こりゃ大変だ、はやくお医者さんにみてもらわないと死んじゃうよ」といって車に乗せ、町のじゅう医さんにかけつけました。

レントゲンをとり、ほねの折れている部分を確にんして、てんてきをしてもらい、おじいさんの家につれて帰りました。おじいさんはおばあさんと二人でくらしていました。

それから一週間くらい、てんてきのちりょうに通いました。そのかいがあって大分よくなり、牛にゅうが飲めるようになりました。それから一ヶ月くらいで、すっかり元気になりました。

子ギツネは山に帰って行きました。

おじいさんとおばあさんは子ギツネがいなくなって、とってもさみしい思いをしていました。

子ギツネがいなくなってから十日ぐらいたったある日の朝早く、おばあさんがげん関から赤ちゃんのなき声をききました。

そこには竹かごにほし草をしき、その上に赤ちゃんがのっていました。

おばあさんはおじいさんと相談し、その赤ちゃんを健太と名づけて育てることにしました。健太は、おじいさん達の手伝いはよくするし、学校のせいせきも、先生がビックリするくらいにとっても良かったのです。

中学、高校へと進学しても、ますますその成績が良くなりました。

大学への進学に当たり、おじいさん達に山の集落の医師になることを約束して医学部に進学しました。

そのときには、おじいさん達の年れいは八十を過ぎて、もう元気に仕事をすることはできなくなっていました。健太はときどき大学から帰ってきて、山の薬草を採取しました。

おじいさん達がその薬草を食べると、若者のように元気がでて健康になりました。

健太は大学を卒業して山おくの集落に帰り、病院をつくりました。

その病院はよその病院で、もう治らないと言われた病気でも治してくれました。それが評判となり、全国から多くのかん者さんがやってきました。

しかし、ちりょう室には健太は一人で入り、ほかの人にはちりょうの方法を見せることはありませんでした。

健太は、以前に命を助けられた子ギツネでした。おじいさん達に恩返しをするために、人間に変身し、人間の医学とキツネのもつ不思議な力を利用して、病気を治していたのです。

おじいさんとおばあさんは百さいまで元気に過ごしました。