「月刊、短歌」の今月の特集は、60代からの短歌 。サブタイトルは、
60代だからこそ歌えること。60代で短歌を始めたわけ、ほか が記されていた。。
「佐藤佐太郎のことば」が載っている
雲の影のように胸中に去来し、過ぎてしまえば何の跡形もないような感情というものは、はかないといえばはかないものである。そして詩はこういうはかないものを表現の対象とするのである。」
大柳勇治は、この虚しさを感じていた。
その後、結社「歩道」にはいり、 作歌という世界に身をおくことによって
「言い知れぬ虚しさへの決別」 を意味することだった、と気づいた、 とある。
私は30歳代から短歌をはじめた。目的はただの人生記録
だと思っていた。
今70歳。
ずっと続けてきてよかった、と思っている。
老いの虚しさを感じることはあるが、それを逆手にとって詠ってやろう、
つまり、幾分の客観性をもって ながめる自分 がいるのである。
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