2022年2月に始まった宇露戦争は、3か月に入る。長期化が宇国に有利(露国の経済苦や国民の不満、NATOからの支援強化)、露国に有利(NATO側の足並みの乱れ、耐乏生活でより強固となる露国民の戦闘意欲)など、先行きは不透明である。戦争に関する報道も溢れている。これらを分類すれば、戦術(局地戦での攻防)、戦略(長期的な国益)、人道(残虐行為や戦争犯罪)の3つになる。
人道に限り話を進める。宇国では、国土は荒らされ、建物は砲撃で崩壊し、国民は難民化し最悪には殺される。その非人道的な有様が、わが国や欧米で繰り返して報道されている。戦禍に遭った人々の話は辛い。その批判の論調は、「残虐行為を行う露軍、プーチンは戦争犯罪人」である。逆に言えば、宇軍は残虐行為を行っていない、宇軍を支援するNATOや米国には、人道的な問題はないと言わんばかりである。
どちらが「より非人道」なのか、その論争はさておく。それよりも、われわれ日本人は、過去に米国から受けた仕打ちを忘れるほど能天気なのだろうか。80年前に米国が行なった非人道的行為を覚えているのであれば、露国の仕業に怒るだけでなく、己の振る舞いを棚に上げて善人ぶっている米国人の偽善性を、敢えて露わにしなくても、日本国民同士では共有しなくてはならないのではないか。
大東亜戦争末期には、米軍(連合国軍)は日本の200以上の都市を爆撃した。軍事施設に限らず、戦意喪失のためと称して市街地を故意に狙い、30万人もの市民を殺した。3月10日の東京大空襲では、焼夷弾を集中投下する作戦で、一晩で下町の一般住民約10万人を焼き殺した。沖縄戦では、日本人の死者19万人のうち約半数が民間人であった。沖縄県住民の約4人に1人が殺されたのである。
極めつけは、原爆投下である。2発の核爆弾で即死10万人、1945年末までの死20万人、後遺症死を含めれば計50万人が殺された。「原爆は終戦を早めた、ソ連侵攻を最小限に抑えた」などの戦術的・戦略的観点からの擁護もある。しかし人道の観点からは、間違いなく空前絶後の極悪非道な所業である。無差別爆撃の非人道的殺戮の象徴とされているゲルニカ空爆では、その死者は僅か300人であった。
これらの無差別爆撃による民間人の大量虐殺は、その残虐性や規模からみて、明白な戦時国際法違反である。この非人道的行為に対しては、まずは、心からの懺悔と謝罪がなくてはならない。何らかの理由付けや言い訳は、その後に聞こう。この醜い過去を引きずりながら、宇露戦争では人道を尊重するふうで、露軍を人道的に責め、報道官までもが泣いて見せることがよくもできるものである。
断わっておくが、著者は反米でも親露でもない。平和憲法の絶対信者でもない。米国の無反省な自己肯定に違和感を持つのである。さりとて、過去の残虐行為を責め立てようという訳でもない。日本人は不幸を天災と割り切り過去を水に流す。オバマ氏の「空から死が降ってきて、世界は一変した」の一節は、この深層心理に鋭く刺さり、日本人の心を糾弾から逸らし鎮魂に向けさせた。
振り返れば、御一新からの約80年は戦争の連続であった。その非人道の末法の世にあって心が引き裂かれた人々には、今や笑止である平和憲法が理想に見えた。その後の80年間、わが国が当事者となる戦争がなかったのは何よりの幸いである。しかし、それが続く保証はない。宇露戦争は現代日本への警鐘である。特に不気味なのは、この機に台湾進攻や対米連合を狙う中共国と半島の国々の振る舞いである。